第240話 ターニングポイント
帝都サガルマータの宮殿で僕たちのために用意された寝室。それが僕と嫁さんを足止めするための罠であることに気づき、どう脱出しようか迷っていた時、彼女は現れた。
神出鬼没の僕の元同級生、桜澤撫子さんだ。
「桜澤さん、どうしてここに?」
「近くを通ったら、なんとなく二人の気配を見つけてね。こっそり忍び込んじゃったの。私って、『幻影の魔王』を倒すための勇者だから、そういうの発見しやすいんだ」
「やっぱり君もチートだな。実は僕からも連絡したいことがあったんだよ。携帯端末の電源が入ってないから心配してたんだ」
「え、あっ!ごめん!一度、電源落としてから、立ち上げるの忘れてた!」
僕の指摘で気づいた彼女は、慌てて携帯端末宝珠を取り出し、起動した。未読だったメッセージが何件も飛び出し、それを一瞥した後、桜澤さんは僕に尋ねた。
「で、私に話って?」
「『幻影の魔王』が今、帝都にいるらしい。実は、『凶作の魔王』にも出会って、友達になったんだよ」
「えっ!そんなことになってたの?さすが白金くんね!」
「かなり立て込んだ話になるから、詳しくはあとでゆっくり教えるよ。それより、ここの勇者たちが、どこに行ったか知らないかな?」
「ううん。私も昨日から今日まで、ちょっと街の外に出掛けてたから、帝都で何があったのか、わからないのよ」
「そうか……」
こちらの現状の課題は、勇者たちの行方を掴むことなのだが、その本題は桜澤さんも把握していなかった。しかし、彼女は代わりとなる情報を提供してくれた。
「でも、街の人たちに聞き込みはしてみたわ。どうも昨日、この国の『聖浄騎士団』が帰ってきて、その後、すぐにまた出発したんだって。帰りの時は大騒ぎだったのに、出て行く時はひっそり出陣していったらしいわ」
「てことは、それに勇者たちも同行しているということか……」
僕が考え込むと、嫁さんも一緒に難しい顔をした。
「どこまで行ったんだろね……」
この時、残念ながら僕たちは勇者が5人揃っていることを知らない。以前に出会った3人が外出中であることから、今も3人なのだと思い込んでいる。ゆえに、そこまで大規模な出陣であったとは思ってもいないのだ。
そんな僕たちに桜澤さんはもう一つ申告してくれた。
「方角的には南の門から出て行ったらしいわ」
「南か……騎士団が移動したなら、雪原に痕跡が残っているはずだ。追いかけるのも可能だろう」
僕がそう呟くと嫁さんが反応した。
「行ってみる?」
「でも、僕たちは王女の使者として来ているから、勝手に抜け出せないんだよな……」
再び嫁さんと一緒に思案に暮れる。すると、ここで桜澤撫子さんが一案を出してくれた。
「私がここに残ってあげるから、二人は勇者くんたちを捜しに行ったら?」
「「え……?」」
「ここの皇帝さんからの手紙を受け取ればいいんでしょ?さっき話してたよね?」
「うん。でも、いいのかな?そんな雑用、頼んじゃって」
「友達だもん。それにほら、牡丹ちゃん、疲れて眠っちゃってるわよ。一人で置いてくわけにもいかないでしょ?」
「そうなんだよね……起こすと機嫌悪くなるだろうな……」
ベッドに横たわる我が娘はスヤスヤと寝入っている。難しい性格の彼女を無理に起こすと、癇癪を起される場合があるため、注意が必要だ。僕たち夫婦は苦笑しながら桜澤さんの提案を受け入れた。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおっか?」
「だね。彼らの行き先の方角だけでも掴んでこよう」
「撫子ちゃん、ありがとね。なるべくすぐに戻ってくるから、ちょっとだけお願い」
「任せて」
笑顔で送り出してくれた桜澤さんに感謝しつつ、僕と嫁さんは寝室のテラスから宮殿を脱出した。場所は3階だが、嫁さんに抱かれてジャンプし、兵士たちが監視している城内を軽々と抜け出た。
中央広場に降り立った僕たちは、大通りを南下し、帝都の南門まで急ぎ足で向かった。既に深夜11時を回っているので、人通りはほとんどない。
この夜はとても明るい。ふと夜空を見上げると、まん丸に輝く天体が街を照らしてくれている。それを見ながら僕は感慨にふけった。
「今日は太陰暦の15日。十五夜の満月だ……」
「そだね」
「なんかさ、僕たちって、この世界に来てから、満月になる15日になると、いつも何かしら起こってるんだよね。だいたい命に関わる危険なことが」
「確かに」
僕が妙なジンクスを持ち出したので、嫁さんも笑った。これまでの僕たちの冒険は、満月の日に必ず大事件に遭遇しているのだ。
「今日は何も起こらないといいな……」
「蓮くん、そういうこと言わない方がいいよ。逆にフラグだよ」
「確かに」
嫁さんのツッコミに今度は僕が笑った。
冗談はこれくらいにしておき、僕はフェーリスと連絡を取った。『聖浄騎士団』の動向を改めて確認するためだ。
「フェーリス、昨日、この街に『聖浄騎士団』が帰って来て、また出発したらしいんだが」
『あ、それは覚えてるミャオ。ただ、帰って来たのは知ってるけど、出て行ったのは気づかなかったミャオ』
「そうか……つまりその間にフェーリスの魔法対策がされたということだな……。了解だ、フェーリス。ありがとう」
『どういたしましてミャオ』
彼女との通話を終えると、僕は深く嘆息した。
「なんだか、今日の僕は何もかもが後手後手だな……フェーリスの能力に頼りきりで油断していた。椿を甘く見ていた」
「たまにはそういうこともあるよ。ほら、急ご」
嫁さんが急かすので、僕も急いだ。
僕たちが向かうのは帝都の南門。そこを過ぎれば、『聖浄騎士団』の足取りを掴むことができる。雪を掻き分けて進んで行った彼らの足跡は、1日経っても確実に残っているはずだ。
そうなれば、まだ見ぬ未来であるが、おそらく勇者たちを連れた『聖浄騎士団』が南方にあるカラコルム卿の領地へまっすぐ進軍していることにも気づき、僕たちはこの晩のうちに彼らに追いついて説得することもできるであろう。
ところがここで、今度はベイローレルから連絡が入った。翌日以降の行動をラクティフローラと相談したらしい。
『レンさん、明日になったらボクたちはピアニーのいるカラコルム卿の屋敷に向かおうと思います。クルマをお借りしますね』
「そうか。萌香はどうするって?」
『ゼフィランサスも一緒です』
と、彼が言うと、通話の横から桃園萌香の声が乱入してきた。
『蓮!二人から聞いたわよ!パーシモンおじちゃんが王女様のイトコを誘拐しちゃったんでしょ?わたしも知らなかったの!なかなか無茶なことするよね!申し訳ないから、わたしからおじちゃんに事情を説明してあげる!そんで、魔王を召喚する?っていうのは、よくわかんないけど、教えてもらえるように話を付けてあげるわよ!』
『ということで、大変、不本意ですが、魔王が協力してくれるというので、道案内も兼ねて助手席に乗せることになりました』
ベイローレルが補足する声には、本当に心から不服そうな響きがあった。考えてみると、僕たち一家がいない場面で、魔王のそばに王国の勇者と王女を置き去りにしてきたのは、なかなか酷だったかもしれない。
「ははは……まぁ、可能な限り仲良くやってくれ」
『ええ……本当に、可能な限り、ですけどね』
苦笑しながら僕が頼むと、ベイローレルも眉をひそめて答えた。これで通話は終了した。
ところで、この後、ベイローレルたちと行動を共にすることが決まった桃園萌香は、一人で盛り上がっていたようである。
「やった!やった!どうしよ!イケメンの運転でドライブ!異世界でそんな経験ができるなんて夢のようだわ!」
それを見ていたラクティフローラが、イタズラっぽい笑みを浮かべてベイローレルに言った。
「あなた……魔王にまで気に入られたみたいじゃない。良かったら今夜一晩、モカさんのお相手をして差し上げたら?」
耳ざとく、それを聞き取った桃園萌香は、ビクッと反応する。
「えっ!……や……やだ。お相手ってまさか……夜の?夜のなの?」
一方、王女の冗談をベイローレルは珍しく真顔になって拒絶した。
「バッ、バカ言うなよ!いくら、かわいい女子に見えたって、彼女は魔王なんだぞ!」
「あら、かわいいって認めてるなら、いいじゃない。魔王を抱いた勇者なんて、きっと後世に名を遺すでしょうね」
「冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろ!ボクを何だと思ってるんだ!見損なったぞ!」
「女と見れば見境なく誰でもパクッといっちゃう狼でしょ、あなたは。私こそ、見損なったわ。こんなところで怖気づく男だったなんてね。王国の英雄が聞いて呆れるわよ」
「ラクティ!前々から思ってたけど、キミはボクのことが嫌いみたいだな!」
「あらやだ。今頃になってわかったの?あなたなんかと二人きりになるなんて思ってなかったから同行させたのに。私もお兄様とお姉様に付いて行けば良かったわ」
もともと仲が悪かった王女と聖騎士は、なんとここで喧嘩を始めてしまった。
少し離れている桃園萌香は、それを止めることもせずに、一人で浮かれている。そして、イケメンとの一夜を妄想しながら、勝手に悶絶し、拒んでいた。
「やっぱり無理!無理よ無理!”推し”は遠くから眺めるから尊いのであって、リアルで迫られるのは反則なのよ!そんなことになったら、緊張でどうにかなっちゃうわよ!全身の穴という穴からいろんな水が飛び出て、ドン引きされたあげくに干乾びて死んじゃうわよ!キャーー!」
酔いしれながら独り言を叫んでいる彼女を見て、もともと苛立っていたベイローレルは、さらにキレた。相手が格上であることも忘れ、彼は啖呵を切った。
「おいコラ!真に受けるんじゃないぞ!魔王ゼフィランサス!ボクはユリカさんの顔を立てて、オマエを見逃しているだけなんだからな!少しでも悪さをすれば討伐するぞ!」
「…………っ!」
彼から罵倒された桃園萌香は、ハッとして固まった。そして、彼の顔をガン見しながらウットリして言うのだった。
「いやぁーーん。もっと罵ってぇーー。イケメンなら許すぅーー」
「はぁ…………」
疲れ切ったベイローレルは、一足早く宿に戻り、寝ることにしたという。
そんな彼らのやり取りなど知る由もない僕は、ともかく勇者と魔王で、争いが起こらないことのみを願っていた。
「まったく……頼むから殺し合いだけはしないでくれよ……」
僕の嘆きを聞きながら、嫁さんはおかしそうに笑う。
「ちなみにベイくんと萌香ちゃんなら、結構、ギリギリの戦いになりそうだよね」
彼女の分析に触発され、僕も少し真面目な考察を始めた。
「そういえば、ベイローレルには『絶魔斬』があるから、萌香の魔法能力も効かないのか。あいつの剣技はやっぱりチートだな」
「考えてみると、ベイくんの能力って、他の異世界勇者と比べても異質だよね」
「そりゃあ、どんな魔法でも強制的に解除できるんだから、チートはチートでも、完全に主人公系のチートだよな……」
「理屈が難しくって私でもマネできないし。そんな技を自力で身につけちゃうって、彼は本当にすごいよね」
「それには王国の文化も貢献してるんだよ。あの国は、過去に現れた勇者を本当に大事にしていて、神のごとく崇めている。勇者が健在の時代には、そのスキルを真剣に学んだりもした。だから、勇者が遺した伝説の剣技が、先祖伝来の奥義として、名家の騎士に受け継がれているんだ。実際に使いこなせるのは、数世代に一人という天才じゃないと無理らしいけどね」
「なるほどねぇーー。ベイくんは、そういう血筋の天才くんなんだ」
「あいつなら、能力面だけで見れば、どんな魔王を相手にしても天敵になれるだろうね。まぁ、実際に試してみないとわからないけど……」
などと、ここまでは軽い気持ちで解析していたのだが、僕はあることに気づき、思わず立ち止まった。それは、今までずっと謎としてきたことへの解答に繋がる重大な発見だったからだ。
「………………」
「どうしたの?蓮くん?」
目を大きく見開いて立ち尽くす僕を不思議がり、嫁さんが振り返った。そんな彼女に僕は微妙に体を震わせながら話を始める。心を落ち着けるため、語りながら考えをまとめることにしたのだ。
「百合ちゃん、『幻影の魔王』が王都でベイローレルの前に現れた件なんだけど……」
「うん。すぐに逃げられちゃったんだよね」
「あの時、あいつの『絶魔斬』があったから、『幻影の魔王』がどんな能力を持っていたとしても見破ることができた。そう僕は考えた」
「そうだったね」
「でも、それ自体が目的だったとしたら?」
「え?」
「『幻影の魔王』本人が、ベイローレルに自分の能力が通用するのかを確認したかった。だから、彼の前に現れた。その結果、魔王であることが看破された」
「え、え?」
「つまり、アレは実験だったんだ。自分が誰を騙せて、誰を騙せないかを検証する必要があった。特に魔法を打ち消すことができるベイローレルは、最大の危険要素だった」
僕が視線も合わせずに頭の中を整理しながらここまで語ると、今度は嫁さんが目を丸くした。彼女にも、これが重大事実であることが、なんとなく理解できたのだ。彼女もまた動揺しながら僕に尋ね返した。
「ちょ、ちょっと待って。それって何のため?その理屈だと、『幻影の魔王』はベイくんの身近にいる人たちと出会ってるってことにならない?それって、私たちの知り合いってことにならない?」
「そのとおりだ……『幻影の魔王』は僕たちの知り合いの中にいる。原理は不明だけど百合ちゃんすらも出し抜き、味方だと思わせて接触してきた人物……しかも、直接ベイローレルには顔を見せていない人物……それが『幻影の魔王』だ」
「待って……待って!そんな人!!私、一人しか思い浮かばない!!!」
嫁さんは声を震わせて叫ぶように言った。
その答えに辿り着いたからこそ、僕はここで立ち止まったのだ。これ以上、進んではいけないのだ。
この時、僕の宝珠システムに再び連絡が来た。
なんと今度の相手はルプスだ。
『アウオオン!ガウアウア!グルルオウウオン!(レンさん!遅くなってすみません!字が読めなくて、操作に手こずってしまいました!)』
ルプスにも携帯端末宝珠は渡してあるのだが、彼は文字が読めないため、僕からの通話は受け取れるのに、僕への通話は自らできなかったのだ。彼なりに苦戦しつつ、ようやく使い方を理解して、僕に通信してきたらしい。
彼の固有魔法【
ゆえに、彼が連絡を寄越すこと自体が、僕の推理が正しいことの証明でもある。
『ガオウアオン、アオアウガオア、ゴウアウガオン!(1時間くらい前に、昼間のハト魔族と、ある人間が接触しました!オレたちがよく知る人物です!)』
「やはりか!!!それは彼女だな?」
――さて、一方その頃、僕たちの留守番を買って出てくれた桜澤撫子さんは、ベッドで熟睡している牡丹の横に座り、その顔を見ながら頭を撫でていた。
ふと何かに気づいた牡丹が、そこで目を覚ました。目の前にいるのが両親ではなく、知り合いの女性であることを不思議に思い、尋ねる。
「……ナデ……シコ?」
「あ、起きた?牡丹ちゃん……」
牡丹に話し掛ける桜澤さんの顔は、なぜか無表情だ。奇妙な雰囲気を感じ取った牡丹は、眠そうな目を擦りながら、むくっと起き上がった。
「ママは……?パパは……?」
「二人とも、もういないよ」
「え?」
冷たい口調の桜澤さんの声に驚き、牡丹は彼女の顔を真顔で見つめた。
「あなたはもう、あの二人には会えない」
「?」
そのセリフと彼女の気配に異変を感じた時には、既に全てが遅かった。
牡丹は、桜澤撫子さんの両手で首を掴まれていた。
レベル53の彼女でも振りほどけない。それもそのはず。相手のレベルは58なのだ。
突如として牙をむいた殺戮者の顔には、ゾッとするほど表情が無かった。あらゆる思考を停止し、今、やるべきことだけを淡々と済ませようとする歪な使命感だけが漲っている。
これまで感じたことのない異様な敵意を前にして、牡丹は恐怖で震えた。
「あっ……がっ!」
「ごめんね。ここで死んで」
我が愛娘の喉が、狂気の力で絞め付けられた。
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