03 言葉に意味のない世界・後

 簡易ホームルームのあと、私は二年B組のクラスに移動した。

 ——たまきちゃんと共に。


 一年生の時と同じく、私の後ろの席には環ちゃんが座っている。

 毎年恒例。出席番号の一番から簡単な自己紹介が始まった。無個性で特別好きなものもない私は、名前を言って「よろしくおねがいします」で終わるつまらない自己紹介をすることになる。


朝岡あさおか逢子ほうこです。陸上部に入ってます。体育祭では活躍するんでよろしくお願いしまーす」


 自己紹介タイムが始まって数分、後ろから「ねえ」と小さな声で呼びかけられる。

 自己紹介者を見る振りをして、私は体を横に九十度回転し環ちゃんに顔を寄せた。


「毎年この自己紹介やるけどさ、本当に意味ないよね。全然覚えられない」

「好きな海の生き物でも言ってもらったら覚えられるかもね」

「そんなの、みんなペンギンかイルカって言うに決まってるよ。ちなみにうちはローランドダムゼルね!」

「知ってる」


 環ちゃんが好きな、海外の小魚の名前だ。

 スズメダイの一種で、セブ島のサンゴ礁の隙間などによく棲んでいるらしい。

 下半身が白、上半身が黒っぽい色をしており、その頭部は水色の天使のが縁取られている。

 その魚を見た人には幸運が訪れるとか。十分に強運なのに、環ちゃんは欲張りだ。


「スミレは何が好き?」

「そうだなぁ、ウコンハネガイかな」

「ええ!? ただのピカピカ光るイソギンチャクだよ!?」

「でも、環ちゃんが撮ってきてくれた動画の中で一番衝撃的だったよ。一発で名前覚えたし」

「だからって……」


 あちゃー、と環ちゃんは額に手を載せて天を仰いだ。

 そして、何かを決心したかのような力強い目でキリリとこちらを見る。


「今年はたくさんシュノーケル行こう」

「シュノーケルは苦手だなあ。息できなくて、怖い」

「じゃあ、今年こそ体験ダイビング! スキューバなら息できるから! もっときれいな生き物いっぱいいるから見て欲しいな!!」

「うん、うん。お年玉ちゃんと貯めてあるから」

「まだ使ってない!?」

「もちろん」


 こそこそと会話をしていると、去年に引き続き私たちの担任となった教師が、教壇から睨んでいる。

 今にも注意されそうな気配を感じ、急いで前を向いた。

 後ろからは環ちゃんの忍び笑いが聞こえてくる。


 自己紹介の後、高校二年生になったからにはウンタラカンタラという担任の長話を聞き流し、ようやく休憩時間がやってきた。

 一限目と二限目の休憩時間は十分しか満たないが、私は、この時間が一年の中でもっとも奇妙な時間に思える。

 ほぼほぼ初対面の男女のほぼ全員が、気遣いの中で個性を魅せていく。ぎこちない始まりに対し、やや馴れ馴れしい語調での応酬。

 その何とも奇妙な感じは、窓の外の清々しい春風とは打って変わって、なんだかねっとりとしている。


 そんな折、彼女はやってきた。


「あたし、朝岡あさおか逢子ほうこ日和ひよりさんだよね、よろしく!!」


 朝岡あさおか逢子ほうこは、たまきちゃんににっこりと笑いかけた。まるで、私の存在に気づいていないような振る舞い。居心地が悪い。


「よろしく、環でいいよ」

「タマって呼んでもいい?」

「え、まあ良いけど、猫みたいだな……。で、こっちがスミレ」


 あんた誰だっけ? とその目が物語っている。

 負けん気の強い、真っ直ぐな目。前髪はやや上に釣り上がった眉毛の上にあり、人を寄せ付けないショートボブをしていた。

 苦手だ。そして、この手合は間違いなく小・中学校で私を虐げてきた女達と同じ人種だと直感した。


「は、はしばみ純恋すみれです」

「へ〜、よろしく」


 環ちゃんは背が高く、目鼻立ちもはっきりしている快活な女生徒で、華がある。特に魅力的なのは、凛とした声だ。

 それに言い回しがなんだか独特というか、環ちゃんの”モノの捉え方”が私はすごく好き。

 そんな環ちゃんとまた同じクラスになれてよかったと安堵したのも束の間、思わぬ刺客に掌がじわりと冷たくなる。


「逢子って、この前陸上の県大会に出てた?」

「うん。準優勝。あたしスポーツ推薦なのにやばいよねー準優勝は。インハイも表彰台登れなかったしさ」


 一年生なのに準優勝というのは十分にすごいと思った。全国大会インターハイで表彰台に登れなかった、というのも、三位以内に入れなくても一桁台、もしくはそれに近しい順位だったのを窺わせる。それは快挙と言っても差し支えないのではないかと思う。

 だが、あえて口にしない。

 逢子がその言葉を待っているのを、ひしひしと感じたからだ。


「タマも有名人だよね、シュノーケルが好きなんでしょ?」

「うん。楽しいよ!」

「泳ぐのが好きなの?」

「まあそうだね。泳ぐと言うよりは水の中に居るのが好きなんだけど」

「それなら水泳部にでも入ればよかったのに。その方が生産性あるし、髪も海水でボロボロじゃん? シュノーケルやって何か得でもあるの? 密猟とか??」

「うーん……。月並みだけどさ、『好き』は生きていく上で一番大切なことだと思うんだよね。逢子は、勝敗があるスポーツだから大変だね」

「え? まあね」


 損得勘定でしかものを考えられないなんて、なんだか可哀想だ。

 私なら、バカにするな! とムカっ腹が立ちそうだけど、環ちゃんはオトナだ。


「スミはなんか趣味あるの?」

「え、私は……、特にないんだよね」

「じゃあ、いつも何やってるの?」

「ええ、うーん、本読んだり昼寝したり……? ごめんねつまらなくて」

「はは、そうだと思った」


 私は逢子が恐ろしかったが、同時にナイスだとも思った。

 人が仲良くなるには、共通の敵を作るのがもっとも手っ取り早い。


 例えば昔、日本にコロナウイルスが流行ったことがあった。その時ばかりは、いつもくだらない言い合いをしている国会ですら、コロナを打破しようと、少なくとも表面上は、一枚岩になっていたではないか。


 環ちゃんは、言葉に意味のない世界そのもの。

 唯一無二の、王子様だ。


 →

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る