18 この日々から救い出してくれる神様
私は恵まれていると思う。
私の家は少し裕福だ。だから欲しいものがあると言ったらポンと二十万円が出てくる。
親に嘘をついて出してもらったお金で使うのに気が引けるが、個人の調査では限界がある。
名前も住所もわかっている。環ちゃんが生まれてから今日までの十七年の間に何があったのか、プロの手にかかれば造作もないことだったようで、きっかり十日後、私の部屋に調査報告書が届いた。
私はこれで、私の知らない環ちゃんを知ることができる。
そうしたらもっと環ちゃんのことを理解できる。
そのために私はコレを手に入れたのに、その過去を知って後悔した。
これは、私が環ちゃんの口から聞くべきだったのだ。
「少女誘拐監禁事件の被害者が、環ちゃん……?」
少女誘拐監禁事件。
『絶対に大丈夫。学校はうちに、配慮してくれるから』
あの「配慮」とは、きっとこのことだったのだろう。
記憶をたぐると、すぐにあの事件のことを思い出した。
小学四年生の頃、当時の自分と同い年の少女が誘拐され、半年間に渡って監禁された事件。
毎日のようにテレビに流れるニュース番組では、誰もが口々に恐ろしい、少女が可哀想だと犯人を紛糾していたけれど、私はこの日々から救い出してくれる神様が羨ましいと思った。それがひどく印象的だったのだ。
学校の中だけの、小さな地獄。
家に帰れば優しい両親が待っていて、自分よりも酷い地獄にいる子供なんてたくさんいる、下には下がいると自身を慰めたが、当時の私はその小さな地獄が辛くて辛くて仕方がなかった。
<解放されてから一年後、両親が離婚>
<離婚後、神奈川県葉山町に転居>
<母親は神奈川総合病院精神科に通院中>
搾取されたくないというのは、きっとこのことだ。
<犯人:
<監禁中の出来事については不明>
<犯人は心臓を包丁で刺して自殺した※>
<包丁には犯人の指紋の下に、被害者の指紋あり。また、水道に血を洗い流した跡があったことから、被害者が殺傷した可能性あり>
<発見時、被害者は「自殺」と証言。真偽不明>
<※註記(以下、当事務所見解)>
<刺跡は二箇所あり。一つは
<被害者の状況と未成年であるということから、殺害は難しいと考えられる。また正当防衛が成立していた可能性もある。非常にセンセーショナルな事件でもあったため、「自殺」として処理されたと考える>
監禁中に何があったか、環ちゃんは最後まで話さなかったらしい。
話をしたくないほど、辛い目にあったのだろう。
「やっぱり、環ちゃん、かっこいい」
ぽろりと、そんな言葉が口から溢れる。
私の感性はおかしいのかもしれない。でも、私はそう思ったのだから仕方がない。
だって、環ちゃんは、その過酷な状況下でも生き抜いたのだ。犯人に勝利した、サバイバーだ。監禁中はもちろんのことだって、それが終わる瞬間も、そしてその後も、生き抜くことは容易ではなかったはずだ。
過酷な状況でも生き抜いて、強くて、明るくて、優しい。
すごい。環ちゃんは、かっこいい。
監禁された半年間、環ちゃんの身に何がおきた?
食事を抜かれたり、
暴力を振るわれたり、
服を脱がされたり、
——犯されたり。
この報告書にもあるように、犯人を殺したのかもしれないし、殺させられたのかもしれない。
小学校四年生の時に漠然と考えた監禁生活は、十七歳になると生々しいセンシティブな想像ばかり浮かぶ。
環ちゃんの過去を知ったところで、私は到底環ちゃんの理解者にはなれないだろう。
環ちゃんの気持ちに寄り添うことはできない。
環ちゃんを理解するためには、私も同じ目に遭わなければならない。
できない経験は本から得ればいい。
でも、「できる経験」は率先して得るべきだ。シュノーケルと同じく、実体験に勝る「経験」はないのだから。
* * *
私は多くの経験を得た。
人は飲まず食わずだとどうなる?
裸でいたらどうなる?
殴られたらどれだけ痛いの?
レイプされたら、人はどう思うの?
——もっとも、私は意図したものだから厳密には違うけれど。
様々な負の感情を得た。
監禁される、ということはできなかったけれど、私は当時の環ちゃんが「されたかもしれない」多くの事象を追体験した。
不安だった。あらゆることが。
意図したレイプだったのに、男が怖くなった。
何よりも恐ろしかったのは、このことを誰かに知られることだ。
名前こそ出ていないが、あの事件はメディアで報道されていた。
私でさえ被害者が環ちゃんであることはすぐに調べられたし、地元の人はもちろん知っているだろう。
そして何より、親御さん。
環ちゃんが戻ってきた時、安堵しただろう。けれど、その後の環ちゃんは生きにくかったに違いない。
過保護になるかもしれないし、腫れ物を見るような目で見たかもしれない。両親に自身の性的な事件を知られるのは耐えられないかもしれない。恥ずかしいとか、申し訳ないとか、色々な感情がぐちゃぐちゃになって、押しつぶされそうになるかもしれない。
両親の離婚の原因はわからないけど、環ちゃんが一因であることは否めないだろう。
環ちゃんのお母さんは今も精神科に通っているらしい。環ちゃんにとって、あの事件は今も終わっておらず、苦痛は続いている。
そしてその苦痛は、きっと死ぬまで続く。
環ちゃんはどれだけ辛かったのだろう。
こんなにも辛い思いをしたのに、環ちゃんは明るくて優しい。
環ちゃんは、誰よりも強い。
「スミレ、顔色悪いけど大丈夫!?」
「平気だよー、めっちゃ元気!」
「……空元気ってやつだよねそれは」
「心配してくれるの? 嬉しいな」
「スミレ……」
私が環ちゃんを理解すればするほど、環ちゃんは私のことを気にかけてくれた。
環ちゃんはこのことを私に知られたくなかったかもしれない。
だけど、私はこのことを知って環ちゃんのことがより大好きになった。
私はきっと、この世で誰よりも環ちゃんのことを理解できる存在になった。だから、何も後悔していない。
今日も私はパーティーポッパーを鳴らす。
ピンク色のパーティーポッパーの糸を引くと、色とりどりの紙吹雪と、
ピンク色のトンガリ鼻を作る。スゥ、息を吸えば、私の鼻にあるダンスホールで銃撃戦が始まる。
いつものルーティーン。
今日も、パーティーが始まる。
このパーティーはいつから始まったのか、もう思い出せない。
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