第3話 暗殺と事件と慟哭

 女の子もだいぶ成長して、歩き回れるようになった。

 そのころには首輪は無くなり座敷牢の中を自由に動けるようになったけれど、女の子と不釣り合いの無骨な金属は、男の彼女への執着が形になっているようで、気分が悪い。

 そんなに逃がしたくないのだとしたら、もっと別の方法もあるだろうに、本当に男の考えが分からない。


 このころになると、女の子も簡単な受け答えが出来るようになったらしく、男と言葉を交わしているところを、たびたび目にするようになった。僕はと言えば、相変わらず言葉が分からない。こんな何もないところで、話が出来るようになるというのは、子供はなんと学習能力が高いのだろう。


 また、これまでは直接害を及ぼされることはなかったのだけれど、最近はそうではなくなってきた。

 女の子が寝静まったタイミングで、誰かが入ってきたかと思うと、刃物を投げつけてきたり、魔法の炎で燃やされかけたりと、いわば暗殺のようなことをされ続けている。おかげで、言葉の勉強ができない、ということにしておこう。


 探知の魔法は常に展開しているし、結界もちゃんと機能しているので、これくらいのちょっかいは問題はない。

 魔法が使えることが気づかれたからの暴挙かと思ったけれど、あの男の前で魔法を使ってから暗殺が始まるまでに時間的な開きがあったので、僕の魔法は関係ない――と思う。


 問題ないとは言ったものの、あまりに攻撃が激しかったときには、結界が耐えられなくて、何度も張り直し、魔力が切れてしまったこともある。

 以降、魔力をいかに少なくすませるか、と言うことにも力を入れている。


 それはそれとして、暗殺が行われた後、少し時間を空けてから男がやってきて、無事な女の子を見つけて歓喜に打ち振るえている様を何度も見かけた。言葉が分からないので、奇声を上げているようにしか聞こえないし、見開かれた目や狂喜に歪んだ口は非常に怖いので、もっと別の喜び方をしてほしい。


 ここで気になるのが、誰が女の子を殺そうとしたのかだけれど、この男で間違いないだろう。暗殺されかけたのに、女の子を移動させようとはしないから、少なくとも何かしら関わっているのは確定。

 でも女の子に、死んでほしいというわけでもなさそう。むしろ、生き残っていることに、歓喜しているように見える。


 そこから考えるに、男は女の子を試しているのではないだろうか。それだけ特別な子だと思われているのかもしれないし、実際そうなのかもしれないけれど、僕が居なければ死んでいた。

 だとしたら、僕の存在を計算した上でやらかしているのだろうか。しかしこの子を物理的に守れているのはたまたま僕が魔法を使えるようになったからで、確実性に欠けると思うのだけれど。この程度何とかできないようでは、この子に価値はないということだろうか。

 それとも全く別の理由があるのか、分からないけれど、何があるにしても男を許せる気がしない。


 だけれど、ある日問題が起きた。


 女の子が喜んでくれるため日課となっていた歌を終え、彼女が寝静まったあと、また妙な気配を感じて、意識を集中する。

 場所は斜向かいの牢屋の中。その一角に魔力の反応がある。その反応が、なんか薄っぺらい。地面に何か書いているのだろうか。

 その後に何か小動物くらいの存在がわいてきて、こちらにやってくる。よくよく探知してみれば蜘蛛らしく、手のひらサイズの八本足が飛び跳ねているのが分かる。


 牢屋にやってきてやることと言っても、そこら中をかじることだけれど、それくらいなら結界があるからなんともない。精神的には辛いけれど、直視していないからまだ大丈夫。

 そう思っていたら、不意に目に光が入り込んだ――。



 気持ち悪い。


 きもちわるい。


 キモチワルイ。



 幸か不幸か、女の子も気持ち悪かったのか、すぐに目を閉じてくれたけれど、カタカタと震えている。

 少しでも気をそらせないかと、子守歌を歌ってはみたけれど、蜘蛛にまみれて子守歌を歌う状況というのにも、頭が痛くなった。





 女の子の見た目が、5歳ほどになった。

 毎日時間を作って、歌を歌い女の子とコミュニケーションを図っていたのだけれど、最近はくるくるとしっかり踊ってくれる。

 リズムは取っているし、歌っている曲にあわせて、踊り方も変えているところを見るに、かなり才能があるのではないだろうか。

 若干親馬鹿っぽいけれど、幼いながらも整った顔立ちの女の子が、自分の歌にあわせて踊ってくれるのは、うれしいし、可愛らしい。


 魔法の方も、順調に自己研鑽してきた。

 今回は魔力の省エネの方に力を入れて、今では常に探知魔法を使っていても魔力が切れることもないし、結界も何度も壊されない限り張りっぱなしに出来る。

 おかげで最近は、魔力を使い果たして意識を失うことが、かなり減った。


 我ながらなんて才能だと思う反面、回復魔法については全く出来る気がしなくなった。何というか、魔法の才能を探知と結界に極振りしたのではないかと、疑いたくなる。今までの事を考えると、それで何の問題もないのだけれど。


 ただ、どれだけ守りを固めようとも、男から受ける傷だけは防いではいけないと言うのが、何とも精神衛生上良くない。

 未だに謎の液体に栄養を頼っているため、どうしようもないし、傷跡が残らないように治療はされているけれど、どうにももやもやする。

 だいたい、男もこんな方法を続けるのは、面倒だろうに。


 しかし、それ以外なら大丈夫だろうという慢心があったのかもしれない。

 その事件は、唐突に起こってしまった。


 ある日、いつものように注射器を持ってきた男は、今日はいつもとは違う容器を持ってきていた。

 いつもの食事風景、いつもの嫌悪感。女の子と感覚がリンクしているため、痛みもやってくるのだろうと陰鬱としてくる。

 だけれどこの日は、食事が始まる前に女の子と男が少し長く話をしていた。


 もしかして、この醜悪な食事が終わるのかな、と心のどこかで期待していたのだけれどそんなこともなく、いつもの食事が始まった。

 普段なら終わればすぐ帰るのにその様子を見せない男に、また何か特別な薬でも入れるつもりなのだろうかと訝しんでいたら、初めて持ってきた容器から粘性のある液体を女の子の下腹部と自分の指につけた。


 嫌な予感がして、女の子を守ろうとしたけれど、男が身体に触れているため、自分の存在がバレてしまうのではないかと、逡巡してしまった。

 躊躇いはほんの一瞬。しかし、とても興奮している男が行動を起こすには、十分すぎた。


 下腹部に何かが入ってくる異物感と同時に、痛みが襲ってくる。突然のことに頭が全く働かない。


 それから男は懐から試験管を取り出し、やがてその中には紅い液体が入っていた。その紅を見つめている男は、狂気じみていて、ここが彼の作り出した地獄なのだと、ぼうっとする頭で考えていた。


 それから、男は焦れたように急ぎ足で牢屋を出て行く。

 残された女の子は、感情のこもっていない瞳で、男の背中を見送っていたけれど、僕は彼女の様子に気をかけている余裕がなかった。

 ぼうっとしていて、真っ白だった頭に色が戻り、今このとき、何があったのかを急速に理解していく。


 それと同時に、女の子を守れなかったという事実が、ありありとその存在感を増してきた。

 今思えば、食事の前の会話が長かったのも、男が女の子にこのことを伝えていたからではないだろうか。


 つまり、僕がこの世界の言葉を少しでも理解しようとしていれば、避けられたことかもしれない。そもそも、あのとき躊躇わなければ、避けられた事態だったのは、言うまでもない。

 守れなかった、その事実が僕に重たくのしかかってくる。


 女の子は今平気そうな顔をしているけれど、まだ幼いのだ。日頃から痛みを与えられている彼女にとって、今の痛みが何を意味しているのか、理解しているのかも怪しい。

 将来、この意味を知ったとき、彼女は絶望するのではないだろうか。それが心配でたまらない。


 そう思うのと同時に、自分の中のどこか冷静な部分が、責め立ててくる。


――心配なんて言っているが、自分が女の子に責められたくないだけではないか


――自分の見通しの甘さをみないようにしているだけだろう


――何故学ばなかった、何故躊躇った


――ちょっと魔法が使えるようになったからって、得意になっていたんじゃないか


――将来彼女が絶望したら、それはすべて自分おまえのせいだ


 それは分かっている。わかっているけど、どうしようもないんだ。

 何も出来なかった、何もしなかった、現実を見ていなかった。

 謝っても、彼女のは戻ってこないし、今回の出来事のせいで、男という存在に恐怖するようになれば、人類の半分に恐怖するということになる。


 そこに、どれだけの平穏があるのか、男だった僕には分からない。

 分からないからこそ、守らないといけなかったのに。


 思考は堂々巡りをして、繰り返すたびに僕を責め立てる。


『ごめん……なさい』


 女の子にしか聞こえない声で、謝罪する。意味がないことが分かっていても、自分勝手だと分かっていても、声にしないとつぶれてしまいそうだったから。

 身体を持たない僕は、涙を流すことも出来ないから。


 ただただ、謝る。


 ごめんなさい、と。許してほしい、次こそは必ず守るから、と。

 日本語で話す僕の言葉を、きっと女の子は理解できていないだろう。

 それでも、何度も何度も謝った。もう誰に謝っているのかも分からなくなるくらいに。


 慟哭といっても良いそれは、僕の意識がなくなるまで続いた。

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