第1話 座敷牢と鎖と刺さる痛み

 その日、実家に帰るために、夜行バスに乗っていた。

 目的地に着くまで寝ていたらいいのだろうけれど、慣れていないためか真っ暗中でもなかなか寝付けなくて、ぼーっとしていたと思う。


 そのせいではっきりと覚えている。


 急に襲った浮遊感と、耐え難い衝撃。

 痛みで指一本動かすのも億劫な感覚。周りから聞こえるうめき声。

 最期に聴くのはせめて、誰かの歌であれば良かったのに、と思っている間に僕は死んでしまった。




◇◇◇




 死んだと思ったのに、何故か目が覚めた。

 そして、とても冷たかった。空気が冷たいような感じがしたし、自分にふれているモノが冷たいとも言えたし、聞こえてくるジャラ……と言う音も冷たい。本当に感じられるすべてが冷たかった。

 そんな状態なのに、僕は声を上げることも出来ず、体を動かすことも出来ず、目も見えない。


 目隠しをされて、何かに拘束されているのだろうか。そうだとしても、指先くらいは動いてしかるべきだと思う。

 首くらいは回っても良いし、声くらいは出せるはずだ。それなのに、確かに感覚は存在するのに、体を動かすことが出来ない。


 確かに僕は死んだはずなのだから、ここは地獄なのだろうか。このまま、何も出来ない状況で、延々と拷問をされるのだろうか。


 考えれば考えるだけ、悪い方向に考えが向かい、身体が震えてもいいはずなのに、心臓がバクバクと暴れてもいいはずなのに、冷や汗くらいかきそうなものなのに、そんなことは一切なくてただただ恐ろしかった。




 どれほど時間が過ぎただろうか。一向に何も始まらないため、少し冷静になることが出来た。目は見えないし、体も自由に動かせないけれど、感覚はあるのだから、改めて現状把握に努めてみようかと思ったら、不意に視界が開けた。


 その位置は明らかに高く、これが自分の身長だとしたら、2メートルは軽く超えるのではないかと思わせるほどだ。

 でも、身長が伸びたということはなく、なんというか空を飛んでいるかのような感覚で――正直死に際を思い出すので良い気分ではない――自分を俯瞰しているのだけれど、そこに見えたのはベッドの上に首輪でつながれた赤ん坊だった。


 僕は夢でも見ているのだろうか。死んだのが間違いで、今の自分は家のベッドの上に寝ているのかもしれない。現実逃避気味にこう考えてみたけれど、あまりにも強烈な死の記憶がそれを否定した。


 死んだということは、幽霊にでもなったのだろうか。今まで、霊的なものは信じてこなかったけれど、今の自分を見ると、否定できない。でも、今も感じる冷たさは確かなもので、自分が幽霊になったと言い切ることもできない。幽霊は感覚がないと断言は出来ないけれど、今の状況死んでいるというよりも、生きていると考えたほうが、なぜか僕の中で違和感はないのだ。


 だとしたら、生まれ変わった? 今も感じている冷たさが、あの子が感じているものだとしたら、まだ納得できる。

 今の状態は幽体離脱という奴か。生まれ変わって特別な力を、なんて話もあるけれど、もしかして幽体離脱が特別な力だったりするのだろうか。

 確かに便利ではあるけれど、ぱっとしない。


 記憶が残っているのは、前世の記憶があるという人を生前テレビで見たことがあるから、わからなくもない。こっちも、幽霊と同じく、大して信じてはいなかったけれど。


 いろいろ考えてみたけれど、今の僕が目の前の赤ん坊に生まれ変わったとして、生きていけるかと言われたら、結構絶望的。なにせ首輪でベッドの上につながれているから。逃げようにも首輪とベッドをつなぐ鎖を壊せる気がしない。

 ベッドは簡素なもので、とりあえずベッドの形にしておきましたという感じが否めない。そのうえで白い布切れのような袖のないワンピースを着せられている。


 仮にベッドの上から逃れることができたとしても、そもそもこの部屋自体が座敷牢のようになっていて、太い木でできた格子を超えることは無理だ。座敷牢とはいったものの、格子が鉄ではないことや、壁紙や絨毯で牢屋というよりはまだ部屋に見えるという程度。ある家具は椅子と机が一つずつ。


 座敷牢の外も見てみたいけれど、身体からはそんなに離れられないらしく、格子の隙間から似たような場所が向かいやその隣にあるのが見えた程度。どう見ても、赤ん坊が寝かせられて良い場所ではない。最低限のお世話をされていたとして、この環境下で生き続けられるものだろうか。

 また、けったいな所に生まれ変わったものだ、と思うけれど、不思議と怒りはわいてこなかった。一度死んでしまったせいか、どちらかと言えば、あきらめの方が強い。


 でも、何故こんなことになっているのだろうか。シルクのような白い肌、光を湛えたような金色の髪、空のようなさわやかな青い瞳をしていて、我ながら可愛い――あれの感覚がないからおそらく――女の子だと思うのだけれど。


 そう思って身体を見ていたら、自分自身と目があった。じっと、こちらを見ているようで、そこには明確な意思が感じられる。

 それから僕を求めるように、その小さい手を伸ばしてきた。女の子の不思議そうな顔から目を話すことができない。


 今僕――の魂?――は、身体を抜け出している。だとしたら、身体に意識があるはずはないだろう。それなのに、意識を持ったように、じっとこちらを見ているのはどうしてだろうか。

 そこで、ふと気がついた。一度幽霊を否定しておいて何なのだけれど、僕はこの子に取り憑いたような存在なのではないだろうか。


 一種の二重人格と言う奴だ。だとしたら、この身体は僕のモノではなく、この赤ん坊のモノになる。二度目の人生なんて、降って湧いたようなボーナスステージではなくて、一度目のこの子のための人生が始まるところなのだ。

 それなのに何故この子は、こんな仕打ちを受けているのか。


 この子が何か悪さをしたとは思えない。悪さが出来る年齢ではないし、万が一問題を起こしたとしても、それはこの子の親の責任だ。考えれば考えるだけ、この理不尽に怒りが沸いてくる。自分のことなら諦めがついたけれど、赤ん坊に意思があるのなら、今の状況は少しも看過できない。


 しかし、その怒りは、牢屋の外から聞こえてきた、コツン……コツン……と言う音により、中断された。座敷牢の外から聞こえてくる足音は、徐々にこちらに近づいてくる。


 少しずつ大きくなっていった音は、この牢屋の格子の前でぴたりと止まった。


 そこにいたのは、豪奢な服を着た貴族然とした男。鼻が高くて、彫りが深く、身長も高く見える。整えられた長髪は茶色だが、瞳は青い。明らかに日本人ではないため、年齢をはかるのが難しいが、30代~40代と言ったところだろうか。


 大人としての格好良さがあり、こんな状況でなければ、憧れることもあったかもしれない。

 しかしながら、状況も悪い。そっくりな青い目など、女の子にこの男の面影を見ることができるから、おそらく父親かそうでなくても親族だろうとは思うのだけれど、まるで安心できない。


 無表情に女の子を見る男の手には、何かで満たされた注射が見える。


 そうして座敷牢に入ってきた男に対して、不快感や危機感が高まっていく。


 そのまま赤ん坊に近づいた男は、ぼそぼそとなにかをつぶやいているけれど、日本語ではないらしくなにを言っているのか分からない。


 それから無表情が一変、ニィ……と口の端を吊り上げると、赤ん坊の右腕を取った。捕まれた手首が非常に気持ち悪い。やはり、感覚がリンクしている。

 ここまでくれば何をされるかの想像はついた。それを止めたほうが良いのか、止めないほうが良いのか。そもそも止める手立てを僕が持っているのか。結局見ていることしかできないまま、赤ん坊に使うには太すぎるように感じる注射針が女の子の右腕に遠慮くなく近づき、躊躇なくその細い腕につきたてられた。


 その瞬間。右腕に焼けるような熱さを感じた。思わず自分の右腕を見たけれど、石の壁と床が見えるだけで、右腕が存在していない。むしろ、身体もない――魂だけの状態だからなのだろう。

 それなのに、焼けるような感覚が消えてくれない。つまりは注射針が女の子に刺さった痛み。過去に何度も注射は受けたことがある。下手な人に当たって、目の端から涙が出たことも覚えている。

 だけれど、この痛みはその比じゃない。声を出せたら叫び声をあげていたかもしれないほどの痛み。


 次に感じたのは、さらなる痛みと何かが身体に入ってくるかのような不快感。注射の中身が体に入ってくる。暗くて何色かはわからないけれど、透き通っている色の液体が女の子の体の中に入れられていく。


 これが何なのかわからない事への恐怖よりも、この男が女の子にこんな痛みを与えているという怒りのほうが上回る。


 注射器の中身を全て入れ終わったところで、男が注射針を抜く。それから針を刺したところに手を当てると、男は何かをつぶやいた。すると、淡い光がその手の向こうから漏れ出し、注射されたところは何事もなかったかのようにきれいになっていた。


 男は一連の作業中、全く泣かない赤ん坊に、歓喜したような声を上げて、興奮気味のまま牢屋を出て行った。


 残された赤ん坊は、静かに眠り始めたけれど、僕は今の光景が頭から離れなかった。それから、何とかこの子を守る方法はないかと、考え始めた。

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