第6話 今後のこととこれまでのこと、それから職業
『シエルは今後どうしたいんですか?』
女の子――シエルメール――と話せるようになったので、今後のことについて話そうかと、声をかける。
シエルは少し首をかしげると、「どうしたいって、どういう意味かしら?」と尋ね返してきた。
『シエルがその気なら、この屋敷から逃げる方法を探せないかなと、考えているんです』
「ええ、そうよね。もちろん、逃げたいわ。エインは力を貸してくれる?」
『シエルのためなら、いくらでも』
たぶん、屋敷を出るだけなら、わたしの魔法をうまく使えばできなくはない。探知があれば、見つからないように動けるし、見つかっても結界で身を守れる。これらの魔法は可能な限り隠ぺいしているので、あの男にもバレないと思う。
それにシエルは、年齢もあってかなり小さいので、隠れながら進むのにはちょうどいいだろう。
しかし問題は逃げ出した後、追っ手を差し向けられた場合。逃げ続けるには、シエルもわたしもモノを知らなすぎる。
相手が一般家庭程度の力しかないなら、隣町に逃げるだけでも隠れ住むことはできるだろうけれど、どうにもあの男は貴族っぽい。少なくともシエルを閉じ込めておけるだけの財力は持ち合わせている。
それから、屋敷の外が安全だという保証もない。魔法がある世界だから、魔物もいるかもしれないし、現代日本のように道が整備されていると考えるのは、楽観視しすぎだろう。
魔物が現れたとき、それらを倒すための戦闘力がなければ、守る一辺倒ではじり貧になる。
理想は、あの男からシエルが捨てられることだろうか。興味を失くして放っておいてくれるのが、現段階では最も確実だと思う。
もしくは死んだふりをすることも考えられるが、屋敷の中にいては簡単にできないし、屋敷の外だとしても代わりの死体を用意できなければ難しい。逃げるにしても、死んだふりをするにしても、まずはこの世界の情報は必要になる。
『ということで、急いで逃げたいんですが、準備もしないと危ないと思うんですよね』
「確かに、大変そうね。
でもね、エイン。逃げる話も大切だとは思うのよ。でも、まずはお互いのことを知ることから、始めましょう?」
『ですが、いつまで安全かわかりませんよ? あの男の気分が変われば、すぐにでも命を狙われるかもしれません。
まあ、今の生活も普通は安全とはいいがたいですが』
「それなら大丈夫よ。少なくとも、私が10歳になるまでは、今のままの生活が続くはずだもの」
『どうしてそう言い切れるんですか?』
自信ありげなシエルに、わたしは思わず首をかしげる。
シエルは「んー」と可愛らしい唸り声をあげてから、「そうね」といって説明を始める。
「エインは、あの男が今何を目的にしているか、わかるかしら?」
『わかりません。以前は、シエルの血を目的にしていたんですよね』
「そうよ、ただの血では駄目だったらしいけれど。それで、うまくいかなかったってところは、わかっていると思うの。
だから、今度は私を魔術関係の"姫"にしようとしているのよ。そしたら、新しく実験をするときに、便利なお手伝いができるものね」
『えっと、姫……というのは、何なのでしょう?』
さも当たり前のように、姫と出てきたが、お姫様はなろうと思ってなれるものではないと思う。
シエルの場合、実は姫と呼ばれる身分でしたっていうのはありそうだけれど。でも、そういうことを言っているのではないことくらいはわかる。
あと余談だけれど、わたしが今まで魔法だと思ってきたものは、こちらでは魔術というらしい。
シエルは、わたしの言葉に驚いていたようだけれど、すぐに話を再開した。
「エインは、
説明に出てきたのは、やはり未知の言葉。
職業という言葉だけを見れば、教師とか、消防士とか、会社員とかそういうことだろう。
"姫"も一種の職業と、見ることはできるかもしれない。
だが、ここまで来たら、なんとなくは予想できる。日本にいたころは、ある程度ゲームも嗜んでいたし。
だけれど、ここで見栄を張って知っているといえば、実は違ったというときに困るのはわたしであり、シエルなので『わかりません』と正直に返す。
「職業は10歳になると神様から授けられるもので、その内容によって得意なことが決まるとされているの。例えば職業が"○○剣士"とかだったら、剣の扱いがうまくなりやすいという感じかしら」
『その中に、姫という職業があるんですか?』
「姫は、少し違うのよ。同じ職業でも、位があるって言えばいいのかしら?」
『上級剣士とか、下級剣士とかがあるってことですね。では、姫というのは、特に位の高い職業ってことになるんでしょう』
「そうよ。それであっているのよ」
シエルが嬉しそうにパンッと手をたたく。難しいことを説明してわかってくれた時のうれしさというのは、小難しいなぞなぞを解けたときのような爽快感があるのだけれど、シエルもそういったことを感じてくれているらしい。
現状あの男の考えとしては、シエルに魔術職につかせてこき使いたいということだろう。扱いは悪くても、シエルにかけたお金はおそらくかなりのものになるだろうし、何とか使いまわそうという苦肉の策に見える。
「正確には、姫は女性の最も上の一般職業になるのよ。男性だったら、王がつくわ」
『職業は自分で選べるものなんですか?』
「はっきりとは言い切れないのよね。10歳になった時に、神様が勝手に決めるっていわれているわ。
だけれど、何か得意なことがあれば、それにまつわる職業になることが多いらしいの。毎日剣術を練習していた子の方が、全くしていなかった子よりも剣にまつわる職業になりやすいって研究結果が、この部屋のどこかにあったもの」
『つまり食事の時のあの魔力を暴走させる薬は、少しでもシエルが魔術関係の職業になる可能性を上げるためだったわけですね』
だとしたら、この部屋にある本も、魔術関係が多いのだろうか。
シエルを助手にするために必要なものがこの部屋の本にあるとすれば、その知識は逃げるのにも役に立つはずだ。そうなると、シエルのように本を読めないというのが悔やまれる。話せはするが、そこまで文字は得意ではない。
1冊1冊音読してもらうわけにもいかないので、シエルの頭の良さに期待するしかなさそうだ。
「あの男は私を姫にするって言っていたけど、実は姫だからって一番いいってわけでもないのよ」
『どういうことですか?』
「かつて剣王が剣士に負けたっていう話を、どこかで見たの。
だから結局は、努力が大事だって言う話ね。だから私の職業が何であっても、逃げるのに全く役に立たないということはないと思うわ」
『そうですね。むしろ、使い勝手は良さそうですけど、魔術系の職業にはならないほうが良いかもしれません』
「話を戻すわ。男が求めているのは私の職業だから、10歳までは今のままこの部屋で魔術の勉強をしていないといけないの」
逆に言えば、10歳になってシエルの職業がはっきりするまでは、男も簡単にはシエルを手放さないということだ。
確かにいま焦って、逃げ出す方法を考えなくてもいいかもしれない。
「時間があるとわかったところで、今度こそお互いのことを話したいのだけれど、良いかしら?」
『そうですね。焦って行動したほうが拙そうです。ですが何から話しましょうか』
「まずエインに聞きたいのだけれど、エインは神様ではないのよね?」
『違いますが、どうしてわたしが神だと思ったんですか?』
「あの男の最初の目的が、赤ん坊の私に神様を宿らせて、神様を作るつもりだったのよ。でも、エインが違うなら、やっぱり失敗したのね」
話のスケールが一気に大きくなって、一瞬固まってしまう。シエルが事も無げに言うものだから、そのギャップになおさら言葉を見つけられなかった。
日本にいたときには、あまり神を意識したことはなかったけれど、この世界だと神は職業を与えてくれる身近で、確かに感じられるものなのか。だから神を作るなんて、たいそうな考えも生まれたのかもしれない。
だからといって、娘を実験台にするのは、どういう了見なのだろうか。下手したら、シエルの意識は乗っ取られて、生贄同然になると思うのだけれど。いや、"娘"は死んでも良いと、そう考えるのがあの男なのか。
『牢屋にいたころ、あの男がシエルが無事だったことを喜び、大切にしているように見えたのは、シエルに神が宿っていると思っていたからですか。
何度も襲撃したのも神が宿っているかの確認。神ならこんなことでは死なないとか、考えていたんでしょうね。死ねば神はいなかったということで、実験は失敗だったで片づけられるのでしょう。
そう考えると、あの時あの男が喜んでいたのも、わからなくはありません』
「はっきりとは聞いていないけれど、そうだったのよね。
食べ物を与えられなかったのも、人の食べ物を食べさせて私が神様ではなくなってしまうことを恐れたからみたい。それも、何の根拠もなさそうだけれど」
『欲しかったものも、シエルの血ではなくて、神の血だったってことですね』
シエルが頷くのを複雑な心境で眺める。神の血ともなれば強力な力がありそうなのはわかるし、一生に一度しか得られないようなものであれば、人が生き返るような奇跡が起きても不思議ではない。
あの男には、それほどの願いがあったのかもしれない。愛しい人とたった一言だけでも言葉を交わしたい、そういったものかもしれない。
だけれどシエルにしてきた仕打ちを許せるかといえば、全くそんなことはないわけで。
ある程度事情を想像できるところまでやってきて、怒りが収まったかといえば、そんなことはない。
むしろ、今までは得体のしれない気持ち悪さがあって、そちらに気を取られていたけれど、それが薄まった結果、より怒りがわいてくる。
「それからあの日。私が神様ではないと気が付いて、この部屋に連れてこられたの。
その時に、ここにある本を10歳になるまでにすべて読むようにといわれたのよ。あとは、エインもわかるのではないかしら」
シエルは言わなかったけれど、以前包帯を巻いていたのは、神ではないことがわかってあの男が八つ当たりをしたからだろう。
何というか、神が身近にいる世界で、よくこんなことができるよなと関心はするけれど、いっそ天罰が当たればいいのにとも思う。
「私の話は終わってしまったわね」とシエルがポツリとつぶやく。ほぼ生まれたときから一緒にいるから、改めて話すといっても、話せることもないだろう。
「次はエインについて、教えてほしいわ」
『そうですね。まず、わたし自身、どうしてシエルと一緒にいるかはわかりません。
おそらくですが、シエルに神を宿らせるための何かに、引き寄せられたのかもしれませんね。全く関係ないのかもしれませんが、そちらの方がしっくりきます』
「それはエインが、ぼんやり光っている人ではない、ってことよね?」
『えっと、どうなんでしょうか。たぶん、それがわたしの魂になるんだと思います。
魂だけでいるのはおかしな話なのだと思いますから、シエルの身体にシエルとわたしの2つの魂があると考えたほうが良いかもしれませんね。どうやら、わたしはシエルの身体に縛り付けられているようなので』
「だったら、私の身体はエインのものでもあるってことよね? ごめんなさい。たくさん傷つけてしまったわ」
なんだか説明が難しくて、曖昧になってしまった。それでも、シエルは何とか理解してくれたらしく、伏し目がちに謝る。
たぶん、シエルが死ねば、わたしも死ぬのだろうから、わたしのものと言えなくはない。
だけれど、わたしは一度死んだ身なので、シエルの身体はシエルのもので、シエルの人生を歩んでくれたらそれでいい。何というか、たまに間借りしているくらいの印象だ。
『いえ、わたしはあくまでも、シエルの身体を借りているだけですよ。
何せ、わたしはすでに、死んでいるはずの人間ですから』
「エインは死んでいるの?」
『どのように言えばいいのかわかりませんが、わたしは確かに1度死にました。
どのように死んだのかも、ちゃんと覚えていますから、間違いないはずです。
死んで魂だけになってしまったところを、例の実験で、シエルに宿らせたというのが今のわたしの考えですね。つまり、わたしは後からやってきたもので、シエルの身体はシエルのものですよ』
「ええ、そういうことにしておくわね。
身体を借りているって言っていたけれど、エインも私の身体を動かせるのかしら?」
『シエルが寝ているときには、借りていました。あの薬を飲んだ時も、お手伝いさせていただきました。ですが、起きているときに、体を動かすのはどうなんでしょう? やってみますか?』
「ふふ、お願いするわ」
少し落ち込んでいたシエルが元気を取り戻して、笑顔を見せる。自分の中で折り合いをつけてくれたようで、説明が難しいこちらとしては助かった。
それに、自分が動かす気がないのに体が勝手に動くという珍しい体験に、興味もあるのだろう。
今後、必要になってくるかもしれないし、やってみることに越したことはなさそうだ。
まずはシエルに声をかけて、寝ているときのような感覚で、動かしてみる。
身体全体が変に力んでいるような感じで、動きそうにない。
『シエル、目を瞑って、力を抜いてみてくれませんか?』
「わかったわ」
指示すると、シエルはすぐに従って目を閉じ、全身を弛緩させる。
今度は、先ほどよりも抵抗がなくなり、わたしの思った通りにシエルの身体が動き出した。
ただ、全身に重りが付いているようで、スムーズに動かすことはできない。
現状でも使えなくはないけれど、まだまだ試してみたほうが良さそうだ。軽く動きを確認して、シエルに体を返した。
「とっても、不思議な感覚だったわ。でも、エインがいるんだなってわかるのはうれしいものね」
『何か、嫌な感じはしませんでしたか?』
「いいえ、楽しかったのよ。いつもこうやって、守ってくれていたのね。
ありがとう、エイン」
『当然のことをしただけですから』
魔術を使っていたので、正確には違うけれど、シエルの身体を借りていたことには変わりない。
まっすぐなお礼が照れくさくて、そっけない返しになってしまったけれど、以前と違って受け入れられるようになったのは、シエルとの距離が近くなったからだろうか。
いままで、至らないところもたくさんあったけれど、シエルが拒まない限りは守り続けて行こう。
そのためには、シエルが10歳になるまでに、やらないといけないことを、1つずつこなしていかないと。さしあたっては、職業について調べるところから。
『これからのことですが、まずは職業について調べていきましょう。
どういったものがあるのか、その中で評価が高いものは何か、逆に低いものは何かがわかって、できれば狙った職業にできる方法が見つかれば、屋敷から抜け出せる可能性も高くなるはずです』
「職業について書かれた本を、優先的に読むようにすればいいのね。
とはいっても、ここにある本はすべて読んでしまうつもりなのだけれど」
『そうですね。それなら、いつも通りに過ごしましょう?』
「それは、歌ってくれるって事かしら?」
『嫌でしたか?』
「いいえ、それは楽しみね」
期待に満ちた顔でシエルはそう返すと、職業の本を探し始めた。
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