第229話 皇帝の食客たち①

白金蓮たちが荒廃した町で新たな魔王に巡り会おうとする頃、帝都サガルマータの宮殿では、一人の男が執務室で公務を行っていた。


帝国の宰相ヒペリカムである。


盛んに書類に目を通し、受領と差し戻しに分別している。そこに一人の兵士がドアをノックし、入室した。


「閣下、王女一行は、今朝早く奇妙な乗り物で出立されたそうです」


「そうか。従者たちも連れてだな?」


「はい。ペットも連れた賑やかな一団であったとか」


「なるほど。観光気分ということか」


実は、白金蓮たちが宿泊していた高級宿は、宰相の息のかかった施設であり、彼らの動向は逐一報告されていた。使用人を使って、部屋の中の会話を何度か盗み聞きさせたこともある。


とはいえ、そうしたことに白金百合華が気づかぬはずもない。わかった上で彼らは宿泊し、本当に重大な相談は小声で行われていたのだ。


ゆえにヒペリカムには、王女は観光を兼ねて来ているのだと思わせていた。


むしろ宰相の現在の懸念は、勇者と友人になっていた白金夫妻にある。


(あの怪しい従者が2名ともいなくなったのは幸いだ。こちらの勇者とあまり仲良くなられても困るからな。王女ラクティフローラは聡明な人物のようだが、今のところ害は無さそうだ。万が一、我が国の問題に口出しするようなら、それを口実に王国を揺さぶってやればよい。こちらは勇者が5人もいるのだ。歯向かうことなどできまい)


ヒペリカムはそう結論付け、ひとまずは心配のタネがいなくなったと考えた。そして、もう一つの懸念点に頭を悩ませる。


(それにしても、”大賢者”が我が国に亡命しているかもしれぬ、というのは、いささか気になるな。もしも我々以外の人間が勇者を召喚することがあれば、大変な脅威になる。誘拐されたというピアニー・クシャトリヤにも同じことが言えるな)


ここまで考えると、次の方針が定まった。彼はニヤリと笑った。


(よし。次の『聖浄騎士団』の任務は、”大賢者”とクシャトリヤ家の令嬢の捜索だ。王女よりも先に見つけ出し、始末してくれよう)


恐るべきことに彼の政治姿勢は、常に”邪魔者を排除する”という方向に傾いていた。理由をこじつけて敵を排除し続けていれば、やがて味方だけが存在する世界になると本気で信じていた。


一つ一つの仕事を着実にこなす優秀な政治家であるにも関わらず、根幹の思想や全体的な方針においては、極度に幼稚な考えを持つ人物なのだ。人はなぜ、権力を握ると、こうも愚かな人間になってしまうのだろうか。


それはさておき、彼の執務室には、もう一人、可憐な少女がいた。幼き女帝アイリスである。


「ヒペリカム、今日はこれだけか?」


この部屋はもともと皇帝の執務室だったのだが、何もわからないアイリスのため、宰相が同室で働くことになり、結果的にヒペリカムが常住する部屋となったのだ。


女帝は、中央にある大きな机の前に座り、積まれた書類に一心不乱に署名していた。幼いため、1日100枚が限度と決めている。


その最後の1枚を終わらせたところで、彼女は宰相に問い合わせたのである。ヒペリカムは立ち上がり、今し方、書き上げたばかりの書類を持って中央の机に向かった。


「陛下、申し訳ありませんが、あと1枚、こちらもお願い致します」


「仕方がないのう。これにサインすれば、遊んでよいのじゃな?」


「はい。本日もご公務に勤しんでいただき、ありがとうございました」


こうして書類の中身など確認もせずに、署名することだけが皇帝の仕事だとアイリスは思い込んでいる。そもそも字が読めないのだ。


そして、公務が終わって女帝が執務室を出て行けば、残った宰相がまるで皇帝のように仕事をする。これでは、誰も彼に逆らおうとする者はいない。


「さぁ!今日は何をしようかの!昨日の”歓迎宴”は楽しかったが、王女は旅立ってしもうたし、早くリュウタローが帰って来ぬかのう!」


椅子から降りた女帝アイリスは、元気いっぱいに走り出した。さっさと執務室を出て、自室でやりたいことをやろうと考えている。


ちょうどそこに新たな兵士が入室した。急ぎの用件であった。


「『聖浄騎士団』並びに『砂塵の勇者』ミキト殿がご帰還されました!」


「なーーんじゃ、ミキトが先に帰ってきおったか!」


アイリスは残念そうに呟き、バルコニーに向かった。


3階にあるバルコニーからは、宮殿正面にある中央広場とそこから伸びる大通りがよく見える。


ちょうど大通りの向こうから『聖浄騎士団』が凱旋パレードのように行進してくるところだった。騎士団を迎えるため、帝都の住民は、半ば強制的に大通りに駆り出され、道路脇から彼らを歓迎し、祝福している。


ゆっくりとした足取りで厳かに歩む騎士団の中央では、馬車の屋根の上に登った灰谷幹斗が、民衆に向かって盛んに手を振り、笑顔で呼び掛けていた。


「やあやあ、皆さん!どうもどうも!オレちゃん、帰ってきましたヨ!」


彼に声援を送るのは、大半が宰相ヒペリカムの政権で恩恵を受けている住民たちである。反対に、食糧難とインフレ、さらにはそれに伴う失職によって生活苦を味わっている人々は、半笑いで手を振るのみだった。


街中には兵士がそこかしこに立っており、彼らの言動は厳しく監視されている。下手なことを口走れば、いつでも監獄送りにされてしまうのである。


ちなみにいくつかの町を経由して帰ってきた『聖浄騎士団』と違い、白金蓮たちはクルマで直進して、荒廃した町へと向かったため、彼らと鉢合わせることがなかったのだ。



大々的な凱旋パレードが終わり、堂々と城内に入った灰谷幹斗は、自室のある4階に向かった。それを仲間である赤城松矢と黄河南天が出迎える。


「ウェーーイ!松矢ちゃん、南天ちゃん、ただいま!オレちゃん、一仕事、終えてきましたヨ!」


「はいはい。幹斗、お疲れぇーー」


「なんやテンション高いな。魔王はおったんか?」


「んーー、魔王はいなかったんだけど、悪いヤツらがいっぱいいたから、懲らしめてきましたヨ!オレちゃん、偉い!」


「さよか。ま、怪我もなかったみたいやから、よかったわ」


「怪我なんてノンノン!『砂塵の勇者』様にあるわけないっテ!」


ご機嫌な様子の灰谷幹斗は、黄河南天に軽口を飛ばす。勇者として先輩である赤城松矢は、それを心配して助言した。


「幹斗、あんまり無茶するなよ。勇者は魔王の天敵らしいけど、討伐対象以外とは能力の相性があるんだから」


「大丈夫。大丈夫。わかってるヨ」


それに笑いながら返事をする灰谷幹斗。

ちょうどそこに、彼をねぎらいに来た宰相ヒペリカムと女帝アイリスが現れた。


「お疲れ様でした。ミキト殿」


「ああ!ヒペリカムちゃん!今回もバッチリ魔王の手先を成敗してきちゃったヨ!すごいっショ!」


「ええ。先程、騎士団長スターチスより報告を受けました。皇帝陛下もお喜びですよ」


「ご苦労だったのじゃ、ミキト!」


「陛下ちゃんも相変わらず、かわいいネ!」


「ミキトに褒められても、あまり嬉しくないのじゃ!それより途中でリュウタローには会わんかったか?」


「いんやぁーー?雪ばっかで、なぁーーんもなかったけど?」


「そうか……」


アイリスは、あからさまにガッカリした。とはいえ、陽気な灰谷幹斗は、それを気にも留めない。この後、ヒペリカムは事務的なことをいくつか連絡し、別れを告げた。


「では、長旅でお疲れでしょうから、本日はゆっくりとお休みください」


「サラバなのじゃ!」


「はいはい!あんがとう!オレちゃん、体力余ってるから、そんなに疲れてないけどネ!」


宰相と女帝が戻るのを笑顔で見送った彼は、一息ついた後、反対側の階段がある方角に向かって、手を叩きながら声高に叫んだ。


「ってことでぇーー、これからオレちゃん、お楽しみタイムに入っちゃおっかナァーー。ハイハイ!兵士の皆さん、こっちに連れて来てーー!」


彼に呼ばれた兵士3名は1人の女性を連行していた。それは、後ろ手に手枷を付けられた女性だった。


歳は18で、細身の身体だが、それなりに鍛えられており、整った顔立ちをしている。眉根を寄せた厳しい目つきで周囲を睨みつつも、その表情には不安を滲ませていた。


黄河南天が不思議そうに問いかける。


「ん?どないしたんや、この子?」


「捕虜だよ」


平然と答えた灰谷幹斗に赤城松矢も尋ねる。


「捕虜……?捕虜なんて捕まえてどうする気だ?」


「決まってんじゃないノーー、尋問すんのヨ、松矢ちゃん」


「「んん?」」


赤城松矢と黄河南天は同時に首を傾げた。

それを全く気にせず、灰谷幹斗は得意げに説明を始めた。


「この子はサァ、『魔王教団』って連中の一人で、オレちゃんに抵抗してきたのヨ。でもほら、こんな感じの子だから、殺すのはもったいないと思ってネ」


「殺すのはもったいないとか……物騒なこと言うなや。ツッコみ切れんわ」


「そこでサ、せっかくだからオレちゃん、考えたのヨ。二人とも興味ない?オレちゃん達、勇者は”男女の交わり”を禁じられている。残念すぎる設定だけどサ、ぶっちゃけ交わらなきゃ、なんとかなるんじゃない?」


「いやいや、何言い出してんだコイツ」


彼の発言に眉をしかめる二人の勇者だが、それでも灰谷幹斗は、ニヤニヤしながら告げた。


「つまりネ、女の子との楽しみ方は、いろいろあると思うのヨ。だから、この悪い女の子を使って、ちょーーっとアレコレ試してみようかなってサ。結果はお伝えするヨ。ってぇことで、報告期待してネ!んじゃ、また!」


そのまま女性を連れた兵士と共に立ち去ろうとする灰谷幹斗。

だが、その肩を黄河南天が掴んだ。


「ちょーちょー待ちいや!幹斗!さすがに今のは聞き流せんわ」


「お前、最近、どうかしてるぞ」


さらに赤城松矢も困惑しながら重い声で苦言を呈す。灰谷幹斗はヘラヘラ笑いながら振り返った。


「えぇーー、なにヨなにヨ。お二人ちゃん?」


「なんぼなんでも、それは勇者のすることちゃうやんか」


「ただでさえ勇者はモテるんだから、そんなことする必要ないだろ?」


二人から睨まれた灰谷幹斗は、少し不機嫌な顔になり、開き直ったのような態度を見せた。


「んなこと言ったって?どうせこの世界じゃ、オレちゃん、童貞卒業できないまんまだし?ここで欲求不満のまま一生過ごせって言われたって我慢できないし?」


これに赤城松矢がムッとして顔を近づけた。


「あのな、幹斗。オレは女の子、大好きだから、大切にする人間なんだよ。オマエは絶対に踏み越えちゃいけない一線を越えようとしている。勇者として見過ごすことはできない」


「松矢の言うとおりやで。俺も女房と子どもがおる身や。なんぼ仲間でも、そら認められんわ」


黄河南天からも忠告された灰谷幹斗は、途端に顔色を変えた。自分の肩を掴んでいる彼の腕を振り払い、一歩下がって、背負っている槍に手を掛けた。


「ああん!?なにヨ、二人とも、オレちゃんとやりあう気?本気出しちゃっていいのネ?」


「やってもいいけどさ、ここはアレだな」


「表に出よか」


「「……………………」」


3人の勇者が、2対1の様相で一生即発の空気を醸し出す。互いに無言で睨み合う間には、凄まじい殺気のぶつかり合いが起こった。


すぐそばで、それを見守っていた3人の兵士も捕虜の女性も、固唾を呑んだ。まるで広い廊下が軋んで、宮殿全体が震えているように感じられる。あまりの衝撃に4人は怯えていた。


ところが、いったい何を考えたのか、急に灰谷幹斗は笑顔になり、軽い口調で謝罪した。


「なぁーーんてネ!冗談冗談!メンゴメンゴ!お二人ちゃんが本気にするから、面白くて、からかっちゃったヨ!今のは忘れてネ!」


「「…………え?」」


「だいたい勇者同士で争ったら、城ごと吹っ飛んじゃうかもしんないし、確実にヒペリカムちゃんに怒られて、オレちゃん達、ここを追い出されちゃうよネ」


「「………………」」


「てことで、またネ!オレちゃん、これから忙しいから!」


呆気に取られる赤城松矢と黄河南天を置き去りにし、灰谷幹斗は自室へ向かおうとする。3人の兵士と捕虜の女性を連れてだ。つい今し方、異常な空気に震えてしまった女性は、既に全てを観念した表情になっていた。


「お、おい!話は終わってないぞ幹斗!結局、その子は連れてくのか!」


慌てて赤城松矢が呼び止める。

灰谷幹斗は面倒臭そうに首だけを振り向かせた。


「んーー?だからぁ、”尋問”だって。それの何がイケないのかナ?」


「いやいや……だってさっきは……」


「オレちゃんが捕まえた魔王の手先を”尋問”するのは当然のことでショ。魔王の居場所を聞き出さないト」


「いや……だから今の流れで、それを許せるわけないだろ……」


「やだナァ、松矢ちゃん、何かヤらしいこと考えてるんじゃないの?オレちゃん、真面目に”尋問”するだけなのヨ。立派な仕事なんだから邪魔しないでネ」


いきなり論点を変えてきた灰谷幹斗に、論戦が得意でない赤城松矢は何も言い返せなくなってしまった。ここで無理やり力任せで彼を止めれば、悪いのは彼らになってしまう。


「ちょっ、ちょっと南天さん、何か言ってやってよ!」


「いや、どないしよか……。幹斗のヤツ、口ばっか達者で腹立つなぁ」


黄河南天にも加勢を求めるが、二人とも為す術がなく、灰谷幹斗が自室の扉を開けるのを、歯がゆい気持ちで見続けるのみだった。


このまま扉を閉めさせたら、一人の女性が尊厳を踏みにじられる。


そう思いつつも、反論する言葉が何一つ見つからず、諦めかけた。


その時である。

全く別の声が廊下の反対側からコダマした。


「あのーー、”尋問”するんだったら、こっちにプロがいますよ。幹斗さん」


その声の方角を見返して、黄河南天と赤城松矢は歓喜して叫んだ。


「柳太郎やないか!」


「おお、おかえり!いつ帰ってきたんだよ!」


「ただいまです。つい今、到着しました」


それは、まさしくラージャグリハ王国から帰還した小学生の勇者、柳太郎であった。彼は二人の勇者に挨拶しつつも、灰谷幹斗に向かってスタスタと歩いて行った。


「それより幹斗さん、その方、女性ですよね。女性を尋問するなら、同じく女性で、適正能力を持ったホーリーさんに任せるのが一番だと思うんです。あっという間に全てを聞き出してくれますよ」


何の悪気も無く、しかも正論を語って微笑する柳太郎に、灰谷幹斗は愕然としながらボヤいた。


「いやいやいやいやいや……帰って早々、何言い出してくれてんの、柳太郎ちゃん。もうちょい空気読もうヨ」


「え?何がですか?」


男女の情事に全く詳しくない少年勇者は、純粋に首を傾げた。その様子を笑いながら、赤城松矢と黄河南天が同意する。


「柳太郎の言うとおりだ。ねぇ、南天さん?」


「そらそうや。こん中で、いっちゃん賢いスーパー小学生やからな」


その間にも柳太郎は、遅れてやって来たホーリーを呼んだ。


「てことで、ホーリーさん、お願いします」


「はぁい。わたくしにぃ、お任せぇ、くださぁい」


「チッ……」


捕虜の女性をホーリーに取られた灰谷幹斗は、舌打ちしながら彼女を睨みつけ、そして、その豊満なボディラインを見つめなおした。


(この女も空気読めっつうノ!体つきばっかエロくなりやがって!覚えてろヨ!)


さらに遅れて到着した大剣のハンターは、真っ先に黄河南天のもとに向かって来た。彼の前に立つや否や、オスマンサスは頭を下げる。


「ナンテン師匠!ただいま戻りました!」


「いやいや、師匠言うなや!なんべん言わせる気や!誰もお前の師匠になった覚えないわ!勝手に技を盗んだだけやろが!」


「それでも俺にとっては、あなたが師匠なんです!そして、あなたから学んだ技を使ったにも関わらず、王国の勇者ベイローレルに敗北してしまいました!弟子として、不甲斐ない姿を晒してしまい、誠に申し訳ありません!」


「知らんがな!」


白金蓮が以前に分析したように、オスマンサスの剣技は、黄河南天のスキルを学んで身につけたものであった。ただし、その実態は、盗んで習得したものであり、いわゆる師弟関係とは少し違っていた。



さて、ホーリーが捕虜の女性を連れて行くのを見送った後、柳太郎は、真面目な表情で全員に向き直った。


そして、彼の本題を険しい顔つきで報告するのだった。


「それよりも皆さん!重大なお話があるんです!もしかしたら、人と魔王が手を組んで、この国を滅ぼそうとしているのかもしれません!いよいよ、ぼくたち勇者が協力して、一丸となって戦う時が来ましたよ!」


この話に灰谷幹斗は、不機嫌だった顔を明るく変貌させ、楽しそうに微笑んだ。


「へぇーー、面白そうじゃないノ!詳しく聞かせてヨ、柳太郎ちゃん!」

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