うさぎ星の空はパズルピース

 ヒイイイインとでも表現しようか。甲高い音をわずかに出しながら柔らかな風を全身に感じ、無人の道路にバイクを走らせる。白い車体は温かな日差しにじんわりと温まり、寝そべるようにして触れると温かく血が通っているようだ。そうやって顔を車体に近づけると、この辺は人通りが少ないから風を切って進む音だけが耳によく響く。そんなに大きな音じゃないけど、こうして周囲が静かだとそれが良く聞こえる。


 バイクは無音で駆動するように作られていても物体が移動することで生まれる空気の振動による音、要は風切り音はなかなか消せないものだ。消す必要がないというのもある。たいしてうるさいわけでもなく、何か不利益があるかと言えば何もない。そもそも物が移動することで空気が動き、それによって発生する音を消すってだいぶ難しい。やってみようと思ったことないからわからないけど、たぶん今の技術でもできないんじゃないかな。動いているのに動かないという哲学みたいな話になりそう。


 それに今時の車やバイクは趣味の物でなければみんな無音で動く仕組みだけど、無音にするために今の仕組みになったわけじゃないしね。稼働するためのエネルギーは全て電気で賄い燃焼を利用しないから静かなだけだし、多くの車はタイヤがないからタイヤと道路の摩擦や回転によるノイズがないだけだ。


 まあタイヤがないといっても事故った時の牽引用とかに、緊急用小型タイヤはほぼ全ての車やバイクに装備されている。これがないと事故や不具合で浮けなくなった時、運ぶのが面倒だからね。急いでどうしても移動させないといけない場合だと、車体を地面に擦りながら無理やり動かす羽目になる。そんな事態になっただけで不幸なのに、大事なボディがガリガリとすり減る音を聞かされるのはたまらない。私が長年改造して乗ってるこのバイクも、当然走行用タイヤはないけどボディ下部に小さいのが収納されている。使う機会は幸いなことに今までないけど、点検は欠かさずしている。


 このうさぎ星ちゃんの穢れを知らぬ乙女の様な柔肌を、硬い地面で削るなんて冗談じゃないからね。


 そんな風にぼんやり考え事をしながら愛車に体を預け自動運転に任せて飛んでいると、とうとう中層から表層への下り道に差し掛かった。いったんバイクを止めて脇へ寄って下を見下ろす。


 嫌だなー、混んでる。人も車も配送ドローンも警備ロボットも掃除ロボットも、色んな存在が表層を行き交っているのが嫌でも目に入る。お昼過ぎでこれでも人の少ない時間帯ではあるんだけど、それでも目的地が都市の中央区画にあるからどうしても道が混む。この混雑が嫌で、私はあまり表層の中央部には近寄らない。


 人間の習性は技術の進歩では変わらないのか、昔から人間は町の中央に重要な施設を密集させて混雑を生み出してきた。いつになったら学習するのよって感じ。ひどいもので中央区画は広がってすらいるのだ。重要施設を作る場所がないからって中央区画以外にも施設が伸び、伸びたそこも管轄の問題とか面倒だし中央ってことにしようかという理屈である。わけわかんないことするよね、偉い人たちって。ぶっちゃけ馬鹿でしょ。家族計画も都市計画も慎重に!


「あーあ、面倒くさくなってきたなー。行くのやめよっかな」


『ここまで来ておいてですか? かけた時間が無駄になりますよ』


 流線形の車体はやや曲線を描いていて、その曲線上に倒れ込むと背筋がぐっと伸ばされて気持ちがいい。ぐっと腕を伸ばし、さらに大きく長く伸びる。足も座席から抜いて車体に乗っけて全身でグググっと伸びたい。でもいくら時間帯のおかげか周りに一切他の車が走っていないとはいえ、今日スカートだから誰かにパンツ見えちゃいそうだし諦めよう。


 今日の私は可愛らしく、ピンクの生地に白で花や可愛げのある何らかの模様があしらわれたロングスカートを履いているのだ。いつものピンクだけど私の私物ではなく、夢華の家に買い置きされていた私用の服の一つだ。私が着たことも、もはや見てもいない私用の服があの家にはいっぱいあるんだよね。ふんわり可愛い雰囲気で私にはあまり似合わない気もしたけど、コーディネートしてくれた夢華の家のメイドさんやラブリが非常に推すので着てみた。


 バイクではあるけど私の愛車うさぎ星ちゃんはスカートをよく履く私の改造により、スカートで乗ってもパンツを見せたりすることなく上品に乗り降り運転できる。学生時代も制服のスカートでこのバイクに乗ってたから、もうすっかり慣れたものだ。後ろに夢華や紫もよく乗せてた。私が普段使いで結構乗っているから、車と違ってこっちは二人とも乗せている。車は正直そんなに乗ることないんだよね。バイクの方がなんか気軽っていうかお手軽でついつい選んじゃう。


「あー空が青いなー」


 だらりとのけ反っていると、運転用ヘルメットのゴーグルを通して日が中天よりやや落ちた青空が見える。空は肉眼で眺めるよりはやや濁っていて、私の気分のせいか風景を作り物めいて見せている。透明なゴーグルと言っても肉眼と対象の間に挟んでいると、生の目と直通で結ばれる像とは多少違う姿にするものだ。


 そんないつもと違う視界では高層建築物が遥か高くまで伸びて、そこから更に建物同士を結ぶ道や広場が蜘蛛の巣みたいに広がっている。あまり中層から空を見上げたことがないから気が付かなかったけど、ここから見ると空はバラバラに分かたれたパズルのピースみたいになってるんだね。


 普段暮らしていた最下層では空なんか当然見えないし、そこにいなければ大抵は最上層の夢華の家という上から下に極端な生活をしているからな私って。思えばあんまりこの視点から空を見ることってなかったんだね。中層って普段寄る理由が全然ないから、この都市の中でちょうどここだけ私の生活圏の範囲から漏れてる。


 思い返せば甘水以外でも地上より地下の方が多く行ってるかも。下で言うなら色々最新技術が使用、研究されているから余所の町や国のジオフロントとかの地下都市には何度も行っている。上はまた極端で、宇宙に結構出かけてるもんね。滞在期間は最長二か月くらいだろうか、回数は二桁以上は間違いなく行っている。宇宙に築かれたセントラル・ベースには私の部屋もあるくらいだ。単純に私宇宙好きだし、研究以外にも趣味で時々滞在している。


 うーん、このなんとも極端な上下移動。


『どうしますか? 行くなら行くでササッと行く。行かないなら帰りましょう』


 運転席の画面に映るヴィクトリアがせっついてくる。今日のヴィクトリアはこのうさぎ星を運転する運転手なのだ。元々の運転AIも改造を重ねた上でちゃんと入っているんだけど、私がやると主張するのでAIと運転を交代してもらった。運転手AIちゃんには申し訳ない。


「んー……ここまで来たし、行くよ。せっかく着替えさせてもらったわけだし」


『その方がよろしいかと。ここまで来たらそうかかりませんから、ぼんやりするならしていてくださいな』


「はーい、よろしくね。私はぼんやりしてるー」


 よっこいせ、と起き上がると今度は逆に前方へと倒れ込む。運転席にへばりつくように上体を投げ出し、もぞもぞと位置を調整。寝心地がいい場所に私が収まるとバイクが音もなく浮き上がり、微塵の揺れも振動も起こさない完璧な運転で滑るように飛び出した。






 ゲームセンターのあの子と強引に仲良くなった翌日。


 私は午後から愛車のうさぎ星に跨りある所に向かっていた。本当は午前出発の予定だったんだけど、思いがけず例のあの子から連絡が来たのだ。びっくり。まさか翌日の午前にすぐ連絡くるとは思ってなかったから、急遽予定を変更した。幸い向かう先との約束は時間が空いたら来てほしいってだけなので、午前でも午後でも何なら明日でもよかったので問題なかった。


 今日行くという約束をしたわけでもないし、そもそも連絡なんか入れてない。私の研究室に行くのに、その主が連絡を入れる必要もないでしょ。


 栞那さんからメッセージが届いているとヴィクトリアから教えられた時は、予期せぬ事態に一瞬何を言われたかわからなかった。でもまさか昨日の今日でそれも朝から連絡くるなんて、私ってば思ってるよりも距離を縮められたんじゃないか。私の対人関係能力も捨てた物じゃなかった可能性があるね、これは。あるいは言いくるめの判定に成功したかな。朝早くに連絡してくれるなんて、きっと私と会うのが待ちきれなかったんだよ。昨日帰ってからもずっと私のことを考えてくれていたに違いない。


 驚き喜んで親友たちに報告し、私もやれるじゃないかと言ったら二人ともに即否定された。紫はともかく私に甘い夢華にまで、それはないと言われるなんてショックだわ。


「そんなに私ひどいかな? 昔よりましじゃない?」


 と聞いてみたら


「えっとぉ……まあ、ええ、頑張っていらっしゃるわ、よ?」


「いや実際丸くなったとは思うわよ。昔のあんたはそれはそれはひどかったもの。それに比べたら別人よ」


「そうかな?」


「そうですわよ」


「他人事みたいに言ってるけど、夢華も相当だったわよ」


「えっ」


 みたいな会話になって、夢華に飛び火してた。確かに昔の夢華はいかにもなお嬢様の上になんか暗くて、でもお高くとまってた気もする。今からは想像できないよね。あの頃の夢華は表情筋が凍り付いて、ニコリもピクリもしなかったもんねぇ。なんか暗くてじめっとした雰囲気で近寄りたいタイプではなかった。


 あの年齢であんな厭世的というか、世の中や人生の理不尽や苦しみに耐えている顔をしている子供なんか滅多にいないよ。いるべきでもないし。


 夢華のご両親はいい人だし子供たちに対する愛情も当時から十分にあったけど、立場や環境による悪影響というのはそれでも避けがたいから子育てって難しい。ご両親やお兄さんたちが私に良くしてくれるのは、私が会社にとって有益だからではなく夢華の心を救ってくれた大事な友人だからだ。実際にそう言われたし、何ならうちの子にならないかとも言われた。そういう人たちだから私も力になりたいと思っているんだけど、夢華の姉妹になったりお兄さんのお嫁さんになるのはお断りした。


 さっき自分は批評するだけだったけど、紫も昔はもっとお堅くて真面目で優等生で、まあとにかくつまらない感じだった。なんかしょっちゅうキンキントゲトゲ、イライラしてた気がする。今や優等生というよりやり手の曲者感が強い。融通が聞くようになり、なんというか器が大きくなった。柔軟というより策略家になったような気もするけどね。私たちは目覚めさせてはいけない者を目覚めさせてしまったのかもしれない。ゲームの時に勝てないからって盤外戦術を当然のようにぶっこむの止めて。


 未だに時折イライラしている時もあるけど、まあ誰だって仕事でイラつくことはあるしそこはね。そんな時は私を呼び出して愚痴を聞かせてくるけど、それくらいはむしろしてほしい。友達なんだから。


 ちなみに夢華はイライラをためることはあんまりなく、ちょっとたまるとすぐ誰か彼かに泣きついて解消するタイプだ。引きずらないし、溜め込まない。時々その立ち直りの早さに、健全で復元力の高い精神構造をしているなと感心させられる。羨ましいくらいだよ。


 そして私も二人から見ても変わったらしい。自分でも丸くなった自覚はある。昔のままの私、二人に会わないで成長した私なら今頃世の中はもっと大混乱になっていると思う。世界への影響や人々の暮らしに配慮して、あえて発表や公開してない研究は山ほどある。実は世界というか地球を滅ぼすくらいならもう余裕というか、過剰なくらいだ。そりゃあ家も職場も友人の家も監視されるし、交友相手は調査されるよね。自分でも納得する。


 それでも世界が割と平穏無事に続いているのは、私が世界や人々に気を遣うようになったからだ。そしてそんな配慮を身に着けたのは、第一に親友の二人。次に社長や桜花ちゃんたち。そしてその次にその他たくさんの人との関わりだろう。栞那ちゃんも私をきっかけとして、色んな人との交流して新しい世界を開いていけるといいんだけどなぁ。


 一緒に新しい世界で生きよう。毎日が楽しいよ。





 そんな風に栞那ちゃんのことを考えながら無人車に乗って到着したのはここ、甘水大学病院である。病院らしいというべきか、真っ白な外壁が陽光に輝いている。ここは名前の通り大学病院なので大学と高度医療を行う病院と研究施設とが三身合体しており、医療施設としてはこの町一番の規模がある。その研究棟の中に目的地である、私が医療的な研究を行う研究室があるのだ。


 厳密に言うなら私が研究を行う部署というよりも、ここに配属された人員が私の開発した物や論文だとかの研究や実証等を行う部署だ。なので私はそんなに来ないけど私の部下というか部屋に配属された研究員が、国の命令で私の開発した薬や医療機器等の臨床試験などを日夜行ってくれている。基本的な業務は治験を行いデータを取り、それを基にさらなる機能の改善や現場レベルでの使用感を収集し機器の操作性や効率の向上を目指している、らしい。


 私からすれば理論や設計図をまとめたら後は放り投げておくだけで実用化してくれる人たちだ。しかも実際に作った上で実証試験もこなしてデータも集めてくれる便利な所程度に思ってる。国のお金で欲しいデータを集めてもらえ、しかもそれを分析やまとめをしてから教えてくれるなんてありがたい話だよ。


 国からしても、私の発明を医療関係だけでも一ヶ所で研究できるほうが都合がいいとか。あちこちの色んな人や会社にバラまかれるよりは、国が管理する場所で国が選んだ人員のみで管理、研究を行うことで混乱を防げるんだって。失礼な話だよ。私は誰彼構わず発明をあげたりしないのに。私は愉快犯じゃないんだから、渡す相手ぐらい考えてるよ。国の利益は考えてないだけだ。


 とは思うものの、社長を始め紫や夢華のお父さんやお兄さんとかも同じ気持ちらしく、医療系の発明は全て研究室行きになってしまったそうだ。今までみたいに南城院重工で独り占めできなくなっちゃうけどいいのかな、と思ったけどこれで肩の荷が下りたとみんなほっとしてたって後から聞いた。


「ぶっちゃけ責任が重すぎて、利益より面倒事にしか見えない」


 とは紫の言である。


 一応良かれと思って持ち込んでたのに、ショックだわ……。悲しいからそっと大きな爆弾を置いてあげた。もちろん兵器ではない、比喩ね。そしてもちろんきりきり舞いの大騒ぎになった。扱いが面倒で困るんだけど、間違いなく大きな利益になるので私を恨めない。でも困るし、困らされていて悔しい。そんな顔で紫とか関係者一同が一生懸命働いていたのを見て大変胸がすっとした。後で紫にひっぱたくどころか、グーでぶん殴られたけど。


 でも私自身も研究所に丸投げできるようになって、想像してたより楽と言えば楽になった。社長や紫辺りに見せてこれは医療系の方がいいと言われたらこの研究室に送りつければよくて、後は勝手に他の人が研究実験を行ってくれる。私は連絡が来たら得たデータを回収したり改善点を聞いたり、逆に改善案ができたら即送り付けておけばいい。何も考えないでそこに任せておけるっていうのは楽でいいね。


 ただ物によっては英国などヨーロッパ方面、あるいは米国の知り合いの医療関係者に送ることもある。何で違う国に分けて送るかっていうと、国によってそこに所属する人の専門や能力が偏るからだ。ようはこれこれの分野の権威がいる、という国にその分野の研究を送った方が効率がいい。専門分野が伸びていなかったり専門家が少ない国に送ると研究が難航してしまう。これについてはお国から何かしらの文句ぐらい言われるかと思ったけど、国の金で研究してるわけじゃないし国も文句つけられないっぽいね。私って国の金で国のために研究しているんじゃないことの方が多いからね、仕方ないね。研究はほぼ趣味でやっているので、その趣味の成果をどこに持っていくかは私の自由だから。


 あと外国の人たちが何か駆け引きして、私が自分の意思で送る分には互いに文句つけないことにしたって聞いてる。私を監視しているいつもの人たちから詳しい話も聞いたけど、私はそういった政治には興味ない。やろうと思えば地位くらい手に入るんだろうけど、そんな邪魔なもの欲しくもないし。究極的には研究開発と、夢華や紫と一緒にいられるならそれ以外はいい。この国が私の研究の多くを先んじて得られるのは、この国に私の大事な人たちがいるからというだけだ。だからしっかり私や友人たちを守ってねとお願いすると、日本側の護衛の人たちがすごい顔してた。


「命に代えても、ご友人をお守りします!」


 とガチガチに緊張して宣誓してたから、肩に手をとんと置いて


「息切れを起こさないようにね」


 と緊張しすぎないように言ったら、ますます硬くなった。そんなに怖がらなくたっていいじゃあないか。


 生臭い利権の話はどうでもいいとして、一般的に大学病院とは研究施設でもあり、高度医療の研究をしているから機密保持のため警備は厳重だ。その一方では病院でもあるため医療行為も行う必要があり、一般に開かれていないといけないから入口は表層に位置する。中層でもいいんだろうけど大病院だし大学もあるしとなると、やはり交通の便が良い表層に設置するのが一番なんだろうね。


 ただ入口は表層にあっても研究棟は上層に位置しているから、入った後そこまで登っていかないといけない。そこへ直接侵入はできないのだ。保安上の点で研究棟には直接外部から出入りできる箇所がないからだ。なので私もこうして最上層の夢華の家から表層まで降りてくる羽目になった。面倒くさいんだよこれがなー。上層だと近いから楽なんだけどな。何より表層ほど混んでない。


 実は今日はこの雑踏の表層に来るの二回目。一度栞那ちゃんとゲームセンターで遊ぶために表層まで来ている。それが楽しい時間だったから、二回目の今はなんか気乗りがしないのよね。


 なお楽しい一時を過ごした彼女はさっさと帰っちゃった。でもお昼は事前にリサーチしておいた、ゲームセンター近くのお肉料理がおいしいと評判のお店に連れ込むのに成功した。事前に調査した人気の店の内の一つで、行く時には店が空いていて待たずに座れるかも確認して誘った。連れて行っておいて待たせたりしたら、その間に気が変わって帰っちゃうかもしれなかったから私も必死だった。この都市近くで生産された新鮮なこだわりのお肉を仕入れて、それを海外を回り修行を積んだ料理人が調理してくれる結構ガチなお店だ。店内の雰囲気も明るくお洒落で店員の接客も良い感じの、デートスポットとしても評判高かった。夜はプロポーズにもいいとか。


 なんだけど、食べ盛りの少女にはそんなものより飯だったようで、お店のフランス風な店構えや店内の上品な感じとかには無反応だった。ご飯が来たら来たで、よほどおいしかったようで食べ終わるまで一言も口を利かなかった。最初はお話ししながら食べようと思ってたんだけど、あまり一生懸命食べているから邪魔しないように私も無言で食べた。評判なだけあっておいしかった。


「……見るなよ、なんだその顔」


 食べ終わって放心気味の彼女を微笑ましいなと見つめていると、頬を赤くしてお手拭きを顔に投げつけられた。夢中で食べてたのがいまさら恥ずかしくなったらしい。はー可愛い。


 その後はサービスのジュース、彼女は数ある中からリンゴジュースを選んだ、をじっくり味わっていた。私もサービスのコーヒーを楽しんだ。二人の間に会話は全然なかったけど、ちっとも気まずくはなかった。たっぷりの日の光を取り込んだ温い自室で微睡む午後のようで、同じ時間と空気が二人の中にじんわりと染み込んでいった。


「……帰る。ごちそうさま。おいしかったから、気が向いたらまた遊んでやってもいーよ。じゃあね」


 しばらく無言で、目を合わせてはくれなかったけど、ゆったりとした時間を楽しんだ。そして彼女の中で何らかのきっかけがあったのか立ち上がると、そう言い残してさっさと帰ってしまった。挨拶なのか、立ち去りながら片手をひらひらさせて。


 なんかすごいかっこいい去り際だった。そして今日も魅惑の生足剥き出しショートパンツだった。足出すの好きなのかな。






 そんなかっこいい彼女だけど、だいぶ雪辱に燃えて戦術や戦法の構築に余念がなかったようだ。昨日よりもあらゆる勝負がなおさら白熱した戦いになった。もちろん全て私が勝ったけど。年齢や経験、その他多くのものにかけて負けるわけにはいかなかった。負けたらもう会ってくれないかもだし。


 でもそうやって私を倒そう倒そうと、ずっと私のことを考えて過ごしていてくれたんだと思うと私は嬉しい。たくさんのゲームの色々な作戦を練って、検討してくれたんだね。昨日帰ってから私に会って勝負するまでの間、会って勝負している間も私のことで頭がいっぱいだったんだね。可愛いなあ嬉しいなあ。私がどう動くか、私ならどうするのか、私はどんな手を使っていたか、私はどんな奴だったか。そんな風に何度も私と過ごした時間を思い返してくれたんだね。


 彼女は特にVARSでの対人戦がお気に入りらしく、何回か連続で勝負してすっごい疲れたけど楽しかった。そして昨日のように外で観戦していた観客も、すごい楽しんだことだろう。昨日の話を聞いたのか、最初から私たち目当ての観戦メイン客が結構な数いた。そんな連中はどうでもいいけど、彼女がVARSを気に入っている理由はわかるんだよね。あのゲームは体を動かすのに合わせてゲーム内のロボットが動くから、身体能力や反射神経がゲームの強さに露骨に反映される。本人の運動能力が優れていればいるほど強いから、やっていて楽しいんだろう。体動かすのもすごく好きみたいだし。私も同じタイプなので気持ちはわかる。


 私はその後一度最上層まで帰り、シャワーを軽く浴びて一応ちゃんとした所に行くから身支度した。ちゃんとと言っても、きちんとした服を着たりするわけではない。余所行きの服を着て髪を整える程度だったんだけど、ラブリと手が空いてた人間のメイドさんが服や小物を見繕い、髪のセットまでしてくれた。化粧はしない主義なので一度断ったんだけど、変装にもなるからというのでうっすらしてもらった。仕上がりを鏡で確認すると傾国の美女がそこにいた。化粧もたまには気分も変わっていいかもね。


 そんなこんなでやっとこさ今、大学病院のロビーまでやってきたのだ。うさぎ星ちゃんは駐車場行きなのでヴィクトリアは端末に帰ってきた。屋根付き駐車場にバイクを停めて、さあ行こうかと思ったんだけどヴィクトリアが止まってとお願いするから立ち止まる。万が一窃盗や事故がないように駐車場には警備をしているドーロイドがいるんだけど、その警察めいて青と黒の外装をしたミニスカ警察っぽい機体とヴィクトリアが何事か会話しているようだ。駐車場の入り口脇にいるドーロイドがこちらを見てピタリと止まり、ヴィクトリアとの間で通信が行われているのがわかる。


 ヴィクトリアはこうしてドーロイドを見かけると時々専用の通信でおしゃべりを楽しむことがあり、そんな時私はいつもいちいち口を挟まないで黙って待っている。娘やその友達とかの会話に親が出るようなもので、変に緊張させるだけだからだ。そんな畏まらなくていいよとは言っているんだけど、ドーロイドからしたら私は生みの親だ。造物主という呼び方も彼ら彼女らが呼び出したもので、自らを生み出してくれた私への敬意と感謝を込めているとか。そんなに崇めなくていいのにと思うけど、私も人間を作ったという本物の神様に会えば畏まったり崇めたりするのかな。人間である私は、今の所造物主にお会いすることはかなわないからさっぱり想像できない。


『すみません、お待たせしました。彼女、結構話したがりな子だったみたいで』


「いやいや、いいのよ。たまのおしゃべりなんだから遠慮せずもうちょっと話したら?」


『いえ、もう十分です。行きましょう』


「そう?」


 ヴィクトリアが謝るほど待っていないからいいのに。


 ドーロイド間の専用通信は、おしゃべりと言っても人間みたいに言葉を交わすわけじゃない。超高速通信でデータをやり取りする形式なので、私の感覚ではほんのわずかな時間立ち止まっただけだ。それに立ち止まる必要も実はなかった。ついつい止まってくれと言われたから待ってたけど、こんな近距離じゃなくても通信できるんだから立ち止まって待つ必要なんか端からないのよね。


 まあ本人がもう十分ならということで、駐車場を出ていよいよ建物内に入る。玄関の大きなガラスの自動ドアを抜けてすぐ、涼しくて心地よい風が肌を撫でていく。今日はこの時期にしてはだいぶ暖かく、熱量の高い日差しを受けて体がやや汗ばんでいる。その体を入った途端の風が出迎えるように包み込み、皮膚から水分と共に余分な熱を拭ってくれる。人がリラックスするように計算された空調の風と知っていても、気持ちのいいものはいい。広く白い空間に優しく風が流れ、柔らかな光が室内を照らして刺激の少ない落ち着かせる空間に仕上がっている。耳をすませば玄関ロビーの騒めきに紛れて何らかの曲が静かに流れている。クラシックかな、たぶん。音楽にそれほど明るくないから知らんけど、曲調からすると多分そう。そこに小鳥の鳴き声や水のせせらぎ、葉擦れなど自然の音がどこからともなく聞こえてくる。


 病院ってどこも入り口はこんなものだけど、ここの大学病院は先進医療の最先端だからか、人がリラックスする空間づくりに力が入っている。ここを治療や検査で訪れる人は大抵通常の病院じゃダメなレベルの人だからだろう。薄いピンクのナース服を着たような医療用ドーロイド達の顔も穏やかで、愛らしい印象を受けるものになっている。元から人受けしやすい顔に作っているけどね。あちらでは足を怪我した老人を支え、こちらでは泣いている子供をあやしてと大活躍しているようで結構。


 円形の広場になっているロビーには、まあまあの数の患者さんがいる。医療は発達したけどその分人口も増えているので、病人の数は結果的には増えてるんだから困ったもんだよ。医療用ドーロイドや丸っこいロボットたちがその間を動き回って問診や事前検査などを行っており、人間の医療従事者の姿は受付やその奥にちらりと見える。その邪魔にならないように端っこを探すと薄ピンク色のソファーがあったので、それに腰掛け一息つく。


 ふぅ、と息を吐きながら天井を見上げると、採光用の窓からの日差しがきらりと眩しい。眩しさに目を移すと、ステンドグラスが日差しに色を混ぜぼやけさせて眩しさを軽減してくれる。さらに目を移すと白いシーリングファンが天井でくるくると回っている。いつも思うけど、あれがあるだけで空間のお洒落度がぐんと上昇するよね。効果はちゃんとあるんだけど、本来の機能よりお洒落効果の方がみんな感じてると思う。実はあれは空気をかき回すことにより、温度などを部屋全体で均質になるよう調整してくれているんですよ、皆さん。ただくるくるしてお洒落な高級感やセンスを醸し出すためのインテリアじゃないんですよ。


『休むのなら研究棟の休憩室に行かれては?』


「あー……うん。そうなんだけど」


 そこまで行く前に休憩したいなって。疲れがあるわけじゃないけど切りが良いから。ここから研究棟まで行くならまっすぐ研究室まで行ってしまいたい。わざわざ休憩室に寄り道してから行くのもなぁって感じだ。今なら着いたばかりだし、ちょうど休む場所も用意されてるしでいいタイミングなんだよね。でもまあそれほど疲れているわけでもないしさっさと行こうか。休むなら実際休憩室の方がいい。ここの研究棟の休憩室は設備が豪華だからね。人命に関わる重大な先進医療を研究する人間を癒すのだから、ソファーと自販機とテレビを置いて、ヨシ!とはいかないのだ。


 私の実感としても寝具を始め椅子やソファー、デスクに時には絨毯あるいは床材までも、質の良し悪しが研究の進歩や成果に比例する。研究機材ではないけど研究に必要なこれら日用品は、研究する人間のパフォーマンスを向上させてくれる。生きていくのに栄養面では必須ではないけれど、人生には欠かせないお菓子みたいなものだ。いやちょっと違うかな。とにかく硬い椅子じゃ座り心地悪くて集中できないし、平べったく硬いソファーじゃ疲れが取れやしない。揺れる机なんかもう論外だ。納得できない人は硬くて微妙に揺れる椅子で、がたがた揺れて高さも合わない机で勉強してみるといい。落ち着かないわ、無理な体勢になりやすく無駄に疲れて体が凝るわ。そんな状況なので集中は妨げられるわで碌なことがない。おまけに飲み物だってこぼしやすい。それがホット系だった時にはもうね、キレそう。


 よっこらせ、と心の中で掛け声。立ち上がると床まで白いロビーを横切って、端にある背の高いゲートに向かう。銀色のそれは私よりは低いけど男性の平均身長ほどはある高さで、人一人分よりやや広めの間隔で五組設置されている。つまり五人まで同時に入れる。このセキュリティゲートは今はゲートの高さより少しだけ低い、黒字に青のラインが入ったスタイリッシュな印象の扉で封鎖されている。これは顔や指紋等の複数の生体認証式で、私たちの様な登録者は文字通り顔パスだ。外部からの人は受付に話して、そこから上に確認が行き許可が出れば通れる。それでも入場時の生体情報は記録、保管される。万が一何かあった時の調査に必要だからね。すぐ近くの小部屋には監視がいるし、近くには警備のドーロイドや暴徒鎮圧やテロ対応も可能なレベルのロボットも控えている。無理やり突破しようとした者は即鎮圧されるだろう。戦力がえげつないわ。


 私の愛しいドーロイドちゃんたちが一生懸命楽しそうに労働しているのを眺めながらロビーを横切っていると、後ろから人が近づいてくるのを感じた。もちろん入り口付近なので来る、出る、待つと人が行き交ってる。でもそうじゃなくて、こう、私の後をついてくる感覚だ。後ろにも目ついてるの、とたまに聞かれるけどついてないです。まだ人間なので。ただ感覚が発達しているから目で見なくてもわかるだけだよ。ノーマル人類でも鍛えれば少しはできるから興味ある人は試してみてほしい。鍛えれば目で見えなくても人がこんな風に背中から近寄ってきてもわかるようになるかも。


「あ、あのぉ……待って、待ってください」


 という呼びかけが背後からするけれど、聞き覚えない声……でもない、か。馴染みはないけど聞き覚えのある声。どこかで会って話したことはありそう。流石の私でもその辺で話している全ての人の声は覚えてられない。いやできるけど気が付くのは難しい。


 私に言っているわけじゃないかもだけど、とりあえず振り向く。


「あぁ、よかったぁ。やっぱり」


 そう言ってほっと安堵の表情で、花の咲くように笑う女の子。


 可愛い。


 年頃は高等部ってところかな。さっと体を眺めた分でも、間違いなさそう。背は高くないけど平均の範囲内。服の上からでもわかるけど、すごいというほど大きくない確かな胸元の膨らみ。服の上から想像できるウエストのくびれも、そこから続くお尻や太ももへの線も美しい。その先のロングスカートに覆われた脚も肉付きがよさそうだ。髪は内側にちょっと巻いた、イングラデーションだったか、そんな感じの黒ロングだ。いやちょっと白と、赤だ。黒の合間にアクセント的な紅白が混じってる。なかなか珍しい髪色してるね。髪の全体がどこかふわふわした印象を受ける。毛量が多いのか、そういう風にセットしているのかな。肩にちょっと髪が乗っかっているのがまた可愛い。


 顔はやや垂れ目がちの大きな目で、嬉しそうにどこか不安気にこちらをうかがっている。鼻筋が通った綺麗で小さめの鼻。唇は愛らしく、どこからかプルンという擬音が付きそうだ。私にじろじろ見られてちょっと困ったように、照れたようにふにゃっとした微笑みを浮かべている。


 可愛いの一言に集約される印象だ。髪と同じく雰囲気もふんわりとしていて、暖かな春の陽気と花畑を背負っているみたいだ。服も全体的にピンクでまとめ、リボンやフリルが過剰すぎない程度にあしらわれている。頭にも小さくピンクのリボンがある。本当に女の子女の子してるって言うか、可愛い女の子を凝縮した一つの形みたいな子だ。ガーリーでゆるふわでフリルで、なんかすっごいなぁ。これを着こなせるなんて相当なキュート力だよ。可愛いが突風の様に押し寄せてくる。可愛いが強すぎるのでモデルというよりアイドル系の美人だ。


 あんまり可愛いからすぐに思い出した。一瞬わからなかったのは、前会ったときはもっと不健康な顔と体つきで、表情や雰囲気もずっと暗かったから。事情が事情だけに当然なんだけど、すごい変わったなこの子。


「あなた、一年ちょっと前に私が治療した子だよね?」


「は、はい、そうです! ……覚えていてくださったんですね……!」


「あなただって私のこと覚えてるじゃない?」


「わ、私は! 忘れないです、絶対に……!」


「私も君と会ったこと、絶対忘れないよ」


「はうっ!?」


 顔を赤くしてくねくねしてる。いちいち仕草が女の子女の子していて、私の周りにはあまりいないタイプの子だな。


 まあいいや。それよりやっぱりそうだった。この子前に治療した子だ。


 他の医者が匙を投げた中、颯爽とやってきた私がパパパッとやって、治りましたのがこちらの彼女になります。何故敢えて私が行ったかって言うと、かなり珍しい症例だったから直接データとりたかったんだよね。治験受けてもらえると貴重なデータが手に入るぞってウキウキで出かけたんだよなぁ。普段はそういうデータ取りは研究室の人たちだけでするんだけど、珍しい症例だったから自分で直接症状や治療経過を見たくて研究室の人たちについて行ったのだ。ところが着いてみるともう死を待つしかない、みたいな雰囲気出されて温度差で風邪ひくところだった。


 一般人類との認識の差は知ってたけど、これもダメだったかって思ったものだ。私の施した治療は別に非公開の特別なものではなくて、もうとっくに公開した技術だ。公開して長くはなかったけど、一年以上は経過していた。それを使えば私じゃなくても、当初の予定通りに研究員だけが治療しても十分に助かる病気だったのになんでお通夜状態なんですか。新開発の医療器具も使うとは言え、説明書を読んだらこんくらいできるでしょと疑問に思ってたから現場についてもうびっくりよ。


 ただ現場で働く医師はなかなか最新の技術や知見を学ぶ暇がないから仕方ない面もあるけどね。医療も自動化、機械化していると言っても命に関わることはやっぱり人が監督しないといけないこともあるものだ。そして監督するには知識も技術も経験も必要なので、治療器具があっても医師が学んでない治療はできないと。だから治せなかったことはいいけれど、担当の医者はせめて事前にちゃんと事情を説明しておいてよね。おかげで到着して説明したら、ご両親にどうか娘をお願いしますって泣きながら縋られてしまった。全然死ぬような病気じゃないから大丈夫だってことくらい、私たちが行くことになった時点でちゃんと伝えておいてあげなよね。いらない心配と心労を長くかけてどうするんだか全くもう。


「えーと、それで、確か美鶴姫……祝、美鶴姫さんだよね」


 すごい名前の字面のインパクトが強かったの覚えてる。美しい鶴のお姫様で、みづきだって。すごい力のある名前だ。こんな美しい鶴とか姫とか名前についてて名前負けしたら可哀想だなと思ったけど、実物見たら見劣りしなくてまた驚いた。あの時は美人薄命って風情だったから、今みたいに可愛さの暴力みたいな雰囲気とはだいぶ違ったけどそれでも美人だったね。儚げで、病室から見える木の葉が落ちた時一緒に死にそうだった。和服とか着て髪を三つ編みにしてそう。


「はい! 私は確かに以前あなたに助けていただいたつるです……!」


 恩返ししそうなセリフだ。


「その祝さんは、どうして……あ、そうか。治験だったからね」


「はい。数年は経過観察と治験後のデータをとるので、今日も呼ばれたんです」


「じゃあ向かう先は途中まで一緒かな。私も今からここの研究室に向かう所だったんだよ」


 一瞬沈黙する祝さん。俯いて指先を突き合わせ、くるくる回す。


「……あ、あのぉ……この後、お時間ありますか?」


「んー? まあ作ろうと思えばあるけど。何か話があるのかな?」


「は、はい……ご迷惑で、なければですけどぉ……」


 どうですか、と緊張に潤んだ大きな瞳がこちらを見上げる。この子自分の武器をわかってるなぁ。こんな可愛い子にこういうことされて、断れる人ってそういないでしょ。破壊力が高い。


 私? そんなもんあなた……。


「いいよ。終わったら私に連絡入れてもらえるよう、担当のお医者さんとかに頼んで。連絡来たら私も適当な所で切り上げるから」


 勝てるわけないだろ!


 基本的に私は同性にはガードが緩くなるし、年下には甘くなる習性がある。自覚もある。多分、いや確実に桜花ちゃんたちのお世話してたからだけど。妹みたいに可愛がり、面倒を見てたせいで他の女の子、特に年下に甘くなってしまったのだ。守るべき対象だと深層意識に刷り込まれているのかな。別に悪いことじゃないと思ってるんだけど、また夢華たちになんか言われるだろうなぁ。


「はいっ!」


 こう嬉しそうな顔されるとどうにもさ。


 ま、いいか。別に急ぐ用事もないし、ちょっと話するくらいの時間は十分ある。話自体も悪いことじゃなさそう。深刻な雰囲気や負の感情は感じない。一方で思いがけない相手に会えた喜びや、嬉しさなどの良い方向の感情はビンビン感じる。こういう好感情は浴びてて気持ちいよね。


 この子にとって私は死を覚悟してたら突然現れて、さっと治して元気になった頃には姿を消していた恩人ってことになるのかな。ご両親とは結構お話ししたんだけど、この子は治療に専念してたからあんまりお話の機会がなかった。そんな情報不足な所に本来高額になってしまう高度医療を治験という形で、無料で行ってくれたというおまけもつく。そりゃ好感度は上がるよね。医者界隈では割とある話だ。救われた患者が医者に対して好意を持つのは珍しくない。


 別にこの子のために無料にしたわけじゃなくて、こちらも治験が必要だったから行ってるだけなんだけどね。むしろ治験に参加してもらったら報酬出さないといけないから、そもそも無料にするとかいう話じゃないのだ。こっちが治験をさせていただくという立場だったんだよなぁ。


「んんー?」


「あ、あのぉ……?」


「ああ、ごめんごめん。あんまり可愛いからついつい目が離せなくって」


「ひゃっ!?」


 でもまだなんか他にも見覚えある気がする、変だな。他にどこかで見るような機会あったかな。こうして経過観察でこの町に来た時に、偶然見かけたりしていたかな。まあこうしてしっかり向かい合うレベルで会っていたら覚えているはずだから、おそらくは偶然見かけたとかなんだろう。


「あのぉ、途中まででも、ご一緒しませんかぁ?」


「いいよ。行こう」


 ともかく一緒に行く。


 そういうことになった。

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