第65話 謎の魔物とソワソワ
次の日、朝から町に出るとなんだか騒がしかった。
それを無視してシエルが北門に向かうと、門番に止められてしまった。
何やら強い魔物が出て、数人のハンターが大怪我を負って戻ってきたらしい。
そのせいで外に出るにはハンター組合からの許可が必要になるらしい。
『なんだかとても、面倒ごとに巻き込まれそうね』
『そうですね。今から森に引きこもりましょうか?』
『エインからそういう提案が来るのは珍しいわ。どうしたのかしら?』
『こういう時ってなぜか歌姫ってバレるんですよね』
『王都の方は歌姫ってバラされたから、面倒になったんじゃなかったかしら?』
くすくすと笑うシエルの言う通りなのだけれど、すでにB級になるだけの依頼をこなしていると分かった今となっては、積極的に依頼を受けたいというモチベーションがない。
でも……と今更ながらに思い出す。そもそも、今はシエルが海を見たいからと山に入ろうとしているのだ。
だからギルドに行って、許可をもらうのが面倒がない。別に強行突破をしても良いけれど、何か危ないことになっているようだから、ギルドで情報をもらうこと自体は何も悪いことではない。シエルが行きたいと言ったのに、それを否定することはできない。
『とりあえず、ギルドに行ってみましょうか』
『ふふふ、そうね』
柔らかに笑うシエルを見ていると、どっちが大人かわかったものではない。
既に気が付いているけれど、シエルと一緒に12年。前世で20年ちょっと生きていたからと言って、中身が30代なんて言えたものではないのだ。
◇
ギルドにつくと、それはそれは大騒動だった。
何せ怪我人が運び込まれていたから。ちょっとしか見えなかったけれど、おそらく腕を一本なくしていただろう。
わたし達が入るころには医務室かどこか別の場所に運ばれていたので、そのほかにも大きな怪我があったのかもしれないけれど。
中ではハンター達が受付に何があったのか尋ねている。
漏れ聞こえる話をまとめると、金色の毛をもった狼型の魔物が出たらしい。
C級パーティが遭遇し、不意打ちでD級ハンターが1人死亡し、C級ハンターが足止めをしている中、残りのメンバーが命からがら逃げだしてきたらしい。
またその余波で、浅いところに居たE級ハンターも大怪我をした。
それ以外の情報はないけれど、残ったC級の生存は絶望的だろうとのことだ。
そうしている間にやってきたギルド長は、シエルを見つけると目を見開いた後、近寄ってきた。
「よく来た」
「門の通行許可頂戴」
「その件で頼みたいことがある。執務室まで来てくれるか?」
『行っていいかしら?』
『面倒くさい予感しかしませんが、海に行くには仕方がなさそうです』
「分かった」
「じゃあ、ついてきてくれ」
ギルド長に率いられて、執務室に連れていかれる。いわゆるギルドマスターの部屋というやつだ。
考えて見れば入るのは初めてかもしれない。わりと各ギルドの職員スペースには入るのだけれど、マスター室には入ったことがなかった。
見た目は普通に小学校の校長室みたいな感じなので、感動はないけれど。
適当に座るように言われたので、近くにあったソファに座る。
「北の森にヤバい魔物が出たって話は知っているな?」
「一応」
「それでシエルメール嬢に指名依頼を出したい」
「例の魔物の調査?」
「および、可能ならその討伐だ」
指名依頼と言われた時点で、よほどのことがないと拒否はできない。
ただ今回のことは"よほど"のこととして、扱えなくもない。
未知魔物の調査を受けるのにランクはあまり必要ない。
と言うか、指名依頼以外ではまずお目にかからない。なぜなら魔物の強さがわからないから。
下手なハンターに任せて、適当な報告をされるなんてもってのほか。
猪突猛進の上級ハンターに任せるよりも、堅実な下級ハンターにませたほうが得られる情報が多いこともある。
しかし今回はC級パーティが敗走しているという事実がある。
だとしたら、万が一を考えてB級以上に向かわせるか、B級以上の逃げ足がある人物に任せるべきなのだ。しかしシエルの逃げ足はそんなでもない。利点はソロだから身軽だということだけだろう。
つまりランクを逸脱している可能性がある依頼だ。
グレーゾーンなのでこちらが指摘すれば、向こうは折れざるを得ない。
だが、受けなければ北の森に行くために、少し無理をしないといけない。
情報を得ることもできない。シエルもそのあたりはしっかり把握している。
「グレーゾーン、貸し1つ。失敗の時のデメリットなし」
「それで構わない」
「情報頂戴」
ギルド長が教えてくれたのはロビーで聞いた話をより細かくしたものだった。
体高が人の身の丈ほどあり、その爪は木を軽くなぎ倒すのだとか。
どう考えてもB級以上案件だけれど、最悪逃げてもデメリットがないので良いだろう。
北門を通る許可証ももらい用事も済んだので、執務室を後にする。
その時にギルド長が沈痛な面持ちで「頼む」と言っていたけれど、シエルはそちらを見ることなく扉を閉じた。
◇
門を出て少し歩いたところにある北の森。
手前の方には切り株が残っているが、奥に行くと手付かずの自然が残っている。
奥にそびえる山脈には、B級以上の魔物がいるという。だから今更ながら海に行こうと思ったら、ぐるっと迂回するのが正しいと思うのだけれど。
思うのだけれど、どうしてわたし達はこの森を抜けようと思ったのだろうか。
ああ、時間を節約するためだ。早くB級になるために、海は見に行くけれど移動時間は出来るだけ減らそうとしていたのだ。
それにB級の魔物程度ならどうにでもなるし、A級でもなんとかなるんじゃないかなと踏んでいる。
だからわざわざ迂回しなくていいかとなった。その思考から抜け出せていなかったらしい。
そのことをシエルに伝えたら「ギルドに貸しを作っておいても損はないわ」と返ってきた。
確かに今後面倒ごとを押し付けられそうになった時に、貸しがあるとやりやすい。
なんだかんだとハンター組合に良い印象は持っていないけれど、魔法袋をもらうなどしているので貸し借りはないのだろう。
何よりシエルが納得しているならいいか。
シエルが森の中に足を踏み入れて数分。
この森に入ること自体は初めてなので、移動速度は遅め。
まずはパーティが襲われたらしいところに向かっていたのだけれど、なんだか体――魂――の奥がムズムズするような、変な感覚に襲われた。
『シエル止まってもらっていいですか?』
『どうしたの?』
『なんだかソワソワしてしまって……少し体を借りて良いですか?』
『ええ、もちろん』
シエルに体を借りて、改めて自分の状況を確認する。
それは予感。
このソワソワは、例の魔物がいるから引き起こされている。
殺気を向けられているのではなくて、共鳴していると言った方がよさそうだ。
森の奥の方。そこに確かに《それ》はいる。
向こうもこちらに気が付いているのか、近づいてきているような気もする。
『このまままっすぐ奥に向かってください』
シエルに体を返してそう伝える。
『そこにいるのね?』
『《おそらく》』
『探知で確認出来たら、もう一度教えてくれる?』
『わかりました。範囲を広げるので、集中しますね』
結界を維持しつつ、広げられる最大範囲まで探知を広げる。
普通はここまでしないのだけれど、なんだか妙な感じがするので慢心はしない。
A級が相手でもシエルを守り抜けると思っているけれど、万が一があるかもしれない。
シエルが警戒しながら進むこと数十分。とうとう《それ》を探知が捕らえた。
探知魔術から分かる情報はそこまで多くない。色は分からないし、音も聞こえない。目をつぶって、手だけでモノを探っているのに近いといえる。
それでも魔力の扱いに長けたわたしは、循環させている魔力量くらいは分かる。
相手が魔物であれば、その魔力量で持って粗方の強さを判断することができる。
4足歩行の《それ》は、たくさんの配下を引き連れている。100体くらいは居そうな感じ。
感じる魔力は、今まで魔物から感じてきた中では最も大きい。
これまでの最大がB級のサイクロプスなので、B級以上は確実だろう。A級にも届いていそうな気がするけれど、これは判断基準がない。
そして、わたしのソワソワの原因は爪にある。
魔力のようで魔力ではなさそうな《何か》が、その内からにじみ出ている。
魔力をもっと濃密にしたような、上位互換と言えそうな《何か》。
木をやすやすとなぎ倒せたのは、この爪のおかげだろう。
この《何か》の性質がわからないから予想でしかないけれど、大岩なんかも真っ二つにできるだろうし、人なんてひとたまりもなさそうだ。
掠っただけでも大怪我するに違いない。
そしてこの爪は拙い。大いに拙い。想像の域は出ないけれど、わたしの結界を軽く超えてくる可能性があり得る。
そんな凄みを感じる。
『見つけました。手下を100以上引き連れていそうです』
『手下はどうにでもなりそうね。本命はどうかしら?』
『予想でしかないですが、A級は越えそうです。特に爪から魔力のようなものを感じますが、それがかなり危ない感じです。わたしの結界を超えてくるかもしれません』
『それは驚きね。驚きだわ』
『逃げますか?』
『逃げられるかしら?』
幸い距離はある。シエルの逃げ足がウルフ以下と言っても、気が付かれる前ならもちろん逃げられる。この距離で気が付かれていたら、逃げられるかは怪しい。
追ってくるならまず逃げられない。そして多分、あちらにも気づかれている。
『賭になりそうです』
『それなら、待ちましょう。もしかしたら、あっさり倒せるかもしれないもの。
あちらから来てくれるなら、いくらでも準備ができるわ。
それで魔物はこちらに向かってきているのかしら?』
『今はゆっくりですが、まっすぐこちらに来ています』
『じゃあ、準備するわね』
わたし達がそんなやり取りをしている中、魔物は着々と近づいてきていた。
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