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モノレールに乗っていた。混んでいる。乗客はみんな羽田へ向かう観光客のようだが、快速があるにもかかわらず、各駅停車にも今日は人が多い。さまざまな言語でざわつく車内の音をかき消すようにイヤホンの音楽に集中する。今日は父が実家にいるはずだ。昨日退院した。と言っても快癒したというわけではなく、一定期間が過ぎたので病院を出なくてはいけなくなった。この半年、何度も繰り返していることだ。病院に居ても通院しても同じ治療を受けるのであればどこに居ても同じということだろうか。

 実家のインターフォンを鳴らすと、ドアが勢いよく開いて智貴が出てきた。家の中に入ると姉と母、茜音が居た。

「あれ? 父さんは?」

「友達のところ。なんか学生時代の人達で集まるんだって」

姉が答える。

「せっかく将人お兄ちゃんも忙しいとこきてくれたのにねえ」

母が抱きかかえる茜音にぼやく。

「母さん、そろそれ僕おじさんって呼ばれたいんだけど」

「あら、まだ三十歳じゃない、お兄ちゃんよ」

「いや三十はおじさんでしょ、充分」

姉と母で年齢についての談義が始まったので、僕はもってきたお菓子を自分で開けて食べ始めた。智貴が膝の上に乗ってきたのでお菓子をとってやる。

「実際父さんの具合ってどうなんだろう?」

二人に問いかけると、姉は昨日の退院に付き添ったらしく医者の説明を再現する。

「確実に悪くなってるって。正直いつ何が起きてもわかりません、って言ってたよ」

母の表情が一気に暗くなる。確かにこの数カ月で髪の毛もすべて無くなってしまったし、かなり痩せたので、よくなっているとは到底思えなかったけれど、それでも当初癌を告知された時に感じた焦燥感が少し薄れてきたくらい、穏やかに症状が進んでいる気がする。要は、慣れた。こんな状態で、入退院を繰り返しながらもずっと生きているのではないか、と淡い期待すらしていた。 けれどよく考えてみればおそらくそれはただの期待にすぎない。

「ゼリー食べたい!」

お菓子を食べ終わった智貴が言う。

「もうだめよ! お菓子食べ過ぎ!」

姉が却下する。

「ゼリー?」

「あの、倉さん? あんた会ったことあるでしょ? あの人がお見舞いに持ってきてくれたんだって。お父さん甘いもの食べないし、食欲もないから持って帰ってきたのよ、すごい高そうなの」

「へー」

そう言いつつ冷蔵庫を開けてみると高そうなゼリーがたくさん入っている。

「これお父さんが食べれる量じゃないね」

「うちの家へのお見舞いかもね」

母が台所へ入ってくる。

「気にかけてくださってるのよ。よくお見舞いにも来られてるし」

「それにしては頻繁に来すぎな気もするけど」

そう言って姉が横からびわのゼリーを取っていった。

「ママ食べるのずるい!」

「だってママお菓子食べてないもーん!」

僕も食べようかと思ったけど、これで僕まで食べると智貴が泣き出しそうなので後で食べることにした。

 結局晩御飯までに父は帰ってこなかったので、母と姉、僕と智貴と茜音で食卓を囲んだ。まあ将人が元気そうな顔見せてくれたからよかったわ、と母は言っていた。

 いつもどおり今日は実家に泊まるという姉親子と母に別れを告げて帰る。すっかり寒くなって、橋の上の風が鼻の先を真っ赤に染める。冬の気配を感じさせる強風で自転車に乗っていた人も降りて押して歩いている。父は今どこにいるのだろうか。体調の悪い体をどこで休めているのだろう。自分の寿命を意識して生活するというのはどれだけ残酷なことなのか。夜、眠りにつく前、朝、目が覚めた時、一日一日が重い。そんな状況に在る人がどんなことを考えるのかなんて、わかりようがあるだろうか。そんな時に何をしたいか、誰と一緒に居たいか。そんなことを考えてモノレールを待った。帰りの浜松町行きは空いていた。


 家に着くと、ちょうどスマホが鳴った。坂柳さんだ。

「もしもし?」

「あ、将人、今大丈夫?」

「今、家に帰ってきたとこです、ちょっと待ってください」

脱いだコートとマフラーをクローゼットにしまう。

「はい、どうぞ」

「俺さ、こっちの勤務年内いっぱいになったよ」

「え? じゃあ」

「東京戻れることになった!」

「おー、よかった」

「……、なんかあんまうれしくなさそうだけど?」

「そんなことないですよ、正直大阪まで行くのしんどかったですもん」

「そうだよな、とりあえずそれだけ伝えたくて! ごめんまだ仕事あるから切るな! おやすみ!」

 電話を切った後、部屋の電気をつける。セミダブルのベッドには枕が二つあって、スウェットや二人分の食器、ハブラシもあるけど、坂柳さんが東京に戻って帰ってくるのはこの部屋じゃない。きっとこれから家庭で過ごす時間が増えて、子供ができればなおのことだろう。

 本当に僕のことが好きなのだろうか。家庭や子供があっても、続く愛情なんてあるのかな。僕はずっとこの部屋で坂柳さんを待ち続けて年を取って、気づいたら坂柳さんは遠く手の届かないところへ行ってしまうんじゃないか。カーテンを閉めると一気に孤独感が増した。

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