閑話 シエルと嫉妬 ※シエル視点
王都にきて攫われそうになったり、依頼を受けて植物が髪飾りになったりといろいろなことがあった。
中でもハンター組合との確執はエインに頼りきりだったように思う。
だけれど、あれはエインが居なければ曖昧なままはぐらかされていただろう。
いや、もしかすると王都で暴れていたかもしれない。
何せエインが歌姫だったから大きくなった問題だから。
特に歌姫だからとエインを殺そうとしたアレは、ファニードの下で生まれてきたことを後悔するような扱いを受ければいい。
できれば私の手で決着をつけたかったけれど、エインが言っていた通り貴族が絡むと時間がかかりそうだから仕方がない。
具体的にどう時間がかかるのかはよくわからないけれど、エインが言うからそうに違いない。
だけれど、エインの話を聞く限り、ハンター組合でランクを上げて国を出るよりも、裏社会で名前を売って国を出たほうが早そうだ。
そうしない理由は、さすがに私でもわかるけれど。
◇
さて、今何をしているかだけれど、私は何もしていない。
体はエインが使っているので、それこそ思考することしかできない。
私からなら主導権を強引に得ることができるのだけれど、それをするつもりはまったくと言っていいほどない。
むしろ、もっとエインは好きなように生きて良いと思うのだけれど。
私に遠慮して、私の好きにさせてくれているのは分かるけれど、それでは私の気が済まない。
エインは私の人生だからというけれど、私の人生はエインが居てからこそ。
エインが居なければ終わっていた人生なのだから、もっとわがままを言ってほしい。
あまりエインが良い子過ぎると、なかなかエインを困らせられなくなってしまう。
良い子だからこそ、困らせたくなるのかもしれないけれど。
中にはエインが良い子だと――私が"子"をつけるのはおかしいのだけれど――感じない人もいるかもしれないけれど、そんなことは私には関係ない。
誰が何と言おうと、エインは良い子なのだ。優しい人なのだ。
そんなエインが今は、目の前のビビアナを無視して延々と歌い続けている。
伸びやかに、涼やかに、明るく、暗く、悲しく、楽しく……無秩序に歌われるそれは、それだけエインが気ままに歌っているわけで、そんなエインを見るのが私はとてもうれしい。
回路を拡張されているビビアナが、息荒くくすぐったさから耐えている。
それでも私はエインを止めない。
正確には3回くらい声をかけてみたのだけれど、反応がなかったのだ。
歌い始めて割とすぐのことだったから、数時間はエインが歌っているのを聞いていた。
でも途中で止めておけばよかったと、あとになってみて思った。
◇
日が暮れて宿の中が魔道具の明かりで照らされるようになって少ししたところで、エインが歌うのを止めた。
くすぐったさに耐え続けて、息も絶え絶えになっているビビアナを見つけたエインが、きょとんとした顔をして大丈夫かどうか尋ねる。
あたりが暗くなっていることには気が付いてもよさそうなのに、それにも気が付かないエインがなんだか可愛いらしい。
『どうしたんでしょう?』とエインが尋ねてくるので、外を見てほしいとちょっと意地悪に言ってみた。
すぐに状況が分かったのか、エインは目を丸くしたけれど、たまにはこういう日があってもいいんじゃないかと私は思う。
居住まいを正したビビアナとエインが話し始めたところで、今日はこれで終わりかなと思っていたのだけれど、ふいにエインが「お風呂に入っていきますか?」なんて尋ねた。
これ自体はエインの優しさから出た言葉。せっせとお風呂を沸かすエインは、働き者だななんてのんきに考えていた。
だけれど、準備が終わった後エインが部屋で待っていようとしたのに、ビビアナがエインを捕まえてしまった。
◇
考えてみるとこうやって、誰かに抱かれるという経験はしたことがあっただろうか。
少なくとも、素肌同士を合わせたことはない。
自分の手を触ったことはあるし、エインを困らせるときに自分の胸を揉んだこともある。
だから人が柔らかいことは知っていた。だけれど、他人もこんなに柔らかかったのかというのは、初めて知った。
温かいと言うのは初めて知った。
心地よいと感じると初めて知った。
でも、心許せるわけではない。何せエインが警戒を解かないから。
とは言え、初めてはエインに教えてほしかった。それが無理なのはわかっているけれど。
私は無理なのに、ビビアナはエインに触れることができる。そう考えるとなんだかもやもやしてくる。
きっと表に出ていたら、不機嫌が顔に出ていただろう。
そう思っていたら、ビビアナがエインに「なぜ頑張れるのか」なんてことを訊いていた。
『それこそシエルがいるからですけどね』
エインが迷うことなく即答する。
それは、それは、本当にずるいと思う。
もやもやしていたのに、それだけで心が晴れそうな感じがして、それがなんだか解せなくて。
気が付けば、声にならない音を発していた。
しばらくして落ち着いて、2人の話に耳を傾けているとどうやらエインのことを心配してお風呂に連れ込んだらしい。
こうやって慰めることは私にはできないから、優しいエインの精神に負担をかけていることは分かっている。
それを癒そうとしてくれるのは嬉しいけれど、ビビアナではエインには不足であるというのも何となく嬉しく感じてしまう。
やっぱり私は悪い子なのだ。
エインが安らいでくれるならそれが一番のはずなのに、その役目は私でないといけないと考えてしまう。
いまだってビビアナが羨ましくてたまらない。
それがなんだか我慢できなくなって、でも本当にエインを困らせてしまわないようにビビアナが帰るまでは必死で黙っていた。
だからだろうか、2人だけになったと確認できたところで『ずるいわ、ずるいわ』と口から出ていた。
私は必死だったのになぜかエインは笑っていて『酷いわ、ずっと我慢していたのに』と拗ねてみる。
『すみません。何がずるいんですか?』
『お風呂に入っていたことよ』
『代わればよかったですね。気が利かなくてごめんなさい』
エインは謝るけれど、私が言いたいのはそういう事ではない。
『違うのよ。そっちじゃないのよ』
『えっと、どういうことですか?』
『ビビアナがエインと一緒にお風呂に入ったことが、ずるいのよ。
私だってエインと一緒に入りたいのに』
私が伝えるとエインは納得したのか『あー……』と言葉を濁す。
『それは、難しそうですね』
『わかっているわ。わかっているのよ。でも、羨ましいの』
頭では難しいことは分かっている。もしかしたら、一生かかっても実現できないかもしれないことくらい、頭では分かっているのだ。
だけれど、それを飲み込めるかと言われたら、私はそこまで大人ではない。
大人でありたいとも思わない。
でも、いつまでも拗ねていたら、エインに嫌われてしまうかもしれないから、次の言葉を話すときには機嫌を治そう。
そう思っていたら、心臓がトクンと跳ねた。
すぐにエインは首を振って、誤魔化すように話し出す。
『もしも、シエルと顔を合わせて話すことが出来るようなったら、その時には一緒にお風呂に入りましょうか。
何だったら、洗いっことかもしても良いかもしれませんね』
なぜエインの心臓がはねたのか、なぜ誤魔化すように首を振ったのか。
いくらでも想像できるけれど、それはなんだか私の機嫌を直すのに十分な情報だった。
それに、エインの提案の何と魅力的なことか。
『ふふ、それは楽しみね。約束よ』
思わず出てしまった笑いとともに、エインに約束を取り付ける。
海に行った後、B級になった後、国から逃げ出した後。私はエインと一緒にいられるなら何でもよかったのだけれど、1つだけ目指すべきものができた。
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