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父の通夜は、とても寒い日だった。退院してからも体調がいいとは言えない母の代わりに僕が喪主を務めた。親類や、父の友人、退職した会社の同僚など多くの人が弔問に訪れる中、不慣れな僕や姉をずっと倉さんが手助けしてくれた。普段は気丈な姉だが、通夜の時にはずっと泣いていて、遺体を棺へ移す前には、父が横たわる布団の枕元に座りずっと何かを語りかけているようだった。義兄も子供たちの世話をしながら姉を気使っていた。僕も悲しかったが、母の落ち込みようを見ていては泣いていられないと思い、葬儀社の人との打ち合わせや親類への受付の依頼などで忙しくして平静を保つようにしていた。

日付が変わった頃、葬儀場の小上がりになった座敷では母、姉、義兄と甥、姪、数人の親戚が眠っていた。隙間なく閉められた襖のこちら側で、僕は寝ずの番をしてろうそくを見つめる。冷える夜だったが、暖房を強くするわけにもいかないので毛布を肩から掛けていた。斎場は静まり返っており、この場所には父と僕だけが居た。毛布を椅子に置いて棺へ近づく。四角い窓から父の顔を覗くと、やっぱり、紛れもなく父だった。こんなに父の顔をまじまじと見たのは、子供の頃に抱っこされていた時以来だろう。化粧の際に接着剤が使われるのだろうか、目や口がひきつったようにまっすぐな線を描いていて、窮屈そうだ。斎場の自動ドアが開く音が聞こえて、しばらくすると後ろに気配を感じた。振り向くと倉さんがコンビニの袋から缶コーヒーを取り出しながら近づいてきた。

「冷えるからあったかいもの買ってきました」

「すみません、ありがとうございます」

倉さんは最前列の椅子に腰かけると、静かに、ゆっくりと缶コーヒーを開けて飲んだ。静寂の中にカシャという音が響いた。

「私がろうそくと線香、見てましょうか。少し眠ったほうがいいです。喪主は今日も大変ですから」

確かに昨日からずっと忙しなくしていたので、体は疲れていた。それに倉さんには父とのお別れの時間をとってほしいと思っていたので、厚意に甘えることにした。父が息を引き取った時、倉さんも病室にいた。ただ、父が旅立ったとわかるとすぐに病室を去って、しばらく経ってから「何か手伝えることがあったら言ってください」と申し出てくれた。

皆が眠る中、座敷へ入って起こしてしまうのも憚られたので、ロビーのソファで仮眠しようと思い座ったが、まったく眠れる気がしなかった。ガラス一枚を隔てた外では雪が降っていて、その雪は決してこちら側へ入ってくることがない。坂柳さんのことを考えていた。父のことを連絡すると通夜に来ると言ってくれたのだけど、悪いからと断った。悪いというのは、姉に会うことで気を使わせてしまうと思ったからだ。姉と会社の同期とはいえ、父親の通夜に来るほど親しいわけではないし、僕だって今は別の会社で働いている。そんな状況で彼が来れば、勘の良い姉には気づかれるだろう。

暗いロビーの奥、光が漏れている斎場の中では今、二人の男性が別れの時を過ごしている。彼らにはきっと、さまざまな可能性があったはずだった。ただ最終的に彼らは二人の時間を過ごしている。僕たちはどうなるんだろう。今この時の決断で未来が変わる気がして、ポケットからスマホを取り出した。


日が昇ると雲一つない晴天だった。陽射しが当たれば少し暑く感じられるほどで、冬とは思えない爽やかな日だった。

坂柳さんは少し早く斎場に来てくれた。僕は彼を連れて父のもとへ行き、紹介した。こうやって僕は自分の人生を歩いていくことを見せることが、父への最後の親孝行かもしれないと思ったのだ。母や姉には落ち着いてからあらためて紹介させてもらうことにした。葬儀は滞りなく終わり、霊柩車には母に乗ってもらい、僕は親族を乗せたバスへ乗り込んだ。手に持った箱の中、空の骨壺は小さくて、その軽さが人の命の儚さを思わせた。バスを見回すが、倉さんがいない。出棺のクラクションが鳴り、弔問客が一斉に手を合わせる中、そこには目に焼き付けるように見送る倉さんの姿があった。


火葬場の外に出ると、冷たい風が鼻の奥を突いて、思わず深呼吸をしていたことに気づいた。澄み渡る深い青色の空を見て、こんな日にも人は死んだりするんだろうな、と思う。どんな人生を歩んでも終わりがくる。終わってしまえばその瞬間、過去になってしまう。いつの日か、と希望を持ち続けるには人生は短すぎる。僕たちは皆、取り返しのつかない人生を生きている。

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六日の菖蒲十日の菊 teran @tteerraan

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