(2)
“姉”に言われるがままに、フラフラと社務所の脇にこしらえられた畳2畳分ほどの狭い売り場に入ると、
やがて、それらの在庫に問題がないと確認できた頃には、ようやく茫然自失の態から覚め、まともに頭が回るようになっていた。
「なんでこんなコトに……いや、ある意味自業自得、なのかな?」
同じ学校の教師と生徒という接点こそあるにせよ、ほぼ赤の他人と言ってよい関係のふたりの“立場”を(性別すら無視して)交換する──普通に他人から聞いたら、どんなヨタ話だと一笑に付しそうな事態に今の真紀は遭遇、いや己が身で体験しているのだ。
あの“河比奈媛命”と呼ばれていた女神の神通力(?)によって、その“奇跡”が実現したことは、その“対象者”として何となく確信している。
たぶん、今の巫女姿のままこの神社の中を歩き回っても、誰もが真紀を「夏樹神社の次女」と見なして、不審に思わないだろう。
社務所裏の“自宅”に帰れば、“お母さん”や“お父さん”たちも、暖かく“娘”として迎えてくれるに違いない(まぁ、“祖父”である宮司や“姉”の希美からすでに事の次第を聞いている可能性もあるが)。
夏樹神社の“厄違え”とは、希美いわく、厄の矛先を二分したうえで、本人“達”が弱められた厄を跳ね返せるようにすることらしい。
そのことから類推すると、「どうせ儀式が終われば、すぐに元の格好に戻れる」と気楽に構えていた真紀の方が、考えが浅かったのだろう。
あるいは儀式の本質を考えるなら、むしろ今現在も“厄違え”の儀式は絶賛進行中だと言えるのかもしれない。“遠坂真紀”の厄年は今年の大晦日まで続くのだから。
このような事態になった大本の原因は、真紀がいらぬ好奇心を出して、廃れつつあるこの神社の“厄違え”の儀式を受けたい、と願ったからだ。
だから、そのコトで他の人を責めるのはお門違いだという理屈は理解していたが──それでも、もうちょっと事前説明やら、せめて覚悟を決めるための時間やらが欲しかったと思う真紀なのだった。
「ふぅ……でも、不幸中の幸いでコレは一年間限定なんだから、滅多にできない経験と割り切るしかないのかな」
いつまでもウジウジしていても始まらない。空元気でも元気──そう開き直った真紀。
すると、まるでその空気を読んだかのように、ポツポツと参拝客が現れ、真紀は、現在の立場にふさわしく「社務所の売り場の巫女さん」としての仕事に専念せざるを得なくなった。
夏樹神社自体は決して有名なわけではないのだが、この近辺ではもっとも歴史のある大きめの神社ということもあってか、雁屋村はもちろん、隣接する龍刻町からも、それなりの人がお参りに来る。元旦の初詣ともなればなおさらだ。
「では、安全祈願はコチラのお守りで、500円になります。あ、おみくじの番号、拾参番ですか、少々お待ちください……はい、こちらをどうぞ」
11時を過ぎる頃には、神社も相応のにぎわいを見せ、ひとりで売り場を切り盛りしている真紀は売り子の仕事に忙殺されることになった。
幸いにして真紀は大学時代にクレープ屋でバイトしていた経験もあるため、こういったお客さんとの応対自体は、それほど苦にはならない。
笑顔を絶やさず、言葉遣いは丁寧に、そして迅速かつ正確に!
売り子の鑑とも言えそうな見事な客さばきを見せる真紀。
おかげで、例年の経験から鑑みるとてんてこ舞いになっているはずの真紀を助けるために希美が売り場に駆けつけた頃には、すでに列の大半ははけていた。
(ウソ!? てっきり慣れない環境と立場で、困っていると思ったのに……)
立派な真紀の「巫女っぷり」(いや、神社のグッズ販売が巫女の本業かと言うとソレは微妙だが)に、目を丸くする希美。
「あれ、どうかしましたか、姉さん?」
ごく自然に希美に「姉」と呼び掛ける真紀──ただし、無意識なのか本人は気付いていないようだが。
「──あー、ううん。何でもないの。そろそろお昼だから、交代するわ。マキちゃんはお台所でお昼ご飯を食べてきなさい」
希美は内心の戸惑いを面に表さず、笑顔で“妹”を気遣う。
「ああ、もうそんな時間でしたか。すみません、それでは少し外させてもらいます」
ニッコリ笑って真紀は売り場の座布団から立ち上がり、狭い小部屋を出る。
草履をつっかけ、希美とチラホラ見える参拝客に軽く一礼すると、きびきびしてはいるが、はしたなくない程度につつましい巫女らしい足取りで、裏の母屋へと立ち去る。
その一連の仕草や表情に、ぎこちないトコロは欠片も見当たらなかった。
「これは……思いがけない逸材だったかしらね」
“妹”に代わって売り場に入る希美の顔には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
* * *
「夏樹真紀」としての自分の行動に、真紀自身が違和感を感じたのは、社務所でのお務めが終わり、売店内を簡単に整理した後、私服に着替えるために“自室”に戻った時点だった。
より正確には、「違和感を感じた」というより、「違和感が無さ過ぎることが逆におかしいと気がついた」と言うべきか。
「な、なんで、僕、こんなに簡単に“この神社の巫女”としての業務に適応してるんだろう?」
思い起こせば、最初に売店スペースに足を踏み入れた時点から、自分が其処で何をするべきかわかっていたように思う。
いや、わかっていたというより、そのことを意識すらせず、普通に「夏樹神社に於ける巫女の務め」をスムーズにこなしていたのだ。
「これが……立場を入れ換えて巫女になる、ということなのか……」
『──まぁ、それも間違いではない。それだけではないがの』
!
「──だ、誰!?」
慌ててキョロキョロ部屋の中を見回す真紀。
『──おぉ、やはり聞こえておるようじゃな。感心感心』
脳裏に聞こえて来るその“声”には、聞き覚えがあった。
「あのぅ……もしかして、我が神社の祭神たる
『うむ、いかにも。それと、過剰に畏まる必要はないぞえ。あまり馴れ馴れし過ぎるのも問題じゃが──そうさな、「比奈様」とでも呼ぶがよい』
儀式のときにも感じたが、身に纏う神々しい雰囲気に反して、存外気さくな神様のようだ。
「は、はい。では、そうさせていただき…いえ、そうさせてもらいます」
謙譲語から丁寧語に言い直す真紀を見て、比奈は満足そうに頷いた(ようなニュアンスが伝わってきた)。
『なかなか間の取り方を心得ておるの。霊感の冴えもよいし、ますます気に入ったぞ』
「えーと、何のことでしょう? それに、さっき「それだけではない」って……」
教えてもらえませんか、と恐る恐る申し出る真紀に、上機嫌な比奈のテレパシー(?)が返ってくる。
『ふむ、ほかならぬ、そなたの頼みじゃ。よかろう、簡潔に説明してやろうぞ』
さすが神様と言うべきか、やや古風な言い回しはするものの、比奈の説明自体は要点が抑えられていてわかりやすかった。
要点をまとめると、こうだ。
1)儀式の主眼が“巫女としての”勇美との立場交換であるため、巫女としての言動や知識に関する部分は、自動的に補助されている
2)反面、それ以外の“ひとりの少女として”の勇美の部分に関しては、一応入れ替わってはいるものの、神通力の補助がないため、真紀自身の常識に依る部分が大きい
3)そして、これは1)、2)両方に言えることなのだが、真紀と入れ替わったのは立場であり、“勇美の、巫女としてあるいは一女子高生としての普段の言動”をそのまま受け継いでいるのではない
「3番目の意味がよくわからないのですが……」
『そうさな。もう少し噛み砕いて言えば、入れ替わったのは立場だけなのじゃ。故に、今現在のそなたの実際の言動は、「もし、自分が巫女/16歳の少女の立場であったら、どんな風に行動するか」という仮定に基づいて矯正されておる』
「な、なるほど……」
実際に顔を合わせていた時間は短いが、確かにあの
しかし、真紀自身の「巫女さん、かくあるべし」という
『逆に、“普通の娘としての日常”に関する
比奈の推論も確かに理に適っていた。
「けど、それじゃあ、これから日常生活を送るのに困るんじゃあ……。
何とかなりませんか?」
『ふーむ(普通の
──よし、そちらは我が特別に手を貸してやろう。それっ!』
一瞬、真紀には自分の身体が光ったように感じられる。
「い、いまのって……」
『おお、今の光が見えたのか。やはりそなたの霊感はなかなか鋭敏なようじゃな』
それに比べて、勇美めは、神社の娘とも思えぬくらい信心も霊感も言動の品格も足りておらぬ。希美は確かに巫女向きの性格じゃが、残念なことに霊感に乏しい──と、比奈は愚痴る。
「あの、それより、今、何したんですか?」
『ああ、済まぬ。論より証拠じゃ。お主が通う龍刻高校の学級と席を思い出してみよ』
「へ? それは──1年B組で、窓際の後ろから三番目の席ですけど?」
何の疑問も抱かず、スラスラそう答える真紀。
『倶楽部活動とやらは何をしておる? その部長とやらは?』
「高校に入ってから弓道を始めました。部長は3年の仲井先輩ですね」
『得意な学科と苦手な学科は?』
「得意と言うか、国語とか英語とか歴史とか読み物的な要素の強い教科が好きです。逆に数式を追う、数学とか物理化学とかはちょっと……」
比奈の質問に、つかえることなく、スラスラと答える真紀。
『これから私服に着替えるようじゃが、今日は何を着るつもりじゃ?』
「今日はちょっと寒いので、下着の上にキャミソールを重ね着してから、ベージュのニットワンピースを着て、厚手のタイツを履くつもりでしたが……」
『して、その下穿きはどこにしまっておる』
「そちらのタンスの一番下の段に……って、セクハラですよ、比奈様!」
最後まで答え──かけて顔を赤らめて、真紀は、お茶目な神様を非難する。
「──え? あれ? どうして……」
『少しだけ術の方向を弄って、「もしそなたが夏樹神社の次女として生まれていたら、どのような16年間を辿っていたか」を疑似的に“しみゅれぇと”したうえで、因果を歪める術式にシンクロさせた。これで、「夏樹真紀」としての日常を過ごすのに問題はなかろう』
「少し疲れたので、我は寝る」と言い残して、比奈からの"テレパシー"は切れた。
「えーーと……これで良かった、のかなぁ」
首を捻りつつ、巫女装束を手際良く脱いで半裸になり、先程比奈に告げたような私服に着替える真紀。
本来なら、「遠坂真紀」もれっきとした男だ。年頃の少女の部屋に入り、なおかつそのタンスを漁り、さらに取り出してそれに着替えるなどと言う背徳的な行為に、躊躇いとそこはかとない興奮を覚えないはずがないのだが……。
(でも、今の私からすると、此処は自分の部屋で、自分の服だものね)
興奮などするはずもない。一応、今の“立場”同様、本当は“借り物”だという知識は頭の中にあるので、罪悪感は皆無でもないが、ほとんど気にならなかった。
首の後ろの水引を解くと、付け毛だったはずの長い後ろ髪が、そのまま自分の髪となって背中まで垂れさがり、肩口にファサッと広がる。それすらも、今の真紀には慣れた感触に思えた。
(ああ、そうか。巫女って髪の毛を伸ばさないといけないから)
もし、自分が「神社の娘」として生まれていれば、確かにこんな風に髪を伸ばしていたのだろう。比奈の言うシミュレートは完璧だった。
「マキちゃーん、そろそろ晩御飯よー」
「はーい、今行きまーす」
階下から聞こえる“母”の呼び声に、反射的にそう返事すると、真紀は軽く髪に櫛を通してから、夕飯を食べに部屋を出るのだった。
* * *
夕飯の食卓は、「いつも通り」終始和やかな雰囲気で会話と箸が進んだ。
数年前に還暦を迎えたものの、いまだかくしゃくとして宮司を務めている、柔和さと厳格さを併せ持つ祖父・善行。
善行に言われて一応神職の資格は取ってはいるものの、普段は村役場に勤めている、寡黙だが優しい目をした父・隆之。
自称「永遠の二十五歳」で、その言葉通り確かに若く見えるため、希美たちと一緒に出かけると時折姉妹に間違えられるのが自慢の、明るくお茶目な専業主婦の母・未央。
“ミス・エルダーシスター”という称号を進呈したくなるほど、容姿も性格も才能も「理想的なお姉さん」という言葉を体現したような、今年成人式を迎える姉・希美。
ここに本来は、男勝りで元気一杯だが、少々ガサツな妹の勇美が加わるのが夏樹家の食卓なのだが、今は彼女に代わって真紀がそのポジションを占めている。
そして、「夏樹真紀」は「夏樹勇美」と違って、どらかと言うと古風で控えめな少女──という“設定”らしい。
勇美のように食卓で、積極的に話題提供したり、ときには下品なネタや行儀の悪い仕草を披露して両親にたしなめられたりはしなかったものの、それでも他の人の話にキチンと耳を傾け、適切な呼吸で相槌や合いの手を入れる。むしろ聞き上手と言ってよいだろう。
そのため、今日の夕食も、至極穏やかな空気のまま終わるかと思われたのだが……。
「ああ、そうそう。お父さん、お母さん、今日、“厄違え”の儀式があって、マキちゃんが参加したからね」
──食後のお茶とミカンという段階になって、希美がトンデモない「爆弾」を投下した。
「ね、姉さん!」
「ほらね、いつもだったら、“妹”はわたしのこと、「お姉ちゃん」って呼んでたでしょ?」
真紀の抗議もどこ吹く風と受け流し、希美は言葉を続ける。
「そう言われてみると……確かにそんな気もするかなぁ」
「本当ですの、お義父さん?」
息子夫婦の視線を受けた善行は「うむ」と短く肯定する。
「い、いったい誰と、どんな立場の人と入れ替わってるんだい? まさか、男じゃないだろうね!?」
男親だけあって、隆之は「本来の娘」の現状が気になるようだ。
「そうなの……でも、全然違和感ないわよ。もしかして、入れ替わったのは19歳の娘さんなのかしら」
対して、未央の方は、存外のんびり構えている。いや、自らの言葉通り、たぶん相手は若い娘だろうとタカをくくっているせいかもしれないが……。
「──知っての通り、この儀式を受けている者の素性に関しては、関係者以外に漏らすことは禁じられている。余計な詮索は無用だ」
さすがは社を預かる宮司だけあって、善行の口は堅い。
「ただ、あえて付け加えると、相手もキチンとした立場の人だから心配ないと思うわ。ん~、むしろ、巫女さん適性と妹適性は、本物より上かも?」
祖父の言葉を補足しつつ、立ち上がった希美は、真紀の椅子の後ろに立つと、背後からギュッと“妹”を抱きしめる。
「キャッ! い、いきなり、どうしたんですか、姉さん?」
驚きつつも“姉”の真意がわからず、真紀はされるがままになる。
「──ほらね? いつもだったら、「お姉ちゃん、鬱陶しいから止めてよ!」って乱暴に振りほどいてるはずだもの。それが、こんな従順でいいコになってるし……」
どうやら、優しげに見える希美も、我がまま気ままで粗雑な妹に、密かな不満(ストレス)は抱いていたらしい。
あるいは、本当は自分より年長の若い男性が、“妹”として自分の下に立つという倒錯的な事実に、密かな愉悦を感じているのかもしれない。
「いいコ、いいコ」と希美に頭を撫でられ困惑する真紀。
本来の24歳の男性としては「バカにするな」あるいは「やめてくれ」とでも言って振り払うべきなのだろうが、今実際にそうされている“彼女”としては、決して嫌ではなかったのだ。
むしろ、「優しい姉に可愛がられている」という事実に、安らぎにも似た感情を覚える。
「──そうね。このマキちゃんなら、お家の事の手伝いとかもお願いできそうだし、可愛らしいお洋服とかも着てくれそうだし……」
同じく、下の娘の放埓さに手を焼いていた記憶がうっすら残る未央も、キュピーンと目を光らせて、じりじりと今の“下の娘”に近づいていく。
「わ~~ん、父さん、助けてー!」
“祖父”の善行は、仲良き事は麗しき哉と言わんばかりの好々爺の表情でひと足先に台所から離脱していたので、唯一、残った“父”に助けを求める真紀だったが……。
「おお、“父さん”……なんと心洗われる響きだッ!」
隆之は、何やらワケのわからない感慨にふけっている。
実は、中学に入った辺りから、勇美は両親のことを「親父」「お袋」と呼ぶようになっていたので、その呼び方が何気に新鮮だったのだ。
──その晩、真紀は、希美と未央に夕飯の後片付けに参加させられたのはともかく、そのあと、風呂に入るまでの時間、ふたりに、振袖だの、ゴスロリワンピだの、甘ロリ系ドレスだのを用いた“着せ替えファッションショー”を強要されるのだった。
まぁ、そのおかげで、「儀式により立場を入れ換えた偽物の娘」という気まずさは霧散し、“家族”に好意的に受け入れられたのだから、結果オーライと言えるかもしれないが。
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