04 泥でできた鎧
この果敢な行動力に、逢子を疎ましいと思うと同時に、尊敬もした。これだけの強さが自らにもあれば、きっと小・中学校を孤独に過ごすことなどなかっただろう。
逢子が環ちゃんと懇意に——いわゆる、いつメンになりたがっているのは一目瞭然だ。
環ちゃんは、スクールカーストのトップ。プライドが高そうな逢子にしてみれば友人に打ってつけの存在だろう。高校生活にも箔がつくと思ったのかもしれない。
それに加え、新しいクラスには逢子の親しい友人はいなかったようだ。もしかしたら、そのプライドの高さゆえ、前のクラスでも友達なんていなかったのではないかと邪推し、こっそりとほくそ笑む。
「タマ、スミ、ごはんたべよー」
今日も逢子は、「
環ちゃんは私の様子を目で窺う。小さく頷いた。
——私を守るなら、私が良いといっても断ってよ!
そんな勝手な思いが頭をよぎるが、すぐに落ち着けと自らを諫める。このまま昼食を一緒に摂るメンバーになれば、そのままいつメンに昇華されるのは必至だが、構わない。
不要になったら切り捨てればいいのだ。私は、そのやり方をよく知っている。
三人で揃って「いただきます」と唱え、そのままお弁当を咀嚼する。
逢子のお弁当はいつも大体同じ。野菜がメインで、米はなし、鳥のささみ肉が入っている。なんだかアスリートって感じのお弁当だ。
反対に、環ちゃんは野菜が少なめ、白米多め。大好物の香辛料で真っ赤になった肉が定番メニューだ。
私はおにぎりが一つに、汁物、ヨーグルト。いつも主菜に唐揚げか焼き魚を持ってきていた。
私はおにぎりをゆっくり食べながら、逢子と環ちゃんの会話をひたすら聞く。
環ちゃんと二人きりの穏やかな昼食が恋しいが、目的のためには仕方のないことだ。
「はーー、憂鬱だなあ」
「タマが憂鬱なんて珍しい」
「明日の家庭科、憂鬱」
今日の主菜は唐揚げ。一個しかないが、掌ほどもある大きな唐揚げにかぶりつき、頬張る。
いつもは冷凍食品の唐揚げだけど、今日は唐揚げ専門で買った唐揚げだから、いつもと段違いに美味しい。冷えていても美味しい唐揚げは、本当に美味しい。
「逢子は料理とか、好き?」
「まあ、結構好きかな。タマは嫌いなの?」
「大っ嫌い! 超嫌い! 超めんどい! 包丁なんて見るのも触るのも嫌だよ」
「なんか、トラウマ?」
「いや、全然違う」
「女子なんだから料理くらいしなよー、将来結婚した時困るよきっと」
あ、禁句。
水筒の中にある二リットル六十八円の水を飲みながら、私は環ちゃんの顔から急激に表情がなくなるのを見守る。
スン、とした顔。環ちゃんが心のシャッターを一つ閉じた時の顔だ。
料理嫌いの環ちゃんはよくこれを言われ、辟易する。
「それ、常々思っているんだけど、『女子なんだから』っていう価値観、なんなんだろうね」
「え?」
「料理ができるって、言わば生きていくために必要な能力でしょ。それを『女子なんだから』ってなんなんだろう。『料理』とか『裁縫』とか『女らしさ』とか、いわば女子力と推し並べられるものはさ、女の為じゃなくて、男が楽したり愉しんだりする為の力だよね。料理がもし簡単で楽しいことなら、料理は男の仕事になったよきっと。でもそうじゃないから女の仕事になったんだと思う。女は外で仕事、男は家で家事と子育てになったんじゃないかな」
「う、うーん、そうなのかな」
「要は、需要と供給の問題。料理がしたくないなら、料理が好きな男と結婚すればいいだけ。『女子なんだから』は関係ない」
「タマはモテるからそんなこと言えるんだよ」
「これはね『好きなこと』と『嫌いなこと』の話。うちはシュノーケルが好き、逢子は走るのが好き。うちは料理が嫌い、逢子は優柔不断が嫌い。だったら、逢子は走ることが好きあるいは理解があって、即断即決、あるいは逢子の意見に合わせてくれる旦那さんがいいんじゃない? それとどこが違うのかな」
私は、環ちゃんの、芯のブレないところが好き。
環ちゃんはきっと、何度『女子なんだから料理くらいしなよ』と言われても、料理が嫌いな限り、率先して料理をすることはないだろう。
なんでもそう。シュノーケルだって「なんの生産性もない趣味」かもしれないけど、好きなものに真っ直ぐなところが素敵だ。
私には趣味も、好きなものもない。
パーティーポッパーの硝煙の香りが好きだけど、人に言えるようなものじゃない。
胸を張って誰かに「好き」と言える、何かが欲しい。
* * *
放課後、逢子は部活動があるから、帰り道だけは環ちゃんと二人きりだ。
環ちゃんはロードバイクを手で押しながら、駅まで私を送ってくれる。
「ああ、またやっちゃよ。逢子怒ってるからなあ。スミレはじっと耐えてて偉い」
「偉くなんてないよ、ビビって何も言えないだけ」
「ずっと勝負の世界で生きてきたからなのかな、両親もアスリートらしいし。負けん気が強いのはいいんだけど、ちょっとこう、否定が入ってくるんだよねえ。すぐ反論したくなっちゃう」
「でも、そこが逢子ちゃんのいいところでもあるよね。ちょっと苦手だけど、やっぱり尊敬するよ」
「……スミレは楽だなあ。なんて、ダメかこんなこと言っちゃ」
「あはは、あんまり邪険にしちゃダメだよ? 私は慣れているからいいけど」
「こら、そういう自虐は良しなさい。でも、そんなことしないよ。いじめてるみたいで、なんか気分悪いし」
——いじめてるみたい。
——違う、私は、いじめようとしているのだ。逢子を。
その事実に気付いて、私はゾクゾクした。
小学校、中学校、九年間に渡って虐げられた日々を思い出す。孤独で、月曜日になるのが億劫だった。
テスト明けの瞬間、誰も自分の机にはやってこない疎外感。クラス替えの日、皆はよそよそしく馴れ馴れしく新しい人間関係を築くが、誰とも関係を築けない自分に
逢子は、私をいじめていた側の人間だ。そういう女だ。
自分は何一つ汚れておらず、正しいのだと信じ切っている愚かな女。他人からの評価に躍起となり、一喜一憂する承認要求の塊。
そんな女を、自らの手で陥れることができたらどれだけ気分がいいのだろう。
逢子は、私たちの間に捻じ込んできた異分子で、「敵」だ。
二人だけの「言葉に意味のない世界」を守るために、必要なことだ。
逢子が悪い。全部全部、逢子が。
私の心の中には、いくつかの箱がある。
硝子の箱の中には、とろりとした液体が入っていて、その中には透明なガラスで出来た自分。
端っこにあるショッキングピンクの毒々しい色の箱を開けると、粘着質な泥が溢れ出した。
私の脚に、腕に、頬に、飼い主を見つけた犬のように、その泥は愛着を持って私のカラダに纏う。さながら、泥でできた鎧だ。
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