13 至高の四秒間

 今回の作戦の意味。


 対象:朝岡あさおか逢子ほうこ

 目的:逢子をいつメンから外す

 理由:たまきちゃんとの安寧を維持するため

 特命:クラスメイトの哀れみを買う


 ——そう、だからここは、「逢子をハズしたい」とそう伝えるべきなのだ。

 それを言うための、大義名分もある。誰を私を責めたりしないだろう。


 しかし、それは本当に「正解」なのだろうか。


 今一度考える。

 目的は「逢子をいつメンから外す」、理由は「環ちゃんとの安寧を維持するため」、なぜその必要性があった?
 当初の逢子は確かに脅威だった。けれど、今の逢子がどうやって私たちの仲を引き裂くというのだろう。

 確かに、逢子は苦手な存在だ。勝気で、私へのあたりが強い。逢子の存在は煩わしいが、果たして私達の仲を引き裂くことは可能だろうか。答えは否だ。


 そして何より、逢子を外そうといったら、環ちゃんはどう思うだろう。それが不安でならない。

 今回の件で、逢子も前ほど煩わしい存在ではなくなるだろう。ならば、ここで逢子を外すという選択は、きっと最善ではない。環ちゃんの心象を悪くする懸念がある。


「えっと……、私、決めるのが本当に苦手で……」

「うん、待つよ」


 環ちゃんが望んでいる「スミレ」という人間は、そういう人間ではないのだ。私は、環ちゃんの望む「スミレ」でなくてはならない。たとえそれがハリボテの虚像でも、環ちゃんの認識が私の全てなのだ。

 逢子は煩わしい。けれど、目先の利益に踊らされ、大局を見失ってはいけない。


「環ちゃんは、どうしたい?」

「汚れ役にはなりたくないってこと?」

「ち、ちが……。——ううん、そうだったのかもしれない」


 環ちゃんは、きっと私を試している。

 私はゆっくりと体を起こし、かぶりを振った。


「そんなことしなくていい」

「どうして? 逢子はうちにスミレをハズそうって持ちかけてきたこともある。逆の立場になったってお相子あいこだよ」


 それでも、環ちゃんは逢子ではなく、私を選んだのだ。その優越感はゾクゾクするほど私を昂らせたが、神妙な顔をしたまま言葉を続ける。

 本心に、少しの嘘を混ぜて。


「汚れ役になりたくないのかって聞かれたら、そうなのかもしれない。でもそれと同じくらい、汚れ役になってもいいから、逢子ちゃんに仕返ししたいって思っている自分もいる」

「それなら、そうしたらいい。あんなこと言ったけど、ここでスミレを止めないうちも共犯だよ。気にしなくていい」

「ううん、それじゃあダメなの。私さ、環ちゃんが生まれて初めての友達なんだ。小学校も中学校も、一人も友達がいなくて。ずっと嫌われてて……。だからその立場のヒトの気持ちが分かる。逢子ちゃんを仲間外れにするようなことをしたら、私の負け」


 私の負け? これは嘘だ。

 私の過去は嘘じゃない。けれど、むしろ逢子のことは率先して仲間外れにしたいと思っている。

 逢子へ罪悪感、そんなものはない。ああいったタイプの人間は、孤独を味わって過去の自分の行いを反省すればいいのだ。

 私はどこまでも自分がかわいい。だから、逢子を仲間外れにはしない。


「性格悪いよね、見損なったかな」

「ううん、そんなことないよ。理性で自分を律した結果でしょ」

「理性じゃないよ、こんなの、偽善だよ」

「偽善で何が悪い。偽善と懇篤こんとくは同じものだよ」

「……環ちゃん、本も読まないくせに意外と語彙が豊富だよね」

「スミレが教えてくれたんだよ。優しさって意味だって」

「そうだったっけ、覚えてくれていて嬉しいな」


 どうしてだろう。

 何故だか、視界が急激に歪んで、ポタリと水がこぼれた。


 悔しいのだろうか、これは。


「スミレ、泣かないで」

「私、どうして逢子ちゃんに嫌われちゃったのかな」


 あっけらかんと言ったつもりだったが、気持ちに反して、私の声は濡れている。

 逢子には、何故だか最初から嫌われている。それは悲しいことだ。けれど、泣くほどではない。どうして涙が出るのか自分でもわからなかった。

 いったい、私の中のなんという名前の感情がオーバーヒートしているんだろう。


「でも、それでもいいの。本当に怖いのは、環ちゃんが、逢子ちゃんと一緒に私から離れて行ってしまうこと。だから、逢子ちゃんが、私と逢子ちゃん、どっちがいい? って環ちゃんに聞いた時、すごく怖かった」

「……バカだなぁ、スミレは。こっち向いて」


 凛とした声に顔を上げると、環ちゃんの顔がぐいと近づいた。

 キスされるのかと思った。

 それでもいいと思った。


「頭ボサボサだよ」


 そう微笑んで、私の髪を整える。


 ふと、先日トウヤマさんから聞いた「ハッテンジョウ」を思い出した。

 あとから調べたところ、ハッテン場というのは、ゲイの出会いの場だった。男性同士の恋愛。トウヤマさんの場合は目的にカワイイ女の子もあったので、男性も女性も恋愛対象であるタイプなのかもしれない。トウヤマさまはあまりにも普通で、LGBTと知って驚いた。テレビでよく見るオネェタレントは、数多あまたあるLGBTのほんの一部に過ぎないということをやっと認識したのだ。

 高校生になり、なんでも知って、なんでもできる気がしていたが、本当は井の中のかわずに過ぎず、自分はまだまだコドモで、知らないことだらけだと実感した。


 耽美な雰囲気にのまれそうになるが、環ちゃんは何もしない。

 環ちゃんの熱が恋しい、ふれたい。

 環ちゃんが触れた髪の毛先から、トロトロに溶けてしまいそうだった。


「た、環ちゃん」

「ん?」

「ぎゅーってして」

「ええ、照れるなあ」

「四秒だけでいいから、お願い!」

「四秒? まあ、いいよ。スミレの情緒、今ヤバイから特別にね」


 至高の四秒間。


(私は、女の子が好きなんだろうか。わからない)


 けれど、私はその感情と環ちゃんの体温を、甘んじて受け入れることしかできなかった。

 清潔な薬品の匂いは、太陽と磯の香りにかき消される。


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