第59話 お風呂と嫉妬と武器屋
「やっぱり子供って温かいわね」
「そうですか」
「あら、怒らないのね」
「子供であることは自覚していますからね」
ビビアナさんの後から浴室に入って、体を洗ったら、なぜかビビアナさんに捕まった。
現在、湯船の中で後ろから抱き着かれている状況になる。
人肌って落ち着くんだなと思うと同時に、この態勢は警戒せずにはいられない。殺そうと思えば、素手でも殺せる距離だから。
「こんな状態なのに、警戒は解いてくれないのね」
「むしろこの状態を許す程度には、気を許していると思ってください」
「そうかもしれないわね。
どうしてシエルメールは一人でそこまで頑張るのかしら?」
『それこそシエルがいるからですけどね』
シエルにだけ聞こえるように即答してから考えるふりをする。
ビビアナさんにはどう返そうかなと思案している間、シエルは『んー、むー……』と悩ましげな声をあげているのだけれど、どうしたのだろうか。
「1秒でも早く、この国から逃げ出したいからです」
「逃げる理由があるのね?」
「ノーコメントです。
そういうビビアナさんは、どうしてわたしとお風呂に入ろうと思ったんですか?」
「……」
わたしの問いに、ビビアナさんはしばらく黙っていたかと思うと、呆れたようにため息をついた。
「貴女が無理をしていないか、無理をしているなら話でも聞いてあげたら多少楽になるんじゃないかと思ったからよ」
なるほど、カウンセリングをするつもりだったのか。
お風呂でする必要はないと思うけれど、ちょうどいい機会だったのだろう。
考えて見れば、12歳が体験するにはあまりにもハードな数日だったように思う。
「特に今日は、明確に人から殺意を向けられていたでしょう?
魔物が相手だと大丈夫な人でも、人からの殺意には耐えられない事もあるのよ」
「確かにそれはありそうですね。
魔物を相手にするのは基本的に壁の外。心構えができますが、人が相手となると今まで安全だと思っていた町中でも、起こり得るわけですからね。下手すると神経衰弱になりそうです」
「でも貴女はそうでもないみたいね。
ただでさえ、ギルドマスターを相手にやりあって、精神的に疲れてそうなのに」
「それはもう慣れです。としか言いようがないですね」
「……」
軽くはない話をしているのは分かるのだけれど、急に黙るのはやめてほしい。
この位置からだと、ビビアナさんの顔が見えないので、何を考えているのか全く分からなくなる。
「のぼせる前に上がりましょうか?」
「そうね」
わたしから動かないと、ビビアナさんが動けないので、先に上がってタオルで体を拭く。
あとから出てきたビビアナさんの顔が沈んでいて、なんだか気まずい感じなので、あえて空気を読まずに話しかけることにした。
「ビビアナさんは、歌姫のわたしを気にかけてくれるんですね」
「それはっ」
ビビアナさんは聡く反応したけれど、どう話していいのかわからなかったのか、言いよどむ。
時間にしては数秒もたっていないだろうけれど、仕切り直して話し始めた。
「それは、職業は関係ないわ。むしろ私達は、不遇職でありながら、その年齢でC級になった貴女のことを尊敬すらしているのよ。
だから、少しでも力になりたかったのよ。余計なお世話みたいだったけれど」
「そうですね」
わたしが肯定すると、ビビアナさんが気まずそうに目をそらす。
「ビビアナさんの気持ちは嬉しく思います。
ですが、わたしはまだ、それを受け入れられるだけの余裕がありません。
何せ出会ってまだ数日ですから」
カロルさんとかセリアさんに対して、それなりに気を許しているのは、何か月も一緒にいたから。彼女たちのことを、それなりに知ることができたからだ。
それでも、すべて話すのには抵抗がある。すべて話さないのは、リスペルギア公爵のいる国の中だから、というのもあるけれど。
ビビアナさんは、何かに気が付いたかのようにハッと表情を変える。
「そうね。気が早かったかもしれないわね」
「ですがもし、1つだけお世話をしてくれるなら、万が一わたしが王都のスタンピードに巻き込まれても、戦わなくていいように許可をもらってほしいです」
「今日の件も含めて、報告させてもらうわ。出来れば参戦してほしいけれど、仕方ないわね。
今日は迷惑をかけたわ。それと、ありがとう」
着替えも終わったので、ビビアナさんが外への扉に向かう。
その背中に「また明日お会いしましょう」と声をかけると、ビビアナさんはこちらを向いて「明日ね」と手を振って出て行った。
終わった終わった、と背伸びをしていたら、ふいに『ずるいわ、ずるいわ』とシエルの声が聞こえてきた。
さっきまで真面目な話をしていたのもあって、その落差で思わず笑ってしまう。
それに対して、シエルが『酷いわ、ずっと我慢していたのに』と拗ねたような声で返した。
『すみません。何がずるいんですか?』
『お風呂に入っていたことよ』
『代わればよかったですね。気が利かなくてごめんなさい』
シエルにしてみれば、あんな風に人と触れ合うなんてことはなかったのだ。
結界で守られているのだから、警戒はわたしがしておいて、シエルに代わって置くべきだったかもしれない。
しかしシエルはそうではないと声を上げる。
『違うのよ。そっちじゃないのよ』
『えっと、どういうことですか?』
『ビビアナがエインと一緒にお風呂に入ったことが、ずるいのよ。
私だってエインと一緒に入りたいのに』
『あー……それは、難しそうですね』
『わかっているわ。わかっているのよ。でも、羨ましいの』
そもそも、いつも一緒に入っているようなものだと思うのだけれど。
しかし、シエルが騒ぐということは、そう言う事ではないのだろう。
わたしは客観的にシエルを見ることが出来るけれど、シエルはそうではない。
その違いかと思いつつ、さっきのお風呂でのことをビビアナさんとシエルを入れ替えて考えてみる。
とはいっても、シエルがビビアナさんと同じような行動をとるかと言われたら、まずそんなことはないだろう。
シエルはもっとコロコロ表情を変えるし、ちょっとしたことで笑ってくれる。
もしかして、顔を合わせているからこそ、見せてくれる表情もあるのだろうか。
それはきっと、この上なく可愛らしくて……。そんなことを考えていると、心臓がトクンと鳴った。
必死で頭を振ってから、わたしは誤魔化すようにシエルに話しかける。
『もしも、シエルと顔を合わせて話すことが出来るようなったら、その時には一緒にお風呂に入りましょうか。
何だったら、洗いっことかもしても良いかもしれませんね』
『ふふ、それは楽しみね。約束よ』
どうやらシエルの機嫌は治ったらしい。
ホッと息をついて、シエルに体を返した。
「さてエイン。明日はどうしようかしら」
『朝は剣を取りに行って、午後にシャッスさん達に会って、王都を出るんじゃないですか?』
「明日はきっと、魔法袋が貰えるでしょう?
そうしたら、旅道具をいくつか買ってみても良いと思うのよ」
『寝袋とか買ってみても良いかもしれませんね。
保存食も多めに買っておきましょうか』
シエルが眠るまで、そんな話をしていた。
◇
朝、日が顔を出してからしばらくしたところで、シエルはいつかの武器屋までやってきた。
お店で対応しているのは、相変わらず奥さんらしき女性で、シエルを見るなり訝しげな視線を向けてきた。
「いつかのお嬢ちゃんだね。剣は出来てるよ」
「そう、それなら頂戴」
「その前に旦那に会ってくれるかい? 場合によっては、あんたに剣は売れない」
「……分かった」
女性が奥に入っていくのをシエルが睨みつけるので、『シエル』と名前を呼んで窘める。
歌姫バレをして2日。箝口令を敷こうとも、噂は届いているという事だろう。「白髪の少女が歌姫」これだけで、十分シエルに行き着くはずだ。
さて、現れた男性に、どんなことを言われるのか。
前に来たときには眠たげな印象があったけれど、今日はなんだか視線が鋭い。
「あんたか。剣舞用の剣だったよな。一度振ってみてくれないか?」
『振った方がいいかしら?』
『ここで変に突っかかっても時間の無駄ですから、言うとおりにしましょうか』
『エインは歌ってくれる?』
『シエルが何度か試してみてからなら、喜んで』
「分かった。どこでやればいい?」
「裏に庭があるから、そこでやってくれ」
武器屋の男性の後について、裏庭に行くと藁を人型に纏めた案山子みたいなモノがあった。
「あれに向かって振ってみてくれ」
男性に言われて、持ち手に装飾が施された細身の剣を渡される。
シエルはそれを受け取ると、鞘を地面において、剣を構えた。
両手で正面に構えるのではなくて、片手で持って半分身体を引いたような状態。そこから、一気に藁人形に距離を詰める。
タン・タン・タンとリズムよく近づいて、同じリズムで剣を斬・斬と両手首に当たる場所に向かって、切り上げて、振り下ろす。
最後に蹴りを入れて、その勢いで後方に飛び退いた。
これで一つの流れ。
続いてシエルは何度か剣を握り直し、最終的に正面に構えた。
それから、二呼吸で踏み込み、首や腕にあたる部分を切りつけて、一呼吸で戻ってくる。
蝶のように舞い蜂のように刺す、と言うのにはあまりにも動きがぎこちないけれど、さすがに舞姫だけでそこまでの効果があるわけがないのだ。
剣だけで戦った場合、ペルラにも劣るだろう。
シエルの試運転も終わったと思うので、試しに一曲歌ってみる。
先ほどまでのシエルの動きにあうようなリズムの曲で良いだろう。
多少違っても、シエルがあわせてくれるから厳密ではないけれど。
わたしの歌にあわせて、シエルが剣を振るい出す。
やっていることは先ほどまでとあまり変わらないけど、ぎこちなさが抜けて、動きと動きが自然に流れるようになった。
また威力自体もあがっていて、表面を切られるだけだった藁の人形は、気が付けば原形をとどめないほどにズタズタだ。
終わったところで、シエルが男性をじっと見る。
武器屋の男性は、気まずそうにシエルを見ていたかと思うと、目をそらし「合格だ」と
シエルは「そう」と短く言うと、鞘を拾ってお店に戻り、残りのお金を支払ってから、何か言われる前に武器屋を後にした。
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