尊厳

 体に嘘みたいに力が入らなかった。

 アダンに騙されていた。それはアダンの態度からも明白だ。その事実は予想以上に重い。

 やはり混血のことを認めてくれる人はいないのだろうか。アダンは気にしていないと信じていたのに、結局は裏切られてしまう。初めて他人を信じようとした矢先にこれだ。

 アダンの笑顔も言葉も行動も、全て偽物。

 この世で最も身分の低い種族は、所詮いいように操られるだけ。誰も自分自身を見てくれない。今もこれからも、ずっと孤独のまま。

 だから嫌だった。幸福なんてものは生まれてこの方手にしたことはないけれど、一度手に入れてしまえば手放したくなくなることは知っていた。いつか失うこともわかっていた。

 そしてその後に襲うのが、絶望だということも。

 痛い、心がとても、痛い。

 もし完全なエルフだったら、人間だったら、運命は変わっていたはずだ。誰かに認められていたはずだ。

 無意味な思考が頭を回る。焦点の合わない瞳に茶色い地面を映す。

「打ちひしがれているな」

 楽しそうなソロンの声が耳に響く。憐れみを含んだ笑い声にも、今は何も感じなかった。

「実に倒しがいがない」

 ソロンが小さく呪文のようなものを唱えた。視界の隅に、魔法陣が出現して、何かが召喚された。

「これは私が品種改良した狼。この狼の唾液には猛毒が含まれているのだよ」

 自慢げに話すソロンが、エゼルに向かって顎をしゃくった。少なくとも十匹はいるであろう狼が、じりじりと近寄ってくる。

 アダンはソロンの傍らに立って、身動きを取ろうとしない。エゼルに迫る狼を無表情に見ていた。

 唸る狼の声は耳に鋭く響くし、体臭は鼻がちぎれそうなほど。そんな感覚も自分が中途半端な存在だと思い知らされているようだった。

 もう最期だろうな。それでも、いいか。

 諦めかけた脳内に、

「エゼッ……」

 凛と響く声。

 顔を上げるが、アダンはやはり無表情のままだ。ただの幻聴だったのかもしれない。しかしその声のおかげで、頭が少し晴れた。

 このまま何の抵抗もせずに死ぬ。こんな得体のしれない狼に殺されて。それでいいはずない。

 足に力をこめる。

 エルフが何より恐れることは、尊厳を失うこと。

 混血だって、同じだ。

「ほう」

 すっくと立ったエゼルに、ソロンの口角がますます上がる。その笑顔を睨みつけながら、ベルトから短刀を抜いた。

「そんな貧相なもので何ができる。やれ」

 ソロンが命令すると同時に、まずは一匹、狼が飛びかかってきた。

「――」

 本来なら狼は森の仲間だ。だがためらう余裕はない。容赦なく短刀を首筋に突き立てた。そしてその腹を蹴り飛ばす。

「……少しは楽しめそうだ」

 一斉に狼が飛び掛かってくる。

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