16 誰にも搾取されたくない

 あの階段の一件以来、逢子ほうこは静かになった。私へのあたりも強くなくなったし、昼休みも席を外すことが増えた。

 陸上部でミーティングがあると言っていたが、おそらく嘘だろうと思う。

 ボードゲームを誘ってきた男子も近寄らなくなった。所詮、その程度だったのだ。


「スミレ、最近恋愛小説読むこと多くない?」

「え、そうかな」

「うん。好きな人でもできたんでしょう。門原かどはら? 七戸しちのへ?」

「違うよ!」


 私は、たまきちゃんが好きなのだ。環ちゃんにだけは、そんな勘違いされたくない。

 そんな思いが先行して、つい過剰反応して声を荒げてしまった。

 環ちゃんも目をパチクリさせている。


「ご、ごめんねスミレ」

「ううん。でも、違うから」

「わかってるよ。でもさ、もし好きな人がいるなら遠慮しなくていいからね」

「どうして、そんなこと言うの?」

「え? いやあ、うちが寂しがると思ってるのかなーって」


 私の方こそ、何を言ってるんだ。

 環ちゃんは、私が環ちゃんが好きなことを知らないのに。


「環ちゃんは寂しくないの?」

「うーん。こうして昼休み一緒に食べれるなら! さすがにボッチメシは寂しいからね」

「放課後は? 放課後はいいの?」

「……どうしたのスミレ、なんか変だよ」


 恋は人をおかしくさせる。

 本当にその通りだ。さっきから、私は変だ。「寂しい、スミレ、ずっと一緒にいて」と、環ちゃんに言わせようとしている。

 私は環ちゃんの友達。私は環ちゃんに恋をしているけれど、きっとこの想いがかなうことはない。

 最初から分かっている。ならば、早く終止符を打つべきだろう。

 この想いが膨らんで、膨らんで、弾けて、おかしなことをしないように。

 これがトウヤマさんのいう「覚悟」であり、「よく考えて行動する」という意味だと思う。


「環ちゃんこそ、彼氏とか作らないの? 何度も告白されてるよね」

「お、初めてスミレから恋愛事情を聞かれた。興味ないんだと思ってたよ」

「興味なかったけど、今はちょっとある」


 環ちゃんは、へぇと感心したように呟くと、キュッと顔をしかめた。


「彼氏なんていらない。うちは誰にも搾取さくしゅされたくないから」

「え……?」


 搾取。思いも寄らない言葉が出てきた。

 搾取されたくないとは、どういう意味だ。

 誰かに搾取されたことがある? それが原因で彼氏を作らない? 虐待? ネグレクト?

 誰に、何を搾取されたの?


 その言葉の真意が気になったが、こういう時なんと声をかければいいのか分からない。

 ぱくぱくと口を喘がせながら環ちゃんの顔を見ることしかできなかった。


 環ちゃんはアクティブでエネルギッシュで、優しい。尊敬すらしてる。

 そんな環ちゃんから垣間見たそこはかとない仄暗さに、私はどうしようもなく惹かれたし、なんとも言えない恍惚こうこつな気分になった。

 こんな環ちゃんは私しか知らないのだと思うと興奮が抑えられなかった。その興奮が、私に拍車をかける。


 知りたい。

 環ちゃんのこと。もっと。

 環ちゃんの過去にはいったい何があったのだろう。


 ——だったら、覚悟して向かい合わないとだめだよ。その人のことをよく知って、よく考えて行動するんだ。

 トウヤマさんはそう言っていた。

 だから私は、環ちゃんのことをもっと知る。


「男の人、きらいってこと?」

「そうなのかな……、わかんない」


 知りたい。好きな人のこと、もっとたくさん、もっと深く。誰よりも。

 そうして、環ちゃんの理解者になりたい。

 環ちゃんの唯一無二になりたい。


 先日読んだ『きらきらひかる』という恋愛小説はとても面白かった。

 私も、環ちゃんと、この「体の関係のない夫婦」のような純愛をしたいのか。それはわからないけれど、私と環ちゃんが目指す一つの終着点であるように思う。

 性別も家族も超えた何かに、私はなりたいのだ。


 環ちゃんは、私にとって「言葉が意味にならない世界」だ。

 環ちゃんにとっても、私は「言葉が意味にならない世界」になりたい。


 →


 *『きらきらひかる』江國 香織著/新潮文庫

 *『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』<帰途>田村隆一著/ちくま文庫

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る