第13話 寝不足と遭遇と反省

 結局シエルは一睡もすることなく、見張りを終えた。

 その根性は目を見張るけれど、朝食を食べて歩き始めたシエルの動きが悪いのが気になる。

 考えてみれば今までの生活、寝ることに関してだけは自由だったから、シエルが寝不足っていうのは初めてのことかもしれない。

 わたしも同意しての状況なので、せめて少しでも魔物に出会わないように、探知は念入りに行っておこう。


『眠たくないですか?』

「眠たくはないのだけれど、身体が少し動かしにくいわ」

『今日は無理せずに休むこともできますよ。

 食料が少し不安ですが、町か村までそこまで距離があるとは思えないですから』

「だけれど、ここで休んだら、見張りをしていた意味がなくなってしまうでしょう?

 一日でも長くこの森にいるのは、エインの負担が増えるだけだもの」


 シエルの気遣いは嬉しいけれど、もっと自分のことも気遣ってほしいとは思う。とは言え、下手に否定してしまうと、シエルの成長に悪いような気がするのが困りものなのだ。

 今のシエルは、自分の頭で考えて、わたしに良かれと思って行動してくれているのだから。

 これがある程度経験がある人であれば、順序だてて説得する方が正しいかもしれないけれど、シエルはまっさらな状態なのだから、経験として成り行きを見守ってあげるのが良いと思う。


 それで失敗してしまったら、何が悪かったのかを一緒に考えればいい。

 まあ、すでに体調が悪そうな現状、失敗と言えるのかもしれないけれど、シエルの体力にはまだ余裕がある。話をするのは、次に無理をしようとしたときにしよう。

 そう思っていたのだけれど、探知に嫌な反応があった。


『シエル。止まってもらっていいですか?』

「何かあったのね?」


 わたしの声のトーンで、深刻さが伝わったのか、シエルは素直にわたしに従う。

 こうしている間も、探知に引っかかった反応を注視しているのだけれど、どうにも嫌な予感がしてならない。どうして、全く反応が動かないのだろうか。よりにもよって、あんな場所で。

 頷くことができないわたしは、とりあえず『はい』と言って、説明を始めた。


『このままこの道を進んでいくと、おそらく馬車を襲ったのと同じ魔物と出くわします』

「だとしたら、ここで様子を見て、いなくなるのを待ったほうが良いかしら?」

『わたしもその意見には賛成ですが、どうにも様子がおかしいんですよね。道から少し外れたところで、じっと何かを待っているような感じがするんです』

「それは、私達が狙われているということよね?」

『可能性としては高いでしょうね。考えてみればシエルはあの屋敷でたくさんの本を読みました。

 本の中の情報を鵜呑みにするしかないので、正確性には欠けますが、あそこの資料は世間一般よりもかなり踏み込んだ、リスペルギア公爵の研究成果だともいえるでしょう。

 それをシエルは読んだかもしれないわけです。かといって、自分の手元に置くほどでもないとなれば、殺すのが確実ですからね。殺されてもよし、豚男に飼殺されてもよし、といった感じだったんでしょう』

「だとしたら、あの男は魔物を操れるということにならないかしら?」

『魔法を使えばあるいは。とはいっても、あくまでもわたし達の推測でしかないですから、たまたまあそこにいるだけかもしれません』


 推測だけならいくらでもできるし、推論の数だけ行動方針は立てられるけれど、試行回数は1回だけだから、いっそ何も考えずに出たとこ勝負でやるというのも悪くはないと思う。

 やることを決めてしまうと、予想外のことが起こった時への対応が、遅れてしまうかもしれないし。


「エインはこのまま待っているだけで良いと思う?」

『それで何事もなく終わるのが、最善だとは思います。

 ですが、このまま睨めっこのようになってしまったら、後ろから追手が来た場合に挟まれてしまいます。たぶん、追ってはないですが、睨めっこが数日続くと食料的余裕がなくなりますね。

 別の案としては、道から外れて森を抜けてみることでしょうか。これは、もしかすると森から抜け出せなくなる、と言うリスクがあります。

 最後に魔物を倒すというのもありますね。おそらく最も単純で、このまま道を進めますから、人がいる場所に向かうには、最も確実ではあります。ですが、言うまでもなく、ケガをするかもしれませんし、最悪命を落とすかもしれません』

「でも、その中だと倒してしまうのが楽よね? 昨日も勝てたのだもの」


 色々考えてみたけれど、シエルの結論がもっともではあると思う。

 昨日はかなり余裕をもって勝つことができたから、多少不調だとしても勝てなくはないはずだ。

 後々のことを考えれば、止まっているのも別の道を探すのも、その場しのぎでしかない。わたしが臆病になりすぎているとも考えられるので『やってみましょうか』と返した。


 方針が決まったので、また道を歩き出す。今回はリスクを下げるために、最初から全力でぶつかる。

 前回もわたしが最初から支援に回っていたら、一瞬で片付いていたのだ。だから今回は、無理する前に決着をつけることもできるはず。

 魔物が待ち伏せしているところが視認できるようになったところで『ギリギリ見えているあたりに、魔物がいます』とシエルに伝えてから、歌いだす。


 シエルも魔物が現れるよりも前から、動きの1つ1つを洗練させて、いつでも戦闘に入れるように準備をする。

 奇襲があると分かっていれば、最初の一撃を避けるのも難しくはないだろうし、あとは魔術で総攻撃をしてしまえば終わり。卑怯なようだけれど、安全には変えられない。

 むしろ、相手が人や弱い魔物だったら、こっそり近づいてナイフで一撃、ということも出来たのだからまだ正々堂々としている。

 仮に相手が人だったとしても、正々堂々戦う必要はないと思うけれど。


 また、相手が森に隠れているというのが、やりにくい。

 周りの被害を考慮しなければ、この距離から魔術で追い立てて終わりなのだけれど、シエルが本気の魔術でそれをすると不自然に木々を失くしてしまいかねない。

 ことを大きくして、存在がばれるのも面白くないので、周りに木がなく、そこそこ開けているこの道まで出てきてくれないと戦えない。だから、奇襲をしてくれないと困るというのもある。


 魔物がいる場所まで1歩1歩と近づき、ちょうど真横に来た時点で、草をかき分ける大きな音がした。

 サッと視線が音の方を向き、一つ目巨人がこん棒を振り上げているところが目に入る。

 相手の存在を知らなければ、避けようがない。そんな一撃が、目の前に迫っていた。


 だけれど、知ってさえいれば、簡単に避けられる……はずだった。


 トン、と後ろに跳ぼうとしたシエルの足がもつれる。

 驚くシエルの様子からも、伝わってくる感覚からもわかるのだけれど、シエルが想像していた動きと実際の動きに差異が生じていた。

 本来なら気にならないほどの小さな違和感だけれど、繊細な動きが求められる舞の中だと致命的なミスになる。それでも、普段のシエルなら悠々と軌道修正できただろう。


 だけれど、今のシエルは初めて睡眠不足を体験している。こん棒が振り下ろされるまでに、軌道修正など、出来るはずもない。

 目の前に迫るこん棒に、思わず『シエル』と叫んだけれど、簡単に人をつぶしてしまえる威力の攻撃を避けることもできずにその身で受け止めてしまった。


 頭が押さえつけられるような違和感を覚え、気が付いたら体が衝撃にさらされて吹き飛んでいた。

 まるでジェットコースターに乗っているかのような勢いで飛ばされ、木にぶつかって止まった。

 背中が痛い。ん? なんで背中が痛いんだろう。しかも少しだけ。


「エイン歌って?」


 混乱していたら、シエルの声が聞こえてきた。

 感覚的にだけれど、おそらく体に致命的な負傷はない。痛みも5歳までの食事の方が上だし、すでに収まりつつある。

 とりあえず、シエルが歌をご所望なので、歌いながら状況を整理しよう。

 魔物は実際に待ち伏せをしていて、わたし達――なのか、この道を通る人なのかは、わからないけれど――を襲ってきた。

 予定通り避けて反撃して、終わらせようとしたけれど、失敗して潰されたはずだった。でも、実際には吹き飛ばされただけ。つぶれなかったから、吹き飛ばされたのだろう。


 そして今は、シエルが作り出した氷の塊が、巨人を貫いている。つららのように先のとがった鋭い氷は、貫いたところから巨人を凍らせる。

 さらにそこから、にょきにょきと木の氷像が出来上がると、バリン、と魔物もろとも粉々に割れてしまった。

 その幻想的な現象と流れるような舞を見せる少女は、人を惹きつけるには十分な舞台だっただろう。


 それはそれとして、シエルとはここでしっかりと話し合っていたほうが良いかもしれない。

 いつの間にかことが終息しているけれど、成功とはいいがたいし。

 というか、シエルもそうだけれど、わたしの反省点が多すぎる。


『お疲れさまでした。よく頑張りましたね』


 この後、楽しくない話をしないといけないけれど、でもシエルが頑張ったのは違いない。それはきっと、褒められるべきことで、わたしも喜びたいことだ。話の流れ次第では、この後シエルを叱らないといけないとしても。

 やらかしたわたしが、どうしてシエルを叱らないといけないのか。考えるだけでも、自己嫌悪に陥りそうだ。でも、今後こういった失敗をしないためにも、自分のことは棚に上げないといけないこともある。


 と思っていたのだけれど、シエルがわたしの言葉に対して、作ったような笑顔で「そうね。ありがとう、エイン」と力の入っていない返事をするので、叱るのはなしになりそうだ。

 むしろ、フォローする方向に入ったほうが良いかもしれない。


『とりあえず、ここを移動して、休めそうなところがあったらそこで話をしませんか?』

「ええ、エインの言うとおりにするわ」


 意気消沈してしまったシエルが、トボトボと歩を進める。先ほどの戦闘、そして気落ちしてしまったことで、疲れも出ているだろう。

 早く休ませてあげたかったので、魔物を倒したところから少し歩いたところで、道を反れて木々に身を隠すように座ってもらった。


「ねえ、エイン。エインは、これからも私と一緒にいてくれるかしら。

 エインに守られてばかりの、役に立たない私は、エインと一緒にいて良いのかしら」

『わたしはこれからも、ずっと一緒にいたいですよ。

 それに、シエルが役に立っていないなんてことはないです。今回のことを気にしているのであれば、悪いのはわたしですから』

「いいえ、いいえ。エインが悪いことは何もないのよ。エインは昨日から、私のことを気遣ってくれていたのに、私がわがままを言ったせいで、危険にさらしてしまったのだもの。

 だから悪いのは私なのよ。私が悪い子なの、いけない子なの」


 今にも泣きだしてしまいそうなシエルは、それでも泣かないように歯を食いしばっている。

 ここで何と返せばいいのか。子育て経験もなければ、日本ではこういった場面には出くわさなかったので、困ってしまう。

 シエルが良い子だからこそ、うまく折り合いをつけてほしい。


『シエルが言っているのは、見張りを買って出てくれたことですよね』

「ええ、そうね。エインは無理をするなと言ってくれたのに、私は私が無理かどうかわかっていなかったの」

『ですが、シエルはわたしに負担をかけたくなくて、頑張ってくれたんですよね?』

「それも、結局はエインの負担を増やしてしまっただけだったもの……」

『むしろ、シエルの負担にだと思いますけど。それに、負担を増やしたではないですよ。昨日シエルがおしゃべりに付き合ってくれたから、夜空が生前と違うことに気が付きました。

 昨日までのわたしは、そんなことにも気が付かないほど、張りつめていたんです。早く逃げることばかり考えていたんです。

 ですが、シエルのおかげで、気持ちに余裕を持つことができました』

「でも私のせいで、エインを危険にしてしまったことには、変わりないわ。

 エインを守りたかったのに、守られてばかりの、役立たずなの」

『それを言うなら、昨日おしゃべりが楽しくて、シエルに寝るように言わなかったわたしも同罪です。

 それにわたしに気持ちの余裕を与えてくれたシエルが、役立たずというのは、違うと思いませんか?』


 シエルが不承不詳ながら頷くのを見て、そのまま話を続ける。

 先ほどから、ブーメランが刺さりまくっているような感じがして、いたたまれない。


『ですが、確かに今回のシエルは、やり方を間違ってしまったかもしれませんね。

 シエルは、わたしが出来る事はなんだかわかりますか?』

「えっと、結界と探知の魔術よね。あとは、歌ってくれるわ。歌姫として、支援してくれるために歌ってくれるのはもちろんだけれど、何でもないときでもエインが歌ってくれるのは好きよ」

『わたしもシエルが踊っているのを見るのが好きですよ。

 あと、わたしに出来るのは、休みなく見張りができるということでしょうか。

 では逆に、わたしが出来ないことって何でしょう?』

「攻撃魔術はできないのよね。でもそれは……」

『はい、その話は今はしなくていいです。わたしは攻撃魔術が使えませんし、たぶん戦うこと自体が出来ないと言っていいですね。

 はっきり言ってしまえば、汚れ役はわたしには出来ません。わたしはそれにほっとしていますし、それがとても恥ずかしくもあります』

「いいえ、いいえ。恥ずかしいことなんてないわ。だって、エインは私のことをずっとずっと、守ってくれていたんだもの。

 戦うことくらいさせてもらえないと、私は何も返せなくなってしまうのよ」


 必死にわたしの言葉を否定するシエルに安心してしまう自分に、自己嫌悪してしまう。とても酷いことを言っている自覚があるだけに、わたしの都合がいいように話を進めている自覚があるために。

 きっとこれから先、魔物だけでなく人を殺さないといけない時が来るだろう。その時にわたしはきっと、殺したほうが良いとアドバイスをすると思う。だけれど、いくらアドバイスをしても、いくら正当性を並べたとしても、わたし自身は戦えないから、実行するのはすべてシエルなのだ。


 それに比べたら、わたしがしていることなど、大したことではない。実際ほとんど負担になっていないのだから。しいて言えば、夜にやることがなければ、暇なことくらい。

 とはいえ、わたしはそれでもいいと思う。

 なんでもわたしがしていたら、シエルは何もできない子になってしまうし、現状でシエルのために頑張っていると胸を張って言えるから。今回のミスはちょっと目を瞑ってほしいけれど。


『シエルの気持ちもわかります。ですが、シエルがわたしのために頑張りたいと思ってくれたように、わたしもシエルのために何かをしたいんですよ』

「エインもなの?」

『ええ、わたしはわたしがシエルを守りたいと思ったから、今まで守ってきました。

 守り切れなかったこともありましたが、それをシエルに取られてしまうと困ってしまいます。何せわたしはシエルのために、魔物を倒したりはできませんから』

「だから、私が戦うってことよね。でも、戦うだけなのは嫌なのよ」

『では、わたしは守っているだけですね。

 シエルの気持ちはうれしいですが、先ほども言った通り、戦うことはわたしにはとても難しいことです。ですから、まずはシエルには、戦えるようになってほしいんですよ。

 要するに役割分担です。わたしは守りますし、シエルは戦います。わたしが歌いますし、シエルは踊ります。お互いいろいろやってあげたいことはあるかもしれませんが、まずはこれを徹底しましょう。

 シエルは戦いになった時に、全力で頑張れるようにしておくまでが役目です』

「……わかったわ」

『役目を全うしているうちに、余裕も出てくるでしょう。

 きっと、シエルも生きていく中で、1晩くらい起きていても問題なくなると思います。その時には、また一緒に見張りをしましょう。シエルとのおしゃべり、楽しみにしていますから』

「きっとよ。約束よ?」

『はい。わかりました』


 ようやく、シエルが納得してくれたようなので、心の中でほっと息を吐く。

 いろいろ言ったけれど、シエルにはあまり無理をしてほしくないし、健やかに育ってほしい。

 生き急がないでいいから、1つ1つできるようになればいいのだ。少しでもそれが伝わっていればいいかなと思う。

 本当は昨日の段階で、今の内容をうまく伝えられたら良かったのかもしれないけれど、わたしには荷が勝ちすぎていたのだ。


「ねえ、エイン」


 憑き物が落ちたように、表情が明るくなったシエルが、わたしの名前を呼ぶ。


『どうしました?』

「私はエインを危険に晒したっていったけれど、本当はエインならあの巨人の攻撃くらい防いでくれるって思っていたのよ?

 だから、本当に防げた時には、とっても誇らしかったの。

 私の情けなさは変わらないけれど、でもエインは本当にすごいのよ。覚えておいてね」


 まっすぐそういわれて、現実逃避をするように、あぁわたしの結界の防御力は意味わからないところまで行っていたんだな、と考える。それはそれで、現実逃避したくなる内容だけれど。

 そこまでの信頼を、まっすぐに向けられて、嬉しくあると同時に責任も感じる。何より照れてしまい、言葉に窮する。だからこそ、現実逃避をしたのだけれど、何とか『ありがとうございます』とだけ返すことができた。

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