第161話 白金家の八部衆

時計台の屋上にて、魔族を迎える晩餐会の準備は整った。


日が完全に暮れ、夜の帳が下りきった頃、上空から羽ばたく音が聞こえた。ガッルスとストリクスが夜陰に乗じて、降りてきたのだ。さらにフェーリスとルプスも軽い身のこなしで時計台を外側から登り、直接、屋上にやって来た。


「よし、みんな、そろったわね!」


全員が集ったところで嫁さんが満足そうに微笑んだ。

僕は、その横で苦笑いをする。


「よくよく考えると、魔族がこんな簡単に街中に侵入できるってのは、治安的には大問題だな……」


そう呟いているところに、フェーリスがこの日も僕に抱きついてきた。いつもと同じ飛びつき方をしてくるので、また僕の顔に彼女の胸が押し付けられた。


「レーーン!今日も会えて嬉しいミャウ♪人間の防壁は、ウチら魔族には、ほとんど意味が無いミャウ!まぬけミャウ!」


すると、やはりローズとシャクヤが憤激した。

しかも昨日よりも幾分、激しい形相だ。


「てめぇ!猫!!いい加減、ぶっとばすぞ!!」


「猫さん!!今日という今日は、わたくしも許しませんわよ!!」


「なんで、いつも突っ掛かってくるミャウ。羨ましかったら、キミたちも同じことをレンにすればいいミャウ」


「なっ!なんだと!そんなこと!で、できるわけないだろうが!!」


「ユリカお姉様に殺されてしまいますわ!それに何ですか、猫さん!昨日と語尾が違うではありませんか!」


「今日は”ミャウ”の気分なんだミャウ。王女と同じ顔して、”姫賢者”はうるさいミャウねぇーー」


「なんですって!!」


3人が言い争っている間、僕はフェーリスが離れてくれないので、息苦しかった。


ところで、今日の牡丹は、とても上機嫌である。魔族の仲間たちが勢ぞろいするということで、朝から張り切っていた。そして、ガッルスだけでなく、ルプスやストリクスが到着した時も、それぞれに抱きついて挨拶している。未だに牡丹は、人間を相手にするよりも魔族を相手にした方が、人当たりが良いのだ。


ルプスは狼言葉で恐縮していたが、ストリクスの驚きようは半端なかった。


「ま、魔王様が、ワタクシの懐で休まれていらっしゃる……なんと、畏れ多いことでしょう……」


魔王として、魔族から畏れ敬われてきた牡丹は、これまで誰からも抱いてもらえなかった。しかし、以前よりも人懐っこくなった牡丹は、魔族にも平気で自ら抱きついて行った。そのことにストリクスは、愕然としているのだ。


「ストリ!はね、フカフカ!」


彼の羽毛は心地良いらしく、牡丹はたいそうご満悦だった。そこにやっと僕から離れたフェーリスが向かった。


「ストリクスばっかりズルいミャウ!」


フェーリスはストリクスから奪うようにして牡丹を抱っこした。牡丹もご機嫌である。出だしから騒がしいスタートとなったが、そこに嫁さんが号令をかけた。


「はいはい!まずは、みんな席に着いて!料理が冷めないうちに、おいしくいただきましょ!」


月がまだ昇らない星空の下、用意された席に着いた。

食卓は、大きな円卓である。


「丸いテーブルとは……実に珍しいものがおありですな……」


ストリクスが感嘆しているので、僕が答えた。


「人間の文化では、そんなに珍しいものじゃない。これは百合ちゃんが今日のためにチョイスしたんだ。上座も下座も無い。誰もが対等な立場で食事ができるようにな」


「そ、それではワタクシどもが魔王様と同列になってしまいます!そのような畏れ多いことは……」


「いいから座れ」


「は、はい……」


彼の言葉を半ば遮って、僕は無理やり座らせた。


「じゃあ、みんな!今日は来てくれてありがとね!無礼講で楽しみましょ!かんぱーーいっ!!」


嫁さんの音頭で乾杯をした。

どこどなく重い空気の乾杯である。


あまりライトアップすると外部から怪しまれてしまうので、魔法による照明は、ランプ程度の小さなものに調節した。


食卓には嫁さんの自慢の料理が並んでおり、それぞれの皿に盛り付けられている。この世界では、大皿の料理を自分の小皿に取るのが主流だが、今夜は嫁さんなりにそれぞれの好みを予測し、個別の皿を用意していた。


各々、自分の皿に手をつける。


嫁さんの料理は、現代社会の普通の家庭料理であり、決して高級料理店で出されるような特別な調理はしていない。しかし、まだ食文化の成熟していないこの世界では、超一流シェフも顔負けの最高級料理として評価された。


そんな料理を口にすれば、きっと魔族たちは、あまりのおいしさに仰天することだろう。どんな顔をするのか見ものだ。


そう期待していた矢先、想像していなかった言葉が飛び出した。


「あっっつ!!熱いミャウ!」


フェーリスである。

僕は思わず笑いながらツッコんだ。


「フェーリス、お前、猫舌なのか。まんまだな」


「熱いのは苦手ミャウ!」


嫁さんは申し訳なさそうに言った。


「えっ、ごめん、フェーリスちゃん。そう思って少し冷ましておいたんだけど、それでも熱かったのね」


これに大声を張り上げて笑い出したのはローズだ。


「ぷっ!あっはははははは!今のはヤバかった!危うく料理を噴き出すところだった!」


「文句あるのかミャウ!”女剣侠”!」


「……いや、ようやく好きになれそうだと思ったとこだよ、フェーリス。あたしの名はローズだ。ちゃんと覚えてくれ」


「ウチはローズのこと、好きじゃないミャウ!」


フェーリスが可哀想なので、僕は宝珠システムで彼女の皿の温度を下げてあげた。ほとんど水と変わらない温度である。普通であれば料理が台無しになる温度だ。


「フェーリス、今、冷たくしてあげたから、食ってみてくれ」


「ほんとかミャウ?」


疑いながら、冷え切った唐揚げを口に運ぶフェーリス。そして、それを咀嚼した途端、急に彼女は椅子から飛び跳ねた。


「うまいミャウ!うますぎるミャウ!!」


それを笑いながらローズが自慢げに語った。


「そりゃそうさ。ユリカの調理法は世界で唯一のものだし、食材も中立地帯で採取される最高の物が使われているんだ。うまくないわけがない」


「……マナが濃い中立地帯の食べ物がおいしいのは、魔族の間では常識ミャウ。でも料理ってものが、食べ物をこんなにおいしくするとは思わなかったミャウ」


「へぇーー、中立地帯の食材がうまいことは、あたしたちはつい最近知ったんだ。凶悪なモンスターが群生する危険地域で、呑気に食材を採ろうと考えるヤツが一人もいなかったんだ」


「それは人間も、もったいないことしてたミャウねーー」


おいしい料理を食べれば、自然と人は饒舌になる。それは世界が変わっても、種族が異なっても同じだった。二人は急に打ち解けた会話をするようになった。


料理に興奮しているフェーリスは、さらに他の魔族を見た。皆、黙々と食べているので、感激しているのが自分だけなのかと疑い、声を掛けた。


「みんなはどうしたミャウ?うまくないのかミャウ?」


しかし、それは思い違いだった。

全員、おいしすぎて食べるのに夢中だったのだ。


特に我慢の限界を迎えたルプスは、彼の手には小さすぎるナイフとフォークを手放し、皿を持ち上げて、口の中に料理を流し込んだ。美味なる料理を口いっぱいに頬張り、いっきに平らげた直後、興奮冷めやらぬ彼はいきなり遠吠えをした。


「アウオオオオォォォォンン!!!(めっちゃ、うめぇぇぇぇぇっ!!!)」


さすがにここまでの反応をされるとは想像していなかった僕と嫁さんは、慌ててそれを制した。


「「ルプス!ルプス!!静かにしないとダメだよ!」」


ハッとしたルプスは、3メートルの巨体を小さくして恐縮した。


「ゥォォォウオン(申し訳ありません)」


その様子を見た嫁さんは、嬉しそうに言った。


「おいしかった?足りなかったら、おかわりあるわよ?」


「ガウ!バウアウ!(はい!いただきます!)」


「遠慮しないでジャンジャン食べてね」


「アウアウオ!!(ありがとうございます!!)」


ルプスは見た目に反することなく大食漢であり、肉料理を次々と皿から流し込むように食べていった。


ガッルスは、魚中心の料理を感慨深く口に運んでいる。その両手は鳥の羽だが、意外にも器用にナイフとフォークを使って食事をしていた。


「実は……魔王様が、ずっとお城の料理をマズいマズいと嘆かれていたんです。今日、その意味がようやくわかりました」


ストリクスには、猛禽類のフクロウなので、肉料理中心の皿が用意されていた。それを神妙な面持ちでゆっくり食している。


「これが……このような料理が人間の文化なのですね。ご母堂の偉大なお力もあるのでしょうが……他の女性の皆様も、このように調理ができるのですか?」


彼のこの疑問には、ちょうど真向かいに座っていたダチュラが、若干、苦笑して答えた。


「まぁ、ユリカの料理がおいしすぎるってのもあるから、これを基準にされると、ちょっとハードル高くなっちゃうかな」


「しかし、可能なのでございますね?」


「うん。一応ね。こっちの3人の中では、私が一番料理がうまいかな」


「……これまで人間が作った料理など見かけても、彼らを見下していたため、口にしようとは思いもしませんでした。なんたる不覚でしょう……」


ストリクスはカルチャーショックで茫然としていた。

一方、シャクヤはカエノフィディアだった女性を気にかけ、優しく尋ねている。


「カエノフィディア様は、いかがでございますか?」


「アタクシ、記憶は無いにも関わらず、このようにおいしい料理は食べたことがないと断言できます!本当に!本当においしいです!」


目をウルウルさせ、上品に口を手で隠しながら、カエノフィディアは答えた。そんな彼女を僕は見ていたところ、ふとお互いに目が合った。その瞬間、彼女の瞳の中にある魔法陣が輝いた。


僕はゾクッとして立ち上がった。


「君、やっぱり『魔眼』があるんだな!」


大きな声を出してしまったので、全員が驚いて僕に注目した。


「え……『魔眼』?……アタクシの眼のことですか?」


言われたカエノフィディアは、オドオドしている。

脅えさせてしまったことを悔いた僕は、声を優しくして言い直した。


「そうなんだよ。君の眼には、魔法能力が備わっている。使い方を誤れば、目が合っただけで人を殺してしまうかもしれない」


「そ、そんな!」


「誰か、『魔眼』に詳しい者はいないか?」


この問いかけにはストリクスが即答した。


「『魔眼』は、魔族の中でも才能ある者が持つ特別な能力でございます。カエノフィディア殿が、自分で制御する術を身につける以外に手はないかと」


「そうなのか……」


「とは申しましても、『魔眼』が効果を発揮するのは、相手が術者本人よりも格下の場合に限ります。少なくともレベル5以上の差がある相手でなければ、敵を殺すほどの威力は出せません。ワタクシどものように同等の実力があれば、体力を消耗していない限りは、安全と申し上げることができましょう」


「『魔眼』が通用するのは、自分より弱い相手、あるいは、弱った相手、ということか」


「さようでございます」


「だとしたら、蓮くんは危ないね」


「うるさいよ」


僕とストリクスの会話に嫁さんが笑いながら口を挟んだ。これに僕は悪態をついて返す。そして、嫁さんはカエノフィディアに優しく微笑んで告げた。


「ねぇ、カエノちゃん、明日から私たちと少しずつ練習しようか。きっとその眼は、私と牡丹には効かないから」


「は、はい……よろしくお願いします」


「あ、そういえば、あなたの名前はどうしよう?カエノフィディアは、本当の名前じゃないのよね。人間の時の名前がわかればいいんだけど……」


「皆様、アタクシのことをカエノフィディアと呼ばれておりますので、それでよろしいかと思います。アタクシも馴染んでしまいました」


「うん。わかった。じゃあ、これからもカエノちゃんね。よろしく」


「はい……それにしましても、アタクシは、果たして人間なのでしょうか……それとも、やはり魔族なのでしょうか……アタクシは、これからいったいどうすれば……」


不安に苛まれたのか、その疑問を口走った途端、しおれるように、うな垂れてしまうカエノフィディア。自分が何者なのかもわからず、元は人間でありながら、肉体は魔族になっている女性。今、この場に集った中で、最も不憫な境遇にいるのが彼女だった。


しんみりした空気に包まれた中、ローズが微笑を浮かべて口を開いた。


「人間か魔族か、わからない……か。彼女を見ていると、二つの種族の境界が曖昧になってくるよ。カエノフィディアこそ、今のあたしたちの象徴なのかもしれないな」


「急にどうしたんミャウ?ローズ?」


フェーリスが訝しんだ目でローズを見る。

彼女と目を合わせ、ローズは少し照れながら言った。


「昨日は否定しちまったが……いいんじゃないか?……『八部衆』」


「え?」


「こうして一緒に、うまいメシを食った仲だ。ここにいるヤツらとなら、話ができることがわかった。それにカエノフィディアのためにも、今は人間か魔族かで言い争っている時じゃない気がしてきた。あたしたち8人で、レンたち一家を助ける『八部衆』。悪くないかもな」


意外なことにローズがあっさり意見を翻した。皆、それに同意するかのように黙って聞いている。こうなると、この場の誰一人、フェーリスの案に反論する者がいない。


むしろ僕の方が、かえって恐縮してしまい、苦笑しながら言った。


「いやいや、ちょっと待ってよ。フェーリスは面白いから『八部衆』と言っただけだろ。みんなが味方になってくれることは嬉しいけど、僕たち一家のために何かを結成してもらう必要はないよ」


これに真面目な顔つきで進言してくるのはストリクスだ。


「ご尊父、『八部衆』は元来、魔王様に従う代表幹部の集いでございます。以前のものは、悪しき裏切り者に利用されてしまいましたが、ここに魔王様がご健在である以上、『八部衆』を再結成するのは、ワタクシども魔族の当然の責務であり、悲願でございます。どうかお許しをいただきたく存じます」


「……ルプスもガッルスも、それにカエノフィディアも賛成なのか?」


僕は他の三人にも確認した。彼らは黙って頷いた。

さらに別の二人にも確認を取る。


「シャクヤとダチュラはどう思う?」


「わたくしは、初めからお二人とボタン様に仕える身でございます。他にお仲間が何人増えようと、一向に構いませんわ」


「ローズさんが、いいって言うんだから、私からは何も無いわよ」


「そっか……」


皆の意見は固まったようだ。

すると、最後に嫁さんが恐縮した。


「え、でも逆に悪いよ。それじゃ、みんなが私たちの部下みたいじゃない」


これにはローズが笑った。


「何を今さら。もともとあたしたちは、プラチナ商会に雇われているんだぞ?しかも破格の報酬でな。君たちは、その代表と副代表じゃないか」


「あ、そっか」


嫁さんも納得してしまった。

これで最後に残るのは、一人だけだ。


「なぁ、牡丹、ここにいるみんながまた『八部衆』をやってくれるそうだ。牡丹はどう思う?」


いつも食事中は決まってそうなのだが、我が娘は無言で夢中になって料理をモリモリ食べていた。僕から質問された牡丹は、頬張っていたスパゲッティをゴクリと呑み込むと、口の周りをソースだらけにしたまま元気に一言だけ叫んだ。


「みんな!なかま!」


全員が一斉に微笑した。

そして、ストリクスが歓喜して立ち上がった。


「では、決まりでございますね。今ここに、偉大なるシロガネご一家を守り支えるための新たな幹部組織、『八部衆』を結成致します。魔族と人間が手を取り合うという前代未聞の組織です。魔王様、そして、ご尊父、ご母堂、どうかよろしくお願い申し上げます」


我ながら、おかしな話になってしまった。しかし、ここに集った全員が、僕たち一家を慕ってくれていることは確かだ。それは素直に嬉しい。


嫁さんが僕に目で合図をしてくるので、僕は立ち上がり、全員に挨拶した。


「わかった。みんなの気持ちはありがたく頂戴しよう。ここにいるメンバーは、僕たちの娘が魔王であり、しかも人間であることを知りながら、味方になってくれた唯一の存在だ。その代わり、僕たちもみんなのことは、しっかり面倒を見させてもらう。不甲斐ない僕と嫁さんと娘だけど、よろしく頼む」


半月が静かに輝く星空の下、ここに、この世界で初となる、人間と魔族による連合組織が誕生した。


我が白金家のために集った『八部衆』である。

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