第231話 身代わり王女の帝国紀行③
シャクヤは、帝国南部を治める地方の領主の屋敷に留め置かれている。
質素ではあるものの、生活そのものは不自由ないように世話をされ、穏やかに過ごしていたが、何一つ情報を得られないまま、数日が経過していた。
彼女は白金蓮から受けた報告に愕然としている。
(なんということでしょうか。ボタン様を含めて魔王が5人もいるとは……。と致しますと、わたくしはこれから6人目の召喚を依頼されるということでしょうか……)
そんなシャクヤには、気になっていることがあった。
領主の屋敷内で、漆黒のローブに身を包んだ人間を時折、見かけるのだが、その後、どこに行ったのか全く不明なのだ。
気配から察するに人間の魔導師であると思われる。それが複数名いるのであれば、必ず何かしらのことを行っている考えられる。だが、シャクヤとは鉢合わせないようにしているようで、どこに向かったのか掴めない。
(あの方々は、この屋敷で何をされているのでございましょうか。もしかすると、どこかに隠し通路や隠し部屋があるのかもしれませんわね。ここはわたくしが、なんとしても『魔王教団』の秘密を暴かねばなりませんわ!)
と、決意に燃えて、こっそり部屋を出る。
しかし、廊下に出るために扉を開けると、待ち構えていた使用人の一人、誘拐犯のリーダーだったコルチカムから声を掛けられた。
「王女殿下、どちらへ?」
これが毎回のお決まりであった。コルチカムは、王女の世話をする一方、勝手な行動を取らせないように監視する役割も担っていた。
「あ、いえ……」
(これでは全く動けませんわね……何か一計を案じませんと……)
そう考えつつも、返答に窮して苦笑した時である。部屋の窓の向こうから、賑やかに談笑する声が響いてきた。
「まぁ!あれは!!」
窓に向かい、外を眺めたシャクヤが遠目に確認できたのは、農村の人々が小麦を収穫している光景だった。
「いんやぁ!今年はすんげぇ実りだなぁ!」
「こんな豊作は何年ぶりだろうね!」
「村のみんな総出でやらんと間に合わねぇべさ!」
「んだんだ!隣村にも応援頼むべか!」
楽しそうに話しながら、せっせと作業を続ける老若男女。その言葉を聞き取ることはできないが、彼らの声から喜びを感じたシャクヤは、興奮した面持ちで窓から身を乗り出した。
「コルチカム様!あのようにして、小麦が刈り取られるのでございますね!」
呼ばれたコルチカムは、彼女の部屋に入室し、共に窓から外を覗いた。
「はい。今年は例年にない豊作となりました。これで当家の財政も、また村の者たちの暮らしも、幾分、マシなものになることでしょう」
「まぁ、いつもはもっと少ないのでございますか?」
「比較的暖かいこの地域はずっと、秋に種を蒔いて初夏に収穫する”冬小麦”を扱っていました。ところが、毎年のように続く吹雪で、冬を越せなくなってしまったんです。そこにグリュッルスさんをはじめ、黒いローブの方々が来てくださってから、様々な知恵を与えてくれまして。春に撒いて秋に収穫する”春小麦”を植えてみたらどうだってことになったんです。去年は実験的にやって、うまく行きましたんで、今年は本格的に春小麦を栽培しました。その結果が、これなんですよ」
コルチカムの解説にシャクヤは内心で驚愕した。
(これは驚きでございますわ。『魔王教団』は、わたくしの想像とは真逆のことをされておられます。レン様のようなお知恵を持った魔王が、陰で協力しているということでしょうか……)
そう考えながらも、窓の外を眺めているうちにウズウズしたきた。彼女はコルチカムに真顔で尋ねた。
「わたくしも、お手伝いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「えっ!?」
あまりにも予想外だったようで、コルチカムは素っ頓狂な声を上げた。シャクヤは懇願するような目で聞き返す。
「……ダメでございますか?」
「いえ……ダメというより、何ゆえ王女殿下のような方が畑に向かおうなどと考えられるのかと……。土臭いだけですよ?」
「一度でよろしいですから、体験してみたかったのでございます。祖父からも畑の労働は素晴らしいと聞いておりました」
「祖父とは、”大賢者”殿ですか?」
「はい!」
「これはまた……」
コルチカムは絶句しながらも感嘆した。
(なんという王女様だ……このような方が王宮にいらっしゃるのだとしたら、王国はなんと幸せな国なのだ……)
シャクヤの注文に感動してしまったコルチカムは、彼女を連れて、執事である魔族グリュッルスのもとに向かった。
玄関にいた彼に相談を持ち掛けると、魔族執事も血相を変えた。
「王族のあなたが畑に向かわれるのですか!?」
「はい。是非ともお手伝いをさせてくださいませ」
「ご殊勝なこととは思いますが、あなたの正体を村民に知られるわけには参りません。お控えいただけませんか?」
「農家の娘と、ご紹介いただければよろしいですわ」
「とんでもない!そのご器量と上品な言動で、農家の娘は無理があります!」
「では、どのような肩書でもよろしいですので」
「それほどまでに行かれたいのですか?」
「はい!」
「……仕方がありません。当家の主の遠縁にあたる商人の娘ということに致しましょう。それでも畑に赴くのは奇特な人だと思われてしまうでしょうが」
「うふふ。ありがとうございます」
今回も根負けしたグリュッルスは、シャクヤに外出許可を出した。
彼女のために作業着も用意され、シャクヤはドレスからそれに着替えた。農家の作業着と麦わら帽子を身に着けた彼女を見て、専属侍女のキシスはウットリ見惚れた。
「お……同じ服とは思えませんわ……」
さながら女優が農民の衣装を着たようにキラキラして見えたのである。
キシスも同行することになるが、シャクヤに心酔している使用人ハンター、トリトマも大喜びで付いて来た。
「ほんとですかい!だったら、おれも手伝いますぜ!畑仕事なんて子どもの頃、無理やり親父に手伝わされて以来ですがね!」
彼が御者を務める馬車に乗り、シャクヤはキシスとコルチカムと共に麦畑へと向かった。
現地に着くと、コルチカムが農民たちを呼び寄せ、シャクヤを紹介する。
初めは、物好きな商家の娘が遊び半分で見物に来たのだろうと解釈され、怪訝な顔をされた。しかし、彼女の美貌に鼻の下を伸ばした若い男たちが、率先して小麦の刈り取り方法を教えてくれた。
やり方を教わり、道具を借りると、シャクヤは畑に入った。
陽光が燦々と降り注ぐ中、乾いたそよ風が肌を通り過ぎるのが、なんとも心地良い。さざ波のように揺れる麦に囲まれて、シャクヤの心は弾んだ。
「土の匂いと麦穂の香り……これが畑仕事というものなのでございますね」
その様子があまりにも絵になるため、若い男たちは呆然とする。彼らが見守る中、彼女はニコニコしながら淡々と作業を開始した。そして、しばらくすると、ポツリと呟いた。
「なるほど。なんとなくコツは掴めましたわ」
彼女が笑顔でそう言った直後だった。
凄まじい勢いで小麦が刈り取られはじめた。しかも正確にである。魔導師タイプとはいえ、レベル43の彼女が本気を出せば、農民の体力や技術など足元にも及ばなかった。
「このような具合でよろしいでしょうか!」
顔に土と藁の断片を付けながら、満面の笑みで、収穫した小麦を荷車に積み上げるシャクヤ。それを目にした農民たちは度肝を抜かれた。
「なんだべ、あのお嬢さんは!!」
「本気でやってくださってるよ!!!」
「しかも早っ!!!」
「こらぁ、たまげたなぁ!!!」
この瞬間、彼女は村の人気者になった。若い男たちも彼女を見習って、早速、収穫作業に戻った。護衛のトリトマも腕をまくった。
「よぉーーっし!!!おれもお姫さんに負けてらんねぇな!!!」
そうして、もともと豊作に沸き立っていた農民たちは、謎の美少女の助力を得たことで、さらに活気を増し、ハツラツと作業にあたった。
自分に対する警戒心がなくなり、皆が作業に没頭するようになったところで、シャクヤはすぐそばで見守っているフクロウに声を掛けた。
「ストリクス様、今がチャンスでございます。わたくしがいなくなったことで、屋敷の中は油断しているに違いありません。『魔王教団』らしき方々が、どこに出入りしているのか、探ってくださいませ」
「やはりそういうことでしたか。抜け目がありませんな、シャクヤ殿。しかし、あなたのおそばを離れることは、我が主君の命に背いてしまいます」
「今はトリトマ様も護衛にいてくださいますし、こちらの方々に危険性はございません。心配いりませんわ」
「……かしこまりました。では、なるべく短時間で戻って参ります」
ストリクスは、フクロウの姿のまま屋敷に戻り、人の動きを観察した。案の定、シャクヤが外出中であることから、漆黒のローブを着た男たちは安心して屋敷内を歩いていた。そこで、彼は何かを掴むことができたようである。
そして、シャクヤはその後も農作業に熱中し、いつの間にか夕方になっていた。
「いやぁーー!ほんとに何の因果なんだか!畑を手伝うのがイヤで村を飛び出してハンターになったってのに、まさかお姫さんのために自ら畑仕事をすることになろうとはね!」
トリトマは労働後の高揚感に浸りながら、感慨深く、汗を拭いている。シャクヤも汗だくであるが、不思議な爽快感に満たされて、水を飲んでいた。
コルチカムとキシスは、シャクヤの使用人として、馬車でいつでも休憩できるように控えていたはずだったが、結局、彼女に感化されて、最終的には農作業を手伝っていた。
「お嬢様!また来てくださいね!!!」
「あなたのことは忘れませんぜ!」
「いつでも歓迎しまさぁ!!」
「お元気で!!!」
農民たちから歓声を浴びるように見送られ、シャクヤたちは領主の屋敷に帰っていった。
「シャクヤ殿、いかがでございましたか?」
部屋に戻り、ストリクスから感想を求められた彼女は、ニコニコと答えた。
「大変な肉体労働でございますね。一時の戯れとして、体験させていただく分には、楽しかったと申せますが、これを毎日、毎年、続けていらっしゃる農民の方々には、頭が下がる思いでございます」
「なんとも正直なご意見。ワタクシも頭が下がります」
「ストリクス様の方は、いかがでございましたか?」
「こちらも首尾は上々ですぞ」
彼の報告に気を良くしたシャクヤは、入浴と夕食の後、昼間の労働の疲れを癒すため、すぐに就寝した。コルチカムには、朝まで起こすなと命じた。
そして、夜間に目を覚ました。
この夜も領主の屋敷は暗い。基本的に人のいないところには明かりを灯さないため、廊下に出ると真っ暗闇である。
さすがに農作業の疲労で昏睡していると思われているため、コルチカムをはじめとした使用人の監視も、この夜はなかった。
しかし、レベル43の体力を甘くて見てはいけない。シャクヤは仮眠したことで、既に元気いっぱいであった。
夜行性であるため、夜目もきくストリクスに案内され、闇に包まれた屋敷をシャクヤは慎重に移動した。
玄関に来ると、ストリクスが脇にある大時計のそばに飛んだ。
「この振り子時計を横に押してください」
言われたとおりに押してみると、簡単に大時計が移動した。その向こう側には、狭い通路があり、そこに入るとすぐ、下へと続く階段があった。
「なるほど。このような場所に隠し階段が……」
さすがに全く足元が見えないため、シャクヤは携帯端末宝珠から、ごくわずかな照明を出す魔法を発動した。かつて白金蓮と初めて出会った際、その微弱さに驚愕した魔法である。
ストリクスと共に下へ下へと階段を降りると、そこからは長い通路が続いていた。シャクヤの方向感覚としては、屋敷の正面から見て、奥へと進んでいる。それに若干、下り坂になっている感じがした。
そこを歩いて行くと、次第に光が見えてきた。灯火による明かりではない。煌々とした月明かりだ。
なんと地下を歩いて来たにも関わらず、通路の先は地上であった。
彼女たちがいる屋敷は小高い丘の上に建てられている。屋敷の裏側は崖のように切り立っているのだが、その崖の下に来たのだ。そこには林に囲まれた平地があった。屋敷の方から見下ろした場合、ちょうど死角になって見えない場所だ。
そこに屋根付きの小さな祭壇が造られている。
周囲には、漆黒のローブを着た男性たちが4人いた。ローブは着ているが、頭にはフードではなく、神官の頭巾を被っている。その出で立ちを見たシャクヤは小声でストリクスと話した。
「あの方々は、神官でございますわね……」
「アレはいったい何をしておるのでしょうか?」
彼女たちは、遠方の林からこっそり神官たちの様子を覗いている。シャクヤはストリクスの問いに答えた。
「この地に精霊神殿と同じ規模の祭壇を造ろうとされていらっしゃるようですわ。ここで魔王の召喚をさせるおつもりなのでございましょう」
さらに彼女は、祭壇のすぐ目の前に、巨大な魔方陣が描かれていることに気づく。まだ構築途中であるが、それを確認したシャクヤは、目を大きく見開いた。
「なんということでしょうか……あれほどの大規模術式……『勇者召喚の儀』に勝るとも劣らない複雑で難解な魔方陣でございますわ」
ついに『魔王召喚の儀』と思わしき術式魔方陣に辿り着いたシャクヤは、歓喜した。携帯端末宝珠を片手に持ち、隠れている木の陰から身を乗り出した。
(アレをこの”スマホ”宝珠で記録できれば、レン様の研究に大いに役立てていただけますわ!この地に来た甲斐がございました!)
そう考え、食い入るように神官たちのいる祭壇と魔方陣を凝視していた時である。
突如として、背後から声がした。
しかも間延びしたような呑気な声が。
「フワァーア……ダメだよォーー。こんな所に来ちゃァーー」
「「えっ!!!」」
全く気配に気づくことができなかったシャクヤとストリクスは驚愕して振り返った。レベル40越えの二人が共に接近に気づかないというのは、通常ではありえないことだ。
そこに立っていたのは、山吹色に染められた髪が寝ぐせでボサボサになっている女性だった。その頭には2本の角が細長く生えている。
寝ぼけた表情をしているが、顔立ちは整っている。背丈はシャクヤよりも高く、白金百合華よりは低い印象だ。
また、彼女から発せられる異様で強烈な気配は、明らかに魔王であることを物語っていた。
しかし、シャクヤが最も驚いたのは、そこではなかった。
寝起きであるためか、彼女は漆黒のローブを無造作に羽織っているだけであり、その下に着用しているのが下着のみだったのだ。前面がはだけたローブから、白い素肌とブラとショーツが露わになっているのだ。
あまりにも大胆すぎる格好を見て、純情な貴族令嬢のシャクヤは、まずそこに愕然としてしまった。
「なっ……な……な……なんとハレンチなっ……!」
顔を真っ赤にしたシャクヤを見て、魔王らしき女性は初めて自分の状態に気づいたようだ。彼女はローブの前面を閉め、笑いしながら謝罪した。
「ア……アハハハ。ごめんねェーー。ウッカリしてたわァーー」
「「………………」」
のんびりした口調のままニコニコしている魔王に、シャクヤとストリクスは唖然とした。二人が目を丸くしたまま硬直しているのを見て、魔王は自ら顔を近づけてきた。
「それにしても、ちょっと意外ィーー。魔族と仲良くしてるなんてェーー。王国のお姫様って聞いたからァ、きっとお堅い人なんだろうと思ってたけどォ、案外、話が通じる人なのかもねェーー」
彼女はシャクヤが王女として連れて来られたことも知っており、ストリクスが魔族であることも看破している。
自分の正体を言い当てられたストリクスは、フクロウの姿のまま、彼女に一礼した。
「ワ、ワタクシのことがわかるのでございますね?やはり、あなた様は……」
彼の問いに魔王は明るい声で返答する。
「そ!!ワタシはァーー、世界中のミンナに嫌われる『飢餓の魔王』ォーー!その名もォ『ブーゲンビリア』でェーーす!キュピーーン!」
彼女はそう言って、ピースした右手を横にし、自分の右目の前に持ってきた。一昔前のギャルのようなポーズだ。
シャクヤは理解が全く追いつかず、白い目になっていた。
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