第66話 金狼と細剣と劣勢

 森の奥から闇が来る。闇には無数の目があり、闇の中に光がある。

 一つ一つは小さな足音でも、100を超えるとよく聞こえる。

 数だけで見るといつかの魔物氾濫のほうが多いのだけれど、例の1体だけであの時以上の圧迫感が感じられる。


 ここに達するまでにあと数秒。

 シエルの準備はすでに終わっている。ちょっと大きな魔法陣。

 狼が100匹くらい入りそうな、ちょっと大きな魔法陣。


 ヤバそうな魔物と同時に、100匹のウルフを相手にするのは大変そうだから、雑魚くらいは一瞬で倒してしまいたい。

 あわよくば、ヤバそうな金色狼も倒してしまいたい。それができるだけの威力はあると思う。

 初めて戦ったサイクロプス。あの時シエルの魔術だけでは倒すことはできなかったけれど、今回の魔術であれば、サイクロプスの100や200は切り刻める。


 Aランクに関しては何とも分からない。

 いままで多くの魔物を倒してきたけれど、Aランクの魔物は倒したことはないから。

 それでもわたしの支援が加われば、Aランクの魔物を倒せるくらいの威力はあると言える自信はある。

 さすがにここまでの威力を出すには、準備が前提であるけれど。


『大きいのは目立つのね』

『むしろ他のウルフのせいで、あの大きさでも見えにくいことが驚きですけど』

『範囲に入ったら魔法陣を発動させるわ』

『わたしは今から歌っていますね。探知した感じだと予想していたコースからは、外れなさそうです』

『エイン、お願いね』

『シエルこそ頑張ってくださいね。やはりあの爪は厄介そうですから』


 迫ってくる黒い波を前にいつもの調子でシエルと話していたのだけれど、わたしの言葉が終わる前にシエルが魔法陣を発動させた。

 もう少し余裕がありそうだなとは思っていたけれど、シエルはわたしほど探知が使えるわけでもないので仕方がないか。

 少しだけ魔力の消費量が増えるだけだから、気にするほどでもない。


 言葉の後わたしはすぐに歌い出す。


 強さがはっきりとしない未知の敵との戦闘だけれど、不思議と緊張はしていない。

 恐怖もないし、焦りもない。

 例えまっすぐ向かってくる金色の狼が、木々をなぎ倒しながらやってきていたとしても、その速度がわたし達では逃げられそうにないものであっても。


 わたしの歌に先行して発動したシエルの魔術。

 それは広範囲にわたる風の刃。一度ではなく、無数の刃が範囲内の敵を切り裂く。

 効果範囲に入った瞬間、何十ものウルフが悲鳴を上げる。


 首が落ち、胴が分かれ、手足を失う。

 そして、落ちた首は、分かれた胴は、失った手足は、そこからさらに細かくなる。

 バケツの水でも零したかのように、血が地面にぶちまかれ、濃い死の臭いがあたりを覆った。


 魔物を殺すことに慣れている人でも、さすがにここまでの惨状は眉を顰めるだろう。

 死に慣れていない人が見たら、それこそ気分が悪くなると思う。最悪気絶するかもしれない。

 わたしも少し気分が悪くなりそうだけれど、そうも言っていられない。


『やっぱり残ったみたいね』


 発動時間はおよそ1分。


 シエルの魔力の3分の1ほどを使った魔術は、見事に100匹のウルフを血に沈めた。

 しかし本命と言える金色の狼は、その体を維持している。


 維持しているどころか、細かな傷は見られるものの、大きなダメージは入っていなさそうだ。

 つまりこの狼のランクはA以上。

 硬くて、速くて、攻撃力も高い。なんかもうSランク認定してもいいんじゃないかと思う。


 そんな狼がシエルを完全に敵認定したのか、殺気のこもった目を向けてきた。


【人ハ殺ス。我ラヲ造リ、我ラヲ紛イ物ニシタ、愚カナ人ハ万死ニ値スル。

 殺ス、殺ス、殺ス、殺ス、殺ス殺ス殺ス殺ス……】


 狼が吠え、辺りがビリビリと震える。

 そんなことよりこの狼、言葉を発した。しかもかなり不穏な内容を。


 造られた存在。


 ふと、ウルフが神の使いだというビビアナさんの話を思い出した。

 馬鹿げた話だとは思うけれど、同時にリスペルギア公爵なら目的のために、神の使いを造るくらいしてもおかしくないとも思う。

 そしてそれを密かにできるだけの設備を持っていたとしても、わたしは驚かない。

 あの爪に宿る違和感も神的何かだとしたら納得できる。


 情報が欲しい。


 言葉を話すということは、会話が可能かもしれない。

 なんて、戯言は置いておこう。言葉が通じても、会話ができる存在はここまで殺気は出さない。

 倒して余裕があれば、というのが妥協点。相手の強さがわかるまで、歌うのを止めるつもりはないから、シエルに提案することもできない。


 ガアアアアァァァ


 考え事をしている間に、金狼が前足を振り上げシエルに襲い掛かる。

 動きは探知である程度は分かっていたけれど、強化を含めてもぎりぎり避けられるかどうかの速さ。

 瞬きする間に一気に距離が縮まっている。


 対するシエルは、ギリギリで身を翻してその爪から逃れる。


「……ッ」


 しかし巨体が高速で移動する衝撃は大きく、避けたはずのシエルが吹き飛ばされた。

 急な浮遊感と速度。ジェットコースターってこんな感じだったかな、なんて考える間もなく木にぶつかって止まる。



 飛ばされた衝撃は結界によって無効化できているので、外傷はもちろん内傷も全くない。

 当然痛みも全くない。


 でも、ヤバい。ヤバすぎる。


 シエルが着ている服。ちょうど右腕の二の腕あたりがざっくりといる。

 わたしの結界を抜けて、いるのだ。


 結界が破られたと言っても、カロルさんの氷の槍グラシオ・レンツォの時とは違う。

 氷の槍は相殺されたものだ。だから仮に結界を破壊されていたとしても、その威力は落ちたはずだ。

 しかし金狼は違う。わたしの結界などないかのように、すり抜けてきた。

 残った結界は爪痕が残るように裂かれていて、崩れもしないが修復が必要になる。


 その程度の修復でどうにかなるような魔力量はしていないけれど、問題なのは結界によって威力の軽減すらできていなさそうなこと。

 いままでの戦いは、良くも悪くも先手必勝、もしくは結界によるごり押し。

 その両方がつぶされたことになる。


 耐えられさえすれば常時展開できる結界も、耐えられなければ意味がない。

 結界が無ければ魔術を使う余裕は生まれず、一方的になぶられるだろう。


 そもそもシエル渾身の魔術が利かなかった以上、倒すには舞姫による威力の底上げは必須。

 しかし魔術メインでは、シエルが舞い始めて魔術が発動するまで金狼からの攻撃を許し、リズムが乱される。下手すればそのまま殺される。


 しかも今の一撃で倒せなかったことに腹を立てたのか、射殺さんばかりに金狼がシエルを睨みつけていた。


 逃げるという選択肢もありはするだろうけれど、逃げ切ることはほぼ無理。


 そうなると、残る選択肢は1つ。シエルもそれを分かっているのか、魔法袋から細剣を取り出した。

 わたしの結界が駄目だった以上、金狼の爪に当たっただけでも破壊されてしまいかねないうえ、シエルは剣術が得意ではないので不安が大きい。


 その不安を吐露することはかなわないが、どういうわけかシエルにはその不安が伝わったらしく「大丈夫だから、エインの歌を聞かせていてほしいわ」とやけに自信たっぷりの声が聞こえてきた。

 その理由は分からないけれど、わたしにできることは歌うことだけなので、シエルが言う通り歌い続ける。


 瞬間、シエルが剣を構えることを待たずに、金狼が鉄砲玉のように突っ込んできた。

 今度はひっかいてくるのではなくて、体当たりだったので闘牛でもするようにひらりとかわすだけで、やり過ごせた。

 やはり爪を使っての攻撃が問題か。


 ひとまずやり過ごせたかと思って安心する間もなく、再度金狼が突っ込んでくる。

 同じく体当たり。当たれば吹き飛ばされるだろうけれど、それではダメージは受けないので怖くはない。なるほど、こちらは爪での攻撃を恐れているが、金狼側からすればそこまでのダメージを与えられなかった攻撃。

 爪を使うことが最も有効だとは気づかれていないわけか。


 息をつかずに3度目の突進。同じく体当たりだと思ったのだが、すれ違いざまに前足を大きく伸ばしてひっかいてきた。


 迫る爪の軌道ではシエルを殺すことはできないだろう。

 しかし既に回避行動に出ているシエルでは、かわし切れないタイミング。


 痛みに襲われると身構えたのだけれど、シエルの身体は迷いなく動いていた。


 ゆったりとしているけれど、最小の動きで細剣を金狼の爪に当てる。

 力は受け流され、バランスを崩した金狼がバタバタと着地した。

 受け流したとはいえ、それなりに衝撃があったであろう細剣は、想像とは違いなんともないように見える。

 折れるどころか、ヒビすら入っていない。


 思惑がうまくいったのかシエルは不敵に笑っているのに対して、金狼はじっとこちらをにらんでいる。

 今の攻防だけを見ると、シエルが一杯食わせてやったことになるのだろうけれど、金狼にダメージを負わせることができていない以上、こちらの不利は変わらない。

 金狼にダメージがないのは受け流しているだけなので仕方がないが、シエルはこちらから仕掛けようともしていない。


 それなのに、シエルの余裕は消えることはなかった。



 戦い始めて何度金狼とぶつかっただろうか。

 爪による攻撃だけを剣で受け流していたことを理解したのか、金狼は爪をメインに戦うようになった。言葉を話せるということは他の魔物よりは頭も良いだろうし、いずれこうなることは仕方がなかったのかもしれないが、文字通り防戦一方になってしまった。


 ただこちらも情報を得られなかったわけではなく、身体能力にあかせた高速の飛び掛かり攻撃が連続で3回という事がわかった。

 シエルは一応4回目も警戒しているようだけれど、3回で確定だろう。

 しかも攻撃は基本的に直線。爪を使って範囲を稼いでくるけれど、途中で方向転換をする事は出来ないらしい。


 しかしまだ爪メインではなかったときに、一度シエルが攻勢に出たけれど浅く傷をつけるのがせいぜいで、リスクに見合った効果は得られなかった。魔術攻撃への切り替えも金狼の速度を考えると難しい。舞姫であるシエルが受けを強いられている時点で、だいぶ不利になる。


 それから、わたしの結界が意味をなさなかった仮説も立った。

 そもそもシエルが大丈夫だと言っていたのは、C級ハンターが金狼の足止めに成功しているからだろう。

 たやすく武器や防具が破壊されてしまえば、満足な足止めは出来ない。それができたということは、ある程度は武具が持ったと考えられる。


 わたしの結界とシエルや足止めをしていたハンターの武具との違いは、職業を介しているかどうか。

 武器を扱う職業の場合、その武器の耐久力が上がるという話がある。シエルもある意味武器を扱う職業なので魔力の数%だけだが細剣に流れている。

 仮説としてその魔力が職業に由来するものであれば、大本は神の力。同じく仮説神的な力を持つ金狼の爪に対抗しうるのだろう。


 それから単純に物理的な障害は問答無用で破壊できないらしい。

 つまり対人由来魔力無効化+威力アップがあの爪に宿る力の能力。職業を介さずに結界を作るわたしとの相性は最悪。


 情報は得ることができても、事態は好転しない。

 むしろシエルの体力と剣の耐久が削られている分、どんどん劣勢になっている。


 3連続で飛び掛かってくる、2回目。爪を受け流すことはできたが、同時に細い剣身が真っ二つに折れてしまった。

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