第180話 宴の終わり

「こんにちは。兵士さん」


王都『マガダ』の中心にある広大な宮殿。その正面の門番を務める兵士のもとに一人の少年が現れた。


見慣れない顔つきの少年で、異国から来た印象を受ける。しかし、その両手には花束が抱えられていた。槍を持った兵士は、あどけない表情の少年に微笑しながら応対した。


「なんだね。少年」


「ぼく、勇者ベイローレル様の大ファンなんです!今日は魔王を討伐した祝賀会が開かれていると聞いて、是非、プレゼントを渡したいと思いまして」


純粋無垢な笑顔でそう言われると、兵士もつい感心してしまう。だが、職務を全うしなければならないので、キッパリと答えた。


「すまないな。宮殿に許可なく人を入れるわけにはいかないんだ。その花束を渡したいのなら、おじさんが預かって、勇者ベイローレルに渡しておこう」


「ええーー、ぼく、勇者様に会いたいんです」


「気持ちはわかるんだがな。ここは君みたいな子どもが入れる場所じゃないんだ」


「……どうしても?」


「どうしてもだ」


「……わかりました。じゃ、これ、お願いします」


「ああ、わかったよ」


食い下がる少年だったが、兵士が折れることはないので、しぶしぶ花束を渡し、帰りはじめた。それを兵士が慌てて呼び止める。


「ああ!少年!君の名前は何だ?勇者殿に伝えてあげるから!」


立ち止まった少年は、一瞬硬直した後、振り向いて叫んだ。


「いいんです!名もないただの子どもです!それじゃ!」


「えっ!お、おい……」


花束を預かった兵士は、彼が走り去るのを茫然と見ていた。


この少年。9歳程度の黒髪の少年は、かつて地底魔城の前で騎士団の調査隊が遭遇した小学生、柳太郎であった。


曲がり角の向こうで彼の戻りを待っていた大剣のハンター、オスマンサスが、苦笑いしながら柳太郎に言った。


「な、やっぱり無駄だったろ?いくらなんでも子どもだからって入れてもらえやしねえさ」


「うぅーー、プレゼント作戦は失敗でしたね。優しい勇者なら、ぼくに会ってくれるかもと期待してたんですが」


しょんぼりする柳太郎に神官の格好をした女性、ホーリーが語りかける。


「リュウタローぼっちゃんならぁ、その気になればぁ、侵入することもできましたのにぃ」


「そんなことしませんよ。ホーリーさん。小学生は、大人に怒られるのが怖いんですから。入っちゃいけない所に入るとか、そんな度胸ありません。それに警戒されないよう、剣は持っていきませんでしたから」


少年の弁明を聞き終わると、オスマンサスは預かっていた剣を彼に返した。


「今日は、それでなくとも大勢の騎士とハンターが勢揃いしているんだ。ヘタなことはするべきじゃない。次の機会を待とうぜ」


「はい。そうしましょう…………」


そう答えながらも、柳太郎は宮殿の方角をじっと見つめている。気になったホーリーが尋ねた。


「どうかしましたかぁ?リュウタローぼっちゃん?」


「あ……いや……さっき宮殿の前に立った時に感じたんですけど……なんだか……すごい力の持ち主があの中にいる気がして……」


「へぇーー」


と、オスマンサスも宮殿の方角を見る。

しかし、柳太郎は言い直した。


「でも……きっと勘違いだと思います。まるで魔王が何人もいるような感覚がしたので……」


「おいおい……それが本当なら一大事じゃないか。どうなってんだ、この国は……」


「はい。だから、きっと気のせいです。長旅で疲れちゃったみたいですね」


「そうだな。しばらくのんびりしようや。勇者は逃げねえんだからよ」


こうして、3人の旅人は宿に向かっていった。



――宮殿の外でそのような動きがあったことなど、祝賀会に参加している人間が気づくはずもない。しかし、ウチの嫁さんだけは、ほんの一瞬だが、何かを感じ取っていた。


「……ん?今のは何だろ?」


「どうかした?百合ちゃん?」


「ううん。何でもない」


「そう……」


衆人環視の下、僕がキスしたことで、彼女は若干、のぼせ上がっていた。気配を隠している人物の強さを遠方にいながら察知できるほど、今の彼女は研ぎ澄まされてはいなかった。


まして、それなりに強者が集った祝賀会である。しかも、人気者になったとはいえ、逆に嫉妬してくる者や恨みを持つ人間もいる。様々に小さな悪意が渦巻く王宮の祝宴では、悪意を持たない者の接近に気づくことは困難だったことだろう。


「やれやれ。見せつけてくれたな。レン」


冷ややかな顔のローズがダチュラを連れて近づいてきた。祝賀会が終了した直後である。


「ごめん……なんか百合ちゃんのせいでテンションが上がってしまって……自分でも驚いてるよ」


僕は照れ笑いした。

ローズは何やら神妙な面持ちで嫁さんを見ている。


「あんなモン見せられたら、ユリカには一生敵わないってことを思い知らされるよ」


「……?」


そんな僕たちのそばにはラクティフローラとシャクヤがおり、ウットリした様子で嫁さんと僕を見つめている。二人とも無言のままだ。一人だけ元気なのはダチュラだった。


「ユリカ!あなた何なの?王子様と勇者様と踊って、最後は最愛の旦那ですって?私、前々から思ってたんだけど今日こそは言わしてもらうわ!あなた!贅沢すぎなのよ!!」


「えぇっ!そんなことないよ、ダチュラ!」


「勇者様だけでもすごいのに王子様よ!!結婚してるくせに、なんでそんなにモテモテなのよ!羨ましい!!レンで我慢しなさいよ!」


「私、蓮くんで我慢してないよ!蓮くんがいてくれれば十分なんだよ!!」


「ああ、もう!そのセリフが余裕ありすぎて逆にムカつく!!」


ウチの嫁さんと真っ向から喧嘩する女性は、今となってはダチュラくらいだろう。彼女は、この世界に来てから初めて出来た嫁さんの友達だ。リーフの死を一緒に悲しんだ仲でもあり、今も親友のように接している。


二人の様子がちょっと面白いが、そこに笑みを浮かべて話に加わったのは、ラクティフローラだった。


「うふふふ、お姉様と喧嘩なさるなんて、さすがです。あなたがダチュラさんですね?」


王国の第一王女から話し掛けられ、この国出身のダチュラは慌てて直立した。


「あっ!……あの、お、王女様……はっ……初めまして!ダチュラと……申します!」


「はい。初めまして」


「……そ……そそそそ……その、ご、ご尊顔を拝する栄誉を、い……いいい、いただき……」


「ふふふ、緊張なさらずとも結構ですよ。お姉様のお仲間ですもの。これからは、わたくしとも仲良くしてくださいね」


「……は!はい!喜んで!」


全身から汗を噴き出すような勢いで緊張していたダチュラは、ラクティフローラから優しく話をされ、有頂天で返事をした。


それを見ている僕の背後からベイローレルが近づいてきた。僕が嫁さんに大勢の前でキスしたことを根に持っている彼は、眉をしかめて僕の目を見る。


「レンさん、やってくれましたね」


「ん?何がだ?」


「あなたには、絶対に負けませんからね」


「いや、何の話だよ!」


僕のツッコミには反応もせず、ベイローレルは嫁さんに話し掛けた。


「ということで、ユリカさん、以前に交わした約束、覚えていらっしゃいますよね?」


「あ、もしかしてデートのこと?」


「はい」


「そうね。戦争の時にしたもんね。蓮くんの話を聞いてくれたらデートしてあげるって。大丈夫よ。あとで日取りを決めようね」


「はい!それではまた!」


話を済ませたベイローレルは、さっさと立ち去った。

僕は呆れて嫁さんの顔を見た。


「ええぇぇーー、ちょっとちょっとぉーー」


「なぁにぃーー?蓮くんヤキモチ焼いてくれるのぉ?」


「いや、だって、わざわざ本当に……」


「だぁーーいじょうぶだよぉーー。ウワキなんてぇ、し・な・い・から。それに牡丹も一緒だもんね」


「うん!」


「え……」


なんと嫁さんの提案に牡丹もノリノリである。以前からそういう話をしていたのだろうか。


「私一人だけって約束はしてないもん。牡丹のことも楽しませてくれるのか、ベイくんのエスコートをじっくり見させてもらってくるね」


可哀想にベイローレルよ。君はウチの嫁さんと子連れデートすることになるのだ。まぁ、とりあえず、ざまぁ見ろ、とだけ心の中で言っておこう。


「はぁ……これじゃあ、ベイローレル様が不憫よ。なんでユリカばっかり……」


横ではダチュラがガックリと肩を落としていた。



この後、アッシュさんから声を掛けられ、携帯端末宝珠を返却する旨が伝えられた。僕の味方でいてくれる人には是非持っていてほしいと訴えたのだが、「これは俺の身には余る」と言って、頑なに断られてしまった。


「もちろん、これからもレンの身に何かあれば力になる。それは、ほとんどのハンターが思っていることだろう。『プラチナ商会』の宝珠には世話になることだろうしな」


宝珠を僕に返し、気さくに笑いながら、彼は去って行った。この後はハンター連中と街中で二次会をするそうだ。そして、そのメンバーの中には、なぜか騎士団第五部隊の部隊長ライラックも加わるらしい。彼らは僕のことで意気投合したという。



さて、騎士や王国の重鎮は既に退場しているが、祝賀ムードが収まりきらない会場には、まだ大勢の人々が名残惜しそうに残っている。それでもそろそろ撤収しなければ王宮にも迷惑であろう。


僕が「帰ろう」と言った直後、ラクティフローラに提案された。


「お兄様、お姉様、このまま皆様には、わたくしの屋敷にお泊まりいただいてもよろしいのですが?」


「え、それは悪いよ。いくら家族連れと言っても、男の僕が君の家に泊まれば、また変な噂が立つんじゃないか?」


「そのようなこと、わたくしは気にしません。それよりもお姉様に是非とも我が屋敷でおくつろぎいただきたいのですわ」


これに嫁さんが微笑して答えた。


「ありがとね。ラクティちゃん。でも、今日は荷物もあるから宿に泊まるわ」


「そうですか。では、明日にでも当家へお立ち寄りください。使用人総出で歓迎致しますわ」


「うん。了解ね」


そうして、王女と約束を交わした後、僕たちは大ホールを出て王宮の玄関に向かった。王女も自分の屋敷に戻るため、一緒に王宮を出る。


思い返してみれば、この王宮を以前に出た時は、僕が王国に喧嘩を売った時だった。そんなことを思いながら玄関ホールに来ると、少し場違いな声が聞こえた。


「大丈夫かなーー?ヘンビット王子……」


「心配して会いに行ったのに”一人にしてくれ”だもんねぇーー」


声の方角を見ると、そこには、この国では珍しい一団がいた。若い女性たちが集団で話をしているのだ。浮ついた雰囲気が女子学生を思わせる。


ラクティフローラが横に来て説明してくれた。


「あれは、ヘンビット兄様が『アカデミー』から連れてきたご友人ですわね。こんな所にまで参加させるなんて。この祝宴は国の公式行事ですのに」


「なるほどね。ヘンビットは自由奔放な性格の王子ってわけだ。今日も好き勝手やってくれたもんな」


共和制国家にある『アカデミー』については、噂は聞いている。この世界では珍しく、女性にも寛容で、世界中から留学生を受け入れている男女共学の高等教育機関である。


その女学生たちが、イマドキの女子大生のように明るい声で話しているのを見ると、少し懐かしい気持ちになった。


そして、玄関ホールを前にして、その一団とすれ違うことになった。


ところが、その時である。


「えっ……!」


何気ない気持ちですれ違った瞬間、僕の視界に信じられないものが映った。

驚いた僕は直ちに振り返る。


夕暮れ時の薄暗い廊下だったので、既に過ぎ去った女学生の一団を見ても、影しか見えなかった。


「どうしたの?蓮くん?」


「あ、いや……」


嫁さんが不思議そうに尋ねてくるので、僕はすぐに気を取り直した。

おそらく何かの錯覚だろう、と思う。

今、女学生たちの中に見覚えのある顔があった気がしたのだ。


妙に気が抜けた感じがした途端、僕のお腹が鳴った。


「あれ、蓮くん、お腹空いたの?」


「そういえば、あまり料理を食べられなかったんだよ。あんな忙しい宴会は初めてだった」


「ごめん。私と牡丹ばっかり、ご馳走を食べちゃった」


「いいよ。宮廷料理というわりには大した食事でもなかったし。百合ちゃんに作ってもらった方がおいしい。帰ったら食べたいな」


「やだ。嬉しいこと言ってくれちゃってぇーー」


終始、ご機嫌の嫁さんと王宮を出た。なぜか自然と手を繋いでいた。以前に王宮を出た時と同じだ。


この後、ラクティフローラは侍女に迎えられ、馬車で屋敷に帰った。僕たちも雇った馬車に乗り、宿に戻る。充実感のある楽しい祝宴だったが、とても疲れた一日となった。



翌日。

起床すると、宿が予想外の事態になっていた。


僕が宿泊していることを聞きつけた貴族の使いや有力商人たちが、挨拶しようと殺到していたのだ。


祝賀会でセンセーションを巻き起こしてしまった僕の名は、あっという間に王都中に広まり、『プラチナ商会』とお近づきになろうと有力者たちは躍起になっていた。


「これでは宿の人たちに申し訳ないな……」


しばらく滞在しようと考えていた宿だったのだが、それを断念し、宝珠システムでラクティフローラに連絡を取った。


『それならば、やはり我が屋敷にお泊りいただくのが一番ですわね!』


快く受け入れてくれる彼女に促され、僕たちは第一王女の屋敷に向かった。

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