第167話 カエノフィディアの真実
僕と嫁さんと牡丹によって、魔族の平和な村落を作ることになった。その名を『
初日の相談事を全て聞き入れ、そろそろ帰ろうと思う頃、ウサギ魔族のレポリナは、カエノフィディアに声を掛けていた。
「あ、あの、カエノフィディア様……いろいろ大変だったみたいですが、夢が叶いそうで良かったですね」
「え?レポリナさん、何が良かったんですか?」
「いえ、だって、以前におっしゃられていたではありませんか。カエノフィディア様の夢は、魔王様のお妃様になられることだと。デルフィニウム様は幼い女性でしたが、お父君様からご寵愛をいただければ、夢が叶うのではありませんか?」
「そ、そんなことをアタクシが!?」
「はい。ワタシたち女の前では、よく語っておられましたよ。大魔王レン様の第一王妃はユリカ様でしょうが、第二、第三のお妃様になられる日も近いかもしれませんね」
「とんでもない!あのお二人の間には、とてもとても入れる隙などありませんよ!」
「そうなのですか?でも、ワタシは応援しておりますね」
「嬉しいですが困ります……それに奥様に知られたらアタクシが殺されてしまいますので、今の話は、絶対に他言無用に願います」
「うふふ、今のカエノフィディア様は以前よりも、おかわいいですね」
「もう!からかわないでください!」
そう。実は彼女の肉体を奪っていた人獣タイプの蛇女魔族、カエノフィディアの本体は、魔王の妃になることが夢だったというのだ。
生殖行為を行わない魔族といえども、相手が魔王である場合に限り、その感情は例外となるようだ。しかし、ヒト型の身体を持たない彼女は、歴代の魔王から気に入られることが皆無だった。魔王が全て地球から召喚された者たちなのだとすれば、それも当然であろう。
そのため、毒で相手の神経系を操る能力を鍛え、進化させて手に入れた力が、人間の肉体を乗っ取る固有魔法だったのである。言わば、蛇女の能力は、女性としての執念の集大成だった。また、それゆえ美しい女性の肉体を奪うことにも固執していたのだ。
そんな蛇女は、魔王が再臨したという話を聞きつけて、真っ先に魔王軍に参加したらしいが、牡丹が幼女だったため、初めは面食らった。しかし、幼い牡丹の愛らしさに、別の意味で惚れ込んでしまい、愛でるように牡丹を慕っていたというのだ。
ただ、残念ながら、人間に対する行為は残虐極まるものだったため、結果としてローズに撃破されるに至ったわけだ。
もちろん、そのような事実関係は、死んだ本人だけが知るものであり、蛇女の正体すら知らなかった者たちには永遠に闇の中である。
「で、ですが……アタクシも想うことがありまして……」
カエノフィディアは、少し照れながらレポリナに言葉を続けた。
「経済力のある殿方って……素敵ですよね」
頬を赤くしながら言う彼女に、レポリナは不思議そうな顔で答えた。
「けいざい、ですか?人間の感覚はよくわかりませんが……やはりレン様は、人の世界でも大魔王様のように強い権力をお持ちなのですね」
彼女たちがこのように僕を遠目に見ながら話している会話は、当然のことながら、僕には全く聞こえていない。
それはそうと、レポリナは僕のことを自然と『大魔王』と呼んでいるのだが、それにカエノフィディアは全くツッコまなかった。僕は、知らず知らずのうちに魔族たちから『大魔王』と認識されてしまったのだ。
この過ちに僕が気づくまでには、もうしばらく時間を要することになる。
人間の世界では、ハンターとして、プラチナ商会の代表として、それなりに名を馳せる存在になってきた僕だったが、一方では、魔族のために村を創り、尽力するという、裏稼業のようなことを始めてしまった。
それが、僕たちの今後の異世界生活において、どんな影響を及ぼすことになるのか、この時の僕は全く想像もしていなかったのだ。
ただ僕は、現時点で懸念となる事柄についてだけ、腹心の部下と相談していた。
「ストリクス、一つ聞いておきたいんだが、魔族たちには、衝動的に人を襲うような性質は無いのかな?」
「なかには、そういうタイプもおりますが、大抵の魔族は自分の欲望を抑制できる者たちです。そうでなければ、いつか人間に敵視され、討伐対象になってしまいます。賢い振る舞いをできた者たちが生き残ってきたとも言えましょう。とはいえ、それぞれ個性が全く違いますので、性質も様々でございますが」
「なるほど……やっぱり魔族を束ねるのは大変だなぁ……」
「しかし、その不可能を可能とされるのが、ご尊父だと拝察致します」
「あんまり買いかぶらないでほしいけど……うん、まぁ、頑張ってみるよ。それともう一つ。彼らはいいとして、人間に敵対的な魔族はどれくらいいるんだろうか?」
「この地域の魔族は、ほとんどが以前の魔王軍に参加しておりましたが、好戦的な魔族は全て、騎士団とハンターの連合軍に殺されてしまいました。残るは、彼らのように争いを好まない者たちと、我々、八部衆のメンバーくらいでございましょう」
「それなら安心だな」
「ですが、ワタクシどもが呼びかけたにも関わらず、魔王軍に参加しなかった者たちもおります。彼らは、人間に対して残忍な性質を持っており、しかも魔王様に従うことを良しとせず、一匹狼を貫く者たちです。アレらを束ねるのは、至難の業と言えましょう」
「やっぱり魔族にも、そういうヤツらはいるのか。そいつらの居場所はわかるか?」
「申し訳ありませぬが、一度、勧誘して以来、すぐにナワバリを移動されてしまいましたので、今では、どこでどうしているのか、皆目わかりませぬ」
「そうか……この点については、お前とフェーリスが頼りだな。これからも魔族の動向は全てお前に任せる。情報を得たらすぐに報告しろ」
「仰せのままに」
こうして、この日は帰途についた。初めこそ警戒心を露わにしてきた魔族たちだったが、帰り際は名残惜しそうに見送ってくれた。
遊び疲れて寝てしまった牡丹を嫁さんが抱っこし、カエノフィディアとともにガッルスに乗った。僕はストリクスに乗り、ベナレスに戻った。
屋敷に帰ったのは、夕暮れ時である。
時計台の屋上に着陸し、塔から降りてくると、僕の目には予想外の光景が飛び込んできた。庭でフェーリスが多くの猫に囲まれて、ジャレていたのだ。
どうやら彼女が能力で引き寄せてきたらしい。特に迷惑というわけでもないが、あまりにも悪目立ちするので、僕は一言注意しようと考えた。ところが、それよりも早く真っ先に叫んだ者がいる。
「フェーリス!ダメでしょ!勝手なことをしたら、旦那様と奥様にご迷惑でしょうが!!」
意外なことにカエノフィディアである。
彼女は、勝手気ままなフェーリスへの抑止力として、同室に住まわせていたが、殊の外、二人は気が合ったようだ。カエノフィディアは、フェーリスに対してだけは、友人のように接していた。そして、ツッコミ兼小言役を引き受けてくれているのである。
「あっ!カエノフィディア!キミだけレン達と一緒に出掛けて行って、ズルいニャオ!ウチも行きたかったニャオ!」
「アタシはお仕事で行ってきたの!さっきも大事なお役目を仰せつかったところなんだから!」
「だったらウチも仕事で行きたかったニャオ!仲間外れにするなニャオ!頭に来たから、街中の猫ちゃんたちを呼んで遊んでたんだニャオ!」
そういうフェーリスの後ろでは、既に猫好きの嫁さんが猫たちとジャレあっていた。牡丹までもが目を覚まし、一緒に遊んでいる。
「きゃーーっ!猫ちゃんがこんなにいっぱい!なんて幸せなのかしら!」
「ねこ!ねこねこねこ!」
最近、すごく思うことがある。
この母子はどんどん似てきている。
とはいえ、フェーリスには悪いことをした気になったので、僕の方から謝った。
「すまないな、フェーリス。お前には素材採取の護衛の仕事を振っていたから、連れて行けなかったんだ。今度、非番の日にカエノフィディアと一緒に行くといい。魔族だけの村を創ったんだ」
「なんニャオ!そんな面白そうなことしてたのかニャオ!?」
「あとでゆっくり話すよ」
ところが、気持ちが落ち着いたフェーリスの口からは予期せぬ言葉が飛び出した。
「あ、そういえばレン、お客さんが来てるニャオよ」
「えっ!それ、早く言ってくれよ!!」
なんと留守中に来客があり、僕たちの帰りを待ってくれているというのだ。しかも、よくよく聞いてみると、それはハンターギルド本部の本部長ウォールナットさんと副本部長のカンファーさんだった。
二人は、魔王討伐連合軍がその目的を果たした件で、王国の国境の町に赴き、騎士団とハンター達から報告を受けてきたのだ。
その帰り道、陰の功労者である僕たち一家をねぎらうため、わざわざ足を運んでくれたのである。
ところが、応接室に通され、僕たちの帰りを待っている間、二人は予想外の事態に緊張することになった。今では我が家の忠犬になっているルプスが気を利かせ、狼の姿で客人の護衛のように部屋に付き従っていたのだ。
だが、ウォールナットさんとカンファーさんは、嫁さんの内に宿る底力に感づけるほど、相手の力量に敏感に反応できる達人ハンターなのだ。そんな二人が、レベル49の魔族であるルプスに不信感を抱かないはずがなかった。
「な、なぁ……カンファーよ……俺も耄碌したかな……この犬……いや、狼か?こいつ、ヤバくねぇか?」
「ウォールナット……私も同じように脅威を感じていたところだ……これは、いったい何だろうか……レン殿とユリカ殿が飼う犬ともなれば、これほどの存在になるというのだろうか……」
「俺、たぶん、この犬に勝てねぇぞ」
「私もだ」
「それによ、さっき庭で会った猫っぽい姉ちゃんもよ……なんかヤバい気配を感じたんだが……あれはどうだった?」
「それも同意見だ……無邪気そうな顔から、とてつもない畏怖を感じたぞ」
「やっぱ気のせいじゃなかったか……」
このように二人が不安に苛まれているところに、僕と嫁さんは、牡丹を連れて入室した。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません!ウォールナットさん、カンファーさん!」
「ごめんね!おじいちゃん!カンファーさん!」
僕たち夫婦の声を聞いて、安堵した思いで立ち上がるウォールナットさんとカンファーさん。
「おう!久しぶりだな!兄ちゃん、姉ちゃ……」
ところが、挨拶しながらも二人は固まった。
硬直した二人の視線は、一心に牡丹に注がれている。
「……そ、そのお子様は?」
カンファーさんが、恐る恐る、という声色で質問してきた。
やはり察しが良い。
僕は開き直って、笑いながら言った。
「あ……あはははは……やはりお二人には、わかっちゃいますか」
「ほら、牡丹、挨拶してあげて。ウォールナットのおじいちゃんとカンファーさんだよ」
「こんにちは」
嫁さんに促され、牡丹は子どもらしく、おじぎをした。
最初は極度に人見知りする女の子だったが、今では初対面の人にも立派に挨拶できるようになったのだ。親として、とても嬉しく思う。
そして、その様子を愕然とした顔で見つめる本部長と副本部長。
「えーーと……お二人には、真実をご報告しますね」
もともと僕たち夫婦が異世界から来た者であることを認識してくれている二人である。僕は、この二人には牡丹の真実を語ることにした。
若い頃には、相当な修羅場を潜り抜けてきたという二人であるが、さすがに牡丹の話には、終始、度肝を抜かれている様子だった。全ての話が終わると、ウォールナットさんは体の震えが収まり切らぬまま呟いた。
「と……とんでもねぇことだ……魔王を娘として育てるなんて……まさかこの歳になって、これほど腰を抜かす出来事に巡り合うとはな……」
「魔王が異世界から召喚された”ヒト”だったというのも……この老体では、受け入れるのに時間が掛かりそうですぞ……」
これまで僕たちのあらゆる話を素直に聞き入れ、味方になってくれた二人である。しかし、それでも、世界の悪の元凶のように信じられている『魔王』が、目の前で、ただの幼女として振る舞っていることには、激しく困惑していた。
やはり牡丹が魔王であるという現実は、人間社会では受け入れがたい事実なのだ。
だが、ゆっくり話をするうちに二人の動揺は、次第に和らいできた。そのタイミングを見計らい、嫁さんは牡丹を連れて、二人の座っているソファに移動した。
「おじいちゃん、頭、撫でてあげて」
「お、おう」
そう言われたウォールナットさんは、少し真顔のまま、牡丹の頭を撫でた。
すると、気を良くした牡丹は、ウォールナットさんの膝の上に移動し、そのまま座ってしまった。どうやら牡丹は、気配感知によって、相手が優しい人物であるのかを本能的に察知できるようである。
そんな牡丹の愛らしい振る舞いが、ウォールナットさんの表情を綻ばせた。
「なんだ!こうして抱いてみりゃ、普通にかわいいお嬢ちゃんじゃねぇか!!」
「でしょぉーー!ウチの牡丹は、かわいいんだから!」
嫁さんがご機嫌な返事をする光景にカンファーさんも笑顔になった。
「これは申し訳ないことをしました。幼いお嬢さんに大の男が脅えるなど。ボタン殿は、まさしくお二人のご息女ということですな」
「はい。そのとおりなんです。これからもよろしくお願いします」
二人の安堵した様子に僕も嬉しくなって答えた。
だが、ウォールナットさんは牡丹を抱いたまま釘を刺してくれた。
「だがな、兄ちゃん、姉ちゃん、俺たちはいいが、他のヤツらはどうか、わからねぇ。このことは世間には秘密にしておいた方がいいだろうな」
「そのつもりです。実は、屋敷の使用人にも誰一人知らせていません。知っているのは、ごく限られた信頼できる仲間たちだけなんです」
「で、その仲間うちに、そこの犬っころも入るってわけか?」
「さすが。やはり察しがいいですね。彼の名はルプス。僕たちに忠誠を誓ってくれた魔族の一人です。ああ見えて、本当はもっと巨体で、レベル49の最強魔族なんですよ。でも、誰よりも命を尊び、仲間のためには命も懸ける、善良なヤツなんです。彼ほど信頼できる魔族はいません」
僕のこの紹介は、当の本人にも理解できている。
ルプスは嬉しそうに尻尾を振りながら、何度も頷いていた。
「いやはや……兄ちゃんの懐の深さには、言葉もねぇわ!」
もはや諦めたかのように感嘆するウォールナットさんに、僕は他にも魔族の仲間がいることも説明した。そのうち、魔王討伐連合軍で人助けをした話などにも話題が移り、談笑していると、ドアがノックされた。
執事のドッグウッドさんが、侍女に茶菓子を運ばせてきたのだ。
「ありがとうございます。ドッグウッドさん。内密な話が終わるまで、待っていてくれたんですね」
「はい。笑い声が聞こえてきましたので、そろそろ喉もお渇きになるかと思い、持参しました」
ここで彼の姿を見て、大声を張り上げた人物がいる。
ウォールナット本部長だ。
「よぉ!ドッグウッド!元気そうで何よりじゃねぇか!!」
なんと二人は知り合いだった。
「これはこれは。ハンターギルドのウォールナット本部長様。お言葉をいただき恐縮でございますが、只今は主人の前ですので、私語は控えさせていただきます」
慎ましく後ろに下がるドッグウッドさん。あくまで使用人の一人として、礼節をわきまえるつもりのようだ。そこで僕の方からウォールナットさんに尋ねてみた。
「我が家の執事をご存知でしたか。とても優秀な方で、非常に助かってるんですよ」
「知ってるも何も、昔の仲間さ!俺たちが冒険者をやってた頃のな!」
「「は!?」」
これには、僕と嫁さんが同時に声を上げた。
それであれば、もっと早く教えてくれてもいいのに、と。
確かに以前から気にはなっていた。
ドッグウッドさんは、レベルを測定すると36もあったのだ。
3年以上の間、ベナレスの裏通りで家無しの生活を送っていたため、食生活も乏しく、老体であることも重なって、肉体は相当に衰えたはずなのだが、それでもかなりの強さを持っていたのだ。いったい何者なのだろうと感心していた。その正体が今わかったのだ。
「なんだ。だったら僕たちが帰って来る前に、3人でお話ししてても良かったじゃないですか」
思わずドッグウッドさんに苦言を呈してしまった。
すると、彼は堂々と答えた。
「本部長殿と副本部長殿は、旦那様のお客人として参られたのでございます。どうして、いち使用人に過ぎない私が、その身分を飛び越えて、主人より先にお客人と歓談できましょうか」
「本当に……あなたという人は……律儀というかなんというか……」
僕は苦笑するようにドッグウッドさんを見た。
そして、あえてこう命令した。
「では、今日は僕からの命令です。お三方の昔話を仲良くここで話してください。いいですよね?ウォールナットさん、カンファーさん」
「おお。いいぜ!俺たちが3人そろうのも、何年ぶりだか、わからねぇくらいだもんな!!」
僕とウォールナットさんのノリに観念したドッグウッドさんは、空いている椅子に座った。
「かしこまりました。旦那様のご命令とあらば、失礼致します」
彼が座ると、カンファーさんが微笑んだ。
「ふふ、本当に久しぶりだな。ドッグウッド」
「ああ。カンファーも変わらぬようで」
そして、豪快に笑いながらウォールナットさんが解説する。
「今ではこんなふうに丸くなってるけどよ!実は、俺らん中で一番荒っぽかったのはドッグウッドなんだぜ!」
「「へぇーー」」
「おい、やめろ!ウォールナット!旦那様と奥様の前で!」
夫婦そろって驚嘆する僕たちと慌てるドッグウッドさん。いろいろとギャップが面白いので、僕と嫁さんは、根掘り葉掘り質問して、彼らの昔のヤンチャ話を聞き出してしまった。
ウォールナットさんがハンターギルドを立ち上げる前、冒険者たちは各町で独自に依頼を受け、モンスター討伐などを請け負っていた。
しかし、依頼の相場は、まばらであり、危険度の判断も町ごとで千差万別だったという。
ベテランの冒険者なら、それらの判断も経験でわかるが、冒険初心者では、その判別がつかない。結果として、新米冒険者ほど危険の有無もわからずにモンスター討伐に向かい、命を落とすことになったというのだ。
そうした中、持ち前のセンスで数々の危険を乗り越え、超一流の冒険者チームとして名を馳せたのが、ウォールナットさん率いるパーティーだった。
カンファーさん、ドッグウッドさん、そして、もう一人の女性冒険者を伴い、4人チームで多くの強力なモンスターを討伐していったという。
今でもゴールドプレートクラスの難度とされるブラック・サーペントも、1日で5体の討伐に成功するなど、武勇伝は数えきれなかった。冒険者界隈で、彼らの名を知らぬ者はいなかったそうだ。
ところが、僕がある質問を投げかけると、3人の顔が途端に曇った。
「その、もう一人の女性の仲間は、今はどうされているんですか?」
「「………………」」
聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。すぐに話題を切り換えようと思ったが、それより前にカンファーさんが口を開いた。
「彼女は、亡くなりました」
「そうでしたか……すみません」
「いやいや!俺たち3人がそろったんだ!むしろ、あいつの話題が出るのは当然さ!別に今さら口をつぐむことでもねぇよ!」
ウォールナットさんが慌ててフォローする。
そして、さらに詳しく語ってくれた。
彼らのパーティーが飛ぶ鳥を落とす勢いで成果を収め、冒険者の中でもナンバーワンチームと持て囃されるようになった頃、事件が起きたという。
環聖峰中立地帯の奥地に生息するという凶悪なモンスターの退治に向かった彼らは、その道中、モンスターの群れに包囲されたのだ。
今でこそ、それは魔族の仕業だったと解釈できるが、先代の魔王が討伐されてから10年後くらいの当時、魔族と接触したことのある冒険者はほとんどいなかった。
ゆえに、いかに優れた冒険者パーティーであろうとも、その事態を正確に把握し、モンスター包囲網を突破するのは困難を極めたはずなのだ。ウォールナットさんが率いるパーティーも例外ではなかった。
悪戦苦闘を重ねる中で、4人の連携は崩れはじめ、次第にモンスターに後れを取るようになった。やがて一か八かの大勝負を挑む以外、生き残れる術がないことを悟り、一斉に走り抜ける作戦に出たという。
辛くも包囲網を脱出した3人だったが、女性冒険者だけは、途中で姿を消してしまったそうだ。
慌てたドッグウッドさんは、一人で包囲網に再突入した。しかし、女性冒険者を発見することはできず、自らは左腕に深手を負い、二度と剣が握れなくなってしまった。
3人は、満身創痍のまま、意気消沈して町に帰ったというのだ。
「女がチームにいると不吉だって迷信があるだろ?俺らの時代よりもずっと前から言われていることなんだが、それに拍車をかけちまったのは、間違いなく俺たちのパーティーなんだわ」
「その後、戦う気力を失った私たちは、自然消滅するようにパーティー解散になったのです。特に彼女に惚れ込んでいたドッグウッドの落ち込みようは、見るに忍びないものでした」
「そ、それは、もう過ぎた話だが……いや、本当に、あの時は辛かった……」
ウォールナットさん、カンファーさん、ドッグウッドさんが、思い思いに当時を述懐する。すると、空気が重くなったと感じたウォールナットさんが、少し気さくに笑いはじめた。
「あいつは、美人だったからな!正直言やぁ、全員、恋のライバルだと思ってたんじゃねぇか?」
「まぁ、それは否定しないがな」
「とはいえ、あいつはいつも言ってたぞ。冒険者と結婚なんかしたくないと。結婚するなら、絶対、金持ちとだ、ってな。オレはいつもフられてた」
「そうそう。腕は立つが、現金なヤツだったなぁ!」
「だからこそ、危険な冒険でも文句一つ言わず、付いてきたんだろう」
「ああ、あいつはそういう女だった」
今は亡き女性冒険者の思い出話で、笑顔になる3人。一時は居たたまれない気持ちになったが、僕も嫁さんも互いに顔を見合わせ、微笑した。
「そんでもって、俺はあの時の悔しさをバネにして、ハンターが自分の身の丈に合った依頼をこなせるよう、情報収集の要として、ハンターギルドを立ち上げたのさ!」
「カッコつけたことを言ってるが、お前一人では、大雑把すぎて何も進んでいなかったから、見るに見かねた私が、合流して手伝ったんだろうが」
「俺は、自暴自棄になっていたところを、この屋敷の先代の主人に拾われ、仕事と家庭を持つまでに至った。あのお方と、今のご主人には、感謝してもしきれない」
3人の談笑は続いた。
と、ここで再びドアがノックされた。
侍女として働いているカエノフィディアが、お茶のおかわりを持って来てくれたのだ。
「ご歓談中、失礼致します」
そう言って入室した彼女の顔を見て、ウォールナットさんとカンファーさんが固まった。目を丸くし、彼女の一挙手一投足を凝視している。
正直言って、先程、牡丹を見た時よりも驚いている印象だ。いったい何事だろうか。彼女が魔族の力を持っていることに驚愕しているのだろうか。
「失礼致しました」
カエノフィディアが部屋から出ていくと、まるで呼吸すら忘れていたように、二人のご老人は息を吐き出した。そして、震えるような声でウォールナットさんが小さく叫んだ。
「こ、こ、こ、こんなことがあるのか!!」
続いて、カンファーさんも頷く。
「今まで彼女の話をしていたところに!」
さらに満を持したようにドッグウッドさんが尋ねた。
「やはり、二人とも、そう思うか!」
「めちゃくちゃそっくりじゃねぇか!『アネモネ』とよ!!」
ウォールナットさんが一際大きな声で叫んだ。
この瞬間、僕は彼らの反応から、ある一つの推論を導き出した。
なんと世間は狭いことであろう。
今、『アネモネ』という名を出された、彼らのかつての仲間。魔族の罠にかかり、命を落としたと思われていた女性冒険者とは、カエノフィディアのことではないのか。
彼らが冒険者として活躍したのは約40年前。彼女が肉体を奪われたのも40年近く前。時期も見事に符合する。
思わぬところから、彼女の過去を探る糸口が見つかり、僕は内心で歓喜した。嫁さんは、何となく察したような、よくわかっていないような、不思議そうな顔で3人を見つめている。
「いやぁ!こんな偶然もあるんだな!もしかして、アネモネの生まれ変わりなのかな、あの姉ちゃん!一度、話してみてぇわ!!」
「いやいや、普通に考えて、親戚か何かだろ。そっとしておくのが無難だぞ」
「俺もそう思う。本人には何の関係もないのだ。老人の愚痴に付き合わせるのは趣味が悪いぞ」
彼らは彼らなりに納得し、この話は終了となった。
帰り際、ウォールナットさんは、最後の用件を思い出したように僕に告げた。
「ああ、そうだったそうだった!兄ちゃん、姉ちゃん!王国騎士団が、ハンターを招待して、大掛かりな祝勝会をやるらしいぜ!代表としてお前さん達にも王都に来てほしいとアッシュから言付けを頼まれていたんだ!」
僕は苦笑しながら返答した。
「そういうことは先に言ってくださいよ。ま、もう知ってましたけどね」
「だよな!どういうわけか、アッシュのヤツ、兄ちゃんと姉ちゃんの現状を誰よりも知っててよ!まだベナレスに帰って来たわけでもねぇのに、なんであんなに詳しかったんだろうなぁ?」
それもそのはずで、魔王討伐隊の実行部隊隊長を務めたアッシュさんには、ダチュラの携帯端末宝珠が渡されていた。それをそのまま持参してもらい、互いに連絡が取りあえるようにしていたのだ。もちろんダチュラには、新しい宝珠を作ってあげた。
よって、僕はベイローレルとアッシュさんから、連合軍が帰国したことや、その後の戦後処理のことも逐一報告を受けていたのだ。
ハンターとして、王都に招聘される話も既に受けている。近々、出発しようと考えていたのである。
本部長と副本部長を玄関まで見送った後、僕はドッグウッドさんにそっと尋ねた。
「もしかして、僕たちのこと、何か気づいてますか?」
彼もかつては達人級の冒険者だったことを知り、おそらくはウォールナットさん達のように相手の力量を測る技術を持っているのではないかと疑ったのだ。この問いに対し、彼は悠然と返事をした。
「私は、一人の使用人に過ぎません。旦那様と奥様、そして、ボタン様がどのような方であれ、私の当家に対する忠誠心は、何一つ揺らぐことはありません」
その確信ある語りように僕と嫁さんは感嘆した。
この人には、僕たちのことをあえて説明するのも無粋な気がした。
「ありがとうございます。これからも僕たち一家のことをよろしくお願いします」
僕は、それだけを簡潔に言った。
さて、その後、夕食後の落ち着いた時分に、僕はカエノフィディアを呼び出し、嫁さんと一緒に先程の話をした。
彼女は、困惑した様子でそれを聞き終わった後、悲しそうに答えた。
「申し訳ありません。そのようなお話を聞いても、また、あの方々のお顔を思い浮かべてみても、何も記憶によみがえるモノがありません……」
せっかく手がかりを見つけたと思ったが、かえって彼女は意気消沈してしまった。
嫁さんがすぐに優しく励ました。
「ううん。いいのよ。ゆっくり記憶を取り戻せばいいんだから」
「はい……あ、あの、アタクシ……」
「なに?」
一瞬、ためらう様子を見せるカエノフィディアだったが、彼女は意を決したように自分の想いを語った。
「アタクシは何の記憶もない状態で目を覚ました時、真っ暗な部屋におりました。すると、すぐに明かりがつき、奥様と旦那様がお姿を現されました。その時の不思議な安心感を忘れることができません。今のアタクシは、自分が何者であったのかよりも、これから自分がどう生きていくのか、の方が大事なのです。過去の記憶は全くありませんが、旦那様と奥様と、そしてボタン様とご一緒に、今と未来を生きることには希望を感じております。どうか、これからも精一杯、頑張りますので、よろしくお願い致します」
これを聞いて、僕も嫁さんも微笑し、納得した。
彼女の記憶を無理に取り戻す必要はない。
仲間として大切にしてあげればよいのだと。
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