第215話 イマーラヤ帝国
僕たちは大陸北方にある雪国の大国、『イマーラヤ』帝国に入国した。
魔法で生成した圧縮空気による透明タイヤは、雪の上でもスリップすることなく安全に走行することができる。僕たちは暖房の効いたクルマで快適に目的地へと向かっていた。
最初に目指すのは、帝国の中央に位置する帝都『サガルマータ』である。国王の親書を届け、王女が帝国の領内で活動することを許可してもらう必要があるのだ。
時速100キロ以上で飛ばせば、1日で到着できるであろう。
そんな中、久しぶりに助手席に座った嫁さんが僕に尋ねた。
「蓮くん蓮くん、そもそも”帝国”って何?」
「…………へ?」
思わず変な声を出して聞き返してしまった。今さら何を言い出すのだろうかと少し苦笑いしてしまう。
「いやほら、私たち、王国から帝国に来たけど、なんか”帝国”って聞くと、すっごく悪いイメージがあるなと思って」
「ああ……」
そう言われるとそうかもしれない。だいたいマンガ、アニメ、ゲーム等で出てくる”帝国”は主人公たちにとって悪い国家であるパターンが多い気がする。
とはいえ、”帝国”という国家形態に善悪があるはずもない。僕は簡潔に答えた。
「”帝国”ってのは、”皇帝”が治める国だよ」
「え?じゃあ、王国は?」
「王様が治める国」
「……蓮くん、私のことバカにしてる?」
僕の回答が気に入らなかった嫁さんはムッとした。
「してないよ。本当のことを言ってるだけだよ。つまり、為政者が”皇帝”を名乗れば”帝国”で、”王”を名乗れば”王国”なんだよ」
「えぇっ!!それだけなの!?」
「それだけ」
「………………」
嫁さんは不満そうな目を僕に向け、黙ってしまった。仕方なく彼女が思い悩んでいることを想像し、寄り添ってみようと思う。
「まぁ、今のは、ぶっちゃけた言い方だけどね。納得してないみたいだから、もう少し注釈しようか。世界史的に見ると、”帝国”とは、複数の国家、複数の民族、複数の地域を束ねてしまう巨大国家を差す言葉でもある」
「そうそう。そういうのを聞きたかった」
「だから、一般的に王国よりも強い」
「へぇーー」
「あと、たぶん帝国が強いのは、その成り立ちにあるんだと思う。例えば、僕が帝国と聞いて、最初に浮かぶのが”ローマ帝国”なんだけど」
「ああ、聞いたことある!」
「”ローマ帝国”は、次々と周辺諸国を領土に加えていって、多民族・多宗教の超巨大国家を築き上げた。でも、もとは執政官と元老院による共和政だった。それも数百年続くうちに腐敗してしまう。そこに現れたユリウス・カエサルが専制的な政治を行い、それをキッカケにして初代皇帝アウグストゥスが誕生する。そこからがローマ帝国なんだ」
「……ごめん。何言いたいのか、わかんない」
「つまり、為政者が”皇帝”を名乗る場合、今までの君主と違うよ、ってことをアピールする狙いがあると思うんだよね。そうやって命名されたのが”皇帝”であり、その治める国が”帝国”になる」
「あ、ちょっとわかった気がする!」
「中国の歴史でも、千年近い”春秋戦国時代”を終わらせた”秦”の王様が、伝説上の為政者たちである”三皇五帝”を超える存在を名乗った。それが”皇帝”だ。中国で初めて名乗ったから、”秦の始皇帝”って言われるよね」
「あぁーー!それ勉強した!」
「その後の中国は、統一国家が変わっても、為政者は皇帝を名乗った。2000年後のラストエンペラーまでね」
「つまり、王様を超える存在ってことで、偉い人が”皇帝”を名乗るんだね!」
「多くの場合、そうなんじゃないかな、と僕は思ってるよ」
どうやら今度の説明は非常に納得できたようで、嫁さんは腕を組んで感慨深そうに鼻息を荒くした。
「なるほどねーー。だから強いイメージがあったんだぁ。領土もいっぱい広げるから怖い印象にもなって。それでアニメやゲームで悪役にされやすいんだねぇ」
「ちなみに日本だって、明治から戦前までは”大日本帝国”だったけどね」
「え、そうなの?」
「だからなのかは、わからないけど、日本人的には帝国というと軍事国家のイメージがあるよね」
「ああ、確かにそうかも」
笑顔で頷く嫁さんに僕は最後の結論を語った。
「ともあれ、最初に教えたことも真実なんだよ。いくら”皇帝”が統治していても、その後の帝国がどんな道を歩むのかはわからない。そもそも西洋史における”エンペラー”を日本語に翻訳する際、当てはめられたのが”皇帝”だから、同じ”皇帝”という単語でも、国や時代によって大なり小なり違っているんだ。実際は強くないかもしれないし、住んでる人たちにとっては優しい国かもしれない。だから、そこまで警戒する必要はないと思ってる」
すると、後ろの座席で聞いていたラクティフローラが笑った。
「うふふふ。異世界のお話なので、なかなか理解できませんでしたが、最後の言葉はよくわかりましたわ。お兄様のおっしゃるとおり、帝国を恐れる必要は、わたくしも無いと思います」
「ふーーん、そっかぁーー」
嫁さんは満足した様子で微笑んだ。
そんな平和な会話をするうちに目的地へ辿り着くはずだった。ところが、次第に天気が荒れはじめ、ついには猛吹雪になった。
「これは……さすがに高速で走るのは無理だな……」
いくら魔法で走る万能自動車といっても、荒れ狂う天候の中を高速移動するのは危険が伴う。僕はスピードを落とし、近くにある町を探した。
「今日はこの町で一泊しよう」
ちょうどよく見つけた中規模の町に入り、宿に向かった。猛吹雪なので外出している人は全くいない。クルマから降りると、雪が横から叩きつけるように飛んでくる。急いで宿に入った。
「ひゃぁぁぁぁっ!すごかったねぇ!」
「これが吹雪というモノなのですね。わたくし、生まれて初めてですわ!」
「殿下、背中が真っ白でございますよ」
「牡丹は全く濡れてないな……バリアで弾いたのか……」
「えへへぇーー」
嫁さん、ラクティフローラ、カエノフィディア、僕、そして牡丹が、それぞれ笑いながら感想を言う。雪国の過酷な旅のはずだが、クルマでの移動が楽なので、皆、観光気分だった。
「では、チェックインしてきましょう」
真面目なベイローレルが真っ先にカウンターに向かっていった。
宿の中には、突然の猛吹雪で避難してきた旅人や行商人が大勢いた。カウンターの前には2名の宿泊客が並んでおり、ベイローレルはその後ろについた。
ところが、ここで宿の入口の扉が勢いよく開いた。
「失礼するぞ!!」
大声で入ってきたのは、黒い鎧を着た3名の騎士だった。さらに後ろからは軍服を着た10名の兵士が入ってきた。その姿を確認した途端、受付カウンターにいた従業員はビクッと震えた。
騎士たちはズカズカと歩き、受付に向かう。すると、カウンター前に並んでいた宿泊客も脅えながら後ろに下がってしまった。騎士の一人が受付に言う。その声は威圧的だった。
「軍務である。騎士団に合流するため、行軍していたところを吹雪で足止めされてしまった。一晩、借りるぞ」
「は、はい!どうぞご自由に!」
「部屋に案内しろ」
「こ、こちらでございます!」
他の客など全くお構いなく、受付の従業員は騎士と兵士を案内するため、席を外してしまった。
呆気に取られたベイローレルは、目を丸くしている。
「なんだ、この国の騎士は……マナーの欠片も無い。あんな一方的な言い方があるか……」
こちらはあくまで王女の身分を隠した旅のため、ここで事を荒立てるわけにはいかない。気分を害したベイローレルであったが、そのまま従業員が戻ってくるのを待った。
部屋に案内されるまで30分近く待たされることになったが、比較的大きな宿だったため、部屋にはまだ空きがあり、僕たちは休息することができた。
翌朝。
吹雪も収まり、空が晴れているので、すぐに出発することにした。
ちょうど僕たちが宿を出ると、騎士と兵士が偉そうに吠えている場面を目撃した。
「軍務への協力、大儀であった!」
「いえ、お勤めご苦労様です!」
馬に乗った騎士たちに頭を下げる宿のオーナー。そのまま騎士と兵士は馬を駆って町を出て行った。その様子が気になった僕は、ついオーナーに尋ねてしまった。
「騎士の人たち、お代は払ったんですか?」
「と、とんでもない!騎士団の方々にお金を請求するなんて、反逆だと思われてしまいますよ!」
オーナーの言には唖然とした。後ろでそれを聞いていたベイローレルが僕の横に歩み寄り、ため息交じりで呟いた。
「ひどいですね……。騎士団の全員がこんなことをしていたら、国民が疲弊してしまいますよ」
「だよな……」
僕も彼に同意した。かつて王国から追われていた時は、王国騎士団を傲慢なヤツらだと感じていたが、彼らには自分たちの祖国を守るという誇りがあり、基本的に自国民には優しかった。この国の騎士と比べれば天地雲泥の違いがある。
店で支払いをしないというのも言語道断だ。それでは盗賊と何も変わらない。身分社会とはそういうことではないはずだ。こんなことが繰り返されたら国の経済が崩壊してしまうだろう。
「なんだか、ちょっとヤバい空気を感じるな……」
僕は苦笑しながらクルマに乗り、旅路を急いだ。
そして、ついにこの日の午後、帝都『サガルマータ』に到着した。
王国の王都と同じように高い防壁で囲まれており、広さも似たようなものであった。ただし、街並みは全く違っており、中東の雰囲気に近かった王都と比べると、こちらの建築様式は北欧風といった感じだ。
また、今までの雪原と比べると外気温が幾分、高い。窓を開けても寒さを感じない程度に快適な温度である。
それを僕が疑問に思うと、ラクティフローラが解説してくれた。
「『火の精霊神殿』がありますので、おそらく何らかの術式で帝都全体を暖めているのだと思いますわ」
「なるほど。王都が精霊神殿の術式で水を出してるのと同じだね」
僕たちがまず最初に向かったのは帝都で最も大きい宿である。王女の用件を済ませるまでは、ここが滞在場所となる。壮観な建物を見て、嫁さんがうまいことを言った。
「うは。帝国ホテルって感じだね」
広い庭にクルマを駐車し、チェックインを済ませる。部屋に入ると私服だったベイローレルが騎士の制服に着替えた。
「まずはボクが、王国の勇者として宮殿を訪問し、国王陛下の親書を届けて来ます。王女の正式訪問が許されるまでは待機していてください」
なるほど。と思った。政治的な手順はそのようになるのだ。彼は馬車を雇い、帝都の中心部にある宮殿に向かっていった。
この日の僕たちは他にやることがない。せっかくなので、皆で帝都を見物しようということになった。街を歩きだすと、それぞれ思い思いの感想を漏らす。
「見て見てアイビー、王都以外の都市よ……私もウキウキしてきちゃうわ」
「ニャー―」
「ゆき、ない。つまんない」
「ボタン様には残念でしたねぇ」
「とりあえず腹ごしらえをしよう。ここの名物は何だろうか」
「宿の人に聞いておきましたが、こちらは郷土料理として様々なシチューがあるそうです」
「さすがカエノちゃん!みんなでそれ食べに行こ!」
「ガウア!(はい!)」
さながら僕は、犬と猫とニワトリをペットに引き連れ、美女たちを伴う有力商人といったところか。初めて訪れた街を賑やかに談笑しながら歩くと、とても楽しい気分になった。
ところが、それも長くは続かなかった。急に大声で呼び止める人物がいたのだ。
「お前たち!どこから来た!」
振り返ると、そこには軍服を着た兵士がいた。街を巡回中の一般の兵士だ。
今の僕の身分で、この程度の地位の人間から怒鳴られることは王国ではありえないことだ。内心では腹が立ったが、こちらは余裕の笑みで応対した。
「僕たちはラージャグリハ王国から来た旅の者です」
兵士は黙って僕たち一行を見渡した。全員の服装は、この世界における富裕層が身につける代物である。ただの旅人ではないことを見て取った兵士は、一言だけ告げて去って行った。
「……ふむ。そうか。あまり騒がしくするなよ」
それを見届けると、僕の後ろにいたラクティフローラが鼻息を荒くした。
「なんでしょうか!あの態度は!」
「ラクティちゃん、落ち着いて」
「なんだか……王国とは全然、違いますね……」
嫁さんが王女をたしなめ、カエノフィディアが眉をひそめる。言われてみると、確かに王都とは雰囲気が全く異なる。
「そういえば……街並みの割に人が少ないな……」
「なんか不思議な街だね。みんなキッチリ歩いてるよ」
「おしゃべりしている方々を見ませんね……」
僕と嫁さんとカエノフィディアが不思議に思い、立ち止まって呟いた。
まるで戦時中かと思うほど、街の人々が静かだった。大国の中心都市だというのに活気を感じられない。
すると突然、ラクティフローラが叫んだ。
「まぁ!!あの馬車、ものすごいスピードですこと!」
彼女が見つめる方角に目を向けると、そこには猛スピードで爆走している馬車があった。人が往来する大通りで出すような速度ではない。胸騒ぎがする。その予感はすぐに的中した。馬車の進行方向に小さな女の子がいたのだ。
「えっ!あぶない!!」
馬車は全く速度を緩めることなく突進する。既に女の子の眼前にまで馬の脚が迫っていた。
「きゃあぁぁぁっ!!!ウチの子がぁっ!!!」
母親らしき女性が悲鳴を上げた。
しかし、ダメだ。ここからの距離は200メートル以上。宝珠システムの魔法発動も間に合わない。このままでは蹴られてしまう。異世界でも交通事故はあるのだ。まさか、こんなところでいきなり目撃することになろうとは。
刹那のうちに起こったこの出来事に僕たちは為す術もない。だが、もちろんこれに電光石火で対応できる人物がいた。
ウチの嫁さんだ。
既に彼女は女の子を抱き上げ、道の片隅に運んでいた。馬車は何事もなく通り過ぎて行った。嫁さんは笑顔で声を掛ける。
「大丈夫?」
「……え?」
とんでもないスピードである。まるで時を止め、さらに瞬間移動までしたかのような早業だ。助けられた女の子は、何が何だか理解できず、キョトンとしていた。
駆けつけた母親が何度も何度も頭を下げて嫁さんに礼を言っていた。しかし、それでいて、何かに脅えているようにも見える。その母子が帰るのを笑顔で見送ると、嫁さんは苦々しい顔つきになった。
「蓮くん、あの馬車……止まる気が一切なかったよ」
「うん。なんなんだ、この国は……」
僕は街全体を覆う重苦しい空気に落胆した。
これでは本当に僕たちが想像する、強くて怖い”帝国”ではないか、と。
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