第146話 勇者と魔王②
ピクテスが降り立った場所は、ホールの端であり、僕たちとは反対側に位置していた。これは、こちらとしては幸いである。
治療中のローズをはじめ、重傷者3名がいる状況では、敵を近づかせないことが最重要だ。
左腕以外はそこまで重傷でもないスカッシュは、既に峠を越えている。現在、敵か味方か不明のカエノフィディアは、肉体的には魔族であるため、驚異的な生命力に守られている。
だが、肉体内部を激しく損傷し、生死の境をさまよっているローズは、未だにシステムによる生命維持が必要な状態なのだ。
システムをフル稼働させていなければ、彼女は危うい状態となる。ローズの生命を安定させるには、どうしてもさらに数分の治療時間が必要だった。
「シャクヤ、すまない。あと少し……せめて3分。時間を稼いでくれないか。そうすれば、宝珠システムで攻撃できる。3分間、ピクテスを近づけさせないように耐えてくれ」
「かしこまりました」
「くれぐれも気をつけて。君に怪我なんてしてほしくない」
「はい!」
僕の頼みをシャクヤは素直に聞いてくれた。特に最後の部分は頬を紅潮させて、嬉しそうに返事をしている。
本当に不甲斐ないと思う。
いくら宝珠システムを構築し、これを使えば魔族とも対等以上に戦えるようになったとはいえ、僕自身のレベルは16しかないのだ。もしも僕に力があれば、システムに治療を任せておき、僕が戦いに出ることも可能だったはずだ。
しかし、レベル48のピクテスを前にしては、僕では盾にすらならない。拳銃を手にしてみたが、敵のスピードが速すぎる。やはり宝珠システムの支援抜きには命中させることができないだろう。
この場は、シャクヤに全てを預ける以外ないのだ。だが、そのシャクヤでもレベルは41。ピクテスとまともに対峙するには、実力に開きがある。あまりにも心配だ。
ところが、僕のそんな思いとは裏腹に、シャクヤは臆病な様子など一切見せず、猛然と魔法を発動した。水の上位魔法【
「なに!?」
3つの魔法陣が突然、目の前に出現したことには、ピクテスでさえも驚愕するようだ。それでも、彼はその軌道を読むように回避した。
ところが、その直後、今度は【
「未曾有の強敵を前にして、出し惜しみはできませんわ!」
いきなりの上位魔法4連発。これは、彼女の持っているマナを半分も使ってしまう大盤振る舞いの行為だ。そこまでしなければならない相手であることをシャクヤ自身が一番よく理解していたのだ。
水の塊に捕らわれたピクテスは呼吸することができない。しかし、彼はそれに焦ることもなく、杖を勢いよく振り払った。
なんと、水の塊が、いとも容易く弾け飛んでしまった。
「先程もそうであったが、上位魔法をさらに数倍の威力に高めて発動できるのか。しかも遠隔発動に同時発動。瞬間火力では、ワタシを上回るというわけだな。非常に興味深い」
シャクヤの技能に感心しているピクテス。その悠然とした様子からは、上位の実力を持つ者の余裕が窺えた。対するシャクヤは、神妙な面持ちだ。
「なんということでございましょう……魔法同時発動を避ける感性と速度。さらには閉じ込めても払いのけてしまう力。本当に恐ろしい敵ですわ……」
すると、その横でダチュラが勢いよく立ち上がった。
「シャクヤさん!私も一緒に戦うわ!」
「大変申し訳ございませんが、足手まといでございます。お気持ちだけいただきますわ。ダチュラ様」
ピクテスから一切、目を逸らさずに真剣な声で拒絶するシャクヤ。いつものほんわかした雰囲気とは全く違い、しかも歯に衣着せぬ言い方で真実を告げられて、ダチュラは黙って引き下がった。僕はすぐにフォローした。
「ダチュラ、シャクヤの言うとおりだ。それより巻き込まれないように注意して」
「……うん」
遠方にいるピクテスは、少し考えながら構えを変えていた。
「あのメスの技術は素晴らしい。だが、今は関心を寄せている時ではない。そこのオスは、今すぐ殺さねばならないのだ!」
独り言のように叫んだピクテスは、こちらに向かって突撃を開始した。
それに対してシャクヤは、下位魔法を次々と発射する。
僕がかつてプレゼントした、全ての攻撃系下位魔法を発動できるデジタル宝珠を使用しているのだ。しかも、これは今までに僕が何度もアップデートしており、今ではシャクヤ専用の攻撃特化型携帯端末宝珠になっていた。
下位魔法程度では、ピクテスは避けることもなく杖で全て弾き飛ばす。だが、彼が下位魔法に囲まれたタイミングで、急に上位魔法が炸裂した。
慌ててそれを回避し、後方に下がるピクテス。前進しようとする彼と、下位魔法と上位魔法の組み合わせで迎撃するシャクヤとの一進一退の攻防となった。
これを数度繰り返した後、ピクテスが小さく笑った。
「ふむ。実に巧みな技能の持ち主だ。人間にしておくにはもったいない。あくまでワタシを近づけさせないつもりなのだな。ならば、魔法対決といこうか」
ピクテスが杖をかざすと、巨大な炎の塊が出現した。
火の上位魔法【
「ワタシとて、魔法を得意とする者。先程から、大技を連発しておるようだが、人間のマナがどこまで持つかな?」
同時発動ではないが、ピクテスは、火の上位魔法を連続で次々と発射してきた。迎え撃つシャクヤは、水の上位魔法でそれらを全て迎撃する。
巨大な炎の塊が、鋭利な水の刃で斬り裂かれ、爆発するような水蒸気がもうもうと立ち込める。シャクヤは見事なまでにピクテスの攻撃を相殺した。
だが、体内のマナは既に底を突きはじめていた。
もう次の魔法が撃てるかわからない。
それに対して、ピクテスの魔法攻撃は全く止む気配を見せなかった。
「息切れしておるな。やはり所詮は人間だ。ワタシとマナ総量で張り合うことはできまい」
疲弊しきったシャクヤに連続魔法が飛来する。ところが、シャクヤの魔法は、さらに勢いを増して次々と発射され、それらを消し飛ばした。
「なっ……!」
唖然とするピクテス。
シャクヤは何も言わず、口をもぐもぐさせている。
先程から彼女は、僕が渡したマナ・アップルを食べながら戦っているのだ。
「レン様!マナ・アップルをくださいませ!!」
リンゴをまるごと1個食べ終わったシャクヤは、僕に追加を催促した。言葉遣いは敬語だが、僕に対して要求するように叫ぶのは、彼女にしては珍しい。いつもなら「いただけますでしょうか」と、より丁寧に尋ねてくるものだ。
僕はそんな彼女に黙ってマナ・アップルを袋ごと渡した。
正直言って、心配することは多々ある。人間がマナを大量に摂取すると、中毒症状を引き起こして死亡すると聞いている。マナを大量に消費しながら、マナ・アップルで補給しているのだから、±0で問題なさそうだが、体に負担はかからないのだろうか。また、それは大丈夫だったとしても、あとでお腹を壊さないだろうか。
そんな僕の懸念などお構いなく、シャクヤは、リンゴをシャクシャクとかじりながら魔法を連発する。
そう。シャクヤはこういう女の子だった。貴族令嬢でありながら、祖父を救うため、勇者を探して家を飛び出してしまう行動力。一度言い出したらテコでも曲げず、事を起こすと決めたら徹底的にやる頑固さ。シャクヤは今、文字どおり、命に代えても僕を守ろうとしているのだ。
彼女が口にしているのがマナ・アップルであることに気づいたピクテスは、愕然として叫んだ。
「なんと!貴重なマナ・アップルをあんなに大量に持っているだと!?それでは、こちらが不利ではないか!!」
ピクテスは、持久戦が無意味であることを知り、攻撃をやめた。
だが、一呼吸置くと、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「……まぁ、よい。ここまでの攻撃でパターンは読めた」
再び素早く前進を開始するピクテス。シャクヤは、すかさずそれを迎撃するが、今度は下位魔法も上位魔法も全て鮮やかに避けられてしまった。
「えっ!」
怯むことなく、彼女はマナ・アップルを食べながら、さらに上位魔法を連続で発動する。だが、その全てはタイミングよく、見事に躱されてしまった。
「そんな!わたくしの攻撃が、完璧に読まれている!」
愕然とするシャクヤの後ろで、僕も初めて知るピクテスの能力に驚いた。
「あいつ!まさか!シャクヤの動きを計算しているのか!!」
迂闊だった。
僕はシャクヤに時間稼ぎを頼んだ。
だが、ピクテス相手には、こちらの手の内を学習させる機会を与えてはならなかったのだ。彼を敵にした場合、短期決戦こそが最善手であり、持久戦は悪手だった。
俊敏な回避行動でどんどん距離を詰めてくるピクテス。
あと数秒もすれば、シャクヤが襲われてしまう。
レベル41とはいえ、48の敵を相手に、接近戦が得意でないシャクヤでは瞬殺される恐れがある。そんな事態は、絶対に防がねばならない。
この時、僕はシャクヤを救うため、ローズの治療を一時諦めて、ピクテスを迎え撃つ決断を下した。
だが、そう思ってシステムに命令を与えようとしたところで、実行を中断した。もう一つの人影が、僕の目に映ったのだ。
ガッキンッ!!
シャクヤの頭部に振り下ろされたピクテスの杖。
しかし、それを剣で阻んだ者がいた。
突如、戦いに介入してきた新手を前にして、慎重派のピクテスは一度距離を取る。
そこに来訪者は剣で追撃した。
ピクテスの方がレベルが上であるため、それを躱すのは造作もない。だが、間合いの外まで回避したはずの剣筋から、伸びるように斬撃が放出され、ピクテスは虚空を飛び越えて胸を斬られてしまった。
ズバッ!!
僕は、この剣技を良く知っている。
マナによる”飛ぶ斬撃”。
『飛影斬』だ。
「くっ……斬撃が飛んでくるとは……トリュポクシルと同じ剣技か……」
予想外のダメージを受けたピクテスは、歯がゆそうにその騎士を睨みつける。シャクヤを守るため、彼女の前に立った来訪者は、少し気まずそうに呟いた。
「ベイローレルと合流するため、単独で急いできたのだが、道を間違えたか……まさか、こんなところで再びお目にかかるとはな。クシャトリヤ家のご令嬢」
「あ、あなた様は……!」
「ホーソーン!!」
シャクヤと僕は、それぞれに驚いた。
かつて、僕を”偽りの勇者”として憎み、執拗に追って来ただけでなく、シャクヤまでも追い詰めようとした第六部隊の部隊長ホーソーン。一度は決闘まがいのことまでやった彼に、こんなところで救われるとは思ってもみなかった。
「あれが魔王なのか?ピアニー殿?」
事態を正確に把握していないホーソーンは、シャクヤを本名で呼んで尋ねた。わずかに戸惑いつつも、シャクヤは助けてくれた彼を信頼し、静かに答えた。
「いえ……魔王ではございませんが、魔王軍を指揮する最高幹部。全ての元凶でございます」
それを聞いたホーソーンは、決意を込めて言いきった。
「なんたることだ。それほどの強敵を女一人で食い止めようとは。騎士は女性を守る者。細かい情勢は知らぬが、前衛はこの私が引き受けよう」
――さて、こうして白金蓮たちがピクテスと衝突している頃、上の謁見の間では、ベイローレルを敵と見なした栗森牡丹が、彼に猛攻を仕掛けていた。
重力を操作して、浮かせた物体を水平方向に”落とす”攻撃。
最初は、近くにあった椅子や装飾具を飛ばしていた牡丹だったが、壁や床に衝突してバラバラになった破片を再利用しはじめた。素早く動く相手には、大きな物をぶつけようとするより、小さな物を数多く飛ばした方が有効であることを戦いながら学習したのだ。
それらの飛来物を、なんとか躱し続けるベイローレル。
「とんでもない、お子様だ!幼女を斬るなんて全く趣味じゃないが、魔王なら仕方あるまい!!」
彼は、素早く回避しながら、少しずつ牡丹に近づく。しかし、一太刀浴びせようにも、牡丹自身も本来のスピードに加えて重力操作による変幻自在な動きができるため、全く追いつくことができなかった。
「はぁ……はぁ…………あと一人……せめて一人、まともに動くことのできる仲間さえいれば……」
強敵との連戦を続けてきた彼は、ついに疲弊しはじめ、愚痴をこぼした。しかし、それは無い物ねだりだった。一緒について来た部隊長4名と親衛隊5名は、広間の入口で超重力を受け、地面にへばりついている。栗森牡丹の重力操作に対抗できるのは、魔法を解除できる彼しかいないのだ。
ところが、そこに彼の望みを叶える人物が参入した。
しかも、予想外の場所から現れた。
パリィィンッ!!
謁見の間の高い高い天井には、上部にステンドグラスで彩られたピラミッド型の空間がある。そこは、城の最上部に位置しており、満月の明かりを煌びやかに装飾して室内へ届けていた。
そのガラスが破られ、”幻影邪剣”カツラが飛び込んできたのだ。
こういう驚く演出には、めっぽう好奇心をそそられる牡丹である。思わず上を向いて、それに見入ってしまった。
「わぁっ!」
その隙を突いて、ベイローレルがいっきに距離を詰めた。
彼女の胸に向け、剣を一突きする。
しかし、すぐに気配に気づいた牡丹は、サッと後ろに退いた。多少の不意打ち程度では、彼女を攻撃することは不可能だった。
だが、”幻影邪剣”の狙いは、これだけで終わっていない。彼は、天井からぶら下がっているシャンデリアの吊り縄を切断し、さらに蹴って落としてきたのだ。しかも、標的は牡丹ではなく、ガッルスだった。
「あっ!」
それに気づいた牡丹は、ビックリしてガッルスのもとに駆け寄った。そして、シャンデリアの重力を反転させ、反対側に飛ばした。
これで一安心。
そう牡丹が感じた瞬間だった。
ボガァァァッン!!!
シャンデリアが爆裂し、無数の破片が牡丹を襲った。
「えっ!!」
このようなことを普通の子どもに向けて行えば、見るも無残な結果になることは火を見るよりも明らかだ。さすがの牡丹も目の前で爆発し、超高速で飛来する物体を一つ一つ飛ばすことなどできない。
しかし、彼女を貫くはずだった破片は、音も無く、一つ残らず跳ね返ってしまった。牡丹は、常に自分の周囲に反重力バリアを張っているため、あらゆる攻撃を180度方向転換させてしまうのだ。
「なんと!」
シャンデリアの物陰から、爆裂を誘導していたカツラのもとに、跳ね返された破片が飛来した。
まだ空中にいるため、避けることのできない彼は、自分が着ている装束の布をサッと広げ、飛来物を防ぐ。しかし、それでも、いくつかの破片が貫通し、腕と腹部に数ヶ所の切り傷が付いた。
カツラは着地すると同時にベイローレルのもとに移動した。
「惜しかったですね。カツラさん」
残念そうに言うベイローレルにカツラは言った。
「この”幻影邪剣”、奇襲以外に手はありませんでしたが、失敗しました。あの魔王は、魔法で攻撃を跳ね返すようです。もはや無敵です。勇者殿にしか、攻撃を当てることはできませっ……ぬっ!」
言いつつも、牡丹に姿を確認された彼は、超重力によって地面に突っ伏した。
牡丹は今、背後にいるガッルスを守るため、空間全体を重くすることはせずに、重くしたい対象に個別に超重力を発動していた。そのためにカツラの奇襲は成功したのだが、そもそも牡丹には、普通の攻撃は通用しないのだった。魔族幹部たちから、”歴代最強”と言われるだけのことはあるのだ。
牡丹は、自分の後ろにいたガッルスを心配して声を掛けた。
「ガッルス、けが、ない?」
「は、はい。ちょっと破片が当たっただけで、大したことはありません。それより魔王様は大丈夫なんですか?」
「わたし?わたし、だいじょうぶ。つよい」
「でも、ご無理はなさらないでくださいね……」
「うんっ!」
彼女たちが話している間に、ベイローレルは、カツラに近づいて牡丹の魔法を解除した。カツラを立ち上がらせながら、彼は相談を始めた。
「ボクの『絶魔斬』以外、あの魔王に攻撃を通す術はないということですね……」
「で……ですが、この”幻影邪剣”、先程から観ていまして、妙なことに気づきました。かの魔王は、後ろのニワトリを守るように戦っています。今もそれを狙った奇襲が成功しました」
「やはりそうでしたか。ボクも気になっていたんです。あのニワトリに、何か重大な秘密でもあるのかな……」
「わかりませぬが、付け入る隙にはなりましょう」
「ええ。カツラさん。すみませんが、もう一度、手伝ってください。ボクから2メートル圏内であれば、走ることが可能です」
「承知しました」
二人は同時に駈け出した。
カツラは、ベイローレルに呼吸を合わせて彼の1.5メートル後ろを走る。
牡丹は、再び物体を飛ばす攻撃でベイローレルを翻弄しようとした。
ところが、今度はそれらが、途中で爆撃され、燃やし尽くされてしまった。カツラが宝珠を発動し、火の精霊魔法で攻撃したのだ。
忍者の格好をした彼は、小さな武器や宝珠魔法を様々に駆使し、多種多様で奇抜な攻撃を得意とするハンターだった。
彼の援護により、次第に牡丹に接近するベイローレル。
とはいえ、それでも牡丹は、さっさと逃げてしまう。そこで、ベイローレルは急に方向転換し、矛先をガッルスに変えた。
「あっ!」
焦った牡丹は、ガッルスを守ろうと自らその前に出た。これまで回避のみだった牡丹が、自分からベイローレルに接近した。
それをチャンスとばかりにベイローレルは、牡丹を斬りつける。
「ダメ!」
牡丹は、握りしめた左手でベイローレルの剣を弾いた。
バキィィィィンンッ!!!
凄まじい衝撃音とともに吹っ飛ぶ両者。
置き去りにされたカツラは、一人で超重力を受け、再び地に平伏した。
ベイローレルは、自分の剣を見た。
わずかに血が付いている。
反重力バリアを打ち消して、攻撃がヒットしたのだ。
そして、素手で剣を弾いた牡丹の方は、左手の甲に細い切り傷ができ、薄っすらと血が出ていた。
牡丹にとっては、この世界に来て以来、二度目の怪我である。最初は、白金百合華にゲンコツを食らってタンコブが出来た時だった。出血を伴う怪我としては、これが初となる。
ジンジン来る痛みに、牡丹は泣きそうになった。しかし、魔王としてのプライドから、人前で泣く事をよしとせず、彼女は気丈に振る舞おうと努力した。
「が・ま・ん…………いたく……ない……」
涙を滲ませて耐え忍ぶ牡丹。
その様子を見て、ベイローレルは半ば絶望感を抱いた。
「やはり冗談じゃないぞ……ボクの本気の剣技を素手で弾いて、掠り傷一つだと……化け物か……」
彼としては、狙いどおりに魔王が動いてくれたところに放った渾身の一撃だったのだ。それが、ちょっと手を切っちゃった、程度の傷で済まされたことに衝撃を受けた。栗森牡丹は、ディフェンダータイプのステータスを持っているため、防御力がとりわけ高かったのだ。
一方、痛みに耐える牡丹は、その辛さを、子どもながらに怒りに変換することで対処することにした。彼女はベイローレルに向かって叫んだ。
「ガッルス!いじめる、ダメ!!」
「え……?」
その言葉にベイローレルは唖然とした。
(もしかして、ただ単に後ろのニワトリ魔族を守ろうとしているのか?魔王たる者が?そんな子どものような純粋な気持ちがきっかけで戦闘になってしまったのか?)
魔王が臣下を守る。
それだけのために戦う。
そんなことがありうるとは、夢にも思っていなかった彼は、ここで初めて、自分が大きな勘違いをしていたことを悟った。
「カツラさん、すみません。一か八か、試してみたいことがあります」
数メートル先で超重力に沈んでいる”幻影邪剣”に一言断った上で、彼は牡丹に呼びかけた。
「魔王デルフィニウムよ!どうか話を聞いてほしい!ボクたちは、そのニワトリ魔族に手を出すつもりはない!誤解なんだ!」
「………………」
急に自分の意見を聞いてくれたことに牡丹自身も驚き、無言でそれを聞いている。
「どうか信じていただきたい!デルフィニウム!ボクたちは、敵ではないんだ!」
「ほんと?ガッルス、いじめない?」
素直な牡丹は、彼に念を押して尋ねた。
まともな会話が成り立ったことにベイローレルも歓喜した。
(やった!やったぞ!聞いてくれている!魔王なのにボクの言葉を聞き入れてくれそうだぞ!)
そして、さらに叫んだ。
「そうだ!デルフィニウムよ!先程、あなたが逃がした猿の魔族!ピクテスという名だったはず!あれこそが真の敵!どうか、我々をピクテスの討伐に向かわせてもらいたい!」
そう言いつつも、自分で自分がおかしくなるベイローレル。
(魔王を説得するなど前代未聞だ。だが、これに賭けるしかない)
牡丹の方では、ピクテスの名を出されたことで、彼がいなくなった事実に今頃になって気がついた。
「え……?あっ!ピクテス!いない!どこ?」
自分に面倒事を押し付けて逃げ出したのかと思うと、無性に腹が立ってきた。ムスッと頬を膨らませる牡丹。
そこに来て、よくよく見れば超絶イケメンのお兄さんが、優しく微笑んでピクテスを懲らしめてくれると言う。なんだかんだで、牡丹も一人の女の子だった。ちゃんとベイローレルと話をしてみようと考えた。
超重力が自然と解除されため、カツラはすぐにベイローレルの後方に下がった。
牡丹がもう一度、問う。
「ガッルス、いじめない?」
「ええ。もちろん」
「ほんと?ほんとに、ほんと?」
「本当ですとも」
再度の念押しに微笑して返すベイローレル。
牡丹は、途端に心が軽くなった気がした。
「わかった」
パァッと笑顔に戻った牡丹は、ベイローレルに向かって駆け足で近づいた。かつて白金蓮がしてくれたように、自分を優しく抱き上げてくれるのではないか。そんな期待を込めてのことだ。
「魔王様……」
ずっとオドオドしたまま戦いを観ていたガッルスは、そんな牡丹の姿を温かい目で見守った。
だが、その時だった。
突如、天井から降り立った一人の人物がいた。
その人物は、真っ直ぐガッルスの真上に落ちてきた。
「え?」
異変に気づいた牡丹が振り返った。
その瞬間、ベイローレルも凍りついた。
ドッシュゥァァァァッ!!!
二人が目にしたのは、ガッルスを肩から足にかけて、真っ二つに引き裂いた、”斧旋風”バードックの姿だった。
全ての時が止まったかのように思える静寂の中で、彼の豪快な笑い声だけが謁見の間に響き渡った。
「ブハハハハハハッ!!!やったぜ!!オレだ!!魔王討伐はオレが達成したんだ!!!いくら魔王といえども、不意打ちには無防備だった!!こんなニワトリみてぇな姿だとは、思わなかったけどよぉ!!!」
遅れて戦場にやって来た”斧旋風”バードックは、魔城の頂上から戦況を見ようとしたところ、ちょうど真下で戦闘が行われているのを発見した。
そして、重くなる力に全員が翻弄されているのを目撃し、相手が魔王であると判断したのだ。ただし、幼女である牡丹が魔王だとは露ほども考えず、ガッルスを魔王だと勘違いしてしまった。
重くされる能力への対抗手段として、彼は、上空からの不意打ちを考えていたのだが、それを今、ガッルスに対して見事に成功させてしまったのだ。
なんたる運命の皮肉であろうか。
ガッルスは、断末魔を上げる余裕すらなく息絶えた。
最期の言葉だけを振り絞って。
「ま……お…………さ………………ま……」
弱々しいその声を聞き取れたのは、牡丹だけだった。
この世界に来てから唯一、自分の意志で”ともだち”だと思ったガッルス。その彼女が、目の前で惨殺されたことにより、牡丹の瞳から、全ての光が消え去った。それは、希望という名の光だ。
「……ぁ……
ぁぁ………………
…………ぁぁぁぁぁぁ…………
ぁぁぁぁぁあああああああああっっっ!!!!!!」
慟哭。憤怒。嗚咽。絶望。憎悪。破壊衝動。
いずれともつかぬ幼女の叫び声が、身の毛もよだつ響きとなってコダマした。
感情とストレスが爆発した牡丹から、不気味な光が発せられた。
「なっ!なんだ!?」
その幼女が魔王であることなど、知る由もないバードックは、牡丹の急変に驚いた。しかし、それに疑問を感じる前に彼は意識を失うことになった。
ドゴンッ!!!
横方向の凄まじい重力で、彼はすぐ近くにあった壁に激突し、めり込んだのだ。
約20倍の重力加速度で壁に向かって落下した彼は、ほんの3メートル程の間に60メートルを自由落下してきたのと同じ衝撃を受けた。高層ビルで言えば、20階ほどの高さから落ちた衝突力だ。並みの人間であれば、いや、おそらく全ハンターの中でも彼でなければ、即死していたはずの衝撃である。
近くで牡丹の様子を見ていたベイローレルは、恐怖のあまり後ろに下がっていた。
全身から脂汗を流すように警戒しているベイローレルが見たモノは、禍々しい光に包まれて、変貌していく牡丹の姿だった。
やがて、牡丹を包み込んでいた光が収まる。
彼の眼前に、幼女の姿はなく、代わりに全く別の人影が立っていた。
「まさか……まさか、これは……!」
身長と髪が伸び、額にあった2本の角が、長く伸びきっている。色白の肌はそのままに、長く伸びた肢体がしなやかで美しい。
服が小さくなってしまったため、胸元と腰回り以外はほとんど露出し、この世界の常識では目も当てられないほどの大胆な格好となっている。
そこには、艶やかに成長し、大人になった栗森牡丹の姿があったのだ。
そして、その眼は、狂気に満ちていた。
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