Section2

08 文字が齎す感情(旧第一話)

 施錠された屋上へのドアには強化プラスチックが埋め込まれており、そこからは熱されたナイフような西陽が私の背中を刺している。

 かれこれ十五分、手すりに右手を添え、ぼうっと十五段下の踊り場をじっと見つめていた。


「スミ、こんなところでどうしたの?」


 声をかけてきたのは、私の大嫌いな女の子、逢子ほうこ


 カラーリングは学校指定の体操着とほぼ同じにもかかわらず、黒いショートパンツと白いノースリーブは随分とスタイリッシュに見えた。

 逢子の熱っぽい身体は汗でてらてらしており、蒸気に混じって吐き出される荒い吐息は、どうしてなかなか色っぽい感じがする。


 逢子は真っ白のリストバンドで額の汗を拭った。

 白いリストバンドは一見新品のように真っ白だが、そこには「ガンバレ」とヘタクソな手縫いの刺繍が施されている。


「そのリストバンド、誰かからのプレゼント?」

「え? ああ、うん」

「いつもらったの?」

「二年くらい前かなぁ……。初めて県大会に出たときにもらった」


 リストバンドをふわりと撫でる指先から、そのリストバンドをとても大切にしていることが見てとれた。


 逢子のストイックさに感嘆すると同時に、逢子は人に順位をつけ、下位の者は邪険に扱うような人間のくせに、自分にはないを持っているという事実が腹立たしい。


 かつて私を虐げていた女たちもそうだった。

 撮るに足らない矮小わいしょうな人間のくせに、彼女には大切なものがあり、そして誰かに大切にされていた。


「彼氏さんからもらったの?」

「どうでもいいじゃん、そんなこと」


 キッ、と逢子が睨む。

 彼氏からもらったわけではないのだろうか。こっぴどくふられた? リストバンドは結局誰からもらったのだろうか。友達? 親? 教えてくれたっていいじゃない。

 やかましい頭の中と違って、口から漏れるのは吃音きつおん混じりの謝罪だけだ。


「ここ、陸上部のトレーニングで使ってるんだよね。昇降口からまっすぐ屋上まで続いているから。後からわらわらくるよ」

「逢子ちゃんが一番なんだ、流石だね」

「まあね。とにかく、そういうわけだから」


 あんた邪魔なの。

 言外からそんな言葉が聞こえてくる。


 慌てて鞄を持つと、逢子は満足したようにきびすを返し、つい先ほど上がってきた階段をせわしなく下っていく。

 肌色が透けた背中は、すぐに見えなくなってしまった。


「また明日ね、逢子ちゃん……」


 ——また明日、タマ!

 たまきちゃんにはそう言うのに、私には何も言ってくれない。

 どうしていつも嫌われてしまうのだろうか。


 じりじりじりじり

 西陽は私の背中を突き刺し、内臓を焼いた。


 * * * 


 対象:朝岡あさおか逢子ほうこ

 目的:逢子をいつメンから外す

 理由:たまきちゃんとの安寧を維持するため

 特命:クラスメイトの哀れみを買う


 頭が混乱している時は、ノートに書き出すのが一番。

 今回の匿名は、「クラスメイトの哀れみを買う」こと。なぜなら、大衆を味方につける最大の武器は、大衆からの同情・哀れみだからだ。


 大衆を一撃必殺で味方につけるだけの「哀れみ」が必要で、その犯人は明確に逢子でなければいけない。

 物語の全ては虚構だが、その情報量と文字がもたらす感情だけは本物だった。

 ——ああ、なんてかわいそうなんだろう。

 私に蓄えられた五千人の物語を、一つずつ想起する。


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