決戦

「……っ」

 意識が現実に戻る。体中に脂汗が滲み、呼吸は荒い。

「全部思い出したか」

 その声の主の方を見る。

 ソロンは、優しい人だった。魔術師という身分にも関わらず、混血のエゼルたちに分け隔てなく接してくれた。姉のことを本当に愛してくれて、二人を見ていると幸せな気分になった。

「……どうして」

「彼女が望んだからだよ。殺してくれと」

 ソロンは淡々と言葉を綴る。その顔には愉悦も嘲りもない。上から泥を塗って均されてしまったかのように無表情だった。まるで別人だ。

「私たちは愛し合っていたさ。心の底から。だがな愛の大きさなんて関係ない。それじゃ身分の差は埋められないんだ」

 グッと唇を噛む。知らぬ間に拳を握りしめていた。

 人間やエルフは対等だ。それなのにその間に生まれた子は、奈落より深いところまで蹴落とされてしまう。

そんな卑しい混血と、魔術師。すれ違うことさえ厭われる存在。

「私たち、いいや。メルに対する周りの目は厳しかった。普通の混血以上に酷い扱いを受けていた。時には殺されかけたことだってある」

「ころ……され……」

 メルは一度だってエゼルにそんな素振りを見せたことはなかった。いつだって頼もしい姉だったのだ。いつだって、笑顔だったのだ。

「とても耐えきれるものではなかった。だからメルは望んだんだ。殺されるなら愛する人の手で、と」

 ソロンは依然として無表情のままで、自分の掌を見つめていた。

「メルを殺した後、川で嘔吐しながら思ったよ。身分ってなんだ。魔術師ってなんだ。頂点に立っているから、なんだというのだ」

 ソロンは掌を強く握りしめ、オッドアイを見開く。皮肉なことに、その様子はとても人間らしい。

「周りの目はいつも厳しく監視し、評価し。人を自由に想うことさえ赦さない。偶然魔術が使えただけ。ただそれだけのことだ。なのに何故、こんなにも制限されなければいけない。苦しまなければならない」

 ソロンの言葉は、エゼルの胸にぴったりはまって、溶けてゆく。わかりたくないのに、わかってしまう。痛いほどに、理解できる。

「あいつらが見ているのは私ではなく、魔術師だ。常人にはできないことができる。困ったことがあったら助けてくれる。なんて尊い存在。ああ、ソロン様! そんな奴らに祭り上げられた結果がこれだ。こんな結果しか生まないなら私は、魔術など捨ててやる」

 魔術師も、混血も、結局は変わらない。みてくれしか見ない周りの目を気にし、怯える。幾度となく魔術師を羨んできたが、本質は全く同じだった。

 ソロンを救うと約束した。アダンの願いを果たすためにも、世界を守るためにも、そうしなければ。けれど体は動かない。視界に映るのは地面の草だけ。

 姉を殺したこの世界を何故、救わなければならないのか。くだらない身分制度のせいで、エゼルも、メルも、ソロンも、散々苦しんだというのに。

 ソロンの行為の残虐さをこの目で目の当たりにした。けれど目の前の存在に対して、体は一向に動かない。

「まあ、今はこの力に感謝しているがな。おかげでこの腐った世界を壊すことができる」

 いつもの調子に戻ったソロンが薄い笑みとともにこちらを見る。

 ソロンは魔術師で、エゼルは混血で。ソロンは頂点で、エゼルは底辺で。ソロンは崇められ、エゼルは貶められ。

 こんなにも正反対なのに、どうしようもなく同じ。

「どうした? 私を止めに来たのだろう?」

 すべてを馬鹿にしたような笑みは、以前と変わらない。しかし今はそれを形作るものを知ってしまった。

 もう何が正しいのかわからない。

 短刀を持つ腕が地面を向く。

「おお、そうだ。お前に見せなければいけないものがあったのだよ」

 ソロンが呪文を唱えると、草原に赤黒い魔法陣が浮かび上がった。狼を召喚した時と同じ形だった。その魔方陣が光を放ち、何かが姿を現す。

「アダン!」

 光の先にいたのは、アダン。いかにも崖下から救い出したというようにボロボロの姿だ。

「よかった……。生きていたんだな。伝えたいことがたくさんあって……」

 アダンに向かって声を放つが、アダンは一向に反応しない。距離は離れているといえど、声が聞こえないほどではないはずだ。

「アダン? どうした……?」

 上から頭を引っ張られたかのように、アダンの顔が持ち上がる。しかしすぐに顔は横に傾く。その双眸は、光を宿していなかった。本当にアダンかと疑ってしまうほど、生気も表情もない。

「話しかけても無駄だ。これの感情は封印したからな」

「……どういうことだ」

「そもそもこれは、メルの死体を使って作った、ただの人形さ」

「なっ……」

「ちょうどヒト型の召使いが欲しかったのでな。メルの死体は条件に合っていたのだ」

 自分の作品を誇るかのようなソロンに言葉が出ない。愛する人の亡骸をどうして好き勝手に扱えるのだろう。怒りと哀れみが綯い交ぜになって浮き出す。

 しかしおかげでよくわかった。フェアリーの言う通りだ。ソロンは後に引けないほど狂っている。だからこそ救ってやらなければいけない。

「僕が終わらせてやる」

 短刀を構え、ソロンの方へ飛び出す。

「くっ」

 しかしソロンをかばうようにアダンが立ちはだかった。咄嗟に短刀を引く。

「それを殺さなければ私を攻撃できないぞ」

 姉のことも、アダンのことも、これ以上傷つけたくないのが本心だ。しかし他に手段がないのも事実。 

 跳躍してかわしたとしてもソロンに狙い撃ちされてしまう。かといって速さで切り抜けたとしてもソロンのもとに行きつく前にアダンに邪魔されるだろう。

 中途半端な位置で短刀を構えたまま、アダンと対峙する。ソロンを目線だけで窺うと、何かする様子はなかった。不敵な笑みを浮かべるだけ。

 アダンを気絶させられれば、穏便に済むだろう。

「ああ、気絶させようなどと考えるなよ。それはただの人形。もとより意識がないようなものだ」

 心を読んだかのような口ぶりに、頬を汗が伝う。アダンを傷つける以外に道はないのか。

「…………して……」

「アダン……?」

 どこからか聞こえる小さな声。それは聞きなれたアダンのものだ。封印が緩んだのだろうか。それともアダンが打ち勝ったのか。

「エ……ゼル……おねが……ころ……して……」

「アダン、何言って……」

 アダンの瞳は一様に光を宿していない。しかし口を震わせながら、必死に言葉を紡いでいた。壊れた人形のようなその瞳から、一筋の水が零れる。

「も……いや…………なんかい……しん……でも……めが……さめ……て……ひどいこと……たくさん…………させられ……」

「アダン……」

「おねが……かいほ……して……エゼ……ル……」

 あとからあとから止め処なく零れる水に心が酷く痛む。アダンの苦しみはその体がよく示していた。

 破れた服から露出する四肢。元は袖や裾の長い服だったので見えなかったが、腕や脚は皮膚を移植したような跡が多々ある。右腕は交換されているようだ。

 小さな傷や痛々しい痣もそのままだ。乱れた茶髪の隙間から見える耳は変に切断されたままの状態。覗く腹や胸元にはケロイドも残っている。

 何も傷がないのは、顔だけ。

 いったい今までアダンは何回死んだのだろう。何回目が覚めて、何回絶望したのだろう。どれほど辛い行為を強いられたのだろう。自分の悔しさを、怒りを、苦悩を、悲しみを、何回飲み込んだのだろう。

 たとえソロンに作られた人格だとしても、それはもう自立している。アダンという一人の少女だ。

「わかった、アダン」

「しんぞ……を……さ……して……」

「……ああ」

 これはアダンの願い。自分にひたすら言い聞かせ、短刀を構える。

「そうだ。それでいい」

 ソロンの細められた目を一瞥してから、アダンの心臓を一直線に狙う。せめて一瞬で終わりに。

「甘いな」

 ソロンが指を振ると、アダンの体が動き出す。難なく短刀をかわし、拳を繰り出してきた。後ろに飛び退いてから、再び間合いを詰める。やはり狙うのは心臓。

「だから甘いと言っておろう! 情けをかけているようではやられる一方だぞ!」

「黙れ!」

 またかわされるが、それでも心臓を狙い続けた。これが余計な善意だとしても、方策によっては勝機が見えるはず。

 だがやはり不利なのは明白だ。心臓しか狙わないとわかっているソロンは、それを利用して巧みにアダンの体を操る。アダンを傷つけまいとすればするほど、エゼルの体は傷を負っていった。

 草で足を滑らせた一瞬に、アダンが回し蹴りをくらわす。短刀が弾かれて遠くに飛んでいく。

「くっ……」

 それに気を取られた刹那、アダンの蹴りがエゼルを襲う。腕を交差させた状態でその場に倒れる。

「そのまま無様にやられるがいい!」

 高く跳躍したアダンがのしかかろうと落ちてくる。それを転がってかわし、立ち上がる。

 背中から弓を取りながら走り出した。アダンも追ってくるが女性の体という点でエゼルよりも身体能力は劣る。それでも飛び蹴りや跳躍で距離を詰めてくる。精度の落ちたそれらはかわすのは容易だ。

 そうして草原を走り回り、先程倒れた位置まで戻ってくる。

「ちょこまかと小賢しい。何を企んでいるか知らんが、おまえに勝ち目は……ぬっ」

 その時に結んでおいた草にアダンが足を引っかけた。

「――」

 傾いていく体に向かって矢を放つ。

「あり……が……と……」

 体を矢が貫く。アダンの口元が弧を描き、その瞳に光が宿ったように見えた。しかしそれをよく見る間もなくアダンの体はうつ伏せに倒れた。

「所詮こんなものか」

 ソロンが指を鳴らすと、アダンの体が一回大きく揺れた。

「何をした!」

「なに、それを操る魔術を解いただけのこと。もうそれに用はない」

 うつ伏せのアダンの周りに血が広がることはなかった。きっと彼女の中には何も入っていないのだ。そしてもう動くことも、ないのだ。

「ようやく一対一か」

 アダンからソロンへと視線を移す。もはやこの男に何か感情を動かすことは時間の無駄であろう。両者のためにも一刻も早く終わらせるのが最良だ。

 それに残る矢は四本と少ない。普通の矢が二本に、花火矢が一本。金の矢が一本。いずれにせよ長く闘うほどこちらが不利なのだ。

 ソロンの周りに視線を走らせ、地面を強く蹴り出す。疲労感に対して驚くほど力が出た。

 ソロンの真横に走り込み、矢を放つ。ソロンがそれを訝しげに防いでいるうちに、その上に飛ぶ。弧を描くように飛びながら、二本目の矢を射る。

「……ん?」

 その矢は花火矢だ。矢尻についている花火草が軽い音と共に弾ける。花火が上がるかのように舞い散った花びらと光が、ソロンを包む。ソロンが片手で顔を覆い、その間にエゼルは背後に降り立つ。

 この間ものの数秒。

 そしてもう一本残った普通の矢を放つ。

「甘い」

 ソロンの背中側に魔法陣が浮かび上がり、炎が飛び出した。炎は豪速で矢に命中し、炭を生み出す。それでも止まらず、そのままエゼルに直撃した。

「つっ……」

「矢でどうにかなる私ではないぞ。馬鹿め」

 その場に尻をついたエゼルを見下ろし、ソロンは冷笑する。必死の攻撃もソロンには何一つ通じない。エゼルを躍らせるだけ躍らせ、今度は自分の番だというように手を動かし始める。手が通った場所に細かな魔方陣が浮き出し、次々と様々な種類の刃物や鈍器が生み出されていった。

「行け」

 短い命令で刃物が一気にエゼルに襲い掛かってくる。最初に届いた短刀を、首を捻ってかわす。すぐ後に飛んできた違う短刀を掴む。五本立て続けにやってきたナイフを弾き、装飾の凝った儀礼剣二本は足で蹴り上げる。飛んできたフレイル型のモーニングスターを掴み、三節棍を叩き折る。残った大小様々な刃物も全て薙ぎ払った。

 ひとまず乗り切ったエゼルを見て、ソロンが舌なめずりをした。トパーズとサファイアが暗く濁る。

 再び生み出された凶器は先の倍。スピードを上げて飛んでくるそれらを、モーニングスターで次々払いのける。うまくいきすぎだと怪しんだその時、手の中のそれが――消えた。

「くそっ……」

 残る短刀で咄嗟に眼前の刃物を飛ばし、片足で後ろへ跳躍する。だがかわしきれなかった小刀が太ももに突き刺さった。

「サイクロン」

 その脚を庇って着地した途端、耳に届くソロンの呪文。まばたきの間もなく、竜巻がエゼルを包んだ。

「ぐあああ!」

 鋭い風が服を切り裂き、うねる風流の中、元から含まれていた石つぶてや針が体に刺さった。周りに散った武器も引き寄せられ、竜巻に加わる。

「ぐっ……」

 腕で顔を覆い、唇を噛みしめる。草原の雑草でさえ凶器になるこの空間では、もうどこが傷を負っているのかさえ判別がつかない。

「そういえば混血は貧弱だったな」

 わざとらしい言葉のあと、ソロンが竜巻を止める。風で浮かび上がっていた体が地面に落下した。体中に痛みを感じる。至る所から血が出ている。

「では、そろそろ終わらせようか」

 地面に這いつくばったまま、ソロンを見る。小さな声で長い呪文を唱え始めた。するとエゼルを囲うように魔方陣が出現した。手に力を入れて立ち上がろうとするが、雑草が数本抜けるだけ。

 普通の魔法陣とは比べ物にならない力に、歯を噛みしめる。ここで終わってたまるか。その気持ちは十分あるのに、体がいうことを聞かない。

「貴様……!!」

 ソロンの焦った声と共に魔方陣が消える。痛む体に鞭打って顔を上げると、アダンがソロンを羽交い絞めにしていた。

「アダン……!?」

 アダンが動いている。アダンが生きている。アダンが、こちらを見ている。

 何故再び動いているのか。矢の位置が心臓からずれていたのか。ソロンが解いた魔術は感情を封印し、体を操るためのものだけだったのか。だから生は終わっていないのか。

 歓喜とも困惑ともつかぬ感情が体の痛みすら忘れさせる。

「金の矢を!」

 アダンの叫び声で意識が現実に戻る。アダンは何か喚きながらもがくソロンを必死に押さえつけて、背中をこちらに見せた。

「それじゃアダンも……!」

「いいの! この人を止めるには今しかない!」

「でもアダンッ……」

「何のためにここまで来たの! ねえ、エゼル!」

「……っ」

 凛としたアダンの声が、脳内に冷水を浴びせかける。混乱で沸騰した頭が無理やり現実に向けられた。

 動いているのが不思議なくらいつぎはぎだらけのアダン。そこら中から血を垂れ流すエゼル。

 そんな光景が恐ろしいくらいの勢いで視界に入る。

こんなに傷つき、苦労し、それでも進んできたのは、ソロンを倒すため。アダンと共に、そのためだけに。ならば、今やるべきことは。

「ぐっ……」

 足に力をこめて、ゆっくり立ち上がる。体が痛む。だが倒れない。倒れてたまるものか。多少ふらつきながら、矢筒から金の矢を取り出す。

「エゼルッ……」

 アダンが必死にソロンを止めながら、それでも振り返る。エゼルが矢を手にする様子を見て、彼女は微笑んだ。

 儚くて、美しい。そんな笑顔だった。

 その笑顔を視界に収めながら、弓を構える。幼い頃から行い続けてきた動作。

「放せっ……放せ!!」

 すると身の危険を感じたソロンが叫んだ、否、咆えた。ソロンを中心として、大きな衝撃波が襲う。矢を構えたまま踏ん張っていると、ただでさえ切れかけていた紐が切れ、エゼルの髪がほどけた。衝撃波が髪の毛を後ろにさらっていく。その姿はまさしく古文書の挿絵通りだった。

「魂の浄化を……」

 祈るように呟き、矢羽から手を離す。金色に輝く矢は、光の粒子を舞散らせながら、アダンとソロンに向かって飛んでいく。そしてそれはアダンの背中の皮を引き裂き、肉を抉りながら進み、貫通してソロンにも突き刺さった。

「があああ!」

 空気をつんざく叫び声が辺りに響き渡る。ソロンの体で止まった矢は、ソロンの体に沁みていくかのように、光となって消えた。

 アダンが腕を解くと、ソロンはその場に崩れる。アダンも一歩、二歩、よろよろと進んだが、すぐに力を失って倒れる。

「アダン……!」

 アダンに駆け寄ると、その体は足から順にゆっくりと、光となって消え始めている。ソロンを見ても同じだった。ただソロンはその速度が圧倒的に速い。

「なんて馬鹿だったのだろうな……」

 アダンを抱き起こそうとすると、ソロンが小さく呟いた。思わず動きを止めて、ソロンを見つめる。

「メルへの愛を歪ませて……。世界を壊しても、メルは喜ばぬのに……」

 やっと穢れから逃れたソロンはとても穏やかな顔つきをしていた。昔の、メルと愛し合っていた頃の彼と同じ。トパーズとサファイアの瞳は日の光を反射し、まるで本物の宝石のように輝いている。

「それに気づけただけで十分じゃないか」

「エゼル……お前はどうしてこんな私に……」

「誰しも必ず正しい行いができるわけじゃない。それは人間も魔術師も、混血も、同じだ」

「そうかも……しれないな……」

ソロンの瞳から、涙が一筋零れる。何をも悟ったその雫は、清い大地へ吸い込まれていった。その間に、空へ舞い上がる光は、ソロンの首に到達していた。

「……私は、メルのもとへ逝けるだろうか」

「今度はずっと一緒にいてやってくれ」

「…………ありがとう、エゼル……」

「……ああ」

 柔らかく微笑みながら、ソロンが消えていった。煌めく光は、空に溶けていく。その光を目で追う。浄化された魂はきっと姉のもとまで行く。

「エゼル……」

「アダン!」

 アダンのか細い声が耳に響く。既に腰あたりまで消えているアダンを、慌てて抱き起こした。

「すまない。僕がもっと強ければ……」

「いいの。私の命一つで、世界の崩壊を止められたんだから……」

 緩く首を振るアダンは、彼女の言う通りどこか吹っ切れたような表情だった。

「それにね、なんだか心が凪いでいるの……。今まで犯してきたことを、赦せる気がする……」

「アダン……」

 ほろほろと崩れていく体。淡い光に包まれるアダンを見失わぬようさらに強く抱きしめる。その体は死に瀕してなお温かい。エゼルが初めて知った温もりと何一つ変わらなかった。

「エゼル……今までありがとう。私、とても幸せだったわ……」

「それはこっちも同じだ……。アダンは、僕の人生に初めて差した光だ」

「そんな存在になれたのなら、嬉しい……。私もね、辛いばかりの人生だったけど、最後に幸福を知れた。本当に、ありがとう……」

「お礼を言うのは僕の方だ。アダンは混血の僕にも対等に接してくれた。世界を見つめる勇気をくれた。ありがとう……アダンッ……」

「泣かないで、エゼル……」

 消えてしまう。会えなくなってしまう。アダンの肩を強く抱いて、その体を捕まえようとするけれど、光の進行は決して止まらない。

 そんな現実にみっともなく涙が零れた。アダンの頬に次々と落ちていく。アダンは手を伸ばして、優しく涙を拭ってくれる。

「これは別れじゃない。エゼルが私のことを覚えていてくれる限り、私は死なないの。私の魂は、あなたの中で、生き続けるのよ……」

「ああ、わかったよ。アダン……。僕は、君のことを一生忘れない」

「嬉しい……。これで、淋しくない……」

 アダンの澄んだ瞳から、つうっと涙が零れた。

「ねぇ……エゼル……」

「なんだい……?」

「――――」

「……っ」

 アダンが微笑む。その笑顔は、今まで見た中で一番綺麗だ。一片の悔いも残らない美しい微笑み。

 その笑顔を残して、とうとうアダンも消えていった。アダンの光の粒子は、輝きながら空へと昇っていく。

 虚しく宙を切る腕。頬を伝う熱い涙。

「アダン……! 僕も、僕も愛している……」

 アダンの温もりが残る腕で、自分の体をかき抱いた。

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