第60話 王都とパシリと別れ

 剣というのは意外と扱いに困るもので、手に持っていいのか、背負っておけばいいのか、腰に吊っていればいいのか、どれがいいのか分からない。

 シエルは魔術師なので、常に身につけておく必要もない。

 最終的に持っている魔法袋に入れてみたら、普通に入ってくれた。

 背負い袋ほどだと聞いたので、長さ的に難しいと思っていたけれど、どうやら体積の問題らしい。


 だとすると、細身の剣であったことも、一役買っているだろう。


 シャッスさん達が訪ねてくるのを待つために宿に戻った後、シエルがぽつりと「歌姫ってだけで、あんなに人って変わるのね」と呟いた。

 思わず口に出てしまったような、感情があまり乗っていない声が、とても冷たく感じてしまって何も言えなくなる。

 あまりにわたしが何も言わなかったせいか、シエルが心配そうに声をかけてくれる。


「エイン、どうかしたの?」

『いえ、歌姫だとバレてシエルが邪険にされるなら、いっそ職業不明にして、酒場などで歌わないようにした方が良いのかな、と思いまして』

「でも、エインは人前で歌うのが好きよね?

 以前、自分の歌でお金がもらえるのが嬉しい、って言っていたし、歌っているエインはとても楽しそうだもの」

『ですが、シエルが嫌な思いをしますよ?

 それに歌っていると、結界が甘くなってしまうみたいですから、シエルを守れないかもしれません』

「それはないわ。だってエインは優秀だもの」


 なぜだかシエルに誉められた。


「例え制御が甘くなったとしても、エインの結界が簡単に破られるわけないのよ。

 だから心配することはないの」


 シエルはそこまで言うと、猫のように目を細めた。

 それから小さい唇から紡ぎだされる言葉が、わたしの耳をくすぐる。


「それにね、エインはとっても可愛いのよ?」

『そ、それはシエルの見た目のおかげですよね?』

「そういう事じゃなくてね。エインという人が可愛いの。

 見た目の問題じゃないの」

『えっと、その……そうですか』


 今度は真剣に可愛いと言われて、どう反応して良いか分からなくなる。

 何というか、どうにもこうにも、照れてしまう。そう感じてしまったことに、驚愕した。


 照れたという事は、わたしは可愛いと言われて、喜んでいるのだろうか。

 かなり女性に染まったとは自覚していたけれど、可愛いと言われて嬉しいと感じるほど、内側まで変わってしまったのだろうか。嫌ではないけれど、なんとも言えないもやもやが胸に渦巻く。

 いや、シエルの言う可愛いとは好意的な言葉と言うだけで、シエルに好意を向けられているから嬉しいのだ。前世で女の子たちが何かにつけて、可愛いというように、悪しく思っていないみたいな感じに違いない。

 だからたぶん、前世でシエルほどの美少女に可愛いと言われても、嬉しく感じるはずだ。想像してみて、苦笑がこみ上げてきたけれど、きっと気のせいだろう。そういうことになった。


 一人で思考を巡らせていたら、シエルが母性すら感じさせるような、穏やかな表情をしていた。


「でもね、エインが一番可愛いときは、歌っているときなのよ。

 だから歌わない方が良いなんて、思っては駄目よ。

 エインが歌っているときは、わたしがエインを守るもの」


 どこか力強さすら感じるシエルの言葉に、わたしは『はい、わかりました』としか返せなかった。



 これでは、どちらが年上なのか分からないなと思うやりとりも束の間、扉がノックされてシャッスさん達がやってきたことを告げられた。

 もうこの宿に泊まるつもりはないので、荷物をすべて持って、受付に向かう。

 部屋までくればよかったのにと思ったけれど、女の子一人の部屋に男性が来ることを避けたのか。


 受付前で待っていたのは、シャッスさんとビビアナさんの2人だけだった。

 全員で待たれていても、別に話すこともないので良いのだけれど。


 今日はわたしが表に出ていないので、対応するのはシエルになる。


「お待たせ」

「いえ、大丈夫よ」


 ぶっきらぼうなシエルの言葉に、ビビアナさんが気にしていない様子で答える。


「今回の件はこちらの……と言うより、ハンター組合の不手際が問題だから、シエルメールが気にする必要はないよ。

 むしろ、時間を取らせたのは、こちらだからね」


 シャッスさんがやけに丁寧なのは性格故か、それとも今回の件が大事になったために、機嫌を損ねないようにしているのか。

 どちらであっても、相応の代価はもらうつもりではあるけれど。


 受付で部屋を引き払うことを伝えて、宿の前で話すことでもないので移動する。

 連れて行かれたのは、住宅区に建っている小さめの家。

 シャッスさんは、いちいち確かめながら、家の鍵を開けて中に入っていく。

 簡素な家だけれど、2つあるソファとテーブルだけは、なんだか高そうな作りをしている。


「ここは?」


 シエルが警戒をにじませた声で尋ねる。


「ハンター組合の所有している建物の1つ。特別な事情から公には動けず、それでも話をしないといけないときに使われる建物……かな。

 許可が下りないと使えないけれど、今回は簡単に許可が出たよ」

「そう。どうなったの?」


 相変わらず、シエルは他人に興味がないなと思うけれど、逆に言えばわたしにだけは好意を見せてくれると言うことで、嬉しくもある。

 喜んでいいわけではないけれど。


 シエルにはちゃんとした友達を作ってもらいたい。


 シャッスさん達は、シエルがプライベート用の話し方だと認識してくれているのか、シエルの話し方に疑問は持っていないようで、それはよかった。


「まずギルドマスターは、一定金額を払い終えるまで奴隷落ち。払い終えたらハンター組合の下働きになるか、辞めるかになる。

 昨日の事が立証できれば、また違ったんだけど、さすがに時間がなかったよ。とりあえず、次のギルドマスターが来るまでは、奴隷としてそのまま働かせることになった。

 それから、財産はすべて没収。規定額から財産分は差し引いているけれど、すぐに罰金なんかを払い終えることはないね。


 例の貴族には、ハンター組合として抗議を入れているけれど、すぐにどうなるものでもない」


 まじめに話すシャッスさんに、今度はビビアナさんが続けて話す。


「トルトは財産を没収の上、ハンター組合を解雇。

 しばらくは監視をつけられて、下手なことをしないと認められたら、監視が解かれるわ。監視中に職業を悪用しようとした場合は、最悪その場で首を切られる。

 昨日襲ってきた10人は、全員が降格処分ね」


 今まで結構な人が、シエルに関わって降格してきたけれど、追加で10人ともなれば、いっそう二つ名にされそうで怖い。

 シエルは全く興味がなさそうに、ふうんと言った目をしているけれど。


「私には?」

「シエルメールには、王都ギルドが所有している中で2番目の大きい魔法袋と、王都ギルド内での安全」

「ギルド内……ね」


 シエルが少し不機嫌になって、シャッスさんの言葉を繰り返す。

 シャッスさんは、焦ったように話を続けた。


「その代わり、王都がスタンピードに巻き込まれた時に、シエルメールが強制的に戦わせられることは無くなったよ。

 貴族の関与は認められたから、安全のためと表向きには説明されているけれど。

 スタンピードが起こったら、騎士団長が出てこないわけないからね。一度命を狙われている人と一緒に仕事はできないというのは分かるし、下手したら指揮下に加わることになる。

 だから認められたと言っていいかな」


『こればかりは仕方がないですね。ギルドが関知できない場所でのトラブルには、さすがに保証はできないでしょうし。

 スタンピードで働かなくて良いと言うのが採用されただけ良かったとしましょう』

『エインがそういうなら、仕方ないわね。

 魔法袋をもらえれば良いものね』


「じゃあ、シャッス。買い物に行ってきて」


 シエルは言うやいなや、不要の紙を取りだして、寝袋など今日からの旅で必要な物を書き出した。

 すべて書き終わったとこで、お金も出して、シャッスさんに渡す。


「えっと……」

「安全が守られないとなれば当然よ。諦めなさい」

「さっき、武器屋でも怪しまれた」


 困った表情のシャッスさんの肩に、ビビアナさんが手を置いて、シエルがさっきあったことを伝える。脈絡がないわけではないけれど、さすがに会話を省略しすぎだ。ビビアナさんは理解してくれているようでよかった。

 シャッスさんは諦めたように首を振ると、「ビビアナはついてきてくれるの?」と尋ねる。


「嫌よ。私は私でシエルメールに用事があるって言ったでしょう?」


 ビビアナさんに拒否されて、シャッスさんが捨てられた子犬のような目をする。


「じゃあ、買った物を入れるから、今から渡す予定だった魔法袋は持って行っていいかい?」

「それくらいなら」

「それじゃあ、行ってくるよ。行き違いになっても困るから、戻ってくるまでここで待ってて」


 一人寂しく出て行くシャッスさんに、ビビアナさんが「はいはい、行ってらっしゃい」と適当に送り出す。

 どちらがリーダーなのか、わかったものではないが、わたしが気にするのも野暮だろう。

 むしろ、愚者の集いにおいて、リーダーとは面倒臭い仕事が増えると認識しているのかもしれない。


「私に用事って?」

「紹介状を書いてきたのよ。後は昨日のお礼かしら。

 紹介状は魔法袋に入れておいた方がいいわね。封蝋をしているから、誤って開くと無効になるわ」

「わかった」


 シエルは紹介状を受け取ると、財布代わりにしている魔法袋にそれを入れる。

 細剣も入っているので、そろそろ容量限界だと思うのだけれど、手紙程度なら問題なく入った。


「それから、昨日はありがとう。試しに魔術を使ってみたら、威力が桁違いだったわ。

 それだけ使い勝手は変わったけれど、そっちは今後何とかできそうよ」

「そ。よかった」

「ええ、本当にありがとう。碌にお返しできず、ごめんなさい」


 ビビアナさんが頭を下げるけれど、シエルは気にするなとばかりに首を左右に振る。

 それからは、ぽつりぽつりとビビアナさんと話をしながら、シャッスさんが帰ってくるのを待っていた。



 シャッスさんが戻ってきたあと、ちゃんとすべて買ってきたのかをビビアナさんが確認して、魔法袋が本物かも確認を終えて、北へと続く門についたとき、太陽はだいぶ傾いていた。

 時間的には前世の15時くらいの感覚だろうか。1日が終わるまでには、まだ時間はあるけれど、新しく何か始めるには、少し遅く感じる。


 だから、見送りにきたビビアナさんとシャッスさんに、出発は明日にしてはどうかと訊かれた。

 それに対して、シエルは「大丈夫」としか応えなかったけれど、それ以上はなにも言われない。


「それじゃあね」

「ああ、また」

「ええ、またね」


 シエルの短い挨拶に、シャッスさんとビビアナさんがそれぞれ応える。

 こう言うとき、感動的な別れのシーンを想像してしまうけれど、明日には知り合いが死んでいるかもしれないハンターの世界においては、サラッと済ませることは珍しくない。


 シエルはそのまま振り返ることもなく、新天地を目指した。

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