【第1部:1年生冬編】

(1)

 元日の朝、彼が妻と共に村の外れにある神社に向かったのは、初詣に加えてある特殊な“お祓い”をしてもらおうという意図があったからだった。


 男の名は遠坂真紀(とおさか・まさのり)。この正月に数え年25歳となる青年で、隣町にある高校で国語を教えている。

 妻の名は慶子(けいこ)。半年前の6月に結婚したばかりなので、まだまだ新婚夫婦と言えるだろう。


 ふたりは親戚のツテによる見合い結婚だったが、慶子は器量も気立てもよく、自分には勿体ないくらいの女性だと、真紀は思っていた。

 実際、親戚への義理があったとは言え、彼女がどうして容姿も社会的地位も平平凡凡な真紀を夫に選んでくれたのかは、正直未だ謎であった。

 それでも、ふたりはそれなりに幸せな新婚生活を営むことができていた。


 ところが、間の悪いことに、彼は2学期が始まる9月から、この県内でもかなり僻地にあたる龍刻町の高校へ赴任が決まり、妻と暮らし始めて早々に、せっかくの新居を引き払うことになってしまった。

 市内の住まい自体は借家だったため、引っ越すのにはさほど不自由は(引っ越し代以外は)なかったのが不幸中の幸いだろう。


 また、龍刻町と隣接するこの雁屋村に真紀の大伯父が地主として住んでおり、その屋敷の一角の離れ(といっても風呂や台所もある立派な造りだ)を、ほとんどただ同然の値段で貸してもらえることになったことも、運が良かったのかもしれない。


 雁屋村から、彼が勤務する高校の近くまでは1時間に2本(ただし、昼間は1本)のバスも通じており、所要時間30分ちょっとで着くので、通勤に問題はない。むしろ、都市部の通勤ラッシュとは無縁な点は恵まれているとさえ言えるかもしれない。


 都会の刺激的な文物や最新の流行とは無縁の閑静な土地だが、元来真紀は、そういったものに関心が薄い。「温故知新(フルキヲタズネテアタラシキヲシル)」を座右の銘にしている──と言えば、おおよその性格はわかってもらえるだろう。

 そんな彼にとっては、むしろこの環境は願ったり叶ったりだったと言っても良かった。

 妻である慶子も、ゆったりした時間の流れる田舎の空気と、少々お節介ながらも親密なご近所との人間関係を楽しんでいた──ように見えた。いや、真紀自身がハッキリ本人に聞いたわけではなかったが。


 さて、遠坂夫妻が、この村に住み始めてから秋が過ぎて冬になり、ご近所づきあいもそれなりにサマになってきた、年の瀬の迫ったある日のこと。

 真紀は、お隣りの原家の奥さんから、厄年にまつわるこの村独自の風習があると、話を聞く機会があった。

 より正確には、この村にある夏樹神社に、そのための“儀式”が伝わっているのだとか。


 彼の大学の文学部時代の専攻は、「文献から読みとる明治から昭和にかけての神道の変遷」だ。この種の民俗学的に価値のありそうな伝統儀式には未だ大いに興味があった。

 幸い──という言い方もなんだが、真紀は今度の正月で数えで25歳、つまり男の最初の本厄を迎える。


 「正月には、ぜひともその厄除けの儀式を自分の身で体験することにしよう」


 そう決心し、そして迎えた元日の朝、お正月だからというだけではない理由で傍目にもわかる程、彼は浮き浮きしていた。


 妻には、「まさのりさん、子供みたい」とクスクス笑われたものの、彼女も彼が“儀式”を受けることに異論は挟まなかった。

 ──実は、慶子はご近所の森さんから、その儀式の大まかな内容を聞いていたみたいなのだが、「せっかくだから、ご自分の目で確かめてみてはどうかしら」と、悪戯っぽく笑い、真紀に教えてくれなかったのだ。


 そんな風に気を持たされたものだから、彼としても余計に気になり、結果、ご近所との新年の挨拶もそこそこに、ふたりで夏樹神社に向かっている──というワケだ。

 妻の慶子は黒地に鶴と松の遠景が描かれた留袖を凛と着こなし、対して真紀も新年用に新調したネイビーブルーのスーツに身を包んでいる。


 逸る気持ちを抑え、和装の妻の足元を気遣いつつ、真紀はついに夏樹神社の正殿前までやって来た。

 建前である初詣を、それでも手水舎での身清めから二礼二拍一礼の礼拝まで一通りキチンとこなすのは、古典教師の面目躍如といったところか。


 「ところで、神主さん。この神社には、厄年の人のための、特別な儀式が伝わっていると聞いたのですが……」


 本殿での礼拝を済ませた途端、真紀はその場にいた宮司に早速声をかける。


 「ん? おお、確かに、この夏樹神社には、一般的なお祓いとは違う、厄年の人のための少々変わった儀式が伝わってはおります」


 60代半ばくらいと思しき年齢の温和な顔つきの宮司は、真紀の疑問を首肯したうえで、こう付け足す。


 「もっとも、最近はわざわざ進んで受けに来られる人も随分少なくなりましたが」


 ──近年廃れつつある、この神社独特の厄除けの儀式。

 そう聞いては、この種の事柄に関心の深い真紀がとびつかないはずがない。


 「実は私は今年25歳の本厄の歳を迎えるのですが、その儀式を受けさせてもらうわけにはいきませんか?」


 口にしてから、ふと懸念が湧く。


 「──それとも、もしかして秋からこの村に越して来たばかりの新参者では無理でしょうか?」

 「いやいや、遠坂さんは、田辺さんのお身内だと聞いておりますし、実際に今この村に住んでおられるのですから、問題はないでしょう」


 真紀の懸念を、初老の宮司は首を横に振って否定すると、本殿隣りの社務所に歩み寄り、そこで肘枕を突いて退屈そうに売り子──というか店番をしている巫女の少女に声をかけた。


 「こらこら、勇美(ゆみ)、お客さんが来ている時くらい、もう少しキチンとしなさい」

 「げ、おじいちゃん。ゴメーン!」


 どうやら、この巫女の少女は宮司の孫娘のようだ。

 格好こそ白の浄衣に緋袴と巫女の定番を守っているが、長身で体格がよいうえに、言動の端々から、いかにも活発そうな雰囲気が滲んでおり、あまり「清楚な巫女さん」というイメージではない。

 髪型も背中まで伸ばした黒髪を首の後ろで結わえた、いわゆる“巫女さんスタイル”ではあるものの、この娘ならむしろポニーテイルとかにした方が似合いそうだ。


 「で、どうしたの?」

 「久方ぶりに“厄違えの儀”を受けたいとおっしゃる方が来てらっしゃるんだが、お前、参加してもらえるかい?」

 「え、嘘!? アレ、まだ希望する人、いたんだ」


 目をまんまるにしてびっくりしているところからして、どうやらこの子も“儀式”の内容は知っているようだ。まぁ、宮司の孫らしいので、ある意味当然だが。


 「いったい誰が……って、遠坂先生?」


 突然、職場での呼び方をされて、少し驚く真紀。


 「君は、もしかして、龍刻高校の生徒かい?」

 「うん…じゃなくて、はい。1年生だから、先生の授業は受けてませんけどね」


 確かに真紀が担当しているのは、2年生と3年生の文系クラスのみだ。副顧問をしている弓道部などに所属しているならともかく、さすがに全1年生の顔までは覚えていない。


 「ねーねー、そっちの綺麗な女の人が、もしかして新婚ホヤホヤだっていう奥さん?」


 目を輝かせて、好奇心もあらわに聞いてくる。

 答えに窮している真紀に代わって、控えめな慶子が珍しく助け舟を出してきた。


 「初めまして、遠坂真紀の妻の慶子です。夫がいつもお世話になって──って、ウフフ、生徒さんに言うのはヘンかしら。」

 「アハハ、そうかも。ふ~ん、先生がアレを受けるんだ……うん、おじいちゃん、あたしは別に構わないよ」

 「ふむ。そう言えば、遠坂さんは、学校の先生をしてらっしゃるのでしたな。これも何かの縁でしょう。

 では、儀式の準備がありますので、遠坂さんはコチラへ。奥さんは、あちらで甘酒でも飲みながら、しばしお待ちください」


 * * * 


 夏樹神社に古くから伝わる"厄除け"のための儀式を受けることになった真紀は、先程の巫女──勇美の、姉らしき20歳ぐらいの巫女に、なぜか社務所裏にある住居の風呂場へと案内されていた。


 「あのぅ、コレはいったい……?」

 「すみません、儀式に参加していただく“厄持ち”の方には、こちらで身を清めてから、儀式用の衣装に着替えていただくことになっております」


 なるほど、確かに納得のいく話だ。

 合点がいった真紀は、素直に服を脱ぐと風呂場で軽くシャワーを浴び、よく身体を拭いてから、事前に言われていた通りバスタオル1枚の姿で、風呂場近くの座敷へと足を運んだ。


 「一応、身体はキレイにしたつもりですが……」

 「はい。それでは、こちらに着替えてください」


 そこで真紀が渡された“儀式用の衣装”とは……。


 「え? こ、これ、巫女装束じゃないですか!?」

 「ええ、その通りですが?」


 間髪入れず聞き返されて、一瞬言葉に詰まる真紀。


 「えーっと、もしかして、コチラの儀式というのは、アレですか? 子供の頃は男の子も、病魔に目をつけられないよう女の子の格好をするという風習的な……」

 「フフフ、おもしろい発想ですけど、ウチの“厄違え”の儀式の意味は、それとは少し異なります。遠坂さんは、勇美の学校の古文の先生だそうですから、“方違え”という風習はご存知ですよね?」

 「ええ、一通りの知識は、まぁ」

 「悪い気の流れを呼び込まないよう、本来とは異なる場所を経由して目的地に赴くのが方違え。そして、我が神社の厄違えもまた、厄の流れ込む方向を分散し、かつ弱めることで、厄による被害を軽減するのですよ」

 「??」


 わかったような、よくわからないような理屈だ。それが真実だとしても、真紀が巫女姿になることとの関係はあるのだろうか?


 「百聞は一見に如かずと言いますので、実際に経験される方が早いと思いますよ」


 それもそうだと、真紀も何とか自分を納得させて、勇美の姉、希美(のぞみ)の手を借りて、白い浄衣や緋色の袴を始めとしたごく一般的な巫女の衣装へと着替える。


 その際、白い肌襦袢はともかく、純白の女物のショーツまで履かされたのは凝り過ぎではないか、と思う真紀だったが、後になって実はソレにちゃんと意味があったことに気が付くことになる。


 「……はい、こんな感じですね。よくお似合いですよ」


 さらにそのあと、後ろ髪に付け毛を水引で結わえられ、薄化粧まで施された真紀は、165センチという成人男性としてはあまり高くない身長と細身の体格のせいで、パッと見には「神社の巫女さん」として違和感のないルックスに仕上がってしまった。


 これには、真紀自身もビックリだ。自分でも、あまり男っぽいタイプだとは思っていなかったが、まさかココまで女装(?)が似合うとは……。


 「そ、それで、コレから何をするんですか?」


 鏡を見ていて急に恥ずかしくなった真紀は、気ぜわしげに希美に問う。


 「はい。遠坂さんには、我が神社の巫女として、この儀式に参加してもらいます」

 「?」

 「そして、勇美の方は“遠坂さん”として儀式に参加するのです。それによって、遠坂真紀という男性が受けるはずだった“厄”の流入先を、まず二分して弱めます」

 「そ、そんなコトをして、勇美さんの方は大丈夫なんですか!?」


 元より学究肌の真紀は、それほど信心深いではないが、さすがに教え子(厳密には違うが)を、自分の厄年の身代わりにするというのは気がひける。


 「もちろんです。あの子も、あまり巫女に向いた気性とは言えませんが、それでも幼い頃からこの神社で修業してきましたから。弱まった厄を跳ね返す程度のことはできます。

 一方、勇美の──つまりこの神社の娘の立場となったアナタにも、臨時とはいえ神聖な巫女としての力がある程度備わります。さらに、儀式でそれを強化しますから、半減した厄になら、そうそう負けることはないはずです」


 なるほど、ある意味「似ているモノは本物である」「類似したもの同士は互いに影響しあうという」という類感呪術的発想の応用なのだろう。

 得心した真紀は、あとは実際の儀式の方へと興味の対象が移ったのだが……。


 いざ、儀式の場である本殿に入ったところで、妻の慶子を伴い、自分のスーツを着て現れた男装の少女の姿に驚くことになる。


 「の、希美さん、アレは……」

 「もちろん、遠坂さんの服を着た勇美です。あの格好は立場を取り替えたことの象徴なのですよ」


 一度接触したものは離れても互いに作用する──感染呪術の応用か。


 (待てよ……それじゃあもしかして!?)


 今、自分が着ているのが、おそらく──というかほぼ間違いなく、先程まで勇美が身に着けていただろう服と下着であろうことに思い至り、顔が真っ赤になる真紀。

 ちょうど儀式用の衣冠に着替えた宮司が入って来たため、そのことに思い悩む暇がなくなったのは幸いだろう。


 そうして始まった“厄違え”の儀式そのものは、“配役”が普通と異なる点を除いて、ある意味、大半の神社で見受けられる厄祓いの儀式と大差はなかった。


 いや、真紀はそう感じていたのだが……。


 宮司の唱える祝詞がクライマックスに差し掛かったところで、その場に異様な雰囲気が充満し、ご神体の祀られた本殿の奥から眩しい光が射す。

 気が付けば、その場にいた一同は、見知らぬ場所へと招き入れられていた。


 『ほほぅ……およそ30、いや40年ぶりかの。てっきり、この儀式は廃れたものと思ぅておったが……』


 頭の中に響く声に、ハッと視線を向けると、そこには身長50センチくらいの立ちあがった平安雛程の大きさ──そして格好も、まさに女雛を思わせる“存在”が、おもしろそうな表情で、プカプカ浮いていた。


 普通なら、手品か何かと疑う光景だが、その存在の持つ神々しい雰囲気が、見る者にアレが「神」であることを直感させる。


 「河比奈媛様につきましては、御機嫌うるわしぅ……」


 宮司が恭しく頭を下げるが、“彼女”は、面倒くさそうに言葉を遮る。


 『あぁ、よいよい、その様に畏まらずとも。それで、此度の対象者は、そちらのふたりじゃな?』


 決して悪意や敵意があるわけではなく、むしろ優しい(あるいは楽しげ)とさえ見えるその視線を受けただけで、しかし、真紀は背筋に震えが来るのを感じた。


 「(こ、これが、本物の“神”……!)は、はいッ!」


 真紀は、反射的に頭を下げて、返事をしていた。


 『ふむ……ま、よかろう。久方ぶり故、少々気合いを入れて我が“力”を振るぅてやろうぞ』


 “神”──河比奈媛が、手にした檜扇を軽くひと振りしただけで、金色の光の粒のようなものが、紺色のスーツ姿の勇美と、巫女装束姿の真紀に降り注ぐ。


 『これで、ふたりともこの一年、厄に悩まされず大過なく過ごせるじゃろぅて』


 “神”の声がドップラー効果のように遠ざかりつつ聞こえたかと思うと──次の瞬間、唐突に辺りの景色は、元の本殿に戻っていた。


 そして、最後に、宮司がこの夏樹神社の祭神たる河比奈媛命(かわひなひめのみこと)に感謝の言葉を捧げ、「厄違え」の儀式は終了となったかと思われたのだが……。


 「それでは、この後、真紀さんはこの神社で、勇美に代わり巫女として一年間過ごしてもらいます」


 本物の“神”らしきものと遭遇したことへの興奮で、いささか注意力散漫になっていた真紀は、まるで町内会の伝達事項でも伝えるかのような気負いのない宮司の言葉に、ハイハイと頷きかけたものの、寸前で聞き流せない点があったコトに気が付く。


 (──えっ? いちねん?)


 「あのぅ、でも、ご存知の通り主人にも高校教師としての務めがありますし、一年も休職するわけには……」


 慶子の心配げな言葉に、得たりとばかりに真紀も激しく頷いた。


 「あ、心配ないよ、慶子さん。この一年は、あたしが先生に代わって、立派に慶子さんの旦那さん役を務めてあげるから」

 「先程の河比奈媛様の神力で、そのことがすでに“既定事項”として世間に広く刷り込まれていますから、問題ありませんよ、奥さん」


 しかし、神社関係者ふたりの言葉は、夫妻の懸念をあっさり一蹴した。


 「まあ、そうなんですか。それなら、大丈夫ですね」


  真紀の狼狽をよそに、あれよあれよという間に話がまとまっていく。


 「じゃあ、今日からあたし──いや、オレは、遠坂勇美いさみだな。

 さぁ、厄違えも終わったし、帰ろうか、慶子」

 「はい、あなた。宮司さん、今日は色々とお世話になりました」


 仲睦まじく寄り添いながら帰って行く、妻と勇美の姿を見て、何か声をかけたいのだが、なぜか掛けるべき言葉が浮かんでこない。


 「さぁ、真紀まきちゃん、ちょっと疲れたかもしれないけど、社務所の店番の続き、よろしく頼むわね?」


 そして、勇美の──そして、つい先程から自分の“姉”となった希美の言葉に、力なく頷いて社務所へと向かうのだった。

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