第2話 液体の真意と魔法と歌と舞

 初めて男を目にしてから、数日がたった――のだと思う。

 座敷牢の中からは外が見えないし、僕は眠る必要がないし、女の子はいつでも寝ているようなものだし、どれだけの時間が過ぎたのか把握しにくい。


 あの時以降、男は定期的に現れては、女の子に注射を刺していった。

 痛みに慣れてしまほど繰り返されて気が付いたけれど、この行為をどうやらあの液体はこの子の食事の代わりらしい。

 というのも、ほかに何も与えられていないのに、衰弱する様子も見せないから。だから仮に止めることができても、止めるわけにはいかない。


 男以外の人間は見ることもなく、男が来るのは恐らく日に1回程度の食事の時だけ。それで汗などの老廃物がどうなっているかなのだけれど、白い布が勝手に浄化するらしい。

 傷口を治すところを見ていたから分かってはいたけれど、どうやら魔法が存在する世界のようだ。

 それは、ここが地球とは全く別のどこかになると言うことでもある。

 地球に未練がないわけではないけれど、死んでしまった身としてはそこまで縋りつくものでもなく、この考えに至っても取り乱すことはなかった。


 これが異世界転生なのかと、ぼんやり考えたこともあるけれど、今の僕の状態はどちらかというと、転移に近いのだろうか。

 よくわからないけれど、ここが地球ではないというのは、はっきりしている。


 さて、こんな中、この女の子を守るにはどうしたらいいのかだけれど、魔法が使えるようになるのが手っ取り早いと思う。というか、魔法が使えないか模索するしか今出来ることがないとも言う。

 一応女の子の体を借りて動くことはできなくはないのだけれど、ベッドの上から降りることもできないので、消去法的に魔法しか思い浮かばなかった。


 それに毎日男の回復魔法を受けているから、魔法を使うための何か――魔力でいいだろう――もどう言ったモノなのか、感じ取ることができてはいる。

 ゼロからのスタートではないだけ、何とかなると思う。

 ただし魔法を使うには、身体が必要になる。魔力を身体に循環させてどうにかすると魔法が発動する、と言うのが男を見ていて感じたこと。


 身体は女の子に借りるしかないのだけれど、彼女が起きていると主導権を得られないのは確認済み。

 だから、彼女が寝ているうちに行動を起こすことにした。


 続いて魔力を身体に循環させるために、魔力を感じ取ってみる。表現するのは難しいのだけれど、なんだかぽかぽかしたモノが身体をゆっくり巡っているイメージ。

 食事の時に男が無理矢理液体を魔法で血管に流し込んでいたせいか、これも意外とすんなりいけた。これを意図的に循環させてみる。手に集めてみたり、足に集めてみたり、素早く全身に行き渡らせてみたり。


 この子の身体を傷つけないために、違和感があったらすぐに止めたけれど、それでも男に定期的に授業させられていたようなモノだったから、ここまでは難なくこなすことが出来た。

 だけれど、問題もある。


 まず年齢のせいか、あの男と比べると魔力が少ない。むしろ、こちらをコップ1杯の水だとすると、あちらは25mプールとか、それくらいの量があるように思う。毎日魔法を受けているからそんな気がするので、実際どれくらいのものかはわからないけれど。

 まあ無ではないのだから、使いようではあると思うけれど、物量でこられたら間違いなく押し負けるだろう。


 それから、どうやったら魔法が発動するのか、さっぱり分からない。

 一つ思い浮かぶのが、回復魔法を使う前につぶやいていたなにか。これが詠唱だとすれば、魔法でこの子を守るというのが一気に遠退いてしまう。

 ここは無詠唱で魔法が使える方法があるということにかけて、今できることするしかない。


 あとは、どんな魔法を使えるようになるのが、最善か。感情だけで考えれば、あの男を害する――殺してしまえるほどの――魔法がほしい。いずれは、そういった魔法も必要になるかもしれないけれど、今は

 あの男には怒りしか沸いてこないけれど、この男の庇護下にいるから、この子が生きていられるのだ。簡単な話、男を殺して"食事"を得られなくなれば、この子は3日とたたずに死んでしまうだろう。それはさすがに容認出来ない。


 ではどういう魔法がいいのか。1つにこの子を外敵から守る結界のような魔法。1つに外敵をいち早く知るために周囲を知る魔法。1つに万が一怪我をしてしまったときのための回復魔法。

 最後に、これらの魔法を使ったと悟らせないための、隠蔽の魔法と言ったところだろうか。


 一瞬でここから脱出する魔法とか、この子に栄養を与える魔法とか、男を洗脳する魔法とか、魔法が何でも出来るのであれば、こういったことも視野に入れるけれど、出来るイメージが湧かない。

 詠唱が必要だろうと予想が出来ている中で、その段階をとばして無詠唱で魔法が使えないかと試しているため、出来ないと感じるものには手を出さない方がいいと思う。


 逆に今挙げたモノに関しては攻撃魔法が現状不要だと決めてから、何となく出来そうなイメージがある――回復に関しては実際に何度も受けたからと言うのもあるが――のだ。と言うことで、うだうだ考えるよりも、やるだけやってみようと思う。

 まずは、周囲を知るための探知魔法。これがあれば逃げる時に役立つし、男が来ることをいち早く察知して男に不信感を与えないように場を整えられる。やり方としては、いくつかアイデアがある。


 まず魔力を波紋が広がるように球状に飛ばすことで、探知してみる方法。試しに魔力を循環させて、身体全体から無差別に魔力を放出してみる。身体から何かが抜ける感覚があったかと思うと、薄い膜のようなモノが、スっと広がっていく。

 それは部屋の壁にぶつかると、霧散してしまった。


 わずかに何かにぶつかったと分かるけれど、はっきり言って実用性は無い。最初だからこんなモノだろう。むしろ何かしら成果が得られただけでも、十分に違いない。

 ただ、困ったことに、今のでこの子の魔力がなくなってしまった。その割には、倦怠感とかはないけれど。


 これはもしかして、魔力を増やすところから始めないといけないだろうか。そもそも、魔力って回復するのだろうか、と考えたところでこの日は身体を返した。



 昨日――おそらく――の懸念は杞憂に終わったようで、ちゃんと魔力は回復していた。

 創作物だと、魔力とかマナとかは一晩で回復することが多いけれど、現実となった場合もそうだという保証はなかったので、ひとまず安心。

 ただ、魔力の総量も増えていなかった。これでは、やりたいことがほとんど出来ない。


 と言うことで、今回は魔力を何とか増やせないか考えてみる。回復したということは、どこからか魔力を捻出したわけで、その大元が分かればやりようもあると思う。


 身体に流れる魔力をたどり、ぐるぐると循環している中で、唯一循環に関係していない、線を見つけた。それは、だいたい心臓のあたりにあり、そこには流れている魔力よりもかなり多い量の魔力が保有されているようだ。

 そこから循環させる要領で魔力を引き出せないかと試してみたけれど、どうにもうまくいかない。


 目の前に答えがあるのに、手を伸ばしても届かないのがなんだかとてももどかしくて、ただただ魔力の流れを追いながら赤ん坊の身体から、離れる。気分転換に、代わり映えしない部屋の中を飛んでやろうと思ったのだけれど、細い魔力の管のようなモノが自分にもつながっていることに気が付いた。

 さっき心臓付近につながっていた流れと、似たような感じのものだけれど、どういうことなのだろうか。試しにつながっているところから、魔力を流そうとしてみると、ほとんど抵抗無く身体へと流れていく。

 同時にわずかな空虚感が、僕を襲った。


 流れていった魔力は、簡単に循環させることが出来る。それを、昨日と同じように飛ばしてみると、よりはっきりと部屋の構造がわかった。壁を越えることが出来ないのは同じだけれど、反射してしばらくは形状を保っていただろう。


 格段に使い勝手が良くなったと同時に、魔力について何となく仮説を立てることが出来た。魔力は魂――的なもの――に宿っている。そして、自分の魔力以外は使用効率が悪くなる。昨日1回で魔力がなくなってしまったのも、自分の魔力じゃなかったというのが大きいのだろう。


 ふと思って女の子から離れた状態で魔法が使えないかとやってみたところ、出来ないくはないけれど女の子からの距離が遠くなるほど魔法の効果が薄れることが分かった。例えが正しいかは分からないけれど、距離が離れるとそれだけ手を伸ばして精密作業をさせられている感じだ。

 むしろ離れていても、ある程度魔法が使えそうだというのはうれしい。自分の魔力を循環させて魔法を使うことができるので、彼女が起きているときの守りも大丈夫そうだ。


 赤ん坊を横目に考察しながら、調子に乗って探知を使い続けていたら、急にクラッときた。うん。魔力を使いすぎると、身体の有無に限らず落ちてしまうらしい。

 なんて、のんきに考えていたら、意識が闇の中に引きずり込まれた。



 久しぶりに、寝ると言う感覚に近い何かを行った。寝ないと暇なことも多いので、寝られるというのはうれしいけれど、条件が魔力の枯渇というのは、何とかしたい。

 それはそれとして、以降も魔法の練習をして何とか形にすることが出来た。


 探知魔法は、エコーのように魔力をとばすのではなく、薄い魔力を立体的な網目状にして、周囲に張り巡らせるようにして、結界魔法も魔力を空気に溶かすようなイメージでかなり希薄にした上で、範囲も女の子の体に纏わせるようなものから、半径1m程度の球状まで変えることができるし、それなりの強度を持たせている……と思う。特に結界魔法の方は、強度の実験が出来ないので、どこまでイメージ通りに出来ているのか分からない。


 とにかく薄く、としているのが隠蔽のつもりだけれど、これも実用的かは分からないのでいつか男で実験をしなければ。

 何故隠蔽に力を入れているかだけれど、あの男に魔法を使っているとバレたくないからだ。興味を引けば、何をさせられるかわかったものではない。


 回復魔法については保留。結界や探知は、魔力をそのまま使えばいいのに対して、回復魔法は魔力を別の性質の何かに変えないとうまくいかないらしく、なによりこの子が食事以外で怪我することがないため、実験することも出来ない。

 最悪、回復魔法をでも、結界と探知に力を入れることも視野に入れよう。


 目標はあらゆる攻撃からこの子を守る盾になることと、あらゆる害意を事前に見つける目と耳になることだ。やり過ぎなのかもしれないけれど、こうやって目標を持っていないと、今の生活は気が滅入ってしまう。


 ただ、最近は癒しもある。魔法の研究をしながらついつい日本の歌を口ずさんでいたところ、キャッキャと赤ん坊が笑ったのだ。それまで笑うこともなかったし、歌うのを止めると不満そうにするので、たぶん僕の歌を気に入ってくれたのだと思う。

 それから、毎日歌うようになって、気が付けば僕の歌にあわせて彼女は身体を動かすようになった。

 もちろんベッドの上だけしか動けないけれど、僕の歌で笑顔になり、踊るように身体を動かしてくれる彼女は、この無の世界の中では救いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る