第17話 結界と怒りと魔法陣

 突然話に入ってきたのは、杖を持ち片眼鏡をかけて、ゆったりとした服の上にローブを羽織った、いかにも魔術師ですと言わんばかりの妙齢の女性。

 スキンヘッドは、彼女の姿を確認するとばつが悪そうに舌打ちをした。


「ワタシが試験官も務めるから、セリアもそれでいいわね?」

「カロル、お願いしていい?」

「貸し1よ。と言いたいところだけれど、今回は少々のわがままで貸し借りなしってことで、どう?」

「ハンター1日目の子を無事に帰してくれるならね」

「そこを心配するのは、彼女……えっと、何とかちゃんのことを疑っているってことになるわよ?」


『なんだか、私たち蚊帳の外になってしまったわ』

『当事者のはずなんですけど、一瞥もありませんね。スキンヘッドの様子を見る限り、あとから来た女性――カロルさんのランクが高いんでしょう。

 わたし達も下手に口を出さないほうが良いかもしれません。たぶん、悪いようにはならないでしょうし』

『口出す必要はなさそうだものね。

 そういえば、エインが言っていたお約束っていうのは、こっちだったのね。なんで私が絡まれたのかしら?』

『端的に言えば、弱そうだからでしょう。子供というだけで、大人から見れば弱そうに見えるものです』

『体の大きさはどうしようもないものね』


 意図せず黙っている時間ができたので、少しシエルと話していたのだけれど、意外とシエルは怒っていない。それはわたしにも言えるのだけれど、わたしの場合テンプレに鉢合わせたという感動と、本当にこんなのがいるのかという呆れが大きくて、怒る気になれないのだ。

 シエルも似たようなものかもしれないけれど、感動ではなくて、人間観察をしているだけかもしれない。


 怒っていないからと言って報復しないわけではないので、出来れば圧勝して、今後絡まれる可能性を少しでも下げておきたい。

 あとは、ハンターの強さを知るいい機会でもある。

 話が一段落したのか、カロルさんのほうが、わたし達に近づいてきた。


「というわけで、ワタシが仕切るわ。

 試験のルールは簡単。何とかちゃんとアレホが戦って、勝負の内容次第で、彼女が持ってきたその魔石の所持者と彼女のハンターランクが決まる。

 アレホはD級のハンター。彼女が出した魔石もDランク相当。早い話、貴女は勝てばいいのよ。2人ともそれでいいわよね?」

「ダメっつっても、意味ねえんだろうがよ。で、嬢ちゃんをボロボロにしたら、あの魔石はオレのだったって認めてくれるわけだな?」


 スキンヘッド――アレホがニヤッと口をゆがませ、目をギラリと光らせこちらを見る。受付嬢のセリアさんは、なんだか苦々しい顔をしていたけれど、わたしとしては否はない。頷いたわたしに、「ただし殺すのはなし」とカロルさんが意味深に笑う。


「もしもの時はワタシが止める。それでも止まらないようなら、どうなるかはわからないわ」

「せいぜい良く見といてくれよ、B級ハンターさんよ。ついつい、プチっとやっちまうかもしれねえからな」

「ええ、もちろん。ワタシの管轄で死人が出たら、めんどうだもの。

 それで何とかちゃん……って言い続けるのもあれね。名前教えてくれる?」

「シエルメールです」


 カロルさんって、B級だったんだなと思っていたら、今度は名前を聞かれた。

 なんと目まぐるしく話が進んでいくのだろうか。それとさっきからカロルさんは、殺すなと言っているような気がしてならない。

 アレホがD級であり、あの蜘蛛がDランクということは、まず負けることはない。加えて言えば、さらに大きな魔石を作っていた一つ目巨人は最低でもCランクの魔物ということになるだろう。


「シエルメールちゃんも、これで良いわよね?」

「はい、頑張ります」

「じゃあセリア、奥借りるわよ」

「はいはい。くれぐれも、何事もないようにしてね」

「了解、了解。じゃあ、付いてきて」


 カロルさんが、ひらひらと手を振って、わたし達を先導し始めた。



 アレホの獲物を見るかのような目に耐えながら、たどり着いたのは闘技場のような場所。観客席があるわけではないが、ドーム状に覆われたそこは、陸上競技場くらいの広さはありそうだ。光をとる用の窓がある以外は、特に変わったこともない。

 地面は特別なことはしていないのか、荒野のように凸凹している。わたし達は、その中央まで連れてこられていた。


「アレホの武器は戦斧だったわね」


 カロルさんはそういうと、ごそごそと何かを探っていたかと思うと、どこから取り出したのか一振りの戦斧を投げた。

 結構重量がありそうなそれは、ドゴンとでも表現できそうな音を立てて地面に落ちる。


「刃は潰しているから、そのつもりで」

「問題ねえよ」

「シエルメールちゃんは、何使うの?」

「ナイフ……でしょうか」

「それならこれね。こっちは何の変哲もない、その辺に売っているナイフだから、当てどころは気を付けて」

「はい」


 アレホの時と同様に、どこからか取り出したナイフを投げ渡される。

 さすがにそれを直接取ろうとは思わないので、一度地面に落ちたナイフを拾った。

 確かに切れそうな感じがする。まあ、わたしよりも重そうな戦斧のほうが、刃がないとは言え危ないと思うけれど。


「それじゃあ、適当に始めてちょうだい」


 双方に武器が渡ったところで、カロルさんが軽くそう言って、その場から歩いて離れる。アレホもすぐには動き出す様子もないので、簡単にシエルと打ち合わせることにした。事前にしておけばよかったのだけれど、わたしが戦っても負けるビジョンが浮かばなかったので、忘れていた。

 たぶん戦い方さえ選ばなければ、わたしでも勝てるのではないだろうか。なんだかんだ言っても、相手は人なのだから。でも、戦いはシエルの役目なので、わたしが取り上げることはしない。


『わかりやすく結界を張りますから、あとは任せていいでしょうか』

『ええ。でも、殺すなっていうのは、難しいのね。さっきから、どうしたらいいのかしらって、悩んでいるのよ』

『とりあえず、結界と職業に頼らずにどこまでできるか、試してみてはどうですか?』

『わかったわ』

『それから、負けそうにならない限り、全力を出さないようにしましょう。職業がばれるとそれはそれで面倒ですから』


「おい、嬢ちゃん。謝るなら今のうちだぜ?

 じゃないと、一撃でプチっと、逝っちまうかもしれねえからなぁ」

「そんなこと言っている暇があれば、かかってきたらどうですか? 足元掬われますよ?」


 そろそろ、アレホの態度にイライラしてきたので、適当に煽る。

 こちらが、プチっと逝かせないようにどうしようか悩んでいるのに、気楽なものだ。悩んでいるのはわたしじゃなくて、シエルなのだけれど。


「あ゛ぁ? 嬢ちゃん命が惜しくねぇみたいだなぁ。

 今更後悔しても恨むんじゃねえぞ?」

魔力よマティオ凝固し・フィスクロス・わたしを守れプロアート

「っち、魔術師か。面倒くせえな」


 適当に呪文を唱えて、適当に結界を張ったところで、アレホが舌打ちをして眉間にしわを寄せた。

 今回は何と、アレホに分かりやすいように、結界の表面を水のようにしている。

 透明ではあるけれど、光を反射するので、どこに結界があるのかわかりやすい。張った範囲はシエルの全身が入るくらいで、形は球状。よくあるバリアとかを想像している。


 結界を作り上げたところで、わたしの役目は終了。シエルに入れ替わる。

 呪文を唱えてから、入れ替わるまでそんなに時間はかかっていなかったとはいえ、アレホも黙って見ているわけではなくて、戦斧を大きく振りかぶって振り下ろしてくる。綺麗な弧を描いた戦斧は、目の前を通り過ぎて、当たった地面をえぐった。


 シエルが後ろに跳んでいなければ、直撃していただろう。それにそこそこ威力もある。

 大振りを外して、隙ができるかと思ったけれど、意外にもアレホは戦斧を軸にして飛び上がり、そのまま二撃目に移った。


「っらぁ」という気合の元に下された2撃目は、1撃目の勢いをうまく使っているのか、威力が上がっている。

 さらには、少し無理な体勢になりながらも、3撃目に戦斧を横に薙ぐ。

 正直なところ、想像以上の練度で内心「ほお」と感動してしまった。


 D級ハンターは伊達ではないということだろう。蜘蛛もこれだけ動ければ倒せると思う。動きも通常のシエルよりもずっと速く、避けるので精一杯なのがわかる。


「おいおい。口ほどにもねえな。本当に魔石盗ってきたんじゃねえだろうな。

 まあ、そっちの方が好都合かもしれねぇけどな。その結界も見た目だけの、ちゃっちなものなんだろう? だから、逃げてばかりなわけだ。

 どうした? だんまりなのは、ビビっちまったのか? そんな貧弱な結界じゃあ、怖くて逃げ回るしかできねぇもんなぁ。

 それにその結界、あと何秒持つ? 何秒だろうが叩き割っちまえば、関係ないんだがなぁ」


 シエルを弱者だと決めつけたのか、余裕が増したアレホが饒舌に語りだす。

 アレホの言葉じゃないけれど、この結界はどれくらい持つだろうか。なんて考えていたけれど、シエルがアレホを見る目が変わったので、益体のないことを考えるのをやめる。

 今のシエルの状態を一言で言えば、キレている。視線で人が殺せそうなくらいに。


 ただアレホからしてみれば、子犬が怒った程度の怖さしかないのだろう。

 アレホが「なんだ? 怒ったのか?」と笑ったかと思ったら、シエルの中で何かスイッチが切れたように、感情がなくなった。リスペルギア公爵を相手にしているときのような、まるで人形のような表情。


「そこまで言うなら、どうぞ。気のすむまま攻撃をしてください。その間、私は時間をかけて魔術の準備をしておきますから」


 敬語を話すシエルも久しぶりだけれど、敬っているわけではない。感情を殺しているときは、リスペルギア公爵の屋敷でのことが癖として現れている感じがする。

 無感情で言い放ったシエルに、ようやくアレホは違和感を覚えたらしい。軽口をたたくことなく、戦斧でシエルを突いて来た。柄の長い戦斧には、こんな使い方もできるらしい。

 さすがに斧を使うことはないだろうけれど、知らなければ不意を突かれかねない。

 ただ、球状の結界に阻まれて、シエルには欠片も届かないけれど。


 わたしにしてみればスッカスカな結界なのだけれど、これすら抜けられないようでは、シエルに傷をつけることはまず無理だ。

 所詮はあの蜘蛛と同程度の力しかないといったところか。

 その間、シエルは魔術を使って、地面に魔法陣を描いていく。やろうと思えば十数秒でできるはずなのに、ゆっくりゆっくり時間をかけているうえに、かなり複雑なものを描いているらしい。


 結界の外では、アレホが何度も戦斧を振り上げ振り下ろしている。

 しかし戦斧はシエルどころか、一度も地面に届くことはない。


「こんな結界、一回壊せばそれでしまいだろ」


 と最初は余裕を見せていたアレホも、10回、20回と振り回す回数が増えると「なんで壊れねえんだよ」と焦りの色が見え始めた。

 しかもシエルが全く意に介していないためか、「卑怯者が、やるなら正々堂々やりやがれ」と顔を真っ赤にして煽ってくる始末。


 数えるのも面倒になってきたころ、アレホは「なんでだよ、なんでびくともしねえんだよ」と弱音を吐きだした。息は上がっているし、戦斧を握っていた手には血がにじんでいる。全身汗まみれで、泥だらけ。最初の勢いはどこか彼方に消えてしまった。

 当初は結界に頼らないはずだったのだけれど、シエルを怒らせたせいだと諦めてほしい。

 それから、今は弱音を吐かないでほしい。何せシエルが描いていた魔法陣がもう完成するから。

 顔を上げたシエルは、アレホを視界にとらえたことを確認した。


「では」


 シエルが短くそう言ったことで、アレホは今まで彼女が何をしていたのか思い出したらしい。顔から血の気がなくなっていく。

 身体に循環していたシエルの魔力が、魔法陣に飲み込まれていったかと思うと、アレホの頬からツーっと一筋の血が流れた。

 何があったのかと、手で傷を確認したアレホの表情に脅えが現れる。


 シエルが使った魔術は何の変哲もない、風の刃。シエルの着ているローブを切るなど、しばしば役に立っているもので、シエルが使うとかなりの切れ味を誇る。わたしが使うと、扇風機もどきになる。

 そんな風の刃が、アレホに2発、3発……と休むことなく襲い掛かった。


「軽い、軽いなぁ。こんな傷じゃあ、オレは倒せねえよ」


 シエルの攻撃がそれほど強くないことに気が付いたアレホは、脅えから立ち直り、脅えていた事実を隠すように大声を出した。しかし、すぐにそれは虚栄と消える。

 休むことなく降り注ぐ風の刃は、深くない傷を無数に作るのだ。

 痛みは我慢できても、流れる血は止めることができず、こちらを攻撃しようにも出血を促すだけで、結界を突破することもできない。

 そうしている間にも、小さな傷が増えていく。


「やめろ! やめろ、やめてくれ!」


 結局心が折れたのか、血を流しすぎたのか。アレホは戦斧を落とし、頭を守るようにうずくまると、そう叫んで意識を失った。

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