26 ノーチラス(5/5)
「うわああああああ!!!」
喉の奥から、獣みたいな声が出る。
目の前が真っ赤になった。あの音は、愛情が憎しみに変わった音だったのかもしれない。
誰かを殴るなんて、自分も堕ちたものだ。情けない。頭のどこかにいる冷静な自分は嘆息しているのに、怒りが爆発して自分を抑えられない。
今、私は何を持っていったっけ。何も持っていない?
環ちゃんを殴ろうとしていることはわかる。グーなのかパーなのか、素手なのか、何かを握っているのか。私は自分がわからない、制御できない。何もわからないまま、私はその手を振り下ろした。
その時、
パァン!! と、耳のすぐ横で何かが炸裂した。
「っ!?」
あまりの音に耳がキーンとする。
反射的に閉じた目を開くと、色とりどりの紙吹雪と、
見慣れた、パーティーポッパーを鳴らした後の光景。
「はい、好きなんでしょ。これ」
ピンクのパーティーポッパーを鼻に被せられる。大好きな、硝煙の香りが充満した。
カラン、と、私が握っていたであろう環ちゃんの歯ブラシが転がる。
「へへースミレが買い物行ってる間にバックから拝借したんだ。前、
「な、なんで知って」
「
「あ……」
あの誘いは、そういう意味だったのか。
ただただ煩わしいと思っていたけど、あれは、私のためだったの?
「好きなこと、あるじゃん。こんなに突飛で面白い趣味がさ」
「……こんなの、趣味じゃない。硝煙の香りが好きで、毎朝一人でこんなの鳴らして、オカシイよ」
「好きなものに、良いも悪いもない。
「で、でも」
「海だって、スミレは嫌い。でも、海が好きなうちのこと好きになってくれたよね。何が好きだっていい。好きなことには胸を張ればいい。クラッカーが好きだなんて、誰にも迷惑かからない可愛らしい趣味じゃん」
毎朝のパーティーポッパー、夜の線香花火。
あれは、私の趣味だったのか。
「キツイこと言ってごめんね。うち、スミレとは腹を割って話したかったから。スミレは計算高いから、爆発させてしまったほうが手っ取り早いと思って」
「環ちゃん……。怒ってないの……?」
「怒ってないよ」
環ちゃんは朗らかに笑っているけど、にわかには信じられなかった。
環ちゃんは迷惑しているんだもの。最初から最後まで、ずっと。
「私、環ちゃんのこと、本当に好きなの。それは、友達としてじゃない。環ちゃんは私の一人芝居だと思ってるのかもしれないけど、これだけは絶対に本当なの!!」
「ごめん、さっきの一人芝居は言いすぎた。それは、嘘じゃないって思ってる」
「じゃあ、信じてくれる?」
「うん」
それを聞いて、私は少し安堵するが、すぐ次の問題があることを訪れる。
最近の、特に私達高校生のLGBTへの理解は、結構ある方だと思う。受け入れられるか、られないかは人それぞれの価値観によるけど。でも、それは飽くまで他人事だ。友人が、友人の誰か、あるいは知らない誰かが好きならきっと大した問題じゃないと思う。所詮他人同士の恋愛だもの。それが異性でも同性でも、あるいは無機物でも、恋愛という感情そのものがなくても構わない。
でも、その好意が自分に向けられたら、どう思うんだろう。
好きでもない男の子に告白されたら困る。それ以上に、今まで友人だと思っていた女の子に告白されたら、きっと困る。
私は環ちゃんのことが大好きだ。
でも私は、やっぱり臆病なのだ。
「でも、気持ち悪いよね、私。わかってるから」
環ちゃんが断りやすいように、フッてくれと言わんばかりのことを言ってしまう。
これでフられても、私が自ら身を引いた、と、そんな言い訳をするために。
この感情の退路がなくなってしまうことが恐ろしくてしかたないのだ。
「そんなことない、スミレの好きになった人がたまたま女で、たまたま私だっただけ。だから、気持ち悪くなんてない」
「本当に……?」
「けどね、正直、うちはスミレの『好き』が本当にそういう意味なのかわからない。さっきだってキスするのを嫌がってた。スミレのこと傷つけるかもしれないけど、この一連の全てを正当化するために『恋』を免罪符にしてるんじゃないかと思ってしまう」
「ちがう……。私は環ちゃんに、ちゃんと恋をしてるよ。だって、こんなに誰かを好きになったの、初めてだから」
「うちはスミレのこと、そんな風に見れない。だからスミレの気持ちには応えられない。ごめんね。でも、その気持ちは嬉しいし、その感情を大切にして欲しいって思ってるのは本当」
——恋かどうかはさておき、その人が好きって気持ちは大切にね
——だったら、覚悟して向かい合わないとだめだよ
——その人のことをよく知って、よく考えて行動するんだ
トウヤマさんの言葉を思い出す。トウヤマさんの言ってた意味は、こういう意味だったんだ。
せっかく忠告してくれたのに、私は何一つそのアドバイスを実行することができず、最悪な形で環ちゃんに思いをぶつけてしまった。
「ねえ、それじゃあダメかな。もう、うちとなんて友達でなんて居たくないかな」
私は
「ありがと、スミレ」
環ちゃんは残酷だ。
私はこんなにも環ちゃんのことが好きなのに、それでも友達で居てほしいと言ってくる。
私はここで環ちゃんと縁を切るべきなのかもしれない。でも、そんなことができないくらい、私は環ちゃんのことが好き。
環ちゃんが友達で居てほしいなら、私は環ちゃんの友達になる。そう決めた。
好きな人のために身を引く、とは少し違うのかもしれないけど、私は環ちゃんのことを愛しているのだと思う。
恋愛とも、友愛とも形容詞しがたい何かなのだ。
言葉に意味のない世界、そのものに、今度こそなるのだ。
「あのね、もう一つ、告白しないといけないことがあるの。教室で転んだのも、階段から落ちたのも、本当はワザト」
「知ってたよ。だっておかしかったもん。あの時のスミレ」
なんだ、とっくにバレてたんだ。
逢子もおかしいって言ってたもんね。環ちゃんからすれば一目瞭然か。
「帰ったら逢子に謝ろう。うちも一緒に謝るから」
「うん……。環ちゃん、ぎゅってして、私を慰めて。友達としてでいいから」
「いいよ」
ぎゅうっと環ちゃんに抱きしめられる。
失恋の悲しみを、本人に慰められる。友達として。
私は友達以上にはなれないのに、こうやって抱きしめてくれる。どうして拒絶してくれないの、本当にひどい。私はやっぱり、悲劇のヒロインだ。
環ちゃんの体は相変わらず暖かくて、柔らかくて、五日もお風呂に入ってないから、少し汗臭かった。
私が今読んでいる小説はジュール・ヴェルヌの小説『海底二万里』の続編、『神秘の島』。
主人公のネモ船長は、新鋭潜水艦、ノーチラス号に乗って旅をする。最強無敵のノーチラスだが、最後は海底の奥深くへと沈められてしまうのだ。
絶対に落ちない要塞など、この世にはない。
私にこびりついた泥の鎧は、八丈島の美しい海で、あっさりと溶けて消えてしまった。
→
*『海底二万里』『神秘の島』ジュール・ヴェルヌ
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