裏切り

「――ソロン様!」

 目の前には見知った顔があった。楽しそうに笑むその顔は、おそらく全て気づいている表情。もとから泳がされていたということだ。

「さあ、アダン。来い」

 地面に降り立ったソロンが鋭い眼差しで命令する。

「……っ」

 体が勝手に動き出す。生まれたときから絶対服従の呪いをかけられていた。この身体は決してソロンの命令に抗うことはできない。

 ソロンの隣に立つと、重ねて魔術をかけられ、体の自由を封じられてしまった。声を出すのもやっとだ。

「これからいい物を見せてあげよう」

 ソロンが小声で呟く。その視線はエゼルに注がれていた。実に愉快そうな瞳。

 さっと血の気が引いていく。

 何をする気だろうか、この魔術師は。

「やっ……め……」

 エゼルは困惑した顔でアダンを見ている。

「そこの醜い、混血くん」

 エゼルがかすかに反応する。けれど慣れているのか、耐えているのか、表情は動かなかった。

「おまえはアダンに騙されていたんだ」

 エゼルの視線がソロンを射った。

「な……うっ……」

 慌てて反論の言葉を紡ごうとするが、魔術の力をより強められて、さらに動けなくなる。

「アダンにおまえを騙してここに連れてくるよう命令したんだ。万が一にも古文書の通りになったら厄介だからな」

 薄く微笑みながら話すソロンを、エゼルはじっと見つめている。

「何を言われたか知らんが、まんまと騙されたようだ。まぬけなものだな。全て偽物だったというのに」

 ソロンの話術は巧みだ。綺麗に偽られた口調は、あたかも全て本当かのように、アダンさえも思えてくる。一切魔術を使用していないにも関わらず、だ。

「明るい態度も、笑顔も、全てはおまえを騙すため。何一つ本心はなかった」

ましてやエゼルは。エゼルにきつく絡み付いた呪縛は、徐々に否定という選択肢を奪い去ってしまう。

「アダンの目に、おまえが映ることはないんだよ。所詮おまえは――混血なのだから」

 最後の打撃にエゼルは瞳を見開く。ぎこちなくアダンのことを見るその瞳は、一縷の望みを湛えていた。必死に縋るちっぽけな混血の瞳だ。

 アダンは一度だってエゼルが混血だという事実を気にしたことはない。最初こそ混血を求めていたとはいえ、気づけばいつもエゼル自身を見つめていたのだ。エゼルだけの表情、口調、優しさ。それがアダンの心の中に刻み込まれている。

 けれどそれを否定することは、首を左右に振ることは、できない。瞳を動かすことすら叶わないこの体はエゼルの悲痛な表情を見るだけだった。

 荒れ狂う思いが体の中で暴れる。外に出してくれと懇願している。どうしてこの体は動いてくれないのだろう。エゼルを傷つけるだけのこれはなぜ存在しているのだろう。

 どんな思考をしたって、エゼルに伝えることはできない。瞳だけでは思いを伝えられなんかしない。

 いつまでも返事をしないアダンを見ると、エゼルは諦めたようにその場に頽れた。

 それを見てソロンは笑みを深くする。

 その楽しそうな表情に悲しみ以上に大きな怒りが湧いてくる。

この魔術を解くことはできないだろうか。ソロンの注意が、散漫になってくれれば。

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