(3)

 2時間あまりの“着せ替えショー”の末、ようやく解放された真紀は、元の気楽な部屋着姿に戻ると、居間のこたつに入ってぐったりしていた。


 「もぉ~、姉さんも母さんもはしゃぎ過ぎです……」


 同じく居間でテレビの正月番組を見ていた“祖父”の善行は、フォフォフォとバ●タン星人のような笑いを漏らす。


 「まぁ勘弁してやれ。“本物”の方は、こういうコトをあまり好まぬ子だったからな」

 「わ、私だって別に……」

 「ほぅ、そうか? そのワリに、振袖だのごすろりだのを着せられた時は、満更でもなさそうだったが」

 「……」


 確かに善行の言う通り、そういう華やかな格好をさせられた時、鏡に映る自分を見て「あ、けっこうイイかも」と思ったことは事実だ。


 元々、子供の頃から真紀は、地味で冴えない容姿にコンプレックスがある方ではあった。

 よく見れば目鼻立ちはそれなりに整っているし、メイクして相応の服を着れば十分見れるルックスなのだが、生来の内気な気質と小柄な背丈があいまって、小学校から大学に至るまで「目立たぬモブA」的な扱いを受けてきたし、本人も仕方ないと納得していたのだ。

 そのあたりの感情は、神様の言う“しみゅれぇと”を経ても、あまり変わっていなかったらしい。


 だが、こんな風に「16歳の女の子」の立場になり、女の子として着飾られた結果、それが自分の目から見ても見苦しくない──というか、それなりに可愛かったものだから、つい「オシャレするのも意外に悪くないな♪」と思ってしまっても、“彼女”を責められないだろう。


 「う~……でも、こんな風に流されちゃってもいいんでしょうか?」


 この家で唯一事情をわきまえている常識人(ちなみに“姉”は先程その枠から外された)と思える“祖父”に尋ねる真紀。


 「いいも悪いも、どの道、これから丸一年はそのままだぞ。だったら、ハメを外し過ぎない程度に、これからの日々を楽しんでみてはどうかの?」


 “孫娘”の上目遣いのその視線にさり気なく萌えつつも、そんな気配は露ほども見せずに、如何にも含蓄ありそうな事を抜かすのは、年の功と言ってよいものか。


 「はぁ、そうですね。今の立場のまま一年間過ごさないといけないんですよね……」


 物憂げに呟く真紀。

 じつのところ、「この家の次女で女子高生兼巫女さん見習いの夏樹真紀」という立場に嫌悪や違和感を抱いているわけではない。

 むしろ、その逆で、まるで違和感がなさすぎて、どうかすると自分の本来の立場を忘れて「夏樹家の次女」に染まりきりそうなことが恐かったのだ。


 しかし、その危惧を善行に相談すると、意外な答えが返ってきた。


 「ん? 別段構わんだろう?」

 「え?」

 「いや、仮にそうなっても、今年の大晦日の儀式で元の立場に戻れば、それですべてチャラになるわけだしのぅ」


 なんという発想の転換!


 「逆に考えるんだ、マキ。どうせ後で元に戻れるなら、今は染まりきってしまってもいいやって考えるんだ」

 「──もしかして、おじい様、『ジ●ジョ』のアニメ見てました?」

 「いや、ワシは原作派だ。連載当時から、キチンと単行本も買っておるぞ」


 謹厳実直そうな顔して、何気に少年マンガファンとは……意外におちゃめな祖父だった。


  * * * 


 善行との会話で、幾分悩みが解決されたような誤魔化されたような微妙な気分になった真紀だが、それでも「いつもどおり」居間でテレビを見てるうちに、些細な心のひっかかりは“日常”という大いなる惰性に飲み込まれていく。


 未央と希美がお茶&お菓子やミカンの入った籠を持って居間に来た後、それらをパクつきながら談笑しているうちに、自らの抱いていた懸念をよそに、真紀はすっかりその場の空気に馴染んでいた。


 「おーい、あがったよー」


 そしてそこに、風呂を浴びていたと思しき“父”の隆之が、丹前姿で居間に入ってくる。

 夕飯前に善行が、夕食直後に隆之が入った後、風呂の時間が長い女3人が適当な順番で入浴するのが、夏樹家の伝統だった。


 「あら、それじゃあ……マキちゃん、次に入ってらっしゃい」

 「あ、はい。それじゃあ、お先にいただきますね」


 “母”である未央に促されて、素直にこたつから出る真紀。


 その様子に、「あれっ?」と首を傾げる未央と、ちょっぴり口の端を吊り上げる希美。


 (ふふっ、勇美はお風呂嫌いで、なんだかんだ言って2、3日に一回くらいしか入らなかったから……お母さんも、その記憶が微かに残ってるのね)


 もっとも、真紀の思い描く「16歳の少女」は、「きれい好きでお風呂も大好き」というのがデフォなので、「風呂嫌いな女子高生」がいるなどとは想像もつかないらしい。高校教師をしてる(してた)わりに、何気に女子への幻想度が高い真紀だった。

 まぁ、結婚相手の慶子が躾のいい良家の子女で、彼の思い描く「若い女性」の要件をほとんど満たしていたから、仕方ない面もあるのだろう。


 一応、勇美の名誉のために言っておくと、汚ギャルというほどではない(そんなことは両親や祖父が許さないだろう)。ただ、夏場以外の入浴は面倒だし一日おきで十分だと思い、かつ入った時もカラスの行水気味に済ますという程度である。


 ともあれ、この真紀は「古風で控えめな少女」というシミュレートの上に成り立っているため、きちんと毎日風呂に入ることを習慣にしている。


 いったん、“自室”にとって返すと、冬場の寝間着にしている長袖&ロング丈のフリースのネグリジェと、替えの下着を手に風呂場へと歩みを進める。

 ちなみに、“本物”は自室では大体ジャージかトレーナーの上下で過ごしていたから、この辺りも、その“立場”になった者の個性が表れているようだ。


 サンドベージュのニットのワンピース、白いキャミソール、200デニールの黒タイツと順に脱いでいき、ふと、脱衣場の鏡に映る下着姿の自分を見つめる。


 「むぅ~、やっぱり胸はありませんね。それに下も……」


 立場が変わったとは言え、髪が伸びた以外の肉体的変化はないらしく、そこには、細身だが紛れもなく“男”の身体がブラスリップ&ショートガードルという格好で映っている。


 本来の“マサノリ”であれば恥ずかしくてたまらないだろうその服装も、今の“マキ”にとっては、「見慣れた当り前のもの」に思えるから不思議だ。

 ──いや、「女性としての丸みに欠ける体型」に対して、別の意味で気恥しい(というか悔しい)ような気分はないでもないのだが。


 「まぁ、こればっかりは仕方ありませんよね」


 あの河比奈媛に泣きつけば、体型も女らしく変えてくれるのかもしれないが、ずっとこのままならともかく、一年後には元の立場に戻るのだから。

 一瞬浮かんだ「それもいいかも」という脳内の呟きは無視して、真紀は残りの衣類も脱ぎ、タオルでさりげなく身体の前面を隠しながら浴場へと入った。


 儀式の前にも此処には来たが、あの時は軽くシャワーを浴びただけだったのに対し、今は檜の浴槽にもたっぷりとお湯が張られている。タオルで簡単に髪をまとめると、真紀はキチンとかかり湯してから、つつしみ深い動作で浴槽へと浸かった。


 「ふぅ~、気持ちいい……です」


 冬場の入浴の有難みは、さすがに老若男女とも変わらない。

 ただし、昨日までの“マサノリ”と違い、人気女性ユニットのヒット曲を小声で口ずさんでいるあたり、この“マキ”は相当リラックスし、また今の立場に知らず馴染んでもいるらしい。


 まさに「至福のひと時」を過ごしていたマキだが……。


──ガラッ!


 「マキちゃーん、久しぶりにいっしょに入ろ♪」


 突如、浴室のドアを開けて入って来た全裸の“姉”の存在に、脆くもその安らぎの時間は破られることになった。


 「ね、姉さん!? いきなりどうしたんですか?」


 あまりに唐突な希美の申し出に、目を白黒させる真紀。


 「え? いえ、折角の新年なんだし、姉妹水いらずで背中の流しっこでもしようかなぁ、って」

 「嘘ですね」


 清々しいほどイイ笑顔でそう告げる希美だったが、真紀はあっさりその企みを看破する。


 「大方、さっきの着せ替えの時みたく、私をいぢってオモチャにしようって魂胆でしょう?」

 「えー、そんなこと……これっぽっちしか思ってないわよ?」


 つまり、多少はそういう気もあるということか。


 「あ、でもでも、女の子初心者のマキちゃんに、キチンとした入浴の仕方を教育してあげるのが、主目的だからね」


 さすがに冷たくなった真紀の視線に耐えかねたのか、慌てて言い訳する希美。


 「──間に合ってますから結構です」

 「そんなコト言わずにさぁ……」


 断わってなお押してくる姉の粘りに根負けしたのか、溜め息をついて真紀は仕方なく譲歩した。


 「一緒にお風呂に入るのは、まぁ良しとしましょう。背中の流し合いも了解しました。ただし、“教育”と称した悪戯は遠慮します」

 「ガーーン! ど、どうして分かったの?」


 意図を見破られて驚愕する希美に向かって、真紀はクスリと笑って見せた。


 「もちろん、“姉妹”ですから」


  * * * 


 以上のような経緯から、“姉”とふたりで入浴するハメになった真紀だったが……。


 「ふーーん……」


 湯船の中から洗い場の真紀を見つめながら、感心したような困ったような嘆声を漏らす希美。


 「どうかしましたか、姉さん?」


 “姉”の視線に気づいたのか、身体を洗う手を止めて振り返る真紀。


 「いえね、マキちゃん、しっかり、かっきり、パーヘクトに女の子してるなぁ、と思って」


 膝を揃えて内股気味に椅子に腰かけた姿勢といい、シャンプーとコンディショナーを使い慣れた手つきでその長い髪を洗う様子といい、丁寧に優しく肌をこする仕草といい、今の真紀は、雰囲気も含めまるっきり女の子そのものだ。


 ちょうど石鹸の泡と閉じた膝で胸と股間が隠されているため、この状態なら河比奈媛の神通力がなくても、過半数の人がパッと見なら女性と間違えるかもしれない。


 「それは、どうも──ってお礼を言うのも、何だかヘンですね」

 「それそれ。その自然体で余裕がある様子が、一番“らしく”"ないのよ。わたし、マキちゃんが男の人だった時の姿を知ってるワケじゃない? だから、てっきり、殆ど知らないはずの若い女性と一緒に入浴するとなったら、色々恥ずかしがると思ったのだけど」


 希美は、あえてジロジロと視線を向けるが、真紀の方は動じない。


 「まぁ、確かに、マサノリのままなら、うら若い女性と混浴するとなれば、アタフタしたかもしれませんね。でも、今の私は花も恥じらう16歳の乙女のマキですから」


 わざとらしく顔を両掌ではさんでポッと顔を赤らめ、「恥じらいのポーズ」をとって見せる真紀。


 「──その仕草が似合ってるってのが、逆にスゴいわねぇ。ん? じゃあ、逆に男のままの自分の股間を触るのが恥ずかしいとか……」


 ピクッ、一瞬肩をふるわせる真紀。


 「い、言わないでください! あえて考えないようにしてるんですから! コレは、クリト●ス、そう、ちょっと大きめのク●トリスなんです!」


 どうやら、真紀の逆鱗(というか泣き所?)に触れたようだ。


 「あはは、ゴメンゴメン。じゃあ、お詫びにお姉ちゃんが、かわいい妹の背中を流してあげる」


 浴槽から出た希美は、すばやく体洗い用のスポンジを手に取り、真紀の背後に回る。


 「へ? いえ、あの、わざわざそこまでしていただかなくとも……」


 戸惑いつつ、そこは控えめな真紀のこと。

 乞われるがままに“姉”に背中を向けた真紀だが、もし希美が手の指をワキワキさせているのを目にしていたら、全速力で逃げ出していただろう。


 「ちょ、どこ触ってるんですか、姉さん!?」

 「へぇ~、お肌つるつるだぁ。体毛もほとんどないし……貴方、本当に男?」

 「だ、だから今は女の子だと……ひゃん」

 「あ、確かにオッパイはないわね。でも、かわらしいふたつの蕾がちょっと尖ってきたかも」

 「や、やめてください。ソコは敏感なんで……あン!」

 「ほれほれ、よいではないかよいではないか」

 「い、いやぁ、やめて~、汚されるぅ!」


 ……

 …………

 ………………


 「まったく、風呂場で何をやってるんだ、あの娘たちは」

 「まぁまぁ、いいじゃないですか、姉妹なんですし、ちょっとした悪フザケくらい」

 「(男としては羨ましいと言うべきか、それとも同情すべきか、複雑な状況だのぅ)」


 風呂場から聞こえる悲鳴を聞きながら、隆之、未央、善行の3人は、それぞれの感想を抱くのだった。

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