第166話 蓮華の里

魔族たちの悩み事は、ほぼ全てが”衣食住”に関することだった。家については、僕が建築してあげたことで解決したが、衣類や食糧に関してはそうもいかない。


また、彼らの話を聞いてよくわかったことは、魔族の文化水準があまりにも低すぎることであった。


人間との交流が全く無く、避けるように生きてきた彼らは、長生きしているにも関わらず、その文化を向上させる機会を持たなかったのだ。


今も、彼らが集団生活をしているのは、たまたま魔王軍で一緒になったことをきっかけにしているだけで、一時的に飢えを凌ぐための処置だと言う。特に友情とか一緒にいたいとか、そういう感情は一切無いのだそうだ。


「なんだか、魔族の生活って寂しいね……」


嫁さんが嘆息するように言った。


本当にそのとおりだと思う。いくら寿命が延びたとしても、こんな殺風景な人生では、全く面白味が無いではないか。


生殖活動も無ければ、恋愛感情も無い。基本的に他者との繋がりを必要とせず、孤独に生きようとする。


これが魔族の性質なのだとしたら、あまりにもわびしい。だから、人間より長命であるにも関わらず、文化も文明も発展せずに来たのではないだろうか。


僕自身、嫁さんと出会わなければ、独身のまま、ただ職場と家を往復するだけの孤独な人生を歩んでいた可能性が高い。


うん。考えれば考えるほど、僕という人間は、その可能性が非常に高い。


しかし、社会があった上で孤独に生きることと、社会すら存在せず、誰の助けも借りずに本当の意味で孤独を生きることでは、完全に別次元の話だ。


「ゲームやアニメによく出てくる魔界みたいなとこがあって、そこで魔族が繁栄しているわけじゃないんだねぇーー」


「そうだね……」


嫁さんが俗っぽい感想を漏らすので僕は相槌を打った。

確かに、言われてみれば、魔界のような場所はこの世界には存在しない。


いや、そもそもの話、もしも魔族が自分たちで独自の文明を築いていた場合、普通に考えたら、人間は絶対に太刀打ちできないのではないだろうか。


なのに、たった一人の勇者がそのパワーバランスをひっくり返してしまうという展開は、現実的にはありえない事態だと言えるだろう。


やはりああいうものは、ゲームだからこその設定なのだ。


また、常に人間が襲われる側で、魔族が侵略する側だという構図も疑問に思う。人間の世界だって、古代からずっと戦争続きなのだ。もしも魔界があり、人間が魔族に勝利した歴史が存在すれば、なかには魔界にまで侵略しに行こうとする人間の国があっても全く不思議ではない。


現に、この世界では、魔王が何度も勇者に敗北することによって、魔族は常に環聖峰中立地帯の山奥に追いやられてきた。どちらかと言えば、魔族の方が人間から迫害を受けてきた歴史に見えるのだ。


まったくなんということだろうか。


魔王である牡丹を娘にしてしまったために、僕の心の中には、魔族を含めたビッグスケールのヒューマニズムが芽生えつつあるようだ。


かつて王国から追われたことのある身の上としても、魔族にはつい同情してしまう。我ながら、とてつもなく面倒なことに首を突っ込んでしまった。


このように魔族のことを考察しているうちに、ふと新たな疑問が思い浮かんだ。


「そういえば、魔王軍の城は、ずいぶん立派な造りだったな。どうして、あれだけ文明のレベルが違ったんだろうか……」


これには、やはり僕の知恵袋であるストリクスが答えた。


「あの城は、かつて大魔王様がご出現された時代に建造された物だと聞いております」


「大魔王?魔王が複数出現した時代に、魔王を束ねた魔王だったな?」


「はい。その昔、大魔王様は多くの人間を捕え、奴隷として働かせ、あのように立派な城をいくつもお造りになられました。各地に建造した魔王城に、配下の魔王様を住まわせたそうでございます」


「なるほど……建築技術に優れた人物が魔王として召喚されたのかもしれないな……どことなく様式がゲームっぽい印象だったのも頷ける。日本人がイメージする西洋の城って言ったら、あんな感じだもんな」


僕が一人で納得していると、嫁さんが横から不満そうに口を挟んだ。


「えぇっ、でも今の話はひどいよ。人間を奴隷にするとか……そんなほんとに魔王みたいなことをしちゃう日本人がいたってことだよ。私、ちょっとショックだな」


これには、僕が別の見解を示した。


「んんーー、とは言っても、地下遺跡の城も、戦争で使われた魔王城も、地下に埋もれていたわりに、とても保存状態が良かった。奴隷を使って、いい加減に建造された城とは思えないんだよなぁーー」


「え?どういうこと?」


「つまりね、百合ちゃんはピラミッドはわかるよね?」


「は?バカにしてるの?ピラミッドくらい知ってるよ。当たり前じゃん」


「現存するピラミッドの中で、最も規模が大きく有名なのが、クフ王のピラミッド」


「う……うん。そ、そうだったね(汗)」


「実は、クフ王のピラミッドは当初、奴隷を強制労働させて、無理やり建造させた物だと歴史学者は考えていたらしいんだ」


「うん……え、違うの?私もそうだと思ってたんだけど?」


「ところが、最新の調べでは、クフ王のピラミッドは強制労働ではなく、国民が精力的に働いて建造された物である、という説が最も有力なんだ。国の公共事業として、しっかり報酬が出されていたらしい。国民は、畑仕事のできない季節を利用して、むしろ喜んで建築に携わったんだ」


「へぇーーーー」


「考えてみれば、奴隷として強制的にやらされた仕事に身が入ることはないよね?僕もサラリーマンだからよくわかる。そんな人々が建築した物が、何千年という風化に耐えられるとは思えない。偉大な仕事には、そこに携わる人たちの生き生きとした仕事ぶりが必要不可欠だと思うんだ」


「なんかちょっとカッコいいよ……そんなセリフ、一度でいいから言ってみたい」


「てことで、大魔王がどんなヤツだったのかはわからないけど、あれだけの城を建造させたからには、集めた人間たちから慕われていた可能性も否定できない、と僕は言いたいんだ」


「なるほどねぇーー」


このやり取りを聞いていたストリクスは、戸惑いながらも感嘆の声を漏らした。


「お……お話の半分ほどしか理解できませんでしたが、大魔王様が人間から慕われていた……という見解は、魔族の誰一人、考えも及ばぬことでございます。魔族は、人間を支配することが第一の野望であると皆、考えておりますので」


「ただの憶測だ。まだそこまで信憑性のある話じゃない。それよりも現時点で確かなことがある。魔族の文化レベルと生活水準は、魔王によって高められない限り、自ら発展することはなかったということだ。違うか?」


「ホウホウ、そのとおりでございます。ワタクシめが長年、人間の文化に興味を抱いていたのも、そのためです」


「やはりそうか……」


僕は、新しい家を手に入れたことにより、ハツラツと引っ越し作業をしている魔族たちを見ながら考えた。


彼らにもピラミッド建設のように、やりがいのある目標を与えれば、自ら文化を発展させる力を呼び覚ますことができるのではないかと。そして、結論付けた。


「……よし。決めた!ここを魔族の村にしよう!」


「「えっ」」


嫁さんとストリクスだけでなく、周囲で聞いていたレポリナとカエノフィディア、さらにガッルスも驚きの声を上げた。


「魔王の名のもとに、ここに魔族による平和な村を建設する。人を襲わず、魔族間でも争いを起こさないと誓える者たちが集う、魔族の理想郷にするんだ」


魔族一同が愕然とする中で、嫁さんが歓喜の声を発した。


「いいね!それ!絶対、いいよ!!」


「し、しかしながら、ご尊父、魔族は普段、共同生活などしないものでございます。今は一時的に協力体制を敷いているようですが、長続きするとは思えませぬ」


動揺するストリクスに僕は自分の考えを語った。


「そこが、そもそもの間違いかもしれないだろ?お前たちは、個々の個性が強すぎて単独行動しかしないから、文化も文明も発達してこなかったんだよ。だから、人間から奪うしかないという考え方になってしまうんだ」


「そ、それは……」


「牡丹を娘にしてから、僕はずっと考えていた。人間と魔族が仲良くできる方法は無いものだろうか、と。これはその第一歩だ。魔族が互いに協力し、自分たちで文明を築き、自分たちで生活できるようになれば、人を襲う必要は無くなる。もし、人を襲う魔族が出現したら、自分たちでそれを処罰し、解決してくことも可能になるだろう。そうして初めて、魔族と人間が手を取り合う未来を見据えることができるんじゃないかな」


「なんと遠大なるお考え……」


「ゆくゆくは、この村が魔族の国になるかもしれない。魔族にも平和な国家を構築できる。それが証明されれば、人間の国と対等な立場で対話することも可能になると思うんだ」


「そ、壮大なるご計画であるとは思いますが……果たして我ら魔族にそのようなことが可能でしょうか……」


「もちろん僕にもわからないよ。でも、その可能性を否定したくはない」


僕は、最後の一文を特に強調して説明を終えた。ストリクスは、初めこそ動揺したように聞いていたが、最終的には感極まった様子で跪いた。


「感服致しました!ご尊父!ワタクシ、あなた様の偉大なる深謀遠慮に賛同し、その実現に向け、全身全霊、粉骨砕身していく所存にございます!」


「ありがとう。みんなはどうかな?」


僕は他の魔族の面々に声を掛けた。カエノフィディアとガッルスは唖然としており、目を丸くして押し黙っている。レポリナが動揺しながらも簡潔に答えた。


「魔王様のご命令とあれば、喜んで致します」


「うん……そういうことじゃなくて……レポリナ自身は、どう思うかな?」


「ワ、ワタシですか?ワタシは……ワタシは…………」


彼女はウサギの耳をピョコピョコ動かしながら、しばらく考え込んだ。


おそらく魔族同士の会話では、上から下への命令ばかりで、自分の意志を尋ねられたことなど、ほとんど皆無だったに違いない。戸惑いつつも、必死に考えをめぐらした彼女は、やがて真面目な顔つきで、素直な意見を述べた。


「ワタシは、もうこれ以上、人間の目に脅えながら生きていきたくはありません」


それを聞いて、僕は微笑した。


「だったら、魔族のみんなで力を合わせて、人間に負けない村を作ろうじゃないか。そう思わないか?」


「はい!そうですね!」


「じゃあ、この考えを、まずは君からみんなに伝えて、相談してくれないか?ここの6人が自ら同意してくれるなら、僕が全ての面倒を見てあげよう」


「かしこまりました!」


レポリナは軽やかに走っていき、引っ越し作業中だった魔族たちを呼び止め、話し合いを始めた。その様子を見守る僕に、ストリクスが不思議そうに尋ねてくる。


「なぜ、わざわざあのようにさせるのでしょうか?一言ご命令されれば済むものを……」


「お前には、まだわからんか……ただやらせるのと、本人たちが自ら望んでやるのとでは、全くの別物なんだぞ」


僕が呆れながら答えた後ろから、嫁さんも口を挟む。


「ストリクスは、下の子たちに怒りすぎ。自分の部下なら、もっと優しくしてあげなきゃダメでしょ」


「なんと……部下に優しく……など、ワタクシ、考えたこともありませんでした」


「そういうとこよ。ストリクス。蓮くんを見習いなさい。基本的に誰にも優しいんだから、この人は」


「はっ、これよりは、鋭意努力、致します」


僕と嫁さんがストリクスを注意しているうちに、集落の魔族6名は話し合いを終えて、そろって僕のもとに来た。


彼らは跪き、そして、レポリナが代表して総意を伝えた。


「魔王様。そして、父君レン様。母君ユリカ様。ここに村を建設する旨、謹んでお受け致します。人間に脅えて暮らす必要のない平和な魔族の村。ワタシたちも心から望むものでございます」


彼女の言葉を聞いて嬉しくなりつつも、僕は念を押して尋ねた。


「そうか。一応、みんなにも尋ねるぞ。ここに村を建設することを、お前たちは望むか?」


「「はい!是非とも!!」」


威勢の良い返事が返ってきた。


「よし。では、今日からここは、みんなの村だ。これまで魔族は、魔王の名のもとに人間を攻め滅ぼすためにしか団結してこなかった。しかし、ここでは、お前たち自身の生活のために団結していくんだ。必要な物資や困り事は、全て僕に相談すればいい」


「「はい!!」」


「それと、今後のために八部衆の中から、この村の担当者を決めた方がいいな。カエノフィディア、君が適任だと思うんだ。引き受けてくれないか?」


「え、ア、アタクシですか!?」


急に話を振られて、カエノフィディアは素っ頓狂な声を上げた。普段は、慎ましい言動をしているだけに、そのギャップが妙にかわいい。


「魔族の力を持ちながら、姿形は人間のままの君だ。彼らのために必要な物資を街で購入し、ここまで持ってくるのに君ほどの適任者はいないと思うんだ。どうだろうか?ガッルスと協力し、この村の発展と向上に貢献してもらえないだろうか?」


僕が詳細な説明をすると、カエノフィディアは表情を明るくして叫ぶように答えた。


「かしこまりました!旦那様のお言いつけとあらば、アタクシ、喜んでお引き受け致します!」


「よかった。ガッルスも一苦労かけるけど、お願いできるかな」


「はい!お任せください!魔族のためにここまでしてくださるレンさんとユリカさんのこと、ワタシも心から尊敬します!」


ガッルスの了承も得られたことで、全ての布陣は整った。

僕たち白金家が支援する魔族の村が、ここに出来上がったのだ。


「ねぇねぇ、ママ、なにが、できたの?」


難しい話が続いたため、蚊帳の外に置かれていた牡丹が嫁さんに尋ねた。

嫁さんは優しく教えてあげた。


「牡丹の仲間たちが、ここで楽しく暮らせるように村を作ったんだよ」


「む・ら?」


「って言っても、わかんないよねぇーー」


それを聞いて、僕も苦笑しながら、わかりやすい表現を心掛けてみた。


「つまり、これからは、いつでもここに来て、みんなと遊べるってことだよ」


「わぁぁぁ……」


これで少しは、良さが伝わっただろうか。

すると、牡丹は、魔族たちのもとに走り、彼らの手を取って一緒に走り出した。


「「え、えっ!えっ?魔王様!?」」


「みんな!あそぶ!」


これまで絶対的君主だった魔王から手を繋がれ、遊ぼうと言われたのだから、魔族たちは当然のことながら面食らった。


しかし、これこそ、牡丹がずっと望んでいたことなのだ。魔族の仲間たちに囲まれながら、腫物を触るように大事に扱われ、そのせいで孤独に生きてきた魔王時代。彼女にとって、友達と呼べるのはガッルスのみだった。だが、これから、この村の魔族は、全員が牡丹の遊び相手になるのだ。


牡丹が魔族4人を連れて行ったため、ちょうど取り残される形になったレポリナとカエル魔族に、嫁さんは言った。


「この村でご飯担当は、あなた達?」


「はい。そうです」


「じゃ、おいしいご飯の作り方を私が教えてあげる。簡単なものからね」


「あ、ありがとうございます!」


親切な嫁さんは、彼らに料理の基礎を教えることにし、家の台所に入っていった。去り際、僕にこれだけを言い残して。


「そうだ。蓮くん、村の名前、考えておいた方がいいんじゃない?」


言われて気づいたが、確かに何かしらの名前はあった方がいいだろう。だが、こうした時はいつも悩むものだ。


ひと仕事、終えたような疲れも感じたことから、僕は休息と思索にふけるため、一人で野原を散歩することにした。


ここは、森の奥に広がる、のどかで小さな平原だが、その周辺には沼地が数多く点在している。近づいてみると、森に入った直後から、ところどころで大きな沼が道を塞ぐようになっていた。しかも底なし沼である。


宝珠システムのレーダーで周辺情報を解析してみると、沼地を避けてこの場所に来るには、相当に複雑な経路を辿らなければならない。よほど運が良くない限り、普通の人間がこの地に足を踏み入れるのは不可能と言えた。


ここは、沼によって守られた自然の要害なのだ。


また、さらにもう一つ、魔族にとっての利点がこの地にある。それは、僕が不用意に沼に近づいたことで、眼前に見える形で現れた。


ドバッシャァァッ!!!


突如、沼から何かが飛び出したのだ。


「えっ!!!」


なんと、出てきたのは、僕の頭より大きいサイズのピラニアだった。

図鑑でも見たことがある。

レベル17のモンスター、『スワンプ・ピラーニャ』だ。


このモンスターは、沼の中でも平気で呼吸し、生きることができる。そして、獲物が近づくと、ニオイに釣られて水上まで飛び上がってくるのである。


鋭い牙と顎の力で、獲物の肉を食いちぎり、器用に地面を飛び跳ねて、また沼に戻る。


知識のない人間が不用意に沼に近づいた場合、ベテランハンターでも腕を一本持って行かれてしまう場合があるという凶悪なモンスターだった。


これが、この地のもう一つの利点。巨大ピラニアが人間を襲うため、沼地には近づくのも危険なのである。もちろんレベル30以上なら何の苦も無い相手だろうが、これらのモンスターに気を使いつつ、迷路のような沼沢地を抜けてくるのは、人間には至難の業だ。


ゆえに、この村は、モンスターを操れる者だけが、自由に出入りすることを許される、魔族の安全地帯なのだ。


そして、そんなピラニアモンスターが、もの凄いスピードで、沼の中から僕に向かってジャンプしてきた。しかも、こいつの恐ろしいところは、集団で襲い掛かってくることにある。出てきたピラニアは1匹だけなく、5匹同時だった。それらが、一斉に僕の肉体に涎を垂らして飛来した。


「旦那様!!」


そんな僕の前にカエノフィディアが立った。

彼女は、なんとなく不安に思って僕の後をつけて来たのだ。


パシパシパシパシパシッ!


いかに凶悪なモンスターと言えど、レベル45のカエノフィディアの敵ではない。目にも止まらぬ早業で、彼女は巨大ピラニア5匹を全て素手で叩き落としてしまった。


実のところ、今やこの程度のことであれば、僕には宝珠システムによる自動迎撃が可能だったのだが、彼女の厚意を無下にしたくないので、感謝の意を述べた。


「ありがとう。助かったよ。カエノフィディア」


「い、いえ。ご無事で何よりです。旦那様。ここは、ピラニアモンスターが群生している危険な場所です。一流の冒険者でも、中立地帯の沼地には、不用意に近づきません。どうかお気をつけください」


「うん…………え?君が、どうしてそんな知識を?」


不思議に思って尋ねると、カエノフィディアも意外そうな顔をした。


「ど、どうしてでしょうか……よくわかりませんが、今、自然と口から出てしまいました」


「以前の君の記憶かもね。人間の時、君はハンターみたいなことをしていたのかも」


「そうかもしれませんね。あるいは、魔族の時の記憶という可能性も捨てきれませんが」


「だけど、その知識があるお陰で、僕を心配して見に来てくれたのは確かだね」


「あ、はい。申し訳ありません。勝手に後をつけてしまいまして」


「いやいや。いいって。それに僕のことを常に心配しつづけている点では、結局、本家には敵わないみたいだよ。ね、百合ちゃん?」


僕がそう言うと、カエノフィディアの後ろから嫁さんが現れた。


「まったく!ほんとだよ!蓮くんの気配とモンスターの気配が近づいたから、慌てて、すっ飛んで来たんだよ!」


「えっ!奥様!」


そう。僕の危険を察知する上で、嫁さんに敵う者は存在しないのだ。彼女は僕がモンスターに襲われる直前から動いて、すぐそばに来ていたのだ。


「でも、お陰でカエノちゃんが頼りになるってことがわかったよ。イザとなったら、やっぱりちゃんと強いんだね」


「はい。ですが、魔族の皆様のようにモンスターを操ることはできないようです。モンスターから見ると、アタクシは人間として映るようで……」


「本当は人間なんだもん。仕方ないよ」


カエノフィディアを励ました嫁さんは、次に僕より前に出て、沼地を見渡した。

そして、嬉しそうに僕に報告するのだ。


「ところで、蓮くん、アレ見てよ。綺麗だと思わない?」


「え?」


何事かと思い、嫁さんの指差す方角を見ると、そこには予想外なものがあった。ハンターにとって死を象徴するかのように危険で、汚泥に満たされた暗黒の沼地に、美しい花がキラキラと輝いていたのだ。


「マジか……」


それは睡蓮だった。

池や沼地で花を咲かせるという水生多年草である。


しかも、よく見ると、美しいハスの花が沼地のあちらこちらに咲いていた。ちなみにそれらは、水面に花を浮かべているものと、水上に茎を出し、そこから花を咲かせているものとの二種類がある。


嫁さんは感慨深そうに呟いた。


「睡蓮とハスの花だよ。こんなにいっぱい……」


「ん?その二つって違うの?」


「一応、違うよ。蓮くん知らないの?」


「ごめん。そこまで詳しくなかった」


「へっへぇーーん。じゃあ、私が教えてあげる。水面に花を咲かせるのが『睡蓮』で、水面より上に花を咲かせるのが『ハス』なんだよ」


「ほう!それは知らなかった!」


「まぁ、細かいこと気にするより、花を綺麗だと思う方が大事だと思うけど」


「百合ちゃんが言うと説得力あるな」


「でも、すごいよね。ほんとに沼みたいなところで、あんなに綺麗に咲くんだぁ」


「なんだか、魔族たちに幸せな生活を送らせようとしている僕たちと、カブる気がしなくもないね……」


「ハスの花ってことは、蓮くんだね」


「え?ああ、そうだね」


「ここは蓮くんの村だから、そういう名前でいいんじゃない?”睡蓮の村”とか」


「それを言ったら、”睡蓮”の英語は、”ウォーターリリィ”。”リリィ”は”百合”でしょ。知ってた?」


「えっ!何それ!!私ってこと!?」


「そう」


「やだ。ちょっと。私たちって、そんな運命的な名前だったの?」


なんだか、すごく照れた感じで頬を紅潮させる嫁さん。


僕も美しい光景を目の当たりにし、このような会話を続けていると、妙なテンションになってきた。つい嬉しくなって、恥じらいも交えつつ、次のような提案をしてしまった。


「じゃ、どうせなら百合華の”華”の字も使おうか。睡蓮とハス。ともに総称して、蓮華の花。泥沼の中でも美しく咲き誇る『蓮華』に、魔族たちにも幸せな生活を送らせるという意義を込めて、この村を『蓮華の里』と呼ぶ。どうかな?」


我ながら、うまいことを言い過ぎな気もする。

しかし、この言葉に嫁さんは舞い上がるように僕に飛びついてきた。


「それいいよ!絶対にいいよ!!私たち夫婦が応援する村!『蓮華の里』!!魔族っぽくないとこが、またいい!!」


抱きつきながら喜んでくれるとは、これは嫁さんの最大級の表現だ。


僕たちの、このやり取りをカエノフィディアは感激しながら見ていた。そして、すぐに魔族たちのもとに戻り、その名前を提案した。


この世界で、おそらく初であろう、魔族の、魔族による、魔族のための平和な集落。

人間に脅かされることのない安全地帯。

彼らの文化を花開かせる村。


――『蓮華れんげさと』と。

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