(6)
夏樹真紀が、龍刻高校へと通うようになって二日目。
三学期が始まったばかりだというのに、いきなり三時間目に体育の授業があり、1-Bの生徒達は、ブーブー不満を漏らしながら体操服に着替えていた。
ちなみに、この高校ではスペースと予算の関係で、女子だけが更衣室を利用し、男子はそのまま教室で着替える仕組みになっている。
もちろん真紀は更衣室へ移動する組だ。
もっとも、弓道部の朝練のため部室での着替えを経験している真紀にとっては、本来男子禁制の未知なる秘境たる“女子更衣室”と言えど、別段緊張するほどのものではなかったが。
「──まぁ、部室と違ってヒーターが入ってるのは助かりますけど」
「へ~、体育会系の部室ってエアコンないんだね」
体育は男女分かれて受けるためA・B組合同なので、真紀はA組の茉莉と一緒に着替えていた。
「ええ、一応、部費で買った小さいセラミックファンヒーターは置いてあるのですが、残念ながら部室全体が暖かくなるのは時間がかかるので……」
そう答えながら、ブラウスを脱いで体操着を被る真紀。龍刻高校の体操着は、オーソドックスな丸首半袖の白シャツで、男子は紺、女子は臙脂色の縁取りが首周りと袖口に付いているタイプだ。
さて、女子の体操服のボトムについては、現代日本では、ブルマからスパッツ、スパッツからショートパンツへと主流が移行しつつある。
この地方はやや田舎のせいか、さすがに絶滅寸前のブルマでこそないものの、龍刻高校では黒の3分丈スパッツを採用していた。
夏場なら、その種のフェチなシュミのある御仁なら、泣いて喜ぶだろうが……生憎、今の季節は冬の真っただ中だ。
一部の健康バカを除き、男女とも上に長袖長ズボンのジャージを着用しているので、はなはだ色気に欠ける装いだった。
ちなみに、男子の場合は下の長ズボンをパンツの上に直接はいたりするが、冷え性持ちの多い女子は、きちんとスパッツを着用してからジャージを履く者がほとんどだ。
真紀も、その例に倣ってまずはスパッツを履いているのだが……。
(はぅ! やっぱし、アソコが何だかヘンな感じですね)
男性特有の「モッコリ」が目に入ってしまい、微妙に鬱な気分になる。
(まぁ、冬場はこうしてジャージを履けば隠れるから問題ないのですけど……)
夏場になる前に、何か対策を考えないといけないだろう。
幸い(?)にして、真紀のソコは、成人男子にしてはあまり目立たない(はっきり言えば小さめな)方なので、下向きにしてキツめのガードルで押さえつけていれば、スパッツ越しでも「ちょっとモリマン気味な女性の股間」と強弁できないこともないだろうが。
それにしても、長年つき合ってきた(?)“相棒”を、そんな風に邪魔者扱いするとは、真紀も、僅か数日で随分と女の子なメンタルに染まったものだ。
──実際の所、河比奈媛の因果律操作により、その影響下では、たとえ剥き出しの股間を他人に見られても真紀が「女の子ではない」と疑われる恐れはないのだが、さすがにそこまで凄いとは思い至らなかったようだ。
ともあれ、普段淑やかで優雅な物腰の“彼女(マキ)”らしくもなく、隅っこでコソコソ着替えている様子を見て、茉莉は怪訝な表情をしていたが、すぐに、漫画で言う「頭上にピコンと電球が現れた」かの如く、閃いたらしい。
「あはっ、才色兼備で文武両道なマキちゃんでも、やっぱり気にしてるんだねぇ」
「! な、なんのことでしょう?」
「隠さなくてもいいよ~……胸、やっぱり育ってないんだ?」
お人好しな彼女にしては珍しく悪戯っ子の貌になっている。
「クッ……」
ソレもまた気にしている部分ではあったので、真紀は言葉に詰まる。沈黙は肯定とイコールだった。
「たしか、72のAAだっけ?」
「失礼な! ちゃんとAカップになりましたっ……ハッ!?」
と、動揺して簡単に誘導尋問に引っ掛かる真紀。どうやら相当気にしてるらしい。
「まぁまぁ、胸なんて大きくたって邪魔になるだけだよ~」
「──よりによってソレを茉莉さんが言いますか……」
ちなみに茉莉は推定Fカップの堂々たる巨乳娘だ。もっとも、胸だけでなくお尻も大きく、かつウェストもちょっと太めのぽっちゃりさんなので、男子の人気はそこそこといったところだが。
自分なら、たとえウェストが現状から2センチ増えたとしても、バストが1センチ増えるならトレードに応じるのに! ……と考えかけ、はたと我に返る真紀。
(ふふっ、ちょっと「女の子思考」に染まり過ぎですね、私)
これから1年はこのままなのだから、基本的には「現在の立場」に馴染んでいても構わないのだろうが、下手に染まりきると、1年後には自分の元の立場すら忘れてしまいそうだ。
自分が本当は「遠坂真紀」であることは、一応、頭の片隅には置いておいたほうがよいかもしれない。
そんなコトを考えながら、ジャージの前ファスナーを閉めて、真紀は茉莉とともに女子更衣室を出るのだった。
* * *
今日の女子の体育は、この寒いのに何を考えたのかソフトボールだった。
サッカーやバスケと違い、運動量の緩急差の大きい野球やソフトボールの類いは、夏ならともかく冬場には向いてないと思うのだが……。
そのせいか、よく晴れて比較的風のない日だったとは言え、やはり皆の動きに精彩がない。
そもそも、ソフトボールは野球のボール以上に投げるのにコツがいる。ピッチャーはB組の女子で一番運動神経がいいと言われるバスケ部の主将だったが、ろくに球速が出ず、めったうちにされて、クサっていた。
もっとも、打つ方もド素人の、あまり野球などに縁のない女子なので、ボテボテの内野ゴロ続出だったが……。
幸か不幸か、真紀のポジションはサードで、そのゴロを処理するために、それなりに身体を動かすハメになったので、適度に身体を動かせてよかったのかもしれない。
また、一応、男子としての記憶と経験を(頭の片隅に)持つ者として、3打席2安打1犠打という成績だったことも付け加えておこう。
やがて、授業終了のチャイムが鳴り、その場の女子全員が「やれやれ」と言う気分で、用具を片付けて、引き上げる。
「うーーん……」
「どうかしたのですか、茉莉さん?」
「あ、いや、マキちゃんって、もっとソフトボール巧くなかったっけ? ほら、小学生の時とか、男の子に混じって野球とかやってたし」
「──そんな、昔の話をされても……」
曖昧な苦笑で茉莉には誤魔化しておいたが、おそらくソフトボール部所属の“本物”に対する記憶が、微かに残っているのだろう。
神様の神通力といえど、さすがに人ひとり、いやふたり分の因果を弄るとなると、完璧とは言えないようだ。
ともあれ、暖かい女子更衣室で制服に着替えて、人心地を取り戻した1-A&Bの女子がそれぞれの教室に戻ると、男子の方が先に戻ってきていた。
ちなみに、男子の方は体育館でバレーボールだったらしい。普通逆ではないだろうか?
体育のあとの4時間目(ちなみに科目は数学)という難行を、気合いで乗り切った真紀は、昼休みに入ったので、鞄から弁当箱を取り出して、ふと思案する。
(たまには、私の方から茉莉さんを誘いに行くのもいいかもしれませんね)
善は急げと隣の1-Aに顔を出すと、ちょうど茉莉の方も机横にかけた手提げ袋からランチボックスを取り出したところだった。
「茉莉さん、よかったら、お昼、ご一緒しませんか」
「あ、マキちゃん。うんうん、大歓迎だよ~。あ、よかったらコッチで食べない? 他にもうちのクラスの子とかいるけど」
「ええ、もちろん。私の方こそ、お邪魔でなければ」
結果的には、この“およばれ”はそこそこ好結果をもたらしたと言ってよいだろう。
「あー、真紀ちゃんのお弁当、美味しそー。とくにその卵焼き、ピンク色の縞模様はなんなの?」
「これは桜でんぶですよ。茉莉さん、良かったら、ひとつ食べますか?」
弁当箱を茉莉の方へと差し出す真紀。
「え? いーの?」
「ええ。もっとも、これは母ではなく私が作ったものなので、味の保証はしませんが──って、もう食べてる!?」
「おいひ~♪ まひちゃん、コレ、おみへのよりおいひーよ」
「もぅ、茉莉さん、お口いっぱいに頬張ったまましゃべるのは、お行儀悪いですよ。それに、ポロポロこぼれてますし」
汚れた茉莉の顎のあたりをハンカチで拭き取ってやる真紀。
ほとんど姉妹か母子のようなふたりのノリに、見ている周囲の女の子たちも思わず和んだ。
そして、それをキッカケに真紀に話しかけてくる娘も出てきた。無論、真紀もそれに自然体で受け答えする。“異分子”の出現に当初は微妙に緊張していた茉莉の友人たちも、どうやら真紀の存在を受け入れてくれたようだ。
「夏樹さんって、思ったより話しやすくていい人ね」
そのまま、お弁当を食べながらの女の子同士の他愛もない雑談に、ごく自然に真紀も混じっていると、弁当箱の中身がほぼ空になる頃には、同席していた娘のひとりが、意外そうな表情でそんなことを呟いていた。
「ホントほんと。わたし、ちょっと怖そうな感じがあって敬遠してたんだけど……」
「うんうん。なんか、近寄らないで的オーラがある気がして……」
1-Aの女の子達に散々なコトを言われているような気もするが、真紀自身は微苦笑する。
その第一印象の半分は真紀自身から来たものだろうが、残りはおそらく“勇美”に対するものなのだろう。彼女は、女の子同士で群れるのが好きでないタチだったらしいから。
そう思えば、それ程腹も経たない。
逆に本人の目の前でこれだけあからさまに言うということは、「実は見かけとは違う」という意見の現れなのだろうし。
「も~、みんなヒドいよ。マキちゃんは、とっても優しくて礼儀正しい女の子なんだから!」
友人をくさされて珍しくプリプリ怒っている茉莉を、逆に真紀がなだめる。
「茉莉さん、それは過大評価しすぎです。私があまり社交的でないのも事実ですし……それに皆さんも悪気があったわけではないでしょうから」
ね? と視線で問い掛けると、周囲の娘たちもコクコクと首を縦に振る。
余談ながらこのあと、A組の女子から話を聞いた真紀の所属するB組の子たちも、半信半疑ながら真紀にいろいろな話題をふってみて、“彼女”がごく普通のリアクションを返したことから、自然にクラスの女子コミュニティに受け入れられていくことになるのだった。
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