ゲームセンターで成人女性に声を掛けられる事案

 多くの人のお眼鏡にかなったようだし、嬉しいからしばらく興奮の嵐に包まれて観戦していよう。と、その時は思ってたんだけど見てたらやりたくなっちゃった。挑戦者を次から次になぎ倒しているプレイヤーは、周りの声によると狂犬、狂獣だとか呼ばれるなんかかっこいい二つ名持ちらしいし。


 この町のゲームセンターの、とりわけ対戦ゲーム界隈ではなかなか名の知れたプレイヤーみたいで、それを聞くとますますやってみたくなった。だって狂犬だよ、絶対強いじゃない。対戦ゲームは勝利がお手軽すぎちゃってしばらくやっていなかったんだけど、この相手ならって思ってしまってつい。この相手ならあるいは私に敗北を与えてくれるのではって。


 敗北の可能性がない戦いはもう勝負でもない。この相手なら私に勝負をさせてくれるのではと、プレイを見ている内に思ってきてしまったのだ。


 で、やっちゃった。どうせちゃんと並んでいるわけでもないので、見た目のインパクトとかで無理やり割り込んでやっちゃった。ふと乱入を思い立ってサイバーグラスを脱いでラブリに押し付ける。そしてぼんやり周りを眺めていた友人二人を置き去りにして、人だかりに飛び込んでいった。


 私って自慢だけど美人だしかなり背が高いしで見た目で人を黙らせる力が高い。それで人の反論を封殺しつつ持ち前のパワーでぐいぐい人をかき分けて、挑戦者側の筐体の出入り口を確保した。そして私を見ていったんは気圧されて黙ったけど、ゲームやりたさが勝ったらしく次は自分だと負けじと主張してくる相手のお姉さんに


「あなたではこの相手には勝てない! でも私は皆さんが負け続けている相手に勝つところをお見せできますよ」


 と啖呵を切ってタイミングよく負けて出てきた人と入れ違いで筐体に滑り込んでしまったのだ。筐体に入ったもん勝ちだ。いくら熱狂していても力づくで筐体から追い出したりはしない程度のマナーはこの場の人たちは持ち合わせている。それは見ていてもわかった。だからこそ無茶して乗り込んだ。


 一番マナー悪いの私だこれ。でも嘘は言ってないから許して、許して。


 そして勝った。勝ってしまった。でも当然の結果だ。同じように動けて、同じように見えて、同じように考えられる。しかし彼女は幼く私は成熟してる。生きてきた時間分、私が有利だったかな。武装の全てを破壊され、機体を半壊させられてまだ諦めないのは良かった。そうでなくては。久しぶりに楽しかった、楽しかったんだよ。


 戦うのは楽しい。強くなるのは嬉しい。ずっと昔に感じていたことだ。今と同じように、ゲームセンターの対戦ゲームが教えてくれたことだ。久しく味わうことはできてなかった。私は強くなりすぎたし、強くなれすぎると遊ぶ場所もなかなか手に入らない。昔くらい人を気にしないなら遊べるけど、今はだいぶ丸くなっちゃったからなー。人を一方的に叩きのめすことを楽しいとはもう思えない体になってしまった。良くも悪くも、甘くて丸い女になっちゃったものだ。


 しかし今日は久しぶりのいい汗かいた。いい闘争だった。


 暗い筐体の中で大きく減衰してなおはっきり聞こえる大歓声をBGMに、しばし立ち尽くす。


「あー…‥」


 久しぶりに味わうスリルと興奮が、充足感となって私の体を満たしているのを感じる。超気持ちいいー……。アドレナリンが早くなった血流にのって体を駆け巡っているのを感じる。脳みそが熱を持ち、ぎゅいんぎゅいんとモーターめいて駆動する音が聞こえてきそうだ。普段あまり使わない部分の脳が活性化している実感があるぞ。固まった体をほぐすような、まとわりついていた埃や詰まりが解けていくようだ。ん気持ちいいー。


 外は大騒ぎだね、まあ仕方ないか。私が真剣になるレベルの戦いだった。外部モニターの映像だけでもかなり白熱した大迫力の戦いだったんじゃないかな。予知能力めいた先読み同士が読みあい、隙を狙いあう接戦に見えていたかもしれない。実際は詰将棋みたいに、一手ずつ私が詰めていっての順当な勝利だったけど。


 お互いの基礎的な能力の差と経験の差で勝っただけだからね。同じように互いの動きや思考を読みあえるなら、体が成長し切り経験も豊富な大人のレディーである私が勝つに決まっている。だけど相手の彼女が最後まで諦めず、終わらされる瞬間まで勝ちを狙っていたから私も緊張感を保てた。


 外の騒ぎをよそに、すでに消えたモニターの先にいる相手を思う。


 あなたも楽しかったでしょう。わかるよ。

 こういうことってあるんだね。こういうことが、こんな機械越しにでも、繋がるものだね。


 あなたも私のことをわかったと思う。私もあなたのことをわかったよ。


 あなたがどんな名前で、どんな顔をしているのか。どこに住んでいて、どんな家族がいて、どんな友達がいるのか。


 そういうことは何一つ知らない。そんなことじゃない。そんなのは些末なことだ。


 もっと大事な事を、もっと深い所で感じあった。肉を直接触り合ったわけではない。筐体の行う通信を介して、しかも罵りと煽り以外に言葉を交わしあったわけでもない。それでも繋がったものがある。それも通じた気がするとか、そういう曖昧な感覚じゃない。もっとこうはっきりと触感のある、生温かさすら感じるものだ。あなたの吐息すら嗅いだ気がする。


 早く会いたいな。


 筐体を出ると大歓声がより強くなり、圧力すら感じる。唾飛んできそうなくらいの大歓声だ。その中の一つとして声を張り上げていた夢華が飛びついてきた。プレイ中にも応援が聞こえてきてたから知ってたけど、いつの間にか置き去りにしてた二人と一機が応援しに来てくれていたらしい。別に休憩してた所からでもモニターは見れるからいいのに。


 でもちょっと嬉しい。ゲーム用メットを脱ぎながら抱きとめる。応援のしすぎかあるいは興奮に沸く群衆の中にいたからか、一度ひいたのにまたうっすらと汗をかき髪が額に張り付いているのが見える。そこまでしなくていいのよ。落ち着いて人混みから離れて見てたらよかったのに。


「汗かいてるから臭いよ」


「四季は汗もおいしいですの!」


「えぇ……」


「……冗談ですの」


「ほんとぉ?」


 私にも羞恥心がある。汗を嗅くのも舐めて味わうのもやめてほしいな。おいしいと言われても喜んでいいのかな、これ。しかも人前でやって、言うことか。冗談でもまずくない?どうしても舐めたいなら舐めていいけど、人前はよそうね。


 遅れてやってきた紫が、お疲れ様と声をかけながらタオルと飲み物を差し入れてくれる。ありがたい。相手が相手だったから、結構動いて喉乾いてたんだ。腕の端末を見るに三十分近くって所か。体感的にはそれ以上な気もするし、一瞬だったようにも思える。かなりがっつり集中してたから、時間感覚がふわふわしている。地につけた足もやや浮ついた感触だ。


 汗の量も結構なものだし、だいぶ熱中してたみたい。体が汗でびちょびちょだ。特に胸の谷間やおっぱいの下あたりが気持ち悪い。大きいとどうしてもこうなる。美の対価ってやつかな。服の中に腕突っ込んでタオルで拭いたいけど、これほどの人前でそうしないだけの羞恥心は私にもある。美しく豊かな体は自慢だけど、汗拭いている姿は見られたくない乙女心も。


「あなたが真剣にやってこんなに長く競える人、初めて見たわ」


「まあね。あの子は本物だよ」


 私が真剣に何かやると基本いじめになるから、なかなか披露する機会がない。別に私がゲームの達人というわけじゃない。ただ肉体能力が一般人とは隔絶してるのが問題なんだよ。

 

 私はただの天才、ひ弱な頭でっかちじゃないのだ。肉体性能だって通常人類を遥かに凌駕している。運動性能で言えばプロスポーツ選手とその得意分野で競っても私が勝つ。感覚面では嘘をついている味や匂い、音がわかったりする。体重の変化が足音でわかったりもするけど、聞こうとすると紫が発狂して叩いてくるからあまり披露する機会がない特技だ。


 そんな優れた肉体はおそらく彼女も備えているはずだ。まず目がいい。わずかな動きで次の動きを判断してる。動きが大きく目にはっきり見えてから動いていたら、対応があそこまで素早くない。


 そして頭もいい、反射神経もだ。一瞬見えた小さな動きを見逃さず、そこからくる行動を予測して瞬時に回避や攻撃を切り替える判断力がある。学習能力も高い。相手の動きの癖や思考を戦いながら把握してるはず。戦いながらどんどん戦法が私用に最適化されていた。これは通ってこれは通らない、というのをすぐ覚えるし目がいいから動きが違うとすぐ気づく。おかげで誘い込みはほとんど使えなかった。文字通り一度見せたら二度は通じないから、手札の切り方が難しかった。


 苦戦させてくれて、すごい嬉しかった。そして何より、動き方や戦い方の根本部分が非常に私に似通っていた。各々のアレンジはあっても、根っこのスタイルが同じという感覚があった。未熟な頃の自分を端から見た気分だったし、まず間違いないだろう。


「どの程度かまではわからないけど、私と同じことができるはずだよ。肉体分野ではね」


 頭の方はどうか知らない。機能が優れているのは確かだろうけど、でも私と同じ天才かどうかはわからない。頭の回転が速く、記憶力がある程度では真に天才ではないからね。


 優秀ではあるのは間違いないと思う。というか馬鹿はよほどの馬鹿でない限り強くない。大変な馬鹿だと予測は付けられないし、あれこれ考えないのでシンプルに怖いしで厄介だけど。賢い戦いもできるくせに、追いつめられるとその賢さをかなぐり捨てて発狂暴れに移れる人はもっと怖い。IQを捨てるのって難しいし、捨てられるだけのIQの持ち主なので拾いなおしていきなり賢くなり緩急巧みに使い分けてくる。そこまでの使い手にはなかなか出会わないけど、いると楽しいことになる。


 彼女の戦いは割と賢い系統の戦いだったから、あれだけ強くて馬鹿ってことはあり得ない。IQ捨てるには至らなかったけど、それは経験で覚えていくだろう。でも平日の昼間にこんな所にいるから学校の成績の方は悪いかもしれないね。成績というか評価かな、テストはいい点とってそうだ。


「えぇ……? あんたみたいなのって相当の変態よ?」


「変態って言うな」


 せめて天才にして。


「でも……それが本当だったら、確保しておきたい人材よね」


 紫が難しい顔で唸ってる。まあ頭脳も含めて私二号だったら、手元に置いた際の利益と苦労は計り知れないものになるだろう。私だって私がもう一人いたら絶対仲間にしたいもん。


 そしてもし私と同じだった場合、私がもう一人の私と協力する可能性は低くないと思う。私は最高の親友を二人も得られて幸せだけど、同じ世界を見られる相手をまだ欲している部分があることを否定できないからだ。理解されないことには慣れているけれど、理解されたくないわけではないのだ。


 ただもし彼女の頭脳が期待と違ったとしても、最低限馬鹿ってことはおそらくない。そして会社的には運動能力だけでも十分すぎる価値があるはず。スポーツとかやらせたら何やっても好成績を残せると思う。団体戦はちょっと厳しいかもしれないけど。私らみたいなのは人に合わせるのが苦痛だから、どうしても集団で一丸になるのは難しい。


 幼稚園児と速度を合わせて横並びで走ることを強要されているようなものだ。反論がある人は、最低限一度見た動きは全くズレなしに再現するくらいはできてね。何でこんな簡単なことができないんだって、私はダンスとか練習している人を見るとよく思う。物を投げて的に当てることができない人とか、歌うと音程を外してしまう人とかね。


 彼女ならおそらくダーツとかの的を外さないし、外す気持ちがわからないだろう。


 さあ、あの子はどうかな。どんな子なのかな。


 会いたいな。早く出てこないかな。


 ふんふん鼻を鳴らす夢華を張り付けたまま隣の筐体の方をじっと見つめる。周りで騒いでいる人々はラブリが抑えて近寄らせないでいてくれる。助かるわ。紫は姿も見ていない狸の皮算用でもしているのか、思案顔で同じく筐体を眺めている。そんな有様で紫も夢華も役に立ちそうもないので、まだ出てこないか自分で確認しつつ手に持ってたメットを回収箱に入れる。


 この箱は次のプレイヤーのために洗浄、消毒してくれる機械だ。複数のメットを保管してあり、筐体に入る前にここから新しいメットをとっていく。今も筐体前を空けてあげたら早速メットを取り出して次のプレイヤーが入っていった。さっき私の番だと主張してたポニーテールのお姉さんだ。私より少し年上だけど、おそらくまだ二十代だ。


 肌はよく手入れしているのか綺麗で、顔も美人だし化粧もちゃんとしている。格好もこんなところで騒いでいる人には似つかわしくない、キチンとした雰囲気の服でまとめている。仕事できそうな感じだ。それなのにこのやや低俗で興奮した場に違和感なく溶け込む不思議な爽やかさがあった。


「見てたわよ、あなたすっごいのね!」


「ありがとう、楽しんできてね」


 バチーンとウインクして颯爽と筐体に乗り込んでいった。顔といい雰囲気といいきびきびとした身のこなしといい、なんかかっこいい女性だったな。ちらっと見えた腕についてた端末も、落ち着いたお洒落なやや高級なやつだった。見た目通り高給取りなんだろう。全体的にお洒落なのに気取ってない、大人のかっこいいお姉さんって感じで私結構好みかも。




 お姉さんが入って少しして、やがてついに噂のあの子がふらふらと出てきた。小さい。パッと見た印象はそれだった。明らかに背丈も小さいし、黒シャツから窺える体つきもほっそりとしている。しかしそのわりに貧弱には見えない。ただ単にまだ肉がついていない成長前の体という印象だ。それでもホットパンツから覗く生足を見る分には、筋肉が同世代平均よりしっかりついている様子。生身の動きに連動してロボットを動かすゲームで、あれだけ動いて格闘戦をこなせたんだから当然だね。


 身長は低いけど夢華と違って骨格や手足の比率などがまだ子供だ。背の低い大人じゃなくて成長期の子供で間違いなさそう。やっぱりガールだったね。


 それに想像通り可愛い。ようやく会えたね、可愛いあなた。


 私が彼女を見ているのに気が付いた、というわけでもないだろうけど彼女もこちらを向く。私が会いたかったように、彼女も私に会いたいと思ってくれているはず、多分。興奮の熱が引いてちょっと自信なくなってきたぞ。いやでも、あの感覚は間違いなく精神とか心が繋がったやつだよ。間違いないって大丈夫。


「……? ……っ!」


 目が合ったから彼女に笑いかけたけど、彼女はただぼんやりと私を眺めていた。染めているんだろう赤い瞳が虚ろに揺れているのが私には見える。最初は幻でも見るかのようにこちらを見やっていて、やがて気が付いたと思えば一瞬で複雑に顔を歪めた。丸く大きかった瞳が、キュッと縮こまっていく。なんだ、なんだ。


 私を見つけて嬉しそうに笑いかけた顔がすぐに泣きそうな、寂しそうな、なんか良くない顔になる。どうしたの、そんな顔しないでよ。


「おーい! あ、おいおいおい、ちょっと待ってよ待ってったら」


 それを見た途端、反射的に声をかけていた。それでも止まらない。身を翻し私に背を向けて去っていこうとする。夢華のとは感じが違う金髪がふわりと舞い上がり、その金の線で痕跡を残しながらすし詰めの人々の間に体を押し込んで消えていく。そっちがその気なら仕方ない。


 夢華を体に張り付けたまま、私も人混みをどけて彼女のもとに向かう。すごいものを見た、と楽しく騒いでいる人には悪いけどいつまでも群れてるんじゃないよ邪魔くさい。握手してくれ、とかすごかったよとか大興奮して私をキラキラした目で見てくれるのはありがたいけどタイミングが良くない。後で後で、と腕や体を振り払い押しのけて人混みを突き進む。


 後ろをついてきたラブリが人間を超える機械のパワーで、やや力づくでも道を切り開いてくれる。


「どうぞ」


「ありがとっ!」


 紫も人をよけるのを手伝ってくれる。いきなり人を追いかけだしても、何も聞かずにすぐ手伝ってくれるところ好き。結婚しよ。


 お目当ての彼女はまだ小さく細いので興奮した観衆の中をするすると抜けて行けるけど、それでも速度が落ちているのが救いだ。


「ちょっとー! ちょっと、お嬢さん。ちょっとお話しなーい? おーい、ちょっと!」


「ちょっとって言いすぎですわよ」


 余計な茶々いれないの。しかもあんたは手伝わないで私に張り付いたままだったか。まあ離れられても何かあったら困るし良くないんだけど、紫みたいに私を助けようという気にはならなかったのか。


 そんな大きなお荷物をくっつけたままでも、大人の私の方が背が高くストライドが大きいからか人混みを抜けたあたりでちょうどよく追いついた。ようやく追いついて無視できない距離で声をかけると、流石に振り向いてくれた。よかった、対話の意思はぎりぎりあるぞ。なくてもなんとしても会話するつもりだけど。


「……ちっ」


 うわっすっごい顔。初等部の高学年あたりかな。本来幼く柔らかな表情が似合いの顔が、私不機嫌ですって感じの負のオーラを全身にまとわせて私を睨みつけている。よく見るとちょっぴり涙目になっているのが愛らしい。それだけじゃない。なんというか荒れた生活というか、心情が長く続いていたんだろうなって顔だ。


 一時不機嫌になっただけじゃなかなかここまで迫力ある顔にはならないと思う。美人だからなおさら殺伐感が強調されている。こうして近くで見るとまだ幼いけど可愛い整った顔をしてる。その顔がこう荒んで眼光を鋭くすると、幼くとも大迫力だ。それが様になっているからまた良くない。


 不良とか一匹狼系の雰囲気を全身が醸し出している。身に沁みついた不機嫌さだ。


「……なんの用?」


「あなたとお話がしたいの」


「嫌だね。私はあんたと話すことなんか何もない」


 にべもなく言い捨てて私の顔を睨もうとする、いや本人は睨んでいる気なんだろう。でも睨むというより、泣くのを我慢しているような表情だ。かと言って悲しいだけじゃなく、どこか憎らしげな攻撃的な色がある。


 んんん、いや憎いというより失望かな。失望と失望を感じさせられたが故の怒りや憎しみ。そんな思念を感じる。あんなに愛し合ったのにちょっとショックだ。その後何故か視線が私の胸のあたりに移り、そこははっきりと睨みつけた。私のおっぱいが何をしたというんだ、そんな殺気立った目で睨まないでよ。


 そんな気持ちで膝を折り目線を無理やり合わせたら、唾でも吐きそうな表情で背を向けて去ろうとする。吐きそうというか実際にペッて吐くような動作をされた。ひどい。でもここまで追いかけておいて逃がすわけにはいかない。慌てて追い抜いて進路を塞ぐ。


「待って待ってってば。そう短気起こすこともないでしょ。ちょうどそろそろお昼だし、一緒にランチでもどう? ごちそうするよ?」


 朝からゲームセンターに来てあれこれ遊んで、最後に白熱した試合をしたからもういい時間だ。運動してお腹もすいたし、ゆっくりお話もしたい。できれば汗かいたし一風呂どうって誘いたいくらいだ。流石に断られそうだし、怪しさの度合いがひどくなるから今は言わないでおくつもりだ。それにしても昨日今日と朝から運動しまくりだよ。企業スポーツ部に入ったわけじゃないんだけどな。


「しつこいなデカ女」


「で、でかっ!? じ、じゃあスイーツもいいよ。ドーナツとか、アイスとか。ケーキもいいね。どう?」


「う……」


 お、目の色が変わった。喉もごくりと動いたぞ。いやどんだけ反応してるのよ。甘味に飢えすぎじゃない?体もほっそりしてるし、あんまり食べれてなかったりするのかな。


 確かに甘いものをおいしく食べているような雰囲気ではない。甘いものを食べると人は幸せになるものだ。感情論ではなく、物理的な話で。人間は甘いものを食べると、脳内で幸せを感じる化学物質が増えるようにできている。目の前の愛しい彼女はその物理現象をしばらく起こしてはいないように見えるのだ。


 まあいい、それは後でヴィクトリアにでも頼んで調べればいい。今は畳みかける時!


「何でも好きなもの買ってあげるよ? そうだ、お家で食べる分も買ってあげちゃう!」


「いかがわしい人のセリフですわね」


 うるさいな。そう言われると完全に変質者のセリフだけど、そんなことはどうでもいい。ただお話ししたいだけだ、ゆっくりと。連絡先の交換までできれば言うことなしなんだけど。連絡先が分からなくてもこの辺のゲームセンターの監視カメラでも覗き見して、見かけたら偶然を装って会いに来るつもりだけどどうせなら連絡取りあいたい。


「お腹いっぱい好きなもの食べられて、お土産まで持って帰れるんだよ? ちょっと私とお話しするだけで! ね?」


 いよいよ変質者だこれ。いやでも、あんなに敵意を剥き出しにしてた子の雰囲気がだいぶ違う。目先の甘いものに釣られてきてる気配があるぞ。それはそれで心配になるんだけど。


 警戒感や先ほどまでの攻撃色が薄くなっている。今は困惑した雰囲気が目に見えている。どうして自分がこんなに好意を向けられているのかわからないんだろう。とりあえず私の好意自体は伝わっているようだ。目と目が合うとたじろぐけど、警戒や恐怖ではなく羞恥の赤が頬に覗いている。


「……いらない。いい加減退きなよ、邪魔」


 お、よく断ったね。断られたけど、ちょっと安心。お菓子に釣られてついていかないのには安心したけど、それはそれ、これはこれ。私はこの子と仲良くなりたいのだ。さっきはわかりあえた気がしたんだけどな。勘違いではないはずだ。あなただって、私のことを意識してくれているんじゃないの。


 そんな思いを込めて見つめると、またまた視線を逸らされる。それでも見つめ続けるといよいよ顔ごとそっぽを向かれてしまった。


「じゃあ、ほら、飲み物! 飲み物おごるよ。喉乾いたでしょ? ここで話してても人の邪魔になるし、ね?」


「……あんたが諦めれば済む話でしょ」


 口では拒否しつつも、喉は乾いているみたいで拒否が弱い。あそこの壁際のベンチと自販機がいいかな。人の邪魔にもならないし、ゲームの合間の休みとして普通に使う場所だから拒否感も少なそう。


 いきなり人が少ない所や逃げにくい場所に誘うと警戒心を煽ってしまうからね。慎重に距離を詰めねば。


「いいでしょ、ね? すぐそこ、そこだから!」


 お願い、あなたと仲良くなりたいの!


「……」


 そんな言葉にならない思いが通じたのだろうか。諦めて合わせてくれていた視線が外れたかと思うと、くるりと体全体を反転させた。いいとも悪いとも言わないけど、とりあえず指さしたベンチの方へ向かってくれる。歩いていく後ろ姿の揺れる髪から覗く小っちゃい耳が、瞳の様に赤く染まっていた。


 私の一念が通じたのだ。我が方の勝利である。やったぜ。


「成し遂げましたわ」


 ……いい加減離れてくれないかなぁ。






「……で? 何の用なの、クソデカピンク女」


 さっきまでむすっとしながら黙ってジュース飲んで、開口一番これだよ。一本目のスポドリはすぐ飲み干しちゃったから、二本目も買ってあげた。二本目も半分ほどぐいぐい飲んで人心地ついたみたいで、ようやく口をきいてくれた。それでもさっきちょっとした技を見せてあげたせいか、少し雰囲気が柔らかい。気持ちね。


 ちなみに見せた技っていうのは、彼女が飲み終わったジュースの空き容器を少し離れた所に設置してあるごみ箱に投げた時のことだ。彼女が投げた後にやや遅れて、私も飲み干した空き容器を投擲。彼女の投げた容器と空中で激突し、そのまま彼女が狙っていたごみ箱の隣のごみ箱に落ちた。


 資源分類上どちらでもよかったから、その点は問題ない。彼女もそんなことは気にしないだろう。ここで問題なのはごみ箱の入り口の大きさだ。ごみ箱の入り口は飲み物の空き容器専用なのか、円柱状の空き容器より少し大きめ程度の円なのだ。それが二つ並んでいる。そこに別々に私と彼女の投げたゴミが入っていった。遠距離から投擲して、しかも空中でぶつかった後のゴミが、それも別々の狭い入り口を通ってである。世間一般的には神業の部類だと思う。


 ただそれは世間一般ならの話だ。だって先に投げたのは彼女の方だ。彼女は入ると思って、入れられる自信があって投げたのだ。その気持ち、感覚はすごくよくわかる。私たちならそうだろうという共感がある。だから私も同じことを年齢分の差で難易度を上げて、彼女の投げた物にぶつけて二つとも落としてみせたのだ。


 それで彼女も少しは同類だと思ってくれたか、あるいは多少なりとも興味をひかれてくれたのだろう。こんな曲芸でよければいくらでも見せてあげるよ。でも


「口が悪い……」


 ついでに態度も悪い。ベンチに腰掛けてはくれたけど、なんか不良じみてる。脚は広げるし、ぐでっとしただらしない体勢で壁にもたれかかって座るしでお行儀が悪い。こんな体勢でいるっていうのはある意味、多少なりともリラックスしているのかもしれないけど。緊張している人間の姿ではないよね。


 短いズボンを履いているから、つい視線が足に向いてしまう。短い生地から覗く生足が瑞々しく、力強く跳ねる魚の腹のように白い。目が吸い寄せられる。


「デカくて全身頭から足までピンクなのが悪い」


 目が痛い、と顔を背けられる。悲しい。でもおっしゃる通り今日の私は全身ピンクだ。髪は鮮やかな薄ピンク、だけどこれはいつものことだ。私のトレードマークの一つ。もう長年この色だから、今更他の色に変える気にはならないかな。それでも最近は以前より目に優しく大人しめのピンクになっているんだけどね。かつては危険色めいた濃さだった。


 しかし今日は服もピンクばっかりだもんなー。ロングワンピも、上に羽織ったアウターも。靴もピンクだし、小物類も濃さや明度だとかの違いはあれど全部にピンクが含まれている。桜の精を名乗っても通りそうなくらいの一色揃えだ。


 そして背も世界平均で考えてもかなり高いし、体つきも豊かなので全体としてデカいという印象を与えるのはわかる。すらっと細長いというにはあちこち肉が付きすぎてる自覚はある。だから威圧感を与えては良くないと思って、できるだけ体を折ったり屈んだりして目線を合わせて話しているのだ。


 でもこれが私だから。肉感的と評判な長身も、全身ピンクなのもだ。ピンクは変えればいいだけだけど、その気はない。ある時期からすっかり私のカラーだからね。


「あなたと仲良くなりたいの」


「仲良くぅ?」


 ハッと鼻で笑われる。心底馬鹿にしている感じがよく伝わる。悲しみ。


「そんなの不可能だよ。さっきあの女としてたみたいに私とベタベタ引っ付いたりしたいわけ? ごめんだね」


 ペッと唾を吐くような動作をする。うーん、このトゲトゲ感。取り付く島もない。でも今ので糸口はなんとなくわかったぞ。あの女と言う時の、少し離れたベンチで見守ってくれている夢華たちを親指でくいっと指さす動作も不良のそれっぽくてかっこいい。様になってるね。


「将来的にはね。今はお話ししたり、一緒に過ごしたりしたいかな」


「話なんかしてどうしようっての? あんなベタベタへらへらしてた奴となんか、いくら話しても時間の無駄だよ」


 やっぱりそこかぁ。


「本当に無駄かな? 私はそうは思わないけど」


「思うだけなら勝手にしたら? 私は、あんたなんかと、仲良くなんか、できない」


 言い聞かせるように、一言一言強く言い切る。でもそれって誰に言い聞かせているの。


「本当にそう思う?」


「っ……」


 私がじっと見つめると、最初は睨み返してきたけどすぐに言葉に詰まって彼女は俯いてしまった。夢華より色味が薄い金の髪が、さらさらと流れる。あ、枝毛ある。ダメだよ、髪は女の命なんだから。仲良くなったら私が綺麗にケアしてあげなきゃ。こんなに素材がいいんだから、大事にして磨いたら髪も顔も体ももっと光り輝くはず。


 そんな風に私が彼女の育成計画を立てている間も彼女はまだ沈黙し、私の視線から逃れようと俯いている。そんな風に黙っちゃうと図星だって言ってる様なものだよ。実際そうなんじゃないかな?


 あなたも私とあなたが同類なんじゃないかって思ってるはず。私にもしかしたらって、期待をしているはずだよ。さっきの戦いで、私たちはずいぶんお互いのことを探りあったもんね。


 戦いは会話より遥かに雄弁なコミュニケーションだ。むしろ戦いより雄弁で濃密なコミュニケーションはほぼないとすら思う。あれだけ濃密な時間を過ごせば、その深さも並大抵じゃないからだ。


「私たち、分かり合えると思うの」


「……」


 だって戦っている間は何をしているだろう。まずは見る。相手を見て、相手の動きを見て、相手の心の動きを見る。そして相手のことを思う。相手の一挙手一投足、全ての動きが気になる。相手が何を考えているのかが気になって仕方がない。相手がちらっと動いただけで、心臓が跳ね上がる。


 相手のことしか目に入らない。相手のことしか頭にない。どこが弱いのか、どんな動きが好きなのか、私をどんなふうにしたいのか。私がどう見えているのか。私のどこを狙ってくるのか、私の動きのどこを攻めてくるのか。いつ私を襲ってくるのか。何を考えているのか。何をしたいのか。私はどうすればいいのか。相手は私に何を求めているのか、何をしたら嫌がられるのか。


 初めての恋に浮つく思春期だって、こんなにも一人の相手のことを考えることはない。せいぜいふとした時に思うくらいだろう。でも戦いの内にあれば、そのふとがどちらかが止まるまで無限に続く。


 私という存在の全ての意識で、集中で、神経で、ありったけの構成物質で相手のことを考える。探り、見抜こうとする。やがて動き戦いながら探り合う内に、混ざり合っていくような錯覚すら覚える。この振り回す腕は誰の手だ、この走り回る脚は誰の足だ。呻いているのは私なのかあなたなのか。今こうしようと思ったのはどっちだ、私かあなたか。これをしているのはあなたか私か。こんなことを考えているのは私なのかあなたなのか。


 そんな自他の境界線すら失うほどに、相手の思考を読み、探り、想像し、予測する。相手の動きが自分の動きのように、手に取るように、自分の手が動くように理解する。読み合いや探り合いが濃密に加速していけば、やがてはそんな所にまで行き着いてしまう。私も経験したのはごくわずかしかないけれど。


 だってそこまで濃い時間を過ごさせてくれる相手なんか、私達にはめったにいないんだもの。いるとするなら、それは同類か更に格上かしかない。単にその分野においては凄腕って相手も稀にいるけどね、それはその分野の技術が優れているのであって私たちの能力とは一線を画す。


 今日ここまで深い所まで行けたのは、相手があなただったからだよ。あなただけが私をそんな深みにまで連れて行ってくれた。戦いは最高に濃密なコミュニケーションという持論は以前から持ってたけど、今日この日、あなたと出会って確信に変わったよ。


 戦うのは楽しい、戦いは嬉しい。それは理解がしあえるからだ。私にとって戦いはずっと相手を一方的に理解する、一方的で片思いだった。私のことを、誰も読めはしなかった。その私に初めて想い合える相手がいたんだ、あなたが。もう逃がさないぞ。あなただってきっと初めてだったでしょう、こんな風に分かり合えるのは。私もずっといなかったんだから、そうそうそんな相手がいるとは思えない。


 でも今あなたはこうして冷たい態度をとっている。


 理由はわかってる。私が仲間だと思ったのに私が他の相手といたからでしょう。


 あなたは多分今までずっと孤独だったんだ、私が昔そうだったように。わかるよ。感性や才能が他の人とは違いすぎて独りになっちゃうけど、独りでいたいわけじゃないよね。


 はっきり自覚してなくても、誰か自分を理解してくれるんじゃないかって期待は心のどこかにあったはず。そうじゃないならわざわざ人に付き合うタイプじゃないと思うな、あなたは。今私と話してくれてるのも、ジュースとかに釣られただけじゃない。私ならもしかしてって、さっきの戦いで思ったんでしょ。


 そんなたくさんの思いを乗せて、彼女を見つめる。


「私たち、きっとお友達になれると思う。いえ、なりたいの」


「そんなことっ……」


 できるわけない、かな。でもあなたもまだそれを願って求めているように見える。


 私が見つめる彼女の瞳は潤みかけ、揺らいでいる。頑なな拒絶はもう見えない。あるのは信じたいけど信じられない惑いと、信じたけど裏切られた過去の痛みだ。


 でもあなたは見たはず。同類かもしれないと思った相手が、同類とは思えない相手と触れ合い、笑っているところを。だから私に素直になれないんだろうけどね。自分と同類だと思ったのに、普通の人みたいに笑って一緒にいられる相手がいるなんて、信じられないんだろう。


 自分の仲間なら、相手もきっと一人のはず。そんな風に想像していたのに。


 わかってもらえない、誰にも。あの目。知らない生き物や異常者を見る目。自分に理解できないことをする相手を、異常のレッテルを張って隔離しようとする連中。そんな人々の目が四六時中、どこに行って何をやっても付きまとうんだろう。私もずっとそうだった。でも今はそれだけじゃない。


 違うベンチにいる三人に目をやると、心配そうにこちらを見守ってくれていた。目が合うと笑って手を振ったり、頑張れとガッツポーズで応援してくれる。私も笑って手を振り返す。たったこれだけのことが心を温めてくれ、私を私のまま生きていかせてくれる。場所がどこでも関係なく、あの二人の傍こそ私の居場所なんだ。


 こんな人たちもいるんだよ。完全にわかりあうことはできなくても、受け止めて、ありのままの自分を許してくれる人だっているんだよ。今はわからなくても、いずれあなたにもわかる日が来るといいな。


 ま、それは追い追いだね。今はこの子を納得させないと、ここまできて逃がすつもりは毛頭ない。私を同類だと信じ切れないのなら、わかるまで何度でもすればいい。私達といえど根本的には人と人。まずは一緒に時間を過ごすことが仲良しへの近道だろう。私たち三人組の友情も、時間が大きく立派な花に育ててくれた。


 ゲームセンター界隈で名を知られているんだからゲーム好きだろうし、まずは一緒にゲームをするところから始めていこう。掴みは良かったはずだし、ここから徐々に近寄って最終的にものにすれば、ヨシ!


 完璧な計画だ。


「……戦うの、楽しかった?」


「え?」


「私と戦ってて、楽しくなかった?」


「私負けたんだけど……」


 セリフのわりに、声に非難する意思がない。文句を言うというより拗ねたような、からかうような声質だ。


「あはは……。そうなんだけどね」


「……楽しかったよ。悔しいけど」


 あら素直。でも悔しがることなんか何にもないでしょ。


 彼女は俯いてた顔を上げて、ぼんやりと前方の空間を眺める。その顔に先ほどまでの険はない。いけるか。


「またやらない? 何度でもやろうよ。疲れたなら他のゲームでもいいよ。今日がだめなら明日でもいい。今日も明日も明後日もしたっていい」


「……」


「そうやって時間を積み重ねていけば、互いに理解しあうことだってできるよ。まして私とあなたなら」


「……どうかな」


「さっきの戦いで感じたでしょ? 私たち、あの時、こう、なんというか……通じ合ったと思う」


 あなたはどう、と尋ねる。本当は顔を覗き込んでこの子の綺麗な赤い瞳を見つめたい。そうするともっとこの子の反応がよくわかるんだけど。でも絶対それやると嫌がられるしなぁ。


 茉莉ちゃんとかも私に見つめられるのを嫌がる。でもそれでも見つめ続けると、屈服して言うことを聞いてくれるようになる。この子はどうかな。やってみたいけど、それで逃がしてしまったら本末転倒だよね。我慢だ、今は耐えるんだ。


「……思い込みじゃないの? 私は、そんなこと」


 ない、とは言い切らなかった。それが答えだと思う。きっとこの子も同じように私を感じてくれていたんだ。嬉しい。


 私には親友がいる。愛すべき二人の親友、私を人の範疇に留めてくれる大事な枷だ。それでも二人とでは、きっと何時間戦ってもさっきみたいに通じ合うことはできないだろう。だけどこの子となら、今までの誰よりも近い世界を見られるかもしれない。絶対に逃さんぞ。


「……そうだ。私に付き合ってくれたら、その日のゲーム代は全部私が出してあげる。いくらでもね。もちろんお昼とかおやつ代も。これならとりあえずメリットがあるんじゃない?」


 まずはそれでもいい。私といればゲームし放題で、好きな物が食べられて、おやつも買ってもらえる。そんな利益だけの関係からでもいい。特にゲームし放題なのはいいはず。この年頃のお小遣いでは、ゲームセンターに頻繁に通えないだろう。だがしかし私に連絡さえすれば、私と過ごす必要もあるけど、ゲームやり放題だ。しかもおやつもつく。


 どうかな?


「む……」


 悩んでる。いけるぞいけるぞ。一緒に過ごす時間さえ確保できれば何とかなるんだ。


 次は何を言おう、どうやってこの子を攻略しよう。そうやって私が頭を悩ませていると。


 くぅ~


 と、ゲームセンターの騒音にかき消されそうな小さな音がした。私の耳じゃないと聞き逃す小さな音だったけど、確かに音がした。彼女のお腹辺りから。何でもない風を装った彼女だけど、私が黒い服に覆われたお腹を露骨に見つめていると隠すように丸くなった。髪からわずかに見える耳がまた赤くなっている。


「……悩んでるならさ、まずはお昼にしない? 一緒に店に入るの嫌だったら、買ってきて外で食べよう。ね?」


「……乗ってやるよ」


 赤い頬を片手で隠し、すねたように言い捨てる姿が最高に可愛らしい。


 いつまでも可愛い姿を鑑賞していたいけど、気が変わったら困るのでさっと立ち上がって振り返る。


「私は柿本四季。苗字は好きじゃないから、四季って呼んでね。あなたは?」


「……栞那。中原栞那」


「栞那ちゃんって呼んでいい?」


「いいよ。私も苗字好きじゃないから」


 あんたと同じ、と言って彼女は足を振って勢いをつけて立ち上がった。


 そして私の顔を初めてはっきり見つめて、にぃぃと唇の片端をわずかに吊り上げた。







 カラス型ドローンが群れを成して研究所に帰っていく。淡い赤に塗りつぶされていく表層を、金の髪に赤を塗した背中が小さくなっていく。懐古するのは似合わない歴史の浅い街だけど、ここで生まれ育った私たちには懐古するには十分だ。中でも緩やかに影が伸びるこの時間はどうにも感傷的になる。


 特に今日は振り返ることもなく遠ざかる背中が、かつて同じようにこのぐらいの時間に解散して帰る自分の姿になんか重なってなおさらだ。あの頃はこの時間帯になると町全体が一日の最後の輝きで薄く煌めき、楽しかった時間の名残が尾を引くのが見えるようだった。


 今の自分や生活に満足はしているけど、あの幼い頃ってやっぱり特別だったよね。


「……で、午後いっぱい使って遊んでましたけど、うまくいきましたの?」


「いったいった。とりあえず手は握れるようになったよ。あと連絡先も交換できた」


「何で手を握ってるのよ。すぐ触りたがるわね、あんたは」


「手は……スキンシップ? ほら身体接触は親しみを抱かせるから、うまく使えば。ご飯の時隣に座ったのと同じことよ」


「……? 隣に座ると何かいいんですの?」


「はい! それはスティンザー効果というものです」


「お、ラブリちゃんよく知ってるね。そうそう、スティンザー効果というやつで、座る位置で相手に警戒心を持たせることも、好印象を持たせることもできるの。当然隣に座ると好印象」


「補足すると、食事時っていうのも大きいのよ。腕組みとかすると人は無意識に警戒心を高めてしまうの。だから腕を組んだりしない食事時を一緒に過ごすのは好印象ってわけ。この腕組みについては会議でも使われるテクニックよ。飲み物を配ったりして腕組みを防ぐことで、会議を円滑に進めやすくしたりね」


 さらにこの先、彼女が嫌にならなければだけど、何度も会う約束をしたのにも理由はある。同じ人に接する回数が多いほど、その相手に好印象を持つようになるという心理現象があるからだ。


 これをザイオンス効果という。日本語的に言うと単純接触効果とも言って、本当に単純な話だ。何度も顔を合わせて一緒に過ごすと、その相手に徐々に好印象を持つというのは実際理解しやすいだろう。これが私の狙いである。単独コミュをとって好感度を上げていくとも言う。


「はー……あなた、初等部の女の子と仲良くなるのに本気出しすぎなのではなくって?」


「本当にね。あんたに天才仲間ができるならいいことかと思ったけど、幼い少女を変態の魔の手に差し出してしまった気がする」


「傷つくわぁ……」


「でも私も早くお話ししたいですわ! 小さいのに強くて可愛らしかったですもの」


「そうね。でも連絡本当にしてもらえるの?」


「さあ? でも感覚的には来ると思う。来なかったら監視カメラに侵入して、ゲーセンに来たのを見つけたら突撃する」


「造物主様、それはまずいのでは……?」


「うーん、やっぱり止めるべきだったかな……」


「きっと大丈夫ですわ。あなたの気持ちは届いたはずです。次が楽しみですわね!」


「ありがと。ダメだったら慰めてね」


「よくってよ! さ、私たちの方も仕事は終わったし、帰りましょう家へ」


「そうね。クジラが飛ぶ前にさっさと帰りましょう」


「私無人車捕まえて来ますね」


 たとえダメだったとしても、もう二度とあんなに誰かと分かり合えた感覚がなくっても、私は平気だ。


 私の手は今もこうして二人に繋がれていて、私はここにいる。私が一番好きな場所、私の居場所はここにある。


「なんで今日は私が真ん中なの?」


「あんたがそうして欲しそうな顔してたから」


「そうしてって、顔に書いてましてよ?」


「んふふ、そっかそっか。ありがとね」

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