第181話 穏やかな日

「ようこそ!我が屋敷へお越しくださいました!お兄様!お姉様!」


宮殿内の第一王女の屋敷に馬車で向かった僕たち一行。彼女の屋敷に到着すると、玄関の前には当主自らが出迎えに出てくれていた。


嫁さんがすぐに馬車から降りる。すると、王女が抱きついた。


「お姉様!」


「ラクティちゃん!今日からご厄介になるけど、ありがとね!」


「ついにお姉様にお泊りいただく念願が叶います!これで、ようやくあの日のご無礼をお詫びすることができますわね!」


「いいのよ。あれは私たちが悪かったんだから」


「そして、これ。お姉様からお預かりしていた宝珠付きのペンダントです。昨日は公式行事で持参できませんでしたので、やっとお返しできますわ」


「うん。ありがと。で、これがラクティちゃん用の宝珠だって。蓮くんからね」


「まぁ!ありがとうございます!」


ラクティフローラは、通信用に預けておいた嫁さんのペンダントを本人に返した。その代わりに彼女専用に作成しておいた携帯端末宝珠を嫁さんが渡す。


二人が話している間に僕も馬車から降りたが、第一王女の過剰な振る舞いに僕は恐縮していた。


「ラクティ、わざわざ君が玄関まで出てくるなんて、ちょっと身分違いなんじゃないかい?」


「そんなことはありませんわ、お兄様。世界最強の勇者様とその旦那様ですもの。これくらい、当たり前のことですわ」


僕たちのことを心から信頼してくれているラクティフローラは、誇らしげに笑いながら、僕の手を取って言った。ありがたく思いつつも、僕はもう一つの断りを入れる。


「そこまで言ってくれるのは、とても嬉しいよ。ところでラクティ、彼も屋敷に入らせてもらって大丈夫かな。とても賢いから迷惑は掛けないと思うけど」


「まぁ!ご立派な犬ですこと!……あれ?犬というより狼かしら?」


「彼はルプスなんだ」


「え!あのルプスですか?こんなに小さくなれますのね!」


「ガウア!(こんにちは!)」


狼の姿のルプスが挨拶をする。王女はその意味を理解できないが、まるで犬を相手にするように彼の頭を撫でた。


「うふふ、あの最強魔族がこんなにかわいくなるなんて。フリージアが知ったら、さぞ驚くでしょうね。当家には猫がおりますが、犬も大歓迎でございますよ。しかもルプスでしたら大切なお客人になります」


「ありがとう」


「ボタンちゃんは、何か大事そうに抱えていますわね。お人形さんかしら?」


「うん。これは百合ちゃんが最初にこの子にプレゼントした人形なんだ。一度、首が取れちゃったんだけど、修復してからずっとお気に入りでね」


そう。牡丹は、地底魔城の戦いで嫁さんから人形をプレゼントされていたが、その時は激しい戦闘の影響で首が落ちてしまった。それを修復魔法で直したところ、牡丹は大変に喜んでくれ、毎日のように人形と一緒におママゴトをするようになった。今回の旅行にも持参するほど大切なお友達になっていたのだ。


「ピーチ!」


牡丹は自慢げに人形を紹介した。どこから着想したのか知らないが、そのように名付けられると、あの超有名な何度も誘拐されているお姫様に似ていなくもない。


「うふふ、ピーチちゃんもお客人ですわね。それでは、皆様、どうぞお入りください。歓迎する準備は整っておりますのよ」


第一王女自らの案内で僕たちは屋敷に入らせてもらった。


女性らしい装飾と調度品に彩られた屋敷の様子は、ベナレスにある僕たちの豪邸とは違った雰囲気を持っている。嫁さんと手を繋いでいる牡丹は、目をキラキラさせて周囲を見渡していた。


「かわいいお屋敷だねぇ。牡丹」


「うん!」


玄関ホールでは、多くの侍女に迎えられた。その先頭には侍女長のフリージアさんがいる。


「レン様、ユリカ様、先だっては大変にお世話になりました。お陰様で、このとおり何の後遺症も残らず、王女殿下に給仕することができております」


「いえ、お元気そうで何よりです」


深々とおじぎをするフリージアさんにも僕は恐縮する。彼女は、僕の後ろにいるシャクヤにも声を掛けた。


「ピアニーお嬢様、お久しぶりでございます」


「はい。ご無沙汰しております。フリージア様」


さらに後方には、王女の屋敷に入ってドギマギしているダチュラと平然としているローズがいた。そちらにフリージアさんの視線が移った時、ローズが微笑した。これにフリージアさんも微笑して返す。


僕たちは王女に先導され、今は亡き王妃の部屋へと案内された。以前にこの屋敷に来た時に用意された部屋と同じである。


「あの日は、お見苦しい姿をお見せしてしまい、お泊りいただくことができませんでしたが、本日こそは、こちらの部屋でお休みください。これより、この部屋はお二人とボタンちゃんの部屋として扱います」


「えっ、でも亡くなったお母さんの部屋だったんでしょ?そんな大事な部屋をいいの?」


王女の言葉にさすがの嫁さんも慌てた。

それにラクティフローラは笑顔で返事をする。


「勇者様をお泊めするのに、ここ以外は考えられませんわ。きっとお母様も喜んでくださると思います」


「そう……ありがとね。じゃ、大事に使わせてもらうわ」


「はい。ローズさんとダチュラさんには、隣の部屋をご用意しています。ピアニーは昔、使わせてた部屋でいいわよね?」


これにシャクヤが意外そうな顔で尋ね返した。


「まぁ、わたくしの部屋がまだあるのですか?」


「一応ね。片付けるのも何だと思って」


「ありがとう。では、わたくしの部屋でルプス様をお預かりしましょう」


それぞれの部屋に荷物を置かせてもらい、その後、ラクティフローラとともにサロンで昼食をご馳走になった。


前回は、ここでの会食で嫁さんと王女という二人の女性に挟まれ、僕は大変な思いをしたものだ。そして、僕たちが夫婦である事実を知ったラクティフローラは、ショックのあまり気を失ってしまったのだ。


まさか、あの時と同じ場所で、こうしてお互いに笑顔で会食できる日が来ようとは、当時は考えられなかった。


しかも、平和なことに、他愛のない会話が穏やかに繰り出された。


「あの、お姉様、昨日の”アイスクリーム”なるものは、お姉様が作られたとお兄様がおっしゃいましたが、それは本当ですか?」


「うん。本当よ。牡丹のために私が作ったの」


「まぁ!!お料理まで神技なのですのね!」


「ラクティフローラ、ユリカお姉様は、料理の腕前も世界最強なのですよ。宮廷に仕えるシェフですら、舌を巻くはずです」


「シャクヤちゃん、それは言い過ぎよぉ。そういえば、ラクティちゃんは料理はしないの?」


「はい。王女が台所に入ることは禁じられております」


「えっ!そうなの?」


「自分で卵すら割ったことがありません」


「えぇぇっ!どんだけ箱入りなの!!」


「良家の娘は、だいたいこんな感じだと思いますわ」


「じゃあ、シャクヤちゃんも?」


「そうでございますね。当家では禁止はされておりませんが、台所に入ると怒られました」


「そうなんだぁーー。でも、シャクヤちゃんは、少しは料理できるわよね?」


「実は、いつか旅をする時に困らないように、と祖父から言われて教わりまして」


「ああ、さすがは勇者と旅をした人ねぇ」


「ええ。ラクティフローラは、必要ないと言って拒んでおりましたが」


「そ!それ、今言わなくてもいいでしょ!!」


嫁さんを囲んでラクティフローラとシャクヤが微妙な喧嘩をするのが、ちょっと面白い。王家の箱入り娘と貴族令嬢に挟まれ、一介の主婦が普通の会話をしているのである。よく考えると不思議すぎる組み合わせだ。


「なんだかラクティちゃんとシャクヤちゃんの生活って、私たちの常識とは、だいぶ違うよねぇーー。ねぇ、蓮くん、”貴族”って結局なんなの?」


「え……今さらだね」


「うん。今さらだけど気になった」


一瞬だけ苦笑した僕だったが、食事中にも関わらず、嫁さんが難しい話を聞こうとするとは珍しいこともあるものだ。僕はそれに嬉しくなった。


「そもそも貴族って何だと思ってた?」


「偉い人たちってイメージしかない。あとはよくわかんない」


「やっぱそうか……」


「それと普通の人たちをイジめてそうなイメージがあるかな」


「まぁ、悪い為政者や領主はもちろんいるだろうね。でも、全員がそうじゃないよ。むしろ腐敗した貴族のもとでは、反乱が起きる場合もある」


「ふーーん」


ここから、歴史好きの僕は詳しく語ってみせた。


そもそも”貴族”と一口に言っても、その形態や社会的な位置付けは、時代や国によって、それなりに異なるのだ。


それらを抜きにして一言で説明した場合、”為政者から特別な地位を与えられた者。あるいは、そういう家の当主”と言うことができるだろう。


そして、多くの場合、”貴族”は領地を持っている。日本における、かつての大名や藩主に近いのだ。


「へぇーー、じゃあ、”貴族”はお殿様なんだ。シャクヤちゃんちのお父さんも、そうなのかな?」


「はい。当家も地方に領地がありまして、その収入で臣下の家を養い、自分たちも生活をしております」


「そうなのね。私、てっきり”貴族”って、日本の武士みたいな人たちだと思ってた」


嫁さんのこの見解に僕は追加説明をした。


「武士の中にも領地を持っている人はいたよ。お偉い家柄はだいたい持ってたんじゃないかな。ただ、それも藩によって、状況が異なるから、一口には説明しがたいけど」


「領地を持たない武士は、どうやって生活してたの?」


「そういう武士は、藩に仕えるんだよ。それで俸給をもらうんだ。今で言う地方公務員だね」


「ふーーん。こっちの騎士団みたいな感じだね。じゃあ、やっぱり日本で考えると、貴族は武士ってことでいいのかな?」


「ところが、日本の場合は、さらにややこしいんだ。というのは、日本の本当の貴族は、”公家”だから」


「くげ?……なんだっけ。京都にいる人たち?」


「そうそう。京の都でみかどに仕える人たち」


「あの、自分のことを”マロ”って言ってそうな人たち?」


「実際に言ってたかは知らんけどね」


「え、じゃあ、武士は?」


「武士は、本来の貴族の役割を天皇家や公家から譲渡されていた、みたいな感じかな?……いや、本当にこの点は、日本独自のややこしい歴史なんだよね。他の国では見られない独特の現象なんだ」


「へぇーー」


「てことで、一口に”貴族”と言っても国によって形態が異なるし、同じ国でも時代によって変遷したりするんだ」


「ほほうーー」


「で、この国の貴族のことに話を戻すね」


「うん」


「ラージャグリハ王国では、地方に領地を持った貴族家と騎士の称号による貴族家の二通りが存在している。領地を持った貴族家は、その領地と一緒に身分を世襲できるのに対し、騎士の称号による貴族は、一世代限りの貴族家となっているみたいだ」


「そうなんだぁーー」


「だから、騎士の家系に生まれた男子は、幼い頃から剣の修行に励むことになる。自分の力で騎士にならないと、貴族にはなれないからね。それが王国騎士団の強さの秘密でもあると僕は睨んでいる」


「なるほどねぇーー」


ここまでの僕の説明が正しいことを、ラクティフローラが微笑みながら証明してくれた。


「うふふ、お兄様は本当によく勉強されているのですね。そのとおりですわ」


「よかった。ありがとう」


「それにしましても、お兄様とお姉様は、面白いお国からいらっしゃったのですね。聞いていても、ちんぷんかんぷんでしたわ」


「だろうね」


「安心して。ラクティちゃん。私も、ちんぷんかんぷんだから」


嫁さんの最後の一言に一同は笑った。


初めはギチギチだったダチュラも次第に緊張がほぐれた様子で食事を楽しんでいる。ローズは以前にも滞在していた屋敷であるためか、最初から堂々としている。ルプスには、大量の肉が皿に置かれ、それをおいしそうに食べていた。


そして、牡丹は終始、満足そうだった。



食事が終わると、ラクティフローラが真面目な話題に移した。


「それではお兄様、午後は『精霊神殿』にご案内したいと思いますが」


「え、もういいのか?」


「はい。お父様が真っ先に手配してくださいまして、神官長とお引き合わせするようにと、わたくしに命じられました」


「ありがたい。これですぐに商売を始められるし、僕の研究も進む」


「それと、商会の『エンブレム』についてですが」


「ああ、それも相談しようと思ってたんだ。僕もよくわかってなくて」


「”紋章官”がおりますので、その者とお話しなさるのがよろしいかと思います。わたくしも一から紋章を作るのは経験がありませんが」


「そんな役職があるんだ。どうすれば会えるかな?」


「わたくしの方で呼びつけておきますので、こちらに来てもらいますわ」


「何から何まで、ありがとう」


「では、『精霊神殿』に参りましょうか。馬車を出しますので」


「うん」


「いってらっしゃい」


僕が立ち上がると、嫁さんは送り出す言葉を言った。唖然として僕は言い返す。


「いや……百合ちゃんも来るんだよ」


「えっ、私、要る?どうせ難しい話になるんでしょ?」


「なに言ってるんだよ。『勇者召喚の儀』についても話を聞けるかもしれないんだ。君が来なくてどうすんのさ」


「あぁ……そっかぁ」


嫁さんは面倒臭そうに納得した。

ここで問題となるのが牡丹である。


「なら、ボタンはあたしたちが見てるよ」


ローズがそう言ってくれたので、彼女に預けることにした。さらに有識者の一人としてシャクヤにも同行を願う。僕と嫁さん、ラクティフローラとシャクヤの4人、それに侍女2名を連れて精霊神殿に向かうことになった。


「では、フリージア、お客様たちをお願いね」


「かしこまりました。姫様」


王女の馬車で僕たちは出発した。



ちなみに僕たちが出掛けた後、ローズとダチュラは、ルプスを交えつつ牡丹と一緒に遊んでくれた。そのうち、牡丹が飽きてきて昼寝を始めたという。自然とフリージアさんとローズは目を合わせて会話するようになった。


「ふふふ……あなた、子どもの相手がこんなにうまかったのね」


「やあ、どうも、お久しぶりです。ブルーベルさん」


「その呼び名はやめなさい。もう捨てた名です。『ローズマリー』」


「ちょっ、フリージアさんこそ、あたしの本名を言わないでくださいよ」


「え、今のはどういうことですか?」


二人が交わす謎の会話にダチュラが反応した。

ローズは、面倒くさそうに告げる。


「いや、気にするな。今のは忘れろ」


「……私も前々から、もしかしてって思ってたんですけど、ローズさんって実は、いいとこのお嬢様なんじゃないですか?」


「だから、忘れろって」


「ふふふ……ごめんなさいね。ちょっと口を滑らしちゃったかしら」


フリージアさんは、イタズラっぽく笑った。

そして、感慨深そうにローズを見つめて言うのだった。


「それにしても、あの”女剣侠”がずいぶんと丸くなったものね。一匹狼だったあなたが、誰かと行動を共にする日が来るとは思わなかったわ。これもレン様の影響なのかしら」


「まぁ……そうですね。あの男には、いろいろと助けられまして……」


「そんなふうに子どもを抱いていると、まるで母親にでもなったように見えるわよ」


「ええ。実は、あたし、子どもがいるんですよ」


「えっ!!!」


この告白に年長者のフリージアさんは、腰が抜けるほど驚いた。愕然とした表情で後輩を見つめたという。


「……ま、まさか……レン様と?」


今度はローズの方が慌てた。

顔を真っ赤にして否定する。


「ちっ!違いますよ!!な、なんであたしが!あ……あああ、あんな男と!……あいつに出会う前に、ちょっといろいろあって、子どもができて、独りで育ててるんです!」


「そ、そう……よかった。でも、そうよね。本来ならもう家庭に入ってて、子どもがいてもおかしくない年齢なんだもの。私は婚期を逃しちゃったけどね」


「でも、王女殿下から噂を聞きましたよ。どこかの偉い人から今、お誘いを受けているって」


「それは……いいのです。お忘れなさい。私には過ぎた話だから」


「そうなんですか?もったいない……」


こうして先輩と後輩が話をしている中、突如、ダチュラが叫んだ。


「あ、あの!フリージアさん!」


「はい?なんでしょう?」


「私、あの”青き鎮魂歌”が女性だったことも知りませんでした!それを知ってたら、きっと大ファンになってたと思うんです!それで……その……」


口ごもった弟子を見て、ローズは笑いながら先輩に頼む。


「この子は、すごく筋がいいんですよ。フリージアさん、どうか一つ、少しばかりでいいですから、稽古をつけてやってくれませんか?」


「私が?でも……」


「お、お願いします!!」


勢い込んでおじぎをするダチュラを見て、その清々しさにフリージアさんも心が洗われた気がした。


「……そうね。レン様とユリカ様には多大なご恩もあることだし、そのお仲間に力を授けるのも一つの恩返しよね。では、姫様がお戻りになったらお聞きしてみます。お許しが出たら、稽古をつけてあげましょう」


「はい!ありがとうございます!!」



――さて、そうした中、僕たちは馬車に乗って宮殿を抜け、王都マガダの中心から少しだけ離れた『精霊神殿』に到着した。


神話に登場するような神秘的で荘厳な建物である。

その前の広い庭に立ち、ラクティフローラが説明してくれた。


「こちらが王国内で唯一、魔法の研究開発が許された聖地。『水』の精霊を奉った『精霊神殿』でございます。中で神官長もお待ちですわ」


いよいよ僕が知りたかった『勇者召喚』の謎に近づける。僕の胸は高鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る