第9話 歌姫と魔物と自由

 そういうわけで、中身が見えないように幌で覆われた馬車に乗せられたご機嫌なわたしは、シエルの体を使わせてもらって、ご機嫌な歌を歌っている。それが2人いる御者にも聞こえていたのか、感心している声が聞こえてきた。


「へえ、声も悪くねえじゃねえか」

「のんきに歌っているところを見るに、頭は弱そうだけどな」

「いいんじゃねえか、頭が弱いくらいが。どうせ、伯爵に最終的には馬鹿にさせられるんだからな」

「違いねえ。しかも、"舞姫"って話だしな」

「舞姫はベッドの上の舞も一級品ってやつか。間違いなく気に入られるな。さあて、何日もつやら」

「賭けでもするか?」

「負けたら、酒場の一番高い酒驕りな。俺は10日と見た」

「しゃあねえな。じゃあ、オレは5日だ。あの声で鳴かれたら、伯爵、1日たりとも離さないぜ」

「ッチ、そういえばそうだったな。もったいねえよな。俺だったら、10年は可愛がってやるのに」


 感心しているかと思ったら、なんともまあ、下衆い話が聞こえてきたものだ。これをシエルにも聞かせていると思うと、殺意さえわいてくる。

 おそらく、シエルは何を言っているのかわかっているだろうから、なおたちが悪い。私がもともと男だったと伝えられるか、一層怪しくなってきた。


 そんな御者の話も意に介さずに歌い続けていたら、急に馬車が止まった。そっと、馬車の幌の隙間から外を見ると、緑色をした醜悪な小人――とはいっても、今のシエルと同じくらいの身長はあるけれど――が、ボロボロになった武器をもって、馬車の一行を囲んでいる。

 これが、魔物というやつか。初めて見たけれど、あまり長く見ていたいものではない。

 緑の小人は、馬車の護衛にすぐに退治されたが、黒い血が飛び散っていく様は、元日本人にはショックが大きかった。


 その後も、何度か魔物に襲われ護衛達も消耗していったため、予定よりも早く休憩が始まった。とはいっても、わたしは変わらず馬車の中だけれど。

 外からは、明らかに魔物の数が多くなっているという話が聞こえてくるが、それも当然というものだ。


『予定通り、魔物が集まってきているのね。このままうまくいくかしら?』

「うまく行ってくれるといいですが、もう少し強い魔物が来てくれないと、難しいかもしれません」


 馬車が必要以上に襲われている原因はわたし。

 かつての歌姫がやったように、歌で魔物を呼び寄せている。

 正確には、歌声の聞こえる範囲にいるすべての生物を集めているのだ。そのおかげで、食料には困っていないだろう。


 無差別におびき寄せるので、わたしたち自身も危ないのだけれど、魔物に殺されたとあの男に伝わってほしいので、やむを得ない。

 願わくば、わたしたちが生き残り、わたしたち以外が犠牲になるようなちょうどいい強さの魔物が来てほしい。


 そうしてわたしが歌い続けていると、やがて探知魔法に大きな反応が引っかかった。

 幌から顔を出し辺りの様子をうかがっても、誰にもとがめられない。それほど切羽詰まっているのか。

 バキバキと木々をなぎ倒しながら、まっすぐこちらにやってきたそれは、護衛の倍近い身長がある一つ目の巨人。頭には角が生えていて、手には木を荒く削ったこん棒のようなものを持っている。肌は青みがかった緑色。

 その姿を見た護衛達は、この世の終わりのような顔をして、「なんでこんなところにいるんだよ」とつぶやいていた。


 次の瞬間には、護衛の1人が巨人のこん棒でつぶされた。

 グチャとも、バキッともつかない音で、地面には真っ赤な水たまりが生まれ、周囲には血と内容物の嫌な臭いがぶちまかれる。

 護衛以外の休んでいた者たちは、我先にと逃げ出し、その途中で数人が命を落とした。

 護衛は果敢にも巨人に挑んではいたが、分厚い皮膚は剣を通さず、あちらからは一撃必殺であるうえに、これまでの戦闘で消耗していたのもあって、ほどなく全員が血の花を咲かせた。


 どうしよう、大物を釣ってしまったらしい。道理で歌姫は、呼び寄せた魔物に殺されたわけだ。なんて、余計なことを考えていなければ、落ち着いていられない。

 わたしが死ぬことは怖くない。あれだけ一気につぶされれば、痛みを感じている暇もないだろうから。でも、人がつぶれていく様を見るのは、良くなかった。

 血と肉の匂いがわたしを刺激して、胃の底が気持ち悪くなり、胃液を吐き出す。この時ばかりは、ほとんど食べ物を与えられていなかったことに、感謝した。


 ただ、気が滅入ってばかりはいられない。幌の外には人など鎧袖一触にする絶対的な脅威がいるのだ。私にできるのは、その気配を感じることと結界で守ること。

 歌は……ちょっと、歌えるような状態にはない。強度がどれくらいかはわからないけれど、結界でどうにかなることを祈るしかない。

 せめて気が付かないでと、目を閉じていたら『エイン守っていてね』という言葉とともに、勝手に体が動き出した。


 身体の主導権を持って行ったシエルは、躊躇うことなく外に出る。既にこの場に生きている人間はわたしたちしかいないようで、先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。

 かと思うと、背後の馬車が大きな音を立てて、崩れる。わたしだったら「ひゃ」っと声を上げそうなものだけれど、シエルは動じていない。


 どうやら、巨人は馬車を1台1台壊すつもりらしい。シエルが動いてくれていなかったら、そのうちわたし達が乗っていた馬車も壊されていただろう。しかし、外に出たことで、巨人に気づかれてしまった。

 1つしかない、ぎょろりとした大きな目が、こちらをとらえて離さない。探知で感じた速度から考えると、逃げるというのは現実的じゃない。戦うのも無謀だとは思うが、シエルは後者を選んだらしい。


 シエルは、覚悟を決めたように表情を引き締めると、ゆらりと円を描くように下から上へと、両手を持ち上げる。

 その手に合わせて、真っ赤な炎が生まれ追随する。その軌跡は人が見れば見惚れるほどの優雅さがあっただろう。しかし、残念ながら、今日の客は魔物が1匹。

 無粋にも見惚れるわけもなく、振り上げたこん棒を振り下ろしてくる。何かが爆発したのかと思うほどの大きな音を立てて、振り下ろされた地面には、小さなクレーターができていた。

 シエルは綺麗な弧を描くようにバク宙をしてかわすと、巨人がやったのとはまるで違う、優雅な動きで手を振り下ろし、宙に遊ばせていた炎を飛ばす。


 狙うのは、その大きな目。相手もそれはわかっていたのだろう、こん棒を持っていないほうの手で、簡単に防がれてしまった。軽い火傷をしているようだけれど、それだけ。

 シエルはすぐに、新しい炎を躍らせる。今度は、次から次に、炎を繰り出し、繰り出された炎は意思を持ったようにくるくると回りながら、巨人を取り囲み、1つの巨大な炎になる。


 舞姫になったらどうやって戦うのか、というシミュレーションはここ数年ずっとしていた。剣があれば、剣舞ということで戦えなくもないだろう。だけれど逃げ出した時に、都合よく剣があるとも思えない。だから、攻撃手段は魔術だけ。

 そうして考えていたのが、今の戦い方。攻撃魔術を使った舞。そもそも、踊りとは、舞とは何かという話になるが、いくつもの資料を見てわたしたちは、自分自身の身体と必要なら道具を使って、魅せることだと結論付けた。


 魅せるのに大切なことは、所作を丁寧にすること。貴族のマナーなんかも、ある種の舞だといえる。

 それと魔術を組み合わせ自体は、相性がいいというのは考えるまでもない。派手さは人を惹きつけるから。加えて舞姫は"舞"のみで、こともできる。

 だから詠唱も魔法陣もなく、魔術を発動させることができるのではないか。ぶっつけ本番だったけれど、シエルはやり切った。


 燃え上がった炎をシエルは、じっと見つめている。

 相手が人であればまず助からないであろう一撃ではあったけれど、巨人は巨大なこん棒をブオンとぶん回し、炎をすべて払ってしまった。

 体中に火傷がみられるが、全く倒れそうもない。シエルは、相手が無事なのを確認すると、すぐに距離を取って肩をすくめた。


「いまのでダメなら、困ってしまうのよね」

『逃げますか? 魔法で撹乱しながらなら、逃げられるかもしれませんよ』


 そうは言うけれど、シエルにはどこか余裕がある。そのおかげか、わたしも必要以上に焦ることなく、提案することができた。


「それもいいんだけれど、私ね、気が付いたことがあるの」

『何ですか?』

「私はよく踊っていたけれど、いまみたいに一人で踊っていることって、なかったのよ。できれば、いつもみたいに踊りたいの」


 シエルは意味は分かるかしら、とばかりの目をするけれど、それはわたしに歌えということなのだろうか。わたしの職業は歌姫。敵味方を問わず、わたしの声を聴いたもの全員に何かしらの効果を与える不遇な職業。

 だけれど……とりあえずやってみる価値はあるかもしれない。


 気分だけ深呼吸をして、できるだけ平常の状態に戻す。それから、いつものように歌いだす。いまのシエルに足りないのは、一撃一撃の威力だ。だから、シエルの心を燃え上がらせるような激しい曲を、強い想いを叩きつけるような曲を歌う。

 速さはいらない、とにかく情熱的なダンスを、シエルには踊ってもらおう。


 知っている曲の中でも、1.2を争う熱い曲。きっとシエルはこの歌詞がどういう意味かは分からないと思うけれど、それでもきっと伝わるはず。

 今までたくさん歌ってきたけれど、たぶん歌うのは初めてではないだろうか。

 シエルは驚いたように目を丸くしたあと、すぐに目を細めて、口角を上げた。


 シエルがリズムをとるように、タタンと地面を踏みしめる。

 それに呼応するように、シエルの周りに炎が噴き出し、圧縮されて、やがて球状になって留まった。

 そのあとは、いつも通りのわたしとシエルの楽しい時間が始まる。


 わたしの歌に合わせてシエルがステップを踏む。情熱的な今日は繊細さを捨て、やりすぎるくらいに、手を、脚を振り回す。鞭のようにしなやかな手足は、ヒュンヒュンと風を切り裂く。

 踏みしめる足も砂埃を巻き上げるほどに力が入っているけれど、粗野な感じは全くしない。


 真っ白な髪が激しく別の生き物のように動き、青い瞳には確かな意思を感じさせる。


 舞う炎は巨人の方へと飛んでいくと、その皮膚を焦がしながら、巨体を貫いた。

 巨人は驚いたように「グオオオオォォ」と叫び声をあげ、炎を消そうとこん棒を振り回すけれど、自在に動く炎の球をまるでとらえられていない。まるで、炎の妖精に遊ばれているかのようだ。


 5分にも満たない短い時間だったけれど、シエルが踊り終わった時、巨人は全身に穴をあけて倒れていた。

 舞が終わると同時に、炎の妖精たちは消えたので、"舞姫"による制御ということで間違いないだろう。

 フィニッシュで心臓を貫いていたけれど、焼きながらだったせいか、さほど出血も多くない。


 すべてが終わり、辺りが再び静かになったころ、シエルが満足げにふふんと笑う。


「やっぱり、エインと一緒が一番よね」

『シエルは、気が付いていたんですか?』

「"歌姫"のことなら、そうじゃないかなって、思っていたのよ」


 本来敵味方問わずに発揮される支援効果だけれど、いまのわたしの声は、シエルにしか届かない。だから支援効果はシエルにしか行かずに、歌姫としての能力を存分に発揮できたのだろう。

 しかし、貴族が雇った護衛を軽々と倒した相手を、10歳でしかないシエルが一方的に殲滅できたことには、違和感を覚える。

 ということは、やはりわたしとシエルは最高に相性がいいのか、もしくは――。


『わたしの歌が、舞姫の舞台装置としても働いたんですね』

「こっちは私も予想外だったけれど、私とエインが一緒なら、何も怖くないことが証明されたのね」

『正直できすぎだとは思いますが』

「できすぎじゃないのよ。だって私たちは生まれてすぐのころから、ずっと一緒に歌って踊ってきたのだもの。相性がいいのは当たり前なのよ」


 シエルが満面の笑みを浮かべて、わたしのほうを見る。

 普段に比べるととてもテンションが高いけれど、それが年相応のようでとても魅力的な彼女に『そうですね』と優しい声を返す。


「きっとこうして、エインと巡り会えたのは、運命なのよ。

 だから、これからもずっと、ずっと、一緒にいてくれる?」

『わたしの方こそ、これからもよろしくお願いします』


 運命だと感じるのは、わたしも同じだから。シエルを守ってきたようでいて、実際はわたしもシエルに守られて来たのだから。

 だから、いまこうやって、一緒に笑えることは運命なのだ。

 これから先、どうなるかはわからないけれど、ともかく今は新しい日々に向けて、一歩を踏み出せたのだ。

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