第216話 身代わり王女の帝国紀行①

白金家と王女一行が『イマーラヤ帝国』の中心に位置する帝都に到着した頃、シャクヤは誘拐犯たちに連れられ、帝国の南部を目指して東に進んでいた。


魔族の気配を持つ男は、相変わらず無口である。


そんな中、シャクヤがふと窓の外を見ると、遠方で煙が上がっていた。気になった彼女は目を凝らして観察する。それは、人の集落から黒煙が上がっているように見えた。


「あれは……いったい何でしょうか?」


彼女の疑問に反応した漆黒ローブの魔族は、フードを被ったまま窓の外を覗いた。そして、それが何なのかを理解すると、シャクヤに簡潔に述べた。


「いけません。先を急ぎましょう」


それだけを言い、あとは再び黙ってしまった。いったい何がどう”いけない”のか。全く理解できずにシャクヤは首を傾げるのみだった。



やがて雪に覆われた大地が白から黒に変わってきた。雪が減ってきたのだ。帝国の南部は比較的温暖なため、降雪が少ないのである。


そのため、途中の農村でソリ馬車を降り、普通の馬車に乗り換えることになった。そこにも彼らの仲間らしき人物たちが待っていた。20歳前後の女性である。


フードを被った魔族の男が紹介した。


「王女殿下、これまでお一人での生活でご苦労をお掛けしました。これよりは、この者を側仕えとしてお使いください。身の回りの世話をさせていただきます」


「あら。そのようなお気遣いまで……」


”レジスタンス”を名乗る誘拐犯たちは、王女を迎えるにあたり、せめてもの礼節として、侍女を用意したのだ。


「お、王女様、はじめまして。『キシス』と申します。よろしくお願い致します」


「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」


使用人となるキシスは、ごく普通の人間の女性であった。これにより、男たちに囲まれた、むさ苦しい旅にも少しだけ彩りが添えられる。とはいえ、キシスの方がシャクヤの美しさに魅了されてしまい、ウットリしていた。


すぐに馬車に乗り換え、出発する手筈だが、ここで、これまでシャクヤに同行してきた誘拐犯たちのうち、リーダー以外はお役御免となった。小柄な男と体格の良い男にリーダーは報酬を渡している。


「お前たちの役目はここまでだ。この先、俺たちの情報を誰かに売るのは勝手だが、その際は覚悟しろよ」


「へっへ……まぁ、金さえもらえりゃ、俺は関係ないけどな。帝国との面倒事には関わりたくねぇから、あんたらのことは黙っておくよ」


そう言って小柄な男は去って行った。


しかし、体格の良い男――以前、シャクヤに無理やり迫ったことで足蹴にされてしまった男は、なぜか立ち去らずにソワソワしている。彼は、馬車に乗り込もうとするシャクヤをチラチラ見ながら、やがて意を決したように叫んだ。


「なっ!なぁ!ちょっと待ってくれ!おれも連れてってくれねぇか?」


立ち止まった誘拐犯のリーダーは、冷たく言い返した。


「いや、お前の仕事はここまでだ。ご苦労だったな」


「そうじゃなくて!おれもついて行きてぇんだ!」


彼らは雇い雇われる関係であり、正式な仲間ではない。それをどういうわけか、体格の良い男は別れたくないと言っているのだ。これには誘拐犯のリーダーが首を傾げる。


「……何を言っている?これ以上は、我々の領域だ。部外者は帰ってくれ」


「報酬は要らねぇ!タダ働きでいい!今度はおれをお姫さんの護衛として使ってくれねぇか?」


「それは……俺たちの仲間になるということか?」


「ああ、そうだ!」


「いい加減なことを言うなよ?それが何を意味するか、わかっているのか?俺たちは、帝国と事を構えようとしているんだぞ?」


「わかってる!その上で、おれにお姫さんを守らせてくれ!一緒に旅をしてきて、ガチで惚れちまったんだよ!こんなおれにも丁寧な言葉を掛けてくれて、優しく笑ってくれるんだ。今まであんな女に巡り会ったことはねぇ!身分違いなのは重々承知だ!だが、せめて側近くに仕えて、その身を守ってあげてぇんだよ!」


「まぁ…………」


馬車に乗る直前で足を止め、その様子を見ていたシャクヤは、口元に手を当てて感激した。白昼堂々、ここまでハッキリ告白された経験は今までなかったのだ。


リーダーは彼女に振り返り、許可を求めた。


「王女殿下、この者は、あなた様に悪さをしようとした人間ですが、ついて来たいと言っております。よろしいでしょうか?」


これにシャクヤはニッコリ微笑んで、自ら男に問いかける。


「もう、あのような無礼な行いは二度とされませんのね?」


「もちろんです!お姫さん!おれはガチであなたを好きになりました!お姫さんのためなら、この命だって差し出せる!そんな主に初めて出会ったんッスわ!」


「まぁ…………」


改めて告白されたシャクヤは、少し照れてしまった。

そして、微笑しつつ、おじぎをした。


「ありがとうございます。では、今後とも、よろしくお願い致しますわ」


「はっ!はい!!」


「ただし、わたくしには、この身を捧げると決めた、大切な殿方がいらっしゃるのでございます。あなたのお気持ちには応えることができませんので、それはご容赦くださいね」


「大丈夫です!それも承知の上です!」


こうして、かつてシャクヤに折檻された男は、逆にシャクヤに惚れなおしてしまい、正式な仲間に加わった。


そして、改めて自己紹介された。


この男の名は『トリトマ』。

また、誘拐犯のリーダーは『コルチカム』と言う。


そして、彼らの上司であるフードを被った魔族の男は、『グリュッルス』と名乗った。


彼らは馬車に乗り、再び出発した。


トリトマは、シャクヤに認められたことで上機嫌である。コルチカムは、心配のタネが増えてしまったようで、微妙な表情でトリトマを監視していた。


また、侍女として仕えることになったキシスであるが、シャクヤは元からしっかり者で、何でも一人でこなせるため、かえって彼女の方が助けられてしまう場面もあった。


何やら不思議なパーティーが出来上がった。




そして、その夜、ついに彼らの目的地に辿り着いたのである。


(ついに来ましたわね。ここでわたくしは、魔王の召喚を依頼されるということでしょうか……『魔王教団』の方々に……)


夜間であったため、シャクヤは途中から、道中の地形を把握できなかった。わずかに理解できることは、その地が小高い丘であることと、林に囲まれていることと、目の前に、おどろおどろしい雰囲気の洋館が建っていることである。


月明かりに照らされたその姿は、強風に煽られる林のざわめきと相まって、まるで幽霊屋敷を思わせる不気味なオーラを漂わせていた。


「ゴクリ……」


馬車から降りたシャクヤは、思わず息を呑んだ。


「王女殿下、長旅、大変にお疲れ様でございました。しばらくはこちらでごゆるりとお過ごしください」


そう言ってフードを被ったグリュッルスが案内する。

しかし、シャクヤは震えて硬直していた。


(ど……どどどどうしましょう!!!わたくしとしたことが、今頃になって怖くなってしまいましたわ!思えば、わたくし、こういう雰囲気が大の苦手なのでございました!……ああ!このような時にレン様がいてくだされば!!!レン様!!レン様!!!)


今さらになって自分が大それた行動をしていることに気づき、彼女にしては珍しく、怖気づいてしまった。それを見越したストリクスが、フクロウの姿のまま小声でそっと語り掛けた。


「シャクヤ殿、お気を確かに。我が主君の使いとして、ここにはワタクシもおりますので」


「ス……ストリクス様……はい。よろしくお願い致します」


よもや魔族の一言で安堵する日が来ようとは。などと考える暇も無く、ホッとした彼女は決意を新たに洋館の中に入って行った。



屋敷の中は、わずかなロウソクが灯されているだけであり、非常に薄暗い。外観でも窓の明かりがほとんど見られなかったのは、そのためだ。


(”照明宝珠”を使ってもよろしいですが、今は様子を見ましょう)


シャクヤはそう判断し、グリュッルスが案内する先へ進んで行った。屋敷の内装を見ているうちに彼女はあることに気づいた。


(暗くて、わかりにくいですが、とても綺麗に清掃されております。間違いなく人が住んでいる貴族のお屋敷。おそらくは地方領主の住まいでございますわ)


そうして、最初に通されたのは食堂であった。


大きな長いテーブルにいくつかの燭台が置かれ、火が灯っている。これまた薄暗い不気味な食堂だ。


シャクヤを椅子に座らせたグリュッルスは、テーブルの前に立ち、フードを取り去った。部屋が暗いため、その顔を全て判別することは難しい。


「さて、改めてご挨拶させていただきます。私は当家の執事グリュッルスと申します。当屋敷でご不満がございましたら、何なりと私にお申し付けください」


「まぁ、あなたが執事どの……でございましたか」


「はい。そして、我らが当主は現在、床に臥せておりまして、ご挨拶に立てませんこと、お許しいただけますでしょうか」


「ご病気なのでございますか?」


「ええ。そのようなものです」


「では、ご当主様の平癒をお祈り致しますわ」


「なんとお優しきお言葉、当主に成り代わり、深く御礼申し上げます」


深々と一礼した後、グリュッルスは手を叩き、使用人を呼んだ。屋敷に仕える侍女たち数名が、シャクヤのために料理を運んできた。そのうちの1名はキシスだ。


豪勢な料理が来るのかと思いきや、食器の豪華さと比べ、意外と質素な食事であった。とはいえ、冒険に慣れているシャクヤは、それをおいしくいただいた。


食堂の後ろには、コルチカムとトリトマが控えていた。彼らはシャクヤの食事が終わって退出した後、使用人たちと共に食べた。そして、トリトマはこの後、新しい仲間としてコルチカムから様々なことを教わったようだ。


専属の侍女となったキシスに案内され、シャクヤは自分のために用意された部屋へ向かった。最上階の広々とした一室だった。


だが、やはり暗い。恐る恐るベッドに近づき、寝床の具合を確かめてみた。すると、シャクヤは意外な感想を持った。


(お布団からお日様の匂いが致します。フカフカでございますわ。あまりに暗いお屋敷でしたので最初は疑ってしまいましたが、わたくしのことを本当に歓迎してくださっているのですね)


長旅の疲れもあるので、すぐに着替えて寝た。


(なにやら想像とは少し違いましたわね……『魔王教団』の巣窟のような場所に連れて来られると思っていたのですが……普通の地方領主の屋敷でございますわ)


思っていた以上の待遇に安心し、夜行性のストリクスが見守っていることもあって、この夜は熟睡することができた。




翌朝。

シャクヤは再び驚いた。


「まぁ!一面の麦畑でございますわ!!!」


窓を開け、辺りの様子を初めて確認した彼女の目に飛び込んできたのは、見渡す限りの麦畑だったのだ。


収穫時期を間近に控えた小麦が、朝日を浴びて輝いており、風になびく穂が波のようにうねっている。さながら黄金色の大海原といった光景である。


昨夜の恐ろしい印象が嘘のようだ。貴族家に生まれ、魔法の習得のため、都会での暮らしが長かったシャクヤは、こうした風景を目の当たりにするのが初めてであり、興奮して窓から身を乗り出した。


「綺麗でございますわ!!」


「ワタクシにとっては見飽きた光景ですが、アレがおいしいパンになるということを理解してからは、見る目も変わりましたな」


一緒にそれを見たストリクスは、違う意味で感慨深げだ。ちなみに彼は、しばらくすると、あることに疑問を抱いた。


「……はて?ですが、どういうことでしょうか。小麦は普通、秋に植えて初夏に収穫する穀物ではありませんでしたか?なぜ秋に実っているのでしょう?」


「確か、寒い国では、通常の麦を育てることが難しいため、春に植えて秋に収穫する”春小麦”を栽培しているとお聞きしたことがございますわ」


「なんと!やはり人間の知恵とは面白いものですな」


「ストリクス様も、よく人の文化を勉強なさいましたね」


「いえいえ」


穏やかな気持ちで二人は談笑した。


シャクヤが連れて来られたのは、帝国の南部に広がる有数の穀倉地帯であり、その地方を統治する領主の屋敷だったのだ。


執事であるグリュッルスは、漆黒のローブから着替え、使用人としての服装に変わっていた。ただし、室内であっても頭巾を被り、手袋をしている。露出しているのは顔だけであり、そこだけ見れば普通の人間であった。


キッチリした装いの彼は、年配の紳士に見えた。これにはストリクスが内心、舌を巻いた。いくら亜人タイプとはいえ、ここまで人間の生活に溶け込んでいる魔族を見たことがなかったのだ。


シャクヤはグリュッルスから無断外出を禁じられている。しかし、どうしても麦畑を見学したくなった彼女は、この日の午前中、彼に懇願した。すると、根負けした執事が折れてくれた。


「では、屋敷の庭からは出ない限りでお願い致します」


正午過ぎ、シャクヤはストリクスを肩に乗せて外に出た。まるで幽霊屋敷のように感じた洋館は、太陽の下で確認すると、綺麗で立派なレンガ造りの豪邸だった。


敷地は広大なので、散歩するだけでも十分な気晴らしになる。小高い丘から農村の様子を見ると、シャクヤはウットリした。


「このように小麦を育てる方々がいらっしゃるからこそ、わたくしどもはパンを食べることができますのね……」


そよ風に吹かれながら、しばらく田舎の風景を彼女は見入っていた。


「お姫さん、よかったら馬車に乗って村を見に行きますかい?」


後ろから声を掛けてきたのは、彼女の護衛を志願したトリトマだ。


「あら、よろしいのでございますか?」


「ええ。お顔を見られなければ問題ないってことで、許可はもらいました」


「まぁ、ご配慮いただき、ありがとうございます」


「いやいや」


本気でシャクヤに惚れているトリトマは、照れながら馬車を出した。御者は彼が務めた。侍女のキシスとストリクスを連れて、シャクヤは集落に降りて行った。


延々と広がる麦畑に点々と佇む民家。


畑で働く大勢の人々と走り回る子どもたち。


荷車を引く牛。


窓から覗き見える農村の風景にシャクヤは大喜びだ。自分が何のためにここに来たのか、つい忘れてしまうほど彼女は観光気分を味わった。


途中、ある民家に立ち寄ったトリトマは、水を分けてもらい、馬車から出ることのできないシャクヤに渡した。


喉を潤しながら、そろそろ屋敷に戻ろうかと考えた時である。


何やら賑やかな声が遠方から聞こえてきた。窓から覗くと、旅人のようである。


「あら?あれは……」


その一団が妙に気になったシャクヤは、目を凝らした。


「よーーし!ようやくここまで来れたな!もう少ししたらソリ馬車に乗って、いっきに帝都に帰れるぞ!」


「やはりぃ、中立地帯を経由するルートはぁ、疲れますわねぇーー」


「仕方がないさ、ホーリー殿。防寒用の荷物を全部、こっちの国境に預けていたんだから」


「ていうか!オスマンさんが途中でモンスターを狩りはじめたから、遅くなったんじゃないですか!」


「そう言うなって、リュウタ!お陰で、いい素材が手に入っただろうが!これで旅の軍資金が増えるぞ!」


「帝都に帰れば必要経費は出してくれますよ!」


それは、帝国の勇者、柳太郎とその仲間たちであった。彼らは、シャクヤたちや白金蓮たちが通ったルートとは違い、一度、環聖峰中立地帯に入って、帝国の南から入国するルートを通ってきたのである。もともと王国に出向いた時と同じルートで引き返してきたのだ。


勇者本人とは面識がないものの、二人の従者のことを知っているシャクヤは、仰天した。


(あの方々は、オスマンサス様とホーリー様!お店に来てくださったことがございますから、お顔は拝見しておりますわ!ということは、あの小さなお方が、リュウタローという勇者様でございますのね!まさか、このような場所で出くわしてしまいますなんて!)


彼女は身を隠しつつ、彼らの動向を見守った。

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