第62話 ガンシアとギルド長と条件

「嫌」


 オレの女になれと言い放った少年に、シエルが短く端的に自分の気持ちを返し、カウンターへ向かう。

 少年の伸ばされた指は虚しく何もない場所を指し、その顔は羞恥で真っ赤。

 全身をプルプル震えさせている様は子犬のようだけれど、周囲の視線はそんな可愛らしいものを見るようなものではない。嘲笑、そして可哀そうなものを見る目となっている。


 当然の報いだとは思うけれど、こういう事件が起きるたびにハンターとして中央に行こうとしているのが間違いだったのではないか、と思わずにはいられない。

 シエルはなんとも思ってなさそうなのだけれど、こういう場面に会うたびに、わたしは怒りを抑えるのが大変になるのだから。


 カウンターにつくと、受付の女性が困ったように笑っていた。


「彼、ガンシア君のことは良いの?」

「良い。知らないし」

「でも彼は15歳でD級にまでなった、ノルヴェルでも有望株なのよ。

 D級に上がったのが最近で、調子に乗っているのは確かだけど、腕は確かなんだから」

「そう。それよりも、依頼受け付けて」


『また来ましたよ』


「面倒。受付よろしく」

「あ、あの」


 少年――ガンシアが近づいてきたのでシエルに伝えると、シエルは受付に依頼書とカードを押し付けて大きなため息をついてから、振り返った。

 困惑する受付には悪いが、ランク的にも問題ないので受け付けられるだろう。渡したカードが偽物と思われない限り。


 そう思われないために利用する――せざるを得ない――少年は、声をかける前にシエルが振り返ったせいか、分かりやすく驚いていた。

 その程度でよくシエルを自分の女になどと言えたものだ。


「何の用?」

「お前ソロみたいだな。それならオレのパーティに入れてやるよ。

 いまはE級パーティだが、すぐにD級パーティ、C級パーティにもなってやる。

 そしたら有名パーティまっしぐらだ」

「私の利点は?」

「オレは15歳で、ソロで、D級になったんだぞ?

 今後歴代最速でC級になって、いずれはS級にだって上り詰める。

 そんなオレと同じパーティにいられるだけで、十分メリットだろうが。もちろん金に不自由することもない」


 少年が言っていること自体はあながち間違いではない。

 シエルがおかしいだけで、15歳でD級になれば十分に高ランクである。

 コンスタントに依頼をこなせば、それなりに裕福な暮らしができるし、お金に不自由もしないだろう。


 しかし歴代最速C級は無理だ。何せC級のシエルはいまだに12歳なのだから。

 ソロでC級――わたしが居なくてもC級並みの実力はある――のシエルにとって、彼のパーティに入ることは足手まといが増え、報酬も少なくなる。


「私はC級。貴方は足手まとい」

「はあ? お前みたいなちんちくりんがC級だって?」

「判断は任せる。少なくとも貴方と行動しようとは思わない」


 いきなり「オレの女にしてやる」なんていう人とであれば、例え高ランクハンターであっても願い下げだ。特にシエルが靡くのはあり得ない。

 シエルに軽く受け流されているせいか、「嬢ちゃんもっと言ってやれ」とか「坊主情けないぞ」みたいな声が聞こえてくる。人数が少ないので誰が言っているのかはすぐにわかるけれど、覚えておく必要もないだろう。


 問題は目の前の少年だ。言いたい放題言われている少年のプライドはズタズタになったこと自体は、むしろ清々しいまであるけれど、逆上されると甚だ面倒くさい。

 体を戦慄かせたかと思うと、キッとこちらを睨んでくるし。


「C級って言うならオレと戦え。オレが勝ったら、オレの女として一生オレに尽くせ」

「無駄……いえ、貴方が負けたら全財産。そのあと、ギルドを辞めて」

「なんでそうなるんだよ」

「人生には人生を。あとは上級ハンターに絡んできた迷惑料」


 驚いた少年に、シエルが淡々と告げる。

 迷惑料も彼の人生も、シエルにしてみたら興味がないと思うのだけれど、受けたということは何かしらやりたいことでもあるのだろう。

 出来ればわたしも直々にぼこぼこにしてやりたいのだけれど、いかんせんわたしでは何もできない。結界頼りですべての攻撃を受けて、ナイフでグサリとかならできるけれど。いくら攻撃してもダメージが与えられず、少しずつ刃が近づいてくる様はさぞ恐怖だろうけれど。


 今回はシエルが自分の意志で受けたものだ。

 シエルの考えに従おう。


『何をする気ですか?』

『折角だから、剣を使っての対人戦をしてみたくて。

 D級と言ったら、ウルフと同じくらいだもの。レベル的にはちょうどいいと思うのよ』


 シエルの気持ちもわかる。ノルヴェルに来るまでの間にウルフ相手に嫌というほど戦ったけれど、剣を使っての対人戦はしたことがない。

 こちらに向かってくるだけの獣と知能を持った人では感覚は違うだろうし、そもそも剣を持つ理由としては不意な対人戦を考慮してだ。


 ただシエルが剣で戦うとなれば、当然舞姫的な戦い方になる。

 言い換えれば舞姫バレの危険性が出てくるわけだ。


『駄目かしら?』


 わたしが考え込んでしまったせいか、シエルが不安そうに尋ねる。


『シエルの舞姫がバレそうだなと思いましたが、剣舞士と勘違いされる可能性のほうが高そうですね。

 だから大丈夫だと思います』

『確かにその危険性があるわ。止めたほうが良いかしら?』

『むしろ剣は対人戦のために使うものですから、経験しておいたほうが良いでしょう。

 っと、話をしている間に誰か来たみたいですね』


 ハンター組合の奥の方、つまり職員側から人がやってくるのがわかったので黙る。

 シエルも何となく分かったのか、そちらに意識を向けた。

 やってきたのは筋骨隆々の壮年の男性。髪はなくどことなく苦労していそうな雰囲気がある。

 強面だけれど、実は周りに気を使うタイプっぽい。


 男性は「その話、ちょっと待て」と焦ったように待ったをかけた。

 少年は男性の登場に驚き「ギルド長」と声を上げる。


 やはりギルドのトップか。

 この少年はここのホープだろうし、おそらくシエルの事も知っているのだろう。

 少年が潰されてしまうのは、男性にとってはよろしくないわけだ。


「シエルメール嬢。うちのガンシアが失礼した」

「私のこと調べたんだね。仕方はないけれど」

「そう言ってくれると助かる。事の経緯も把握しているが、ガンシアが全面的に悪い」

「何でなんですか、ギルド長!」


 少年はギルド長にだいぶ目をかけてもらっていたらしい。

 仮にも組織のトップに食って掛かれるのだから、普段から似たようなことをしているのだろう。

 甘やかされていた、と言えなくもないだろうけれど。少なくとも今回は甘やかす様子はなく、ギルド長は少年を叱るように応える。


「お前はいきなり『オレの女になれ』と言うことが、普通だと思っているわけだな?」

「それは……酒に酔っていたからで……」

「酒が飲めるようになったから、酒場で騒ぎたくなる気持ちもわからなくはない。

 俺にも覚えがあるからな」

「だったら!」

「だが、酒を飲んだからって、何をやっても良いわけではない。

 仮にお前が絡んでいったのが、他の上級ハンターだった場合、お前はすでに大怪我を負っていたかもしれないんだが、その辺はどう考えているんだ?」


 二人で話し始めてしまったので、シエルが暇をしている。

 もうどこかに行っていいかみたいな雰囲気を出しているし、ふわっとあくびも漏らしている。

『いっそ、ギルド長が来ない方がよかったわね』という話には同感だ。


「でも……こいつはよくてE級だろ? 上級ハンターなら勘違いさせる方が悪い」

「下級ハンターなら問題ないみたいな言い分だな。新人潰しを許した覚えはないが……と言うか、ランクが上なら何でも許されるなら、シエルメール嬢がどんな格好をしていてもお前が文句言っていいはずがない。

 万が一ハンターですらなかったら、住人との関係が悪化するだろうな。責任とれるか?」


 少年の覇気がどんどんなくなり、今はとても小さく見える。

 たぶん前世のわたしよりも身長が高いはずなのだけれど。

 それはそれとして、このままだと「こいつのこと許してやってくれねえか」みたいな流れにならないだろうか。わたしは全くそんな気はないのだけれど。


『ねえ、エイン』

『どうしました?』

『こういう時って、許してしまったほうが良いのかしら?』

『わたし的には、シエルに「オレの女になれ」っていったあたりから許す気にはなっていませんが、シエルが許したいのであればそれでもいいと思います。

 無条件で許すと現状を見守っているハンターに舐められそうなので、最低限ガンシアさんからとれるものはとっておくべきだとも思いますが』

『わかったわ。ありがとう』


 はて、なぜシエルはお礼を言うのだろうか。

 そして許すのか許さないのか、よくわからない回答が返ってきてしまった。

 そう思っていたら、シエルがギルド長に声をかけた。


「それでどうするの? 許す気はないけど」

「本来これは、ハンター同士の諍いだからな。原則ギルドは介入しない。

 だがこれでも、将来有望なハンターだ。失うのは惜しい。だから勝負するのは止めないが、条件は変えさせてくれ」

「つまり彼の肩を持つ? 私のこと調べたって言ってたけど」


 シエルの発言にギルド長が苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 シエルのことを調べたのであれば、ギルドへの貢献と同時にギルドがシエルにしてきたことを知っているはず。

 この調停は少年を救うためのもので、こちらにしてみればギルド側からまた迷惑をかけられたものだと言える。


 そりゃあ、苦虫を噛みつぶしたくもなるだろう。

 こうしなければこのギルドは、有望な新人をなくすことになる。あちらこちらをフラフラしているわたし達と違って、今後ギルドの大きな戦力になるのだろう。

 組織のトップも大変だ。


 残念ながらそれは、わたしが許す理由にはならないけれど。

 ハンター組合というのは、いくら困っていることを解決してあげても、わたし達に迷惑しか持ってこないらしい。


「私が勝ったら彼の降格、私がB級になるための残りの条件」

「……わかった」

「ギルド長。何勝手に決めてるんだよ」

「シエルメール嬢が負けたら、1年間ノルヴェルを活動拠点にしてもらう」

「それで。勝負は戦闘不能か降伏のみ」


 ギルド長としては、飲まざるを得ないだろう。

 そうしないと、少年はギルドを辞めることになるだろうから。これがこちらの妥協点であり、また条件を変えてほしいと言われれば、シエルはそれを突っぱねて最初の条件で戦うだろう。

 それが分かっていないのか、少年は「ちょっと待てよ」と騒ぎ出した。

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