31 つまらない海の話・後

「私が、どうやってアナタを見つけたと思いますか? 男性同士向けのアプリや出会い掲示板で、アナタの噂を聞いたんです。それで二丁目のバーに行って、アナタの連絡先を聞きました」

「いやーほんと困りますよね、人の個人情報をぺらぺらと。まあお陰で噂の日和ひよりさんに会えたので結果オーライですが」

「アンタが男が好きでも女が好きでもどっちでもいい。でも今スミレと暮らしているアンタが男を漁るのは、スミレに対して不義理が過ぎるのではないですか」

「ええ?」

「アンタは、スミレを騙してる。スミレにつけ込んでるんでしょう! 最低!!」

「えっ、えっ、違いますよ!?」


 この氷に浸った冷たい水をぶっかけてやりたい衝動に駆られるが、この公衆の場で流石にそれは大人気ない。

 ぐっと自分を抑え、一息に水を飲み干した。


「誤解しないでください。僕とスミレちゃんは確かに同じ家に住んでいますが、シェアハウスですよ。同棲ではありません」

「そんなこと言って、スミレをたぶらかしているんでしょう。そうだ、スミレは言ってた。アンタのこと、人タラシだって!」

「それを言うなら、日和ひよりさんのことだって人タラシと言っていましたよ。それに、無自覚だったスミレちゃんを目覚めさせたのは日和さんじゃないですか、貴女の方がよっぽど人タラシですよ。とにかく、やましいことはありません。断じて!」


 トウヤマはまっすぐこちらを向いて、その色素の薄い目で訴えた。

 うちと同じ、日焼けした、色素の薄い目。

 無自覚だったスミレを目覚めさせ、「普通ではない」行動をさせてしまったことについて言及されると言い返す言葉もない。

 けれど、うちはスミレのあの異常な行動が、——逢子をはかり、監禁ゴッコを企てる危ういスミレが、うちは恋しいのだ。


 うちのために、悪意ゼロであんな突飛な行動を取る人。

 きっと、この世のどこを探してもそんな人はいないと思う。婚約者のセナだって、うちの秘密を知った後、ゆるしてくれるかもしれないけど、しようとはしてくれないだろう。

 たとえそれが犯罪ギリギリ、アウトだったとしても。

 監禁された時、きっとうちは嬉しかったんだろう。

 監禁して、食事を作ってくれて、部屋を掃除してくれて、歯を磨いて、そうして最後はキスをした。だからあの後もスミレと行動を共にしたし、今だってスミレを探している。


 スミレをフったくせに、学生時代は良き友としてスミレを利用したことに、スミレは怒っているのかもしれない。

 つまらない意地をはって、何年も連絡を取ろうとしなかったうちのことなんて、もうどうでもよくなってしまったのかもしれない。


「スミレは、当時のことを後悔しているんですか」

「うん、まあ、後悔していないといえば嘘になりますね」


 あの時はなんとも思わなかった高校年間。大人になった今だからこそその貴重さがわかる。中学時代も大学時代も、もう二度と戻らないかけがえのない貴重な時間だけれど、高校生というのは特別だ。明確な自我を持ち、将来を選択する、少女から女性になる時間。だからこそうち達は高校時代の青春を忘れられず、懸想するのだ。

 その大切なスミレの高校時代を、うちは台無しにしてしまったのか。


「だから、私に会いたくないんですね」

「うん……。ん? いや、それが直接の原因ってわけではないですけど」

「あの時のこと、思い出したくないから。だったら、ここで身を引くべきなんですよね。私は——うちは、誰よりもスミレのことを知っていると思っていたけど、それは大きな勘違いだった。トウヤマさん、スミレが嫌な思いをするのなら、うちは諦めます」


 諦めて良いのか。

 頭の中にいる誰かが警鐘を鳴らすが、うちにはどうすることもできない。

 高校生の頃だったら、いかなる理由があろうとも突撃していたと思う。けれど、うちは大人になってしまった。ある程度の経験を積み、感情を知り、臆病になってしまった。そして何より、感情の起伏を面倒に感じてしまうようになった。


 このままスミレと会わなければ、うちはセナと結婚して、人並みの幸せを得る。何の問題があるのだ。

 海の世界は好きだ。変わらないあの世界が、うちは好きなのだ。


 スミレは、核爆弾みたいな存在だ。

 それこそ、スミレが好きなパーティーポッパーのように、スミレに会った時、何かが弾けて飛んでいってしまう気がする。


 ここで諦めろと言われれば、この件からは手を引く。そうするしかない。スミレを一番よく知っているトウヤマが諦めろと言うのだから。


「……今日、日和さんに会うこと、スミレちゃんには言ってないんです。貴女とはもう連絡を取ってないことにしています。そしてもう一つ、僕は貴女に、意図的な情報操作をしました。すみません」


 トウヤマは頭を下げる。

 波が砂浜に当たって砕ける音が聞こえる。

 店の喧騒が、一瞬だけ静かになった気がした。


「スミレちゃんが貴女に会いたくないのは、貴女のことがまだ好きだからです。貴女に対して持っているスミレちゃんの感情は、やっぱり恋だったんです。でも、十年前のあの夏、貴女はスミレちゃんをフリました。事の顛末をスミレちゃんから聞いた時、スミレちゃんは貴女への想いは断ち切ると言っていました。貴女に迷惑をかけて、貴女を困らせ、貴女の傷を無神経にえぐるようなことしてしまったと後悔していた。それが、僕が先ほど言った『後悔』の真意です。貴女の恋人になれなくても、貴女の過去を知っている数少ない友人として、貴女を理解し、貴女の心に寄り添いたいと願った。だからスミレちゃんは徹底して、貴女の友人として残りの高校生活を過ごしたのです」


 貴女にはわからないかもしれないけど、僕にはわかるんです。

 友人として振る舞うことが、どれだけ辛く、残酷なことなのか。この友愛の平行線は、同性愛者の持つ宿命みたいなものですから。

 トウヤマはそう続ける。


 ああ、やっぱりうちは、無邪気に、何の悪気もなく、そして最も酷い方法でスミレを傷つけていたのか。

 都合の良い友人にしたと、スミレは分かった上でうちと友達で居てくれたのか。

 スミレが言う通り、こんな献身的な人はきっと、スミレ以外にはいないだろう。


「スミレちゃんは、貴女の婚約のことを知っています。七戸しちのへくんのSNSでそれを知って、幸せそうな貴女に水を差したくないと言っていた。祝福できないから、今は会いたくないと。スミレちゃんは決して貴女のことが嫌いになったから貴女に会いたくないわけではありません。誤解させる言い方をしてすみませんでした」

「スミレは、それで良いと思っているんですか」

「この期に及んで、こくなことを言うんですね。スミレちゃんはそうするしかないじゃないですか。貴女はいったい、スミレちゃんに何を望んでいるんですか? 貴女には、そんな立派な婚約指輪をくれる素敵な婚約者がいるのに」


 左手の薬指では、セナがくれた婚約指輪がオレンジ色の淡い照明できらりと光っている。

 うちが好きな、太陽が燦々さんさんと差し込む、浅瀬の海の色。本物のダイヤモンドよりは安価だけれど、セナが選んでくれたオーシャンドロップダイヤモンドに、ちょっと珍しいパライバトルマリンに、深い海の色をしたサファイアをあしらった婚約指輪はうちの好みを熟知していて、この婚約指輪をもらった時、うちはセナと添い遂げるんだと誓った。


 でも、やっぱりうちはスミレに会いたい。


「僕は今、貴女はスミレちゃんに会うべきじゃないと思います。スミレちゃんは貴女を祝福できないし、何より、どっちつかずの貴女がスミレちゃんを惑わすのを黙って見過ごすわけにはいきません」


 今、あなたに会いたい。


「スミレちゃんの心の整理がついたら、必ず僕が連絡します。その徴憑ちょうようとして、今日僕の名刺を差し上げたんです」

「トウヤマさん、でも、うち、どうしてもスミレに会いた——」

七戸しちのへくんのSNSで貴女の婚約を知った時、スミレちゃんはタグ付けされた貴女のSNSに飛んで、ずっとその投稿を追っていました。海の写真がすごくきれいだって、僕に何度も何度も画面を見せてきましたよ。環ちゃんはやっぱり天才! って、自慢げに」


 うちは、あの時とは比べ物にならないくらい、たくさんの海を知った。

 また、うちのつまらない海の話をきいてよ。

 ねえ……、スミレ。


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