第4話 2度目の後悔と勉強と薬

 前世において、死を迎えるとき、即死ではなかったため少し考える時間があった。

 走馬燈というのだろうか、たくさんのことを考えていたようにも思うのだけれど、けれども女の子を守れなかった事以上に、後悔はなかった。





 木の香りがする。とても懐かしい。ここ最近はずっと、石の冷たさばかり感じていたから。

 そんな風に、ぼんやりと意識が戻ってきた。

 いつも感じていた、牢屋の冷たい感覚はなくて、暖かみのある何かに座っているらしい。はっとして、周りを見渡すと、部屋の中が本棚に埋め尽くされていた。


 6畳ほどの広さの部屋の、壁沿いにはもちろん、部屋を半分に仕切るようにも本棚が設置してある。

 僕がここにいるという事は、女の子がここに移されたということなのだろうけれど、何故今更移動したのだろうか。考えられるのは、あの出来事で、何かが変わったことか。


 女の子の安全を確認するためにも、あたりを探す。

 とはいっても、広くない部屋の中、すぐに彼女は見つかった。それと同時に、言葉を失った。

 金色だった彼女の髪は、色が抜け落ちたのか真っ白になっていて、怪我をしたのか、手足や首に包帯が巻かれている。服で見えないが、お腹にも巻かれている様子だ。

 その原因となる鋭い痛みは、前世の記憶から察するに刃物で切られたものだと考えられる。

 その状態で地べたに座り、薄い本を読んでいた。


 パラ……パラ……と彼女がページをめくる音だけが、この部屋を支配している。


 瞳には生気が感じられず、黙々と本を読む機械になったのではないかと、誤認してしまいそうだ。


 ああ……と声が漏れる。今の人形のような彼女は、触れると壊れてしまいそうなほどに、はかなく美しい。だけれど、その生々しい傷跡は、痛々しい光景は、僕がまた彼女を守れなかった証明でもある。

 次は守るという決意は、いつの間にか打ち砕かれていて、僕を責める声がまた頭の中にこだまする。


 気が狂いそうになる。

 ここで死んでしまいたいと、心からそう思う。

 だけれど、ここで気が狂ってしまえば、死んでしまえば、次に彼女が命をねらわれたときに、守れる存在がなくなるという事だ。

 彼女の傷が治っていないと言うことは、男の中で彼女の重要度が下がったという事にほかならない。あの男のことだ、何かあれば簡単に彼女を殺すだろう。


 だから、僕なんかでは心許ないと思うけれど、彼女だって願い下げだと思っているかもしれないけれど、彼女が男に見捨てられたときに、守らないといけない。

 まずは、その心から。僕に出来る事なんて、結界を作るか、周りを探るか、歌うかしかないから、今は少しでも彼女の気が紛れてくれることを祈って、歌うことしかできない。


 そして、何も写っていないような彼女の瞳に、こうなるまで助けることが出来なかった僕への怒りを、ほんのわずかでも浮かべてくれたら、まだ彼女は人としてやり直せる。

 そう信じて、静かな歌を、静寂の中にあって耳障りにならない歌を、出来るだけ優しい声で歌おうと声を出す。

 しかし、彼女の現状に感情を揺さぶられていた僕の声もまた、ひどく震えていて、歌にならない。


 情けない。今、唯一出来ることも、出来なくなってしまったのか。

 でも、こんな情けない僕になら、彼女もきっと怒りを見せてくれるだろう。

 そう思って、彼女をみると、驚いたように目を見開き、宝石のような青い瞳の両端からは、涙が流れ落ちていた。

 それから、目を細めた彼女は、ゆっくりと口を開く。


「――?」


 鈴を転がすような声は、耳にとても心地良い。

 だけれど、何を言ったのかが分からない。せっかく、彼女が何かを言ってくれたというのに。

 分かることは、怒っていないと言うことと、何かを尋ねていること。


『……っごめん、わからないよ』


 のどが詰まりながらも、何とか返す。

 言葉が違うと言うことを理解してもらえるかも、分からないけれど。それでも、返さないわけにはいかないから。


 彼女は2度瞬きをしたかと思うと、何かを納得した様子でうなずいて、こちらに手を伸ばした。

 幼く小さな彼女の指が、僕に触れると、僕の存在がスッと彼女の中に入っていく。

 彼女に取り憑いているような、慣れた状態だけれど、これがとても落ち着くのは間違いない。でも、彼女の意図はよくわからなかった。


 そもそも、彼女は僕をどう認識しているのだろうか。

 自分の境遇をどう思っているのだろうか。分からないことは多いけれど、今日初めて会話をした彼女は、見かけ以上に大人だと感じた。





 座敷牢と違い、本がたくさんあるこの部屋で、彼女は延々と本を読む。

 どうやら、彼女もまだ文字が堪能というわけではないようで、ページ当たりの文字数が少ないものを読んでいた。

 この前まで文字に触れたこともなかったのだから、当然というか、むしろかなり優秀だと思う。

 少なくとも、数年一緒にいて、言葉を覚えていない僕よりも、何倍も頭が良い。


 だからだろうか、彼女はしばらくひとりで本を読んだ後で、指をさしながらゆっくりと音を発する、

 おそらく、文字と言葉を僕に覚えさせようとしているのだろう。

 彼女自身の勉強もあるだろうけれど、以前の失敗もあるので、心遣いに甘えさせてもらうことにした。というか、遠慮するにも言葉が通じない。

 こうしてくれるということは、彼女自身、僕のことをしっかり認識していて、意思があるのだとわかっているのだろう。しかも、言葉が違うということも、理解しているのかもしれない。


 本当に頭が良い子だと思う。僕が彼女くらいのころといえば、まだ小学校にも入学していなくて、下手したら文字も読めていなかったのではないだろうか。

 じっとしておくことが苦手で、すぐに外に繰り出していたように思う。

 ここまで違うのは、もともとの出来もあるだろうけれど、優秀でなければ生きていけないからに違いない。そう考えると、彼女の優秀さが、物悲しく思える。


 本を読んで、文字を教えてもらって、ほかに何かすることがあるのかと思っていたら、人が近づいてくる気配を感じた。

 探知で調べたところ、例の男とはまた違う人物が、この部屋に近づいてきているらしい。

 二度あることは三度あるとならないように、何かあったらすぐに彼女を守れるように、意識を集中する。


 扉の前まで来た来訪者は、ノックをすることなく、ずかずかと部屋に入ってきた。

 あの男よりも、少し年齢が上に見える、全く表情を変えない能面でも被っているようなバトラー。

 きちっとした服装と相まって、非常に不気味で、その手にはトレーが乗せられている。

 彼は雑に地面において、扉を背にして、腕を組んだ。女の子に何か言ったが、おそらく「食え」といった感じだろう。


 トレーに乗っていたのは、硬そうなパンと薄そうなスープ。それでも、僕としては数年ぶりにみた、食事らしい食事に、少し感動している。

 とはいえ、粗末な食事ではある。あの男もやってこないし、女の子の価値がいくらか下がったといえるだろう。だからといって、手放すわけでもなく、勉強をするようにといい含められているのか。

 あと気になるのは、トレーの上にある、あえて無視していた小さい黒い球状のもの。食べ物ではないようだし、考えられるとしたら、薬だろうか。


 女の子は能面バトラーに一瞥をくれることなく、トレーに近づいて、パンをちぎり、スープに浸す。

 柔らかくなったパンを口に運ぶのだけれど、お世辞にもおいしいとは言えない。

 しかも、今まで食事をまともに取ってこなかったせいか、飲み込むのに苦労している。喉を通るときに、パンが引っかかるような感じがして、不快感が残った。


 でも、血管を切られて、無理やり謎の液体を流されるよりは、何倍もマシ。

 パンとスープがなくなり、食事も終わりかと思ったけれど、女の子は神妙に黒い玉を見ている。

 身構えているところから、飲みたくないのだろう。しかし、能面バトラーはそれを許してはくれなさそうだ。

 食事中からずっと、こちらを見ていて落ち着かない。十中八九監視なのだろう。


 意を決して、女の子が薬を飲む。

 すると、ちょうどお腹のあたりが熱を持ち始め、その熱が全身に回り始めた。

 この感じは魔力で間違いないと思うけれど、暴走しているのだろう、規模が生易しいものではない。血管に必要以上に血を送り込んでいる感じだろうか。

 魔力を高速で循環していないと、どこかで滞ってしまったが最後、そこから身体が破壊されそうだ。


 よくよく感じてみれば、この溢れんばかりの魔力をどうにかするためか、髪の毛1本1本にも循環しているのがわかる。

 女の子の髪の色が変わったのも、このせいだろう。

 もしも今までに全く魔力を使ったことがない人が、この薬を使ったとしたら、間違いなく死ぬと思う。

 だけれど、女の子の魔力循環は常々僕が行っていた。そのおかげもあってか、苦しみながらも、彼女は耐えることができたのだろう。


 しかし、今日からはもっと楽になると思う。これくらいの魔力操作なら、難しくないから。

 身体の不調に耐えるように、女の子がギュッと目をつぶっていたので、魔力操作をとってかわる。

 彼女も違和感があったのか、最初はなんだか抵抗感があったけれど、すぐにこちらにゆだねてくれた。

 グルグルと循環させてみてわかるのは、この魔力が女の子のものに比べると、操作しやすいということ。薬から得られた魔力は、今のところ誰のものでもないからだろうか。


 外から入れられた魔力だからか、循環を続けていれば、蒸発していくように消えていく。

 このまま消えてしまうのは、なんだかもったいない。これを自分のものにできたら、今後役に立つのではないだろうか。

 できれば、女の子の魔力を増やして、何かしら自衛できるようになってくれたらいいのだけれど、安全を考えてまずは自分でやってみる。

 循環させている薬の魔力を、魂につながる管に押しやるだけなので、そこまで難しくはない。


 一気にやると、魂が崩れるというか、変な感じになりそうだったのでゆっくりゆっくり、魔力を移し替えていった結果、劇的にとはいかないまでも、魔力が増えたように感じる。

 暴走していた分の何割かが、還元されると見ていいだろう。


 気が付けば、能面バトラーはいなくなっていて、女の子はきょとんとしていた。


 そのあとは、また読書の時間が始まる。

 しばらく、本に集中していたので、邪魔しちゃ悪いかなと思ったけれど、急に彼女は本を閉じきょろきょろと何かを探し始めた。

 そして、僕に合わせて視線を止めると、もの言いたげな目を向けてくる。


 何を言いたいのだろうかと首をかしげていたら、女の子が声を出した。

 日本語のようで、日本語とは少し違うそれは、どうやら僕の歌をまねているらしい。

 つまり、歌えということか。歌うことは唯一の楽しみといっていいものだから、歌っていいのであれば歌うけれど。

 そう思って歌いだせば、女の子が楽しそうに踊りだす。枷がなくなり、自由に動ける世になった彼女の舞は、その真っ白になってしまった髪も相まって、妖精が踊っているかのように幻想的なものだった。

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