(7)

 本来、人ひとり──いや、ふたりの“因果”を歪めて、その立場を交換するなどという“奇跡”は、人の手には余る難事だ。

 しかし、それを成すのが“人”でなければ──たとえば“神”ならば、必ずしも不可能ではない。それは、「夏樹真紀」の存在をもって証明されているだろう。


 とは言え、難事であることに変わりはなく、いろいろと“綻び”が生じやすいのも事実だ。

 そして、綻びがあれば、確率は低いがソレに気付く者がいてもおかしくない。


 たとえば……。


 「貴女、誰?」


 ──真紀の目の前で透き通った視線を向けて来る、この少女のように。


 * * * 


 昼休みのあとの午後の授業も大過なく過ごし、放課後になると、真紀はいったん隣のクラスに赴き、茉莉に今日の予定を確認した。


 「う~ん、わたしは、今日は茶道部があるから、結構遅いかも。マキちゃんは?」

 「私も、月水金は弓道部がありますので……」

 「あ! じゃあ、帰りは待ち合わせて一緒に帰ろうよ。帰りのバスの中でお話とかしたいし」


 確かに、バスの時間が決まっている以上、時間を合わせて一緒に帰ることに異議は無い。


 (それにしても……やっぱり女の子っておしゃべり好きなんですね)


 とりあえず、今は自分も他者からはその“女の子”の範疇に含めて見られることはスルーして、心の中でクスリと笑う真紀。


 「? どしたの、マキちゃん」

 「いえ、なんでもありません。そうですね。では、6時過ぎに校門前で待ち合わせということで、よろしいですか」

 「うんうん」


 茉莉と約束を交わしてから弓道部の部室へと向かう。


 昨日今日の朝練ですでに二度、女子の弓道着への着替えは経験している。胸当てについても、三度目ともなるとそれなりに慣れた風に着けることができた。


 ちなみに、龍刻高校の弓道部は体育系にしては珍しく男女合同で部室もひとつだ。部員は15名で、そのうち女子部員は真紀自身をカウントして7名。内訳は3年生2名、2年生3名、1年生2名となる。


 さすがに着替えも一緒というわけにはいかないため、時間を区切り、部活開始前は男子が先、部活後は女子が先ということに決まっている。

 女子の着替え中は、顧問の吉乃先生が監視(と言うと聞こえは悪いが)してくれているので、男子部員の覗きとかにはあまり気を配らなくもよいのは助かる。


 さすがに部活の時間中は、朝練時と違って上級生優先となるため、一年生は好き勝手に練習はできないが、準備運動や上級生の射を見ることなども含めて、「弓道部の部活」の雰囲気は、「遠坂マサノリ」にとっても高校時代に慣れたものだ。


 大学に入ってからはアルバイトの関係で弓道から離れ、社会人になってからも長らく弓を手に取ることはなかったので、むしろ懐かしくて嬉しい……というのが、正直な感想だった。


 そもそも、「弓道」などというある意味“レトロな趣味”を部活に選ぶだけあって、部員も比較的礼儀正しく、落ち着いた人間が多い(春の入部季節などには浮かれたお調子者なども入ってくるのだが、そういう人間は大体途中で淘汰されるか適応するかのいずれかだ)。

 そのことも、また真紀にとって部活の居心地を快いものにしてくれていた。


 ──とは言え、いかに「おとなしめの人間が集う」とは言え、そこはやはり年頃の女の子。

 とくに緊張感の高い練習が終わったあとの着替えの時などはリラックスして、緊張感や口が緩むのも、まぁ仕方のないことだろう。


 真紀の場合は今の立場になっても、その「大和撫子な巫女」という“立場設定”のせいか、それとも本来の地の性格ゆえか、それほど口数が多い方ではない。

 それでも、かしましい(と言うとおおげさだが)ガールズトークに、それなりに口をはさみつつ、ついていけるのは、やはり多少の補正を受けているのかもしれない。


 「ふぇぇ、お正月にお餅の食べ過ぎで太っちゃったよ」

 「アンタは太っても胸に行くからいいじゃない! あたしは逆にダイエットしたせいで、胸から痩せたのよ。コンチクショウ!」

 「でも、痩せるだけの胸があるだけ、田代先輩はまだいいじゃないですか。私なんて……」


──ツルペタストーン


 「……なんか、ごめん、夏樹さん」

 「うん、わたしも、駄肉でごめんなさい」

 「あ、あははッ、そ、そんな真面目に受け取らないでくださいよ! 私はホラ、まだ16歳ですから! これから、せ、成ちょう、だって……」


 ちょっと涙目になったのを隠そうと、おどけてみせる真紀だが、周囲に不自然な沈黙が落ちる。


 「──自分でも信じていない事柄ウソを口にするとき、何故、人は不自然にまで明るく振る舞うのでしょうか?」

 「ひゃっ! く、来栖さん、いたの」

 「──ええ、勿論」


 まぁ、こんな風に、たまに会話のオチに失敗したりもするが。


 「そ、それにしても、夏樹さん、随分腕を上げたよね」


 微妙にきまずくなった話題を変えようと、二年生の小杉先輩が感心したように言う。


 「いえ、そんな──私なんて、まだまだです」


 昨日の部長の反応などから考えて、目立たないようにするためには、わざと外すべきだったかもしれないが、真紀としては高校時代にもっとも真剣に打ち込んだ弓を汚すような真似はしたくなかったのだ。


 「謙遜することはないわ。この成績が続けば春の大会で久々に龍高の名前が上位に入れそうだし」


 幸いにして先輩陣も嫉妬するより、「部活の戦力になる」という視点で見てくれたようだ。


 さて、そんなこんなで楽しい部活の時間も着替えも終わり、いざ茉莉の待つ校門へ向かおうとした真紀だったが……。


──クイクイ……


 唐突に上着の裾を引っ張られて転びかける。


 「ひゃっ! もぅ……危ないじゃないですか、来栖さん」


 見れば、一年生の弓道部員である来栖萌絵(くる・もえ)が、しっかりボレロの端を掴んでいた。


 「──ちょっと、待って」

 「いえ、できれば最初からそういう風に声をかけて欲しかったのですが」


 とは言え、萌絵は、そのアニメかラノベのヒロインじみた名前に比して、ひどく無口で内気な子だ。大声を出して人を呼びとめるのは、少々勇気がいったのかもしれない。


 「──ごめんなさい」

 「いえ、結局転ばなかったのですから、別に構わないのですけれど……それで、何かご用ですか、来栖さん?」


 真紀の問いにコクンと頷くと、真紀の手を引いて、校庭脇の低い灌木がまばらに生えた植え込みの陰へと導く。


 「──聞きたいことがあるの」

 「? 何でしょうか」


 部内でも比較的如才なく立ち回っている真紀だが、この萌絵に関しては同じ弓道部員であることと、C組の生徒であることくらいしか“知識”が浮かんで来ない。

 おとなしい子のようだから、「今まで部活などでもほとんど接触がなかった」という設定ことなのだろう。


 しかし、植え込みスペースで、やや俯き加減だった顔を上げた萌絵の瞳を見た時、真紀は彼女に対する印象が誤りであることに気付いた。


 「貴女、誰?」


 そう、物静かで寡黙な人間が、必ずしもか弱く大人しいとは限らないのだ。


 「今年の一年で弓道部に入部した女子は、わたしひとりだったはず。

 それなのに、先輩たちも一年生の男子も、貴女の存在を違和感なく受け入れている。

 転校生? いえ、貴女と先輩たちの会話は断じて初対面かそれに近い間柄のものではないわ」

 「そ、それは……」


 この二日間、いや冬休み中も含めればすでに十日近くも“夏樹真紀”として過ごし、“彼女”の存在に違和感を抱く者が皆無だったため、真紀も、現在自らが巫女として仕えている神の力を、つい過信していたのだ。


 だが、河比奈媛命は絶対神ではない。それどころか、記紀に名前も載っていないような一地方の小神マイナーゴッドだ。その神通力の影響にも当然限界はある。

 実際、これまでにも因果律歪曲の残滓とも言える現象はいくつも目にしていたことを、真紀は今更ながらに思い出した。


 (ど、どうしよう……ここは、知らぬ存ぜぬで通すべきなのかな?)


 慌てるあまり、思考がマキから本来のマサノリのものに戻っている。


 確かに、この場はシラをきり通すというのが、処世術としてはいちばん無難なのだろう。

 しかし、真紀は、目の前の少女を納得させるに足る巧い言い訳を自分ができるとは思えなかった。マサノリにしてもマキにしても根が正直過ぎるのだ。


 (下手に誤魔化すと余計不審に思われて、色々調べられそうだし……どうすりゃいいんだろう)


 「貧すれば鈍する」ならぬ「窮すれば鈍する」とでも言おうか、普段は非常に頭の回転がいい“彼女”も、想定外のアクシデントでまともに思考が回らないらしい。

 

 そして、真紀が黙っていればいるほど(そして顔色が悪く冷や汗まで垂らしていれば当然)、萌絵の疑念も深まるわけで……。


 (ああ、もう、『助けて、比奈様!』)


 真紀が、いささか他力本願な心の叫びを上げた瞬間。


 『うむ。呼んだかの?』


 突然、頭の中に声が聞こえたかと思うと、真紀の頭上1メートルほどの位置に“透明なブラックホール”とでも表現するべき異様な“孔”が生じ、そこから直径15センチくらいの光の球が出現する。


 「えっ!?」

 『ふむふむ……村の外でも我の声を受信できるのみならず、“力”の示標にもなりうるか。わかってはおったが、そなたはつくづく我が巫女が天職じゃな』


 無論、それは河比奈媛──が派遣したかの神の分霊ぶんしんだった。


 「か、かわひなひめさま?」

 『なんじゃ、我を召喚んだのは、そなたであろう。何をそんなに呆けておるのじゃ?』


 確かに、切羽詰まって助けてほしいと願った。しかし、たったそれだけのコトで神様自ら(正確には分霊だが)来てくれるとは、夢にも思わなかったのだ。


 『なに、それだけそなたの巫女としての霊力が高いからこそ、我もこれほどの離れ業が可能なのじゃ──ところで、そちらの女子のことはよいのかえ?』

 「あ……!」


 恐る恐る振り向くと、当然のことながら萌絵が、光球の形象かたちをした河比奈媛と話す真紀を丸い目で見ている。


 「えっと──普通の人には比奈様が見えないとか言う展開オチは?」

 『本当に霊的に鈍感な人間ならそれもありうるが、まぁ、望み薄じゃな』


 ヒソヒソ話をするふたり(それも主に光球)の方を目を見開いて凝視しているトコロからしても、「見えて」いることは間違いないだろう。


 「──もしかして、妖精?」


 しかも、光球の中にうっすら浮かびあがった人型の河比奈媛の姿までクッキリ見えているようだ。


 『ふむ──やむを得まい。真紀よ、この娘を我が社まで連れてくるのじゃ』

 「え?」

 『こういう気性の子は、キチンと筋道だてて説明してやれば、案外納得して力になってくれるものじゃからな』

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