第198話 漆黒のローブ

「てことは、さっきの魔族は、街の中で人から変貌した直後だったということか?」


「はい。そうだと思います」


「僕の推測は当たっていたのか……」


魔族誕生の事実を明かしたベイローレルに再確認し、自分の推理と擦り合わせる僕。隣の嫁さんも大きく頷いて納得する。


「やっぱりそうだよね。じゃないと、あんなふうに、いきなり気配が現れるわけないもん」


「あの少年は、”通り魔”が魔族になったと言っていました」


しかし、ベイローレルのこの言葉に僕は首を傾げた。


「通り魔が?でも、大通りで僕たちが遭遇した通り魔は、魔族に殺されたぞ」


「ですよね……女性ばかりを襲う通り魔だったのに、魔族の方が女でしたし……」


「被害者の方が魔族化した、という線の方が有力かもしれないな」


「ボクもそうだと思います」


「どっちにしても、イヤな話ね……」


僕とベイローレルの推理を聞きながら、嫁さんがため息をつく。


「ということで、ボクは先程の魔族事件を担当した騎士たちと合流し、聞き込み調査をしたいと思います。他の目撃証言を集めれば、魔族が発生した地点を突き止められるかもしれません。そこが昨夜の”通り魔事件”と一致すれば、少年の言葉は真実だったと言えるでしょう」


そう告げたベイローレルはすぐに去ろうとした。

僕は彼の背中に言葉をかける。


「わかった。それについては、僕も別の手がかりがあるんだ。何かわかったら教えるよ」


「よろしくお願いします」


ベイローレルは軽く手を振って去って行った。空き家となっている貴族の屋敷の敷地から彼が出ていく。その姿が見えなくなったところで、嫁さんが急に叫んだ。


「さて、と……撫子ちゃーーん、もう出てきていいわよぉ!」


「え?」


驚いた僕は、嫁さん視線の先を追う。なんと見上げた上空、屋敷の屋根の上から、桜澤撫子さんが飛び降りてきたのだ。


「撫子ちゃんにスマホを届けた後、すぐにこっちに来たんだけど、あの子も心配して、付いて来てくれたんだ」


「そうだったのか」


僕たちの前に華麗に降り立った桜澤さんは、気まずそうに言った。


「ごめん。なんかいろんな人たちがいたから、ちょっと出るに出られなくて」


これを聞いて、僕も納得する。


「そうか。ベイローレルに共和国の勇者だってバレるのも面倒かもね」


「うん。連れてきてくれたヘンビットくんにも迷惑かけちゃうかもだし。役に立たなくて、ごめんね」


「いや、いいよ」


彼女の事情がわかったところで、今度は桜澤さんが嫁さんに対して、物申したい様子になった。


「それにしても百合華ちゃん!あなたの強さは何?屋根の上を走っていくのも、速すぎて全然追いつけなかったし!さっきの戦いだって、子どもとはいえ、勇者を相手に圧勝してたし!」


「あ、あぁ……」


これには嫁さんも困った顔になった。


「『破滅の魔神王』を倒すための勇者だって聞いたけど、あの強さは尋常じゃなかったわよ!もしかしてレベル60を超えて、70くらいあるんじゃないの?」


「あ……あははは……バレた?」


「バレるわよ!!どう考えても普通じゃないわ!」


この時、嫁さんは一瞬だけ僕の顔を見た後、桜澤さんの話に適当に合わせた。彼女が僕の意図を瞬時に察して、嘘までついてくれるとは珍しい。今日は大喧嘩を乗り越えた分、気持ちが通じ合っているのだろうか。


「てことで、ウチの嫁さんは、なかなかに強いんだよ」


僕も何食わぬ顔で告げる。

桜澤さんは呆れた様子で僕に返した。


「白金くんも、もっと早く教えてよぅーー。知ってたら来なかったわ。私の手伝いなんて必要ないじゃないの」


「そうだね。ごめん」


「ところで、人が魔族になったって話、やっぱり当たってたわね。どうするの?」


「これから僕たちも調査してみようと思う。もしかしたら『幻影の魔王』が関わってるかもしれない」


「だよね。私も一緒に付き合いたいんだけど、こっそり抜け出して来ちゃったから、ヘンビットくんたちも心配してると思うの」


「何かわかったら報告するよ」


「ありがとう。じゃ、ごめん。私は戻るわね。百合華ちゃん、牡丹ちゃん、バイバイ!スマホ、拾ってくれてありがとね!」


「どういたしまして。バイバイ!」


「ばいばーーい!」


別れの挨拶をする桜澤さんに、嫁さんと牡丹も手を振る。僕の元同級生は颯爽と走って帰って行った。


彼女の気配が完全に遠ざかったことを確認した嫁さんは、何やら意味深な様子で僕に告げる。


「蓮くん、あのね、確証が無かったから、さっきは言わなかったんだけど……」


「どうした?」


「撫子ちゃん、悪い人ではなさそうだけど、いくつか嘘はついてるよ」


「そうか……」


僕は静かにその報告を聞いた。

むしろ嫁さんの方が意外そうな顔をする。


「あれ?あまり驚かないんだね」


「うん。まぁね……」


「昔、好きだったんじゃないの?」


「だからこそ……かな。完全に気を許しちゃいけない気がするんだ。言っとくけど、彼女、僕より頭がいいんだよ」


「えっ!?」


「前々から言ってるでしょ?僕はただの理数系であって、天才ではないって。本物の天才ってのは、桜澤さんみたいな人を言うんだよ。僕が必死に勉強して獲得した成績を、あの子は友達や彼氏と遊びながら平然と上回ってくれた。好きであると同時に悔しかった」


「あんなにかわいいのに蓮くんより頭いいって……ズルくない?」


「ズルいよ。チートだよ。……でも、時々、そういう人に巡り合って絶望するのが現実の社会でしょ。人と比べたって仕方がない。僕はもう達観してるんだ」


「あぁ……なんか蓮くんって、そういうとこクールだよね」


僕は持論を笑顔で述べた。嫁さんも納得して微笑した。


「ただ、そう思って警戒してたんだけど、百合ちゃんと喧嘩した時にちょっと頭に来ちゃって、弾みでいろいろしゃべってしまった」


「えっ……!」


「ま、悪い子じゃないから、そこまで疑心暗鬼になる必要もないだろうけど、君の本当のレベルだけは隠しておこう。僕に何かあった時、最後の切り札は百合ちゃんなんだから」


「そだね。りょ!」


僕の元同級生についての相談を終え、魔族の調査に本腰を入れることにした。後ろに忠犬のごとく、おすわりして待っているルプスを僕は呼んだ。


「さて、ルプス、待たせてすまないな。これから重要な仕事だ。お前の能力を遺憾なく発揮してもらうぞ」


「ガウア!(はい!)」


「まずは、殺された”通り魔”だ。彼の過去24時間を追跡してほしい。地図で場所を説明できるか?」


「バウアウア!(大丈夫です!)」


僕は『宝珠システム』から王都の地図情報を表示し、ルプスに通り魔の足跡を辿ってもらった。彼の固有魔法【餓狼追尾ハングリー・チェイサー】はニオイを覚えた対象の過去24時間を追跡できる。


それをもとにルプスは24時間前からの通り魔の行動を正確に教えてくれた。


通り魔は、平民の中年おじさんで、王都の一角に住んでいるようだ。昨晩、夜も更けた時分に外出し、あちこちを徘徊している。そして、ある一つの場所で異常な行動に出た。


「アウアウアオオ、アウオン(ここで誰かを一方的に攻撃しています)」


つまり誰かを襲ったということだ。やはり昼間の”通り魔”は、夜間に連続殺人を犯していた”通り魔”と同一人物である可能性が高い。


そこから通り魔は、慌てて逃げ去るように自宅に戻り、今日の正午前に家を出て、大通りの事件現場に来たのであった。


「よし。次は、女性魔族の方だ」


ルプスはノミ魔族となった女性の足跡を地図上で辿った。昼間は自宅で家事をこなし、夜になると外出するタイプの女性だった。


男尊女卑の考え方が根強いラージャグリハ王国では、女性の夜間外出は、緊急時でない限り、非常識とされている。それでもこっそり家を抜け出して夜遊びする女性は、やはりそれなりにいるようだ。


彼女もその一人であり、夜間に人気のない路地裏を通って、誰かの家に遊びに行っていたようである。もしかするとカレシだろうか。


その帰り道、先程、通り魔が人を襲った地点にまで来た。


「ガウルルル、バウオア(ここで瀕死の重傷を負っています)」


ルプスの能力は、対象の行動履歴の他、ある程度の状態変化も読み取ることができるらしい。これでほぼ確定である。彼女は夜の通り魔事件の被害者であり、昼間に殺された通り魔がその犯人だったのだ。


その後、女性は意識不明のまま、なぜか近くの屋敷の屋上に移動していた。大量の出血があったにも関わらず、ここでしばらくの間、生き永らえ、朝が来るのを待っている。


「ここだ。これが不自然だ。瀕死の重傷を負った彼女が意識不明のまま移動したということは、誰かに連れて行かれたということだ」


僕は分析しつつ、ルプスの実況を聞く。被害者の女性は、正午前になって地上に降り、再び事件現場であった路地裏に戻っていた。


「なんだ?どうして自分から戻ったんだ?落とし物でもあったのか?」


「バウアウウウアオアッ!(ここで魔族の力が突然、開花しました!)」


「そうだよ!私が気配を感知した時間と一致するよ!!」


ルプスの報告に嫁さんも相槌を打った。


さらに魔族と化した女性は、家々の屋根を飛び越え、あちこちを散策しながら、昼間の現場に辿り着いている。そこで彼女は通り魔を殺害したのだ。


ここまでの情報を僕はまとめた。


「なるほど。通り魔に殺されかけたこの女性は、何者かに命を救われ、手当のために建物の屋上に連れて行かれた。その後、魔王からマナを注入されて魔族になった、ということになる。救った人物と魔王が同一かは不明だが」


「ガウオオアウア(おそらくそうだと思います)」


「ただし、意識を取り戻した彼女は、その足で自分がやられた現場に戻っている。そこで魔族化した。ルプス、人が魔族になるまでにタイムラグはあるのか?」


「アウオオオン、アウアウオンガルルア(わかりません。オレは最初、自分が魔族であることも知りませんでしたので)」


「そういえば、そうだったな」


ここで、嫁さんが僕に尋ねる。


「蓮くん、魔族になっちゃった女の子の気配は、遠くにいてもビンビン伝わるほど、敵意剥き出しだったよ」


「うん。僕が実際に見た彼女も理性を失ったかのように狂乱していた。もしかすると、魔族になった直後は、人間だった時の記憶が残っているのかもしれない。だとすれば、彼女の目的は通り魔に復讐することだったんだろう。だから、最初に自分が殺されかけた現場に戻った。しかし、犯人が見つからなかったことから、王都を駆け巡り、偶然にも同じ頃に再び事件を起こしていた通り魔を発見し、殺害した」


「だよねぇ。そうなるよねぇ……」


僕の推理に同意しつつも嫁さんは悲しそうな顔をした。


「ともあれ、人が魔族になった以上、魔王がこの街にいたことは確実だ。そして、間違いなく事件現場に足を踏み入れている」


そう結論付けた僕は、すぐに『宝珠システム』でベイローレルに連絡する。通り魔と被害者の住所、さらに魔族化した地点の地図情報を送った。


『ありがとうございます、レンさん。こちらも情報を集めました。殺された通り魔は、以前から騎士団も疑っていた人物みたいです。加害者と被害者……最終的にはそれが逆転してしまったわけですが、双方の住所まで、すぐに調査に向かわせましょう』


「僕たちはこれから彼女が魔族になった地点に向かうよ」


『そうですか。実はボクも今、向かっているところなんです。魔族の目撃証言が、あの事件現場で多く上がったそうですので』


「じゃ、落ち合ったら、捜査に参加させてくれ」


通話を終えると、僕はルプスに笑顔を向けた。


「それにしても、ウチには優秀な名探偵がいてくれるな」


「オオオウアオオオン!(お役に立てて嬉しいです!)」


「じゃ、みんなで現場に向かおう」


通り魔事件の現場は、今いる場所とは別の一角にある下町の路地裏である。出発しようとすると、牡丹が僕に甘えてきた。


「パパ!おんぶ!」


「そうだな。牡丹は今日、本当に偉かったな。ずっとパパの背中にいていいぞ」


「わーーい」


娘を背中に乗せ、嫁さんと愛犬を連れて歩き出す僕。つい先刻までの死闘や現在の緊迫した事態を考えると不謹慎とも言えるが、傍から見れば幸せな家族に見えたことだろう。




――さて、僕との通話を切った後、昨夜の通り魔事件の現場に辿り着いたベイローレルは、ある不思議な出来事に遭遇することになった。


この日の彼は、どうしても忙しい目にあう運命にあるのか、普段ではありえない事態に再び直面することになるのだ。


「なるほど……これだけの血痕があれば、被害者は間違いなく死んでいる。通り魔め、女性をめった刺しにしたんだな。もう殺されてるけど、許しがたいヤツだ」


担当している騎士に案内され、現場検証するベイローレル。その凄惨な光景から、犯人への憤りと被害者への憐れみを感じていた。


(そして、その女性が生きて魔族化したということも事実。ユリカさんの気配感知でも捉えられない魔王が、昨夜、この街に確実に存在したことになるのか……)


王国に見えざる危機が迫っている現実に、彼の心中は穏やかではない。ところが、そこにただならぬ気配が近づいてくるのを感じた。


路地裏の通りの向こう側から、夕日を背にした黒い影が彼を見ているのだ。


(な、なんだアレは!?)


それは漆黒のローブに身を包んだ人物だった。フードで頭をすっぽり覆っているため、顔が完全に隠れている。他に判別できる特徴といえば、首から真っ黒い十字架をぶら下げていることくらいだった。


そして、この漆黒の影からは、凄まじい気配を感じた。

魔王のごとき、邪悪なる気配である。


実際に魔王デルフィニウムと対峙したことのあるベイローレルは、それを間違いなく認識することができた。


「貴様っ!!魔王か!!!」


彼はすぐさま剣を抜きはらい、身構えた。

相手の出方を窺いながら、彼は瞬時に頭を回転させる。


(さっきのこともある。無謀な戦いを挑むより、素直にユリカさんの到着を待った方がいいかもしれない。騎士として、あまりにも不甲斐ないが、これ以上、情けない姿を見せるわけにもいかない)


冷静に分析する彼の背後では、騎士たちが慌てて剣を抜いている。


「「え、え、魔王ですって!?」」


ローブの人物から発せられる圧倒的な気配に警戒し、次の行動に全神経を集中させるベイローレル。


ところが、漆黒のローブは、そのまま通りの向こう側に去ってしまった。彼は、慌てて追いかけた。


「あっ!逃がすか!!待て!!!」


しかし、路地裏から出た小道には、誰もいなかった。

気配を追っても何も感じることができない。


目の前の危機が去ったことに安堵しつつも、ベイローレルはそんな自分に嫌気が差した。


(くそっ!ボクは今、心からホッとしている。あの存在と戦わずに済んだことを良かったと思っているんだ。情けない!何が勇者だ!)




――僕たちは、それからしばらくして彼と合流した。そして、その報告をこっそり聞かされたのである。


「なんだって!百合ちゃん、何か感じた?」


「ううん。全然。その魔王、気配を隠すのが本当にうまいみたい」


「牡丹はどうだ?さっきは勇者の気配を鋭く感知したろ?」


「わかんない」


嫁さんも牡丹も何も感じなかったらしい。


「ボクには『絶魔斬』があります。魔法で幻覚を見せるとか、そういうのも効きません。魔王のような強さの悪しき存在が、ここに現れたのは事実です」


ベイローレルの言うことはもっともである。どんな魔法があろうと、彼を騙すことは不可能であろう。僕も相槌を打った。


「なるほど。仮にそれが『幻影の魔王』だとしよう。そいつにとって、ベイローレルは自分を認識できる天敵になるのかもしれないな」


「ベイくん、今日は大活躍だったね」


「あ、いえ……」


嫁さんが褒めるので、ベイローレルも照れている。

しかし、僕の心は不安に包まれた。


これにて、今、この王都に魔王が隠れ潜んでいることが確定したのだ。

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