第12話 森と見張りとおしゃべり

 魔石を取り出した日から、既に丸1日以上が経過した。

 このままいけば、本当に人がいるところにたどり着くのだろうかと疑問に思いそうなものだけれど、単純に進みが遅いからという理由もあるので、今日中に着くとも思えない。

 進みが遅い理由としてはまず、シエルが森の中を歩くことに慣れていないこと。ローブに背負い袋という格好にも慣れていないので余計に体力を奪う。普段から踊っていたおかげで、そこそこ体力があるのは救いだった。たぶんそれがなかったら、今日の半分も進めていない。

 次にシエルの興味があちらこちらに行っていたことだ。


 何せ10年かかってようやく、あの屋敷以外の場所に来たのだ、10歳の少女が興味を持たないわけがない。

 むしろわたしも、こういった道を通るのは初めてなので、興味が惹かれてしまう。

 ただし、ここはあの屋敷に続く道なので、探知は最大限で誰かが来ようものなら、すぐにでも隠れられるようにはしている。


 とにかく、昨日のシエルは微笑ましかった。

 馬車があったところから、すぐに離れたかったので、シエルに無理を言って先を急いだのだけれど、そろそろ大丈夫だと伝えた瞬間「エイン、エイン」と弾んだ声で私の名前を呼ぶのだ。

 そこから先に続く言葉が「空って本当に青かったのね」とか「見て見て、葉っぱってこんなに緑色なのよ」とかなので、今までの生活がどれほどのものだったのかがよくわかる。


 慣れていない森の中、そんな風にはしゃいでいたので、昨日のシエルは日暮れ前に眠ってしまった。

 野営なんてできなかったけれど、粗末な寝床で寝ていたシエルにとって、ふかふかの土の上はむしろ寝やすかったらしく、ぐっすり眠っていた。

 実は寝ている間に、小型の狼みたいなのが来たのだけれど、わたしの結界を破れる様子はなかったので、シエルを起こすことなく、諦めて帰っていくのを眺めていた。


 正確には起こそうとはしたけれど、まるでシエルが起きなかったのだ。

 いままで常に気を張り詰めていたわけだから、それから解放された今、意識がなくなるように落ちてしまっても文句などはない。

 だけれど、今後生きていく中で、わたしが起こしたときには起きてもらえるようにはなってほしい。それも、わたしが戦いに向いていないせいなのだけれど。


 とは言え今は、探知に何も反応していないし、森の木漏れ日の中を散歩しているようなものだ、わたしも少しくらいテンションを上げてもいいだろう。

 まあ、テンションを上げてもできることは歌うことくらい。好きだし、シエルが聞いていてくれるわけだから、良いのだけれど。

 気分のままに口から出てきた歌を歌っていると、シエルの歩調がわたしの歌に合わせて変わる。


 スキップでもするかのように歩いていたシエルは、ちょうど一曲終えたところで、足を止めた。


『どうしたんですか?』

「ねえ、エイン。エインは歌を歌っているのよね?」

『そうですけど、何かおかしかったですか?』

「そうではない……のかしら? 歌って、言葉を音楽に合わせて話しているのよね?」


 言葉を探しながら、ゆっくりと話すシエルの様子を見ていて、言いたいことが何となくわかった。

 要するに、わたしが歌っている曲の歌詞が、日本語であることが気になっているのだろう。


『生きていた時に住んでいた国の言葉ですから、シエルには聞きなれないかもしれないですね。

 ちゃんと意味はありますよ。いまのは、森の中にある道を歩いていますよ、みたいな歌詞です』

「そうなのね。そういうものでも、歌になるのね。だとしたら、何でも歌になりそうだわ」

『なるのかもしれませんね。わたしは歌うばかりで作ったことはないですが。そういえば、シエルも少し歌えますよね。わたしの国の歌』

「毎日エインが聞かせてくれていたもの。何度も聞いたものは、自然と覚えるわ。でも、言葉の意味が分からないから、音を追いかけるだけなのよ」


 確かに、シエルに何曲聞かせたかは、覚えていない。

 2~3000曲は堅いと思うけれど、よく覚えている曲とそうではない曲で、歌う頻度も変わっている。

 とにかく浅く広く、生前は歌っているときが一番楽しいまであったので、歌える曲数だけは自信がある。

 それが異世界に来て役立つなんて思っていなかった。役に立っているというか、暇つぶしになっているだけだけれど。


「言葉といえば、"シエルメール"もエインの国で使われる名前なのかしら?」

『シエルの名前は、わたしの住んでいた国とは違う国の言葉を借りました』

「エインはいろいろな国の言葉を知っているのね。すごいわ」

『いえ、自国以外の言葉は、いくつか単語を知っているくらいですよ』

「この国の言葉は、知らなかったものね。シエルメールには、何か意味があるの?」


 日本人なんてそんなものだと思う。わたし含めて、英語も会話は難しいレベルなのに、変にフランス語とかドイツ語の単語は詳しいのだ。

 シエルに地球のことを話すのは躊躇われるけど、この世界にある別の大陸くらいのニュアンスで話せば、少しくらい話しても大丈夫だろうか。

 名前を考えた身としては、その意味に興味を持ってくれるのは、嬉しいし。


『シエルは「空」、メールは「海」です。シエルの青い目と白い髪が、似ているなと思いまして』

「海はまだ見たことがないけれど、空ね。

 確かに青いわ。いままで見たことがないくらいに青いの。それがどこまでも続いていて、吸い込まれてしまいそう。だけれど、私の目はそんな色なのかしら?」

『ええ、とても』

「だとしたら、ちょっとだけエインがうらやましいわ。こんな青を毎日見られたのだから」

『役得ですね』

「私はエインの歌を聴くことができるからお相子ね」


 そういって、シエルが満面の笑みを見せる。自分でやりながら、話のくすぐったさに身悶えてしまいそうだ。

 少なくとも、前世ではこんな風にまっすぐほめてくれる人はいなかったし、まっすぐほめることもなかった。だけれど、シエルはうれしそうだし、何よりほめられて嬉しくないわけではないので、我慢しようと思う。


「目が空の青だとしたら、白い髪は雲って事よね。初めて空を見たとき、浮かんでいる白いものは何かしらって、思ったものよ。だけれど、状況が状況だったから黙っていたのよ?」

『それは助かりました。昨日は逃げ出すことで、いっぱいいっぱいでしたから』

「エインの邪魔はしたくなかっただけなのよ」


 謙虚なことを言いながらも、なぜかシエルは満足げにふふんと鼻を鳴らす。たまに、年相応にこんな反応をしてくれると、微笑ましくてこちらも嬉しくなってしまう。

 こんな感じの他愛ない会話は、夜になるまで続いた。



 太陽が傾きかけたころに足を止め、そこらへんに落ちている枝を集めて、魔術で火をつける。

 例の布切れのお陰で、体は清潔に保たれているのだけれど、人里についたら水浴びをしたい。

 普通にそう思ってしまうのは、シエルの身体に慣れすぎたせいだろうか。シエルがまだ子供だから、意識していないだけだろうか。

 そんな益体もないことは横において、馬車から持ってきた保存食を食べて、そろそろ寝る時間だろうかと思ったら、シエルが声をかけてきた。


「エインは今からずっと、見張りをしているのよね?」

『わたしは寝なくても大丈夫ですからね。探知も結界もできますから、向いていますし』

「私も一緒にしちゃダメかしら。エインにばかり負担をかけるのは、良くないと思うのよ」


 シエルからの提案に逡巡する。正直なところ、のちの安全性を考えるのであれば、シエルには眠れるときに寝ていてほしい。

 寝不足で判断力が鈍るかもしれないし、ともすれば、明日歩いているときに寝落ちてしまう可能性もある。


 ただ安全面で言えば、今のところわたしの結界を超えてきそうなのは、馬車を襲ってきた一つ目の巨人くらい。

 襲われて以来、別の個体の反応はないし、明日シエルがどこかで寝落ちてしまっても、十分守ることはできるだろう。

 うーん、と悩んでから『無理しなくて大丈夫ですよ』とやんわり断る。


「無理ではないのよ。私がやりたいからやるの、ダメかしら?」

『それなら、まあ……』


 本来なら断るべきところで、今後のために見張りの練習をするというなら、もっと安全なところでやるべきだけれど、わたしのために何かしたいというシエルの気持ちを無碍にするのも難しい。

 こういうところを、なあなあで済ませてしまうわたしは、何というか日本人だなと思ってしまう。

 こうやって話しているうちにも時間は過ぎて、空には満天の星空が広がっていた。そうして、気が付く。

 地球では1つしかなかった月が、2つあることに。


 1つは金色に、もう1つは銀色に。なんだかシエルの髪みたいだなと思うと同時に、異世界にやってきたんだなという感慨が深くなってしまった。

 昨夜はこんな風に、周りを見ている余裕はなかったけれど、シエルも起きているので少し気が抜けているのかもしれない。


「夜って、こんなに明るかったのね。昨日は夜になる前に寝てしまったから、知らなかったわ」

『あの5歳までは明かりがなくなると、真っ暗でしたからね。自分の手も見えなかったです』


 あの座敷牢は、基本的には常に光があったのだけれど、5年も閉じ込められていたら何度か明かりが消えたことがある。

 地下にあったであろう座敷牢は、光源がなくなると、本当に何も見えなくなるのだ。

 たぶん、目が慣れるとか、そんなレベルですらない。


「だから、夜っていうのも、あれくらい暗いものだと思っていたのよ。

 本には夜は暗いものだとしか書かれていなかったから」

『昼間に比べると暗いですからね。それに明るいといっても、文字も読めませんし、道もよくわからなくなりますよ』

「そうなると、仕事はできなくなるのね。でもエインなら、道はわかるのではないかしら?」

『道というか、歩ける空間を進むことはできますね』

「それで、エインは空を見ながら、何を考えていたの?」

『どうしてそうだと?』


 確かにさっきは、元の世界とこの世界の違いとかは考えていたけれど。

 シエルに気づかれるようなことはしたかしら。というか、わたしの姿は、人型として認識されていないはずだけれど。

 シエルは、わたしをじっと見ると、くすっと笑った。


「エインって、話をしているときも、急に静かになることがあるんだもの。その時には、何か考えているのかなと思っていたのだけれど、違うかしら?」

『それは、申し訳ありません。確かに話の途中は失礼でしたよね』

「いいえ、気にしないわ。きっと、エインにとって必要なことなのよね」


 言われてみればシエルの言う通り、元の世界との差異を感じる度に感慨にふけっている気がする。

 元の世界にそれほど執着はないつもりだけれど、自分の中の常識が崩れ去るときには、それだけで衝撃を受けてしまうらしい。

 今だって、見張りの話をしている途中だったんだっけ。シエルが好意的に受け止めてくれていたのは良かったけれど、今後は気を付けたほうが良いかもしれない。


「やっぱり、エインは元の国に帰りたいのよね?」


 控えめに尋ねる声が聞こえてきて、わたしは『いいえ』と否定する。

 なぜその問いに行きついたのかはわからないけれど、読んだ本の中で、夜空を見上げながら故郷をしのぶシーンでもあったのだろう。


『普通、人は死んだらそれで終わりですから。元の国に残してきたものに、心残りもほとんどありませんし、今のわたしはシエルとともにあるだけの存在ですよ』

「じゃあ、空を見て何を考えていたの?」

『場所が変われば、夜空に見えるものも変わるのだなと』

「? 夜空は夜空で、変わらないわよね?」

『月や星が見えるというのは、変わらないですが、星の配置とかが違うんですよ。わたしは詳しいわけではないので、どう違うのかと言われてもわかりませんが。

 あとは、とても明るいです』

「それは、エインが見ていた星空と比べてって事かしら?」

『そうですね。この辺りはどうかわかりませんが、わたしが住んでいた町は夜でも明るかったので、星の光がかき消されていたんですよ。

 ですから、今見えている星の中でも、特に光が強いものくらいしか見えなかったんです』


 別大陸にある適当な国、みたいな設定を自分の中で作ったせいか、日本にいたころの話をするのに抵抗がなくなった。

 さすがに科学技術とか、魔術がなかったとか、そういった話はできないけれど。ある程度話せないと、いつかぼろを出してしまいそうなので、必要な措置だと思いたい。


 以降は、うつらうつらとシエルが舟をこぎだすところを見かけることもあったけれど、夜明けまで話をしながら過ごした。

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