第144話 宝珠システムの集大成

ダチュラ自身が断末魔を上げるような、悲痛な叫び声が宝珠の通話から響き渡った。それは、同行している全ての人々に聞こえた。


僕の前を走っていたベイローレルは、これが耳に入った瞬間、何も言わずに急加速した。先行していく彼を追いかけ、僕も追い風の魔法で加速する。他のメンバーも皆、足が速い。


僕たちがいたのは、ダチュラとローズがいるはずのホールと同じ階である。


ベイローレルが、既に破壊されている扉から真っ先にホールへ突入した。


ちょうどすぐ近くの壁際に、グッタリしたローズを抱え、泣き叫ぶダチュラがいた。


ローズのひしゃげた体を目にし、その気配が一切感じられないことを知ったベイローレルは、全身の血液が全て抜けていくような感覚になった。


さらに彼の前方には、全身血だるまのトラ男ティグリスが立っており、虚ろな目で彼を見ている。


その瞬間、ベイローレルは、ティグリスを完全に仕留めきれていなかったことを知り、激しく後悔した。そして、怒りに震える彼とトラ男の目が合った。


「……お……お前だぁぁぁ…………!お前と【復讐戦闘リベンジマッチ】だぁっ!!!」


狂気の笑顔で突撃して来るティグリス。通常の2倍のスピードで猛突進してくる迫力は、最初に出会った時とは段違いだった。


(こいつ!魔法で強化しているのか!!)


そう判断したベイローレルは、回避不能な速度であることも考慮し、真正面から受けて立った。


――絶魔斬――


彼の究極剣技は、剣を構えた自身の周囲、半径2メートルにまで効果を及ぼすことができる。魔法を使う者にとって、最大脅威となる剣技だ。


ベイローレルに体当たりをかましたティグリスは、その直前、間合いに入った瞬間に、急にスピードダウンしてしまった。


ティグリスの強化魔法が解除されたのだ。


風前の灯火だった生命を燃やし尽くし、捨て身の攻撃に出た彼だったが、魔法による強化を失った肉体は既に燃えカス同然の状態だ。レベル48で格上となるベイローレルに敵うはずもない。


ズパッァァァァァン!!!


鋭い横薙ぎの一閃が、ティグリスの首を刎ねた。


「うぉぉおおおおおぁぁぁぁぁっっっ!!!」


怒りの収まらないベイローレルは、さらに首なし死体となってうつ伏せに倒れたティグリスの胸部を背中から剣で何度も突き刺した。どうして最初に倒した時にここまで徹底的にトドメを刺さなかったのか、と悔しさに涙を滲ませながら。


僕が到着したのは、この時である。


ベイローレルが攻撃している魔族からは生命反応は無い。

すぐにダチュラのもとへ駆け寄った。


彼女が抱きかかえるローズは、見るも無残な姿だった。


右腕を失い、左腕と左脚が、おかしな方向にグニャリと曲がっている。それだけでなく、胴体までもが奇妙に歪んでいることから、背骨が折れて内臓が激しく損傷していることがわかる。


服の上からでは判別できないが、ヘソ出しスタイルの腹部からは、ひどい内出血の様子が見て取れた。さらに致命的なことには、首の骨も折れているように見える。


「レン!!!!ローズさんが息をしてないの!脈もないの!!」


必死に僕の名前を呼ぶダチュラに返事もせず、僕はローズを診た。

宝珠システムで解析をかけ、僕は絶句した。

確かに呼吸どころか、心拍すら無かったのだ。


一瞬、目の前が真っ暗になった。


そして、絶望感とともに僕の心にトラウマが蘇った。

この世界に来てから初めて出来た友人、リーフを救えなかったことだ。


彼のことは、助けられなかったどころの話ではない。素人判断で重傷だった彼に治癒魔法をかけた結果、激しい苦痛を与えてしまい、叔父であるアッシュさんが彼を安楽死させるためにトドメを刺すという悲惨な結末を迎えたのだ。


ローズは今、そのリーフよりもさらに深刻な致命傷を負っている。


しかし、僕はすぐに気を取り直した。

こういう時のために宝珠システムを構築し、あらゆる研究を重ねてきたのだ。

幸いにも、まだ脳は活動を続けている。

心肺停止状態から1分くらいしか経っていないのだ。


「ローズ様!そんな!!」


遅れて到着したシャクヤが愕然とした声を上げた。


「私を庇ってこうなったの!!!リーフの時と同じ!!!私はいつもこう!!大切な人に助けられてばかりなの!!!」


ダチュラが咽び泣く横で、僕は独り冷静に叫んだ。


「ダチュラ!そのままローズを動かすな!!!」


ローズは、全身の骨を砕かれており、内臓も傷ついている。ヘタに動かせば、それだけ内部の損傷を増やしてしまう。ダチュラは、僕の叫ぶような指示を聞いて、緊張してピタリと止まった。


切断され、血液を噴出していた右腕は、既に圧縮空気の壁で止血している。兎にも角にも、生命活動を再開させなくてはならない。


僕は激しい焦燥に駆られながらも、頭をフル回転させた。


宝珠システムに急がせた解析結果を見るに、心臓は停止しているが、ダメージ自体は無さそうだ。だが、折れた肋骨が右の肺に刺さり、呼吸をすることができない。これでは、一般的な心肺蘇生法も不可能だ。


まずは心臓の鼓動を復活させ、肺を治して呼吸を再開させる必要がある。また、致命的と言える首と背骨の修復を急がねばならない。


僕は、ローズの真下に圧縮した空気のベッドを作った。ローズの肉体は空中に浮遊するようになった。ダチュラは自然と彼女から離れた。


「ローズ!服を破くぞ!」


さらに正確な診断と治療を行うため、ローズの服を破り取り、下着も取り外した。


彼女の裸を見てしまうが、全く気にしている余裕がない。いや、今の彼女の裸体は、ところどころが痛々しく歪んでおり、性的なものを感じるはずもなかった。


僕は心臓マッサージを可能とするため、直ちに肺と肋骨の治療に当たった。まずは、内臓に突き刺さった骨の破片を除去し、同時に止血と治療を行う。対象箇所は多いが、フェーリスの体で実証済みなので、同時実行しても問題なく進行し、1分以内に終わらせることができた。


次に肺と肋骨を高速で治療する。肋骨をはじめとした上半身の骨を修復魔法の応用で、元の位置に戻し、治癒魔法で復元の手助けをする。現状は応急処置として、仮にくっついてくれればいい。これを30秒で完了させた。


「二人とも!一旦、離れてくれ!」


僕はダチュラとシャクヤを下がらせ、軽い電気ショックを与えた。

いわゆるAEDである。


もともと心臓が弱かった嫁さんを心配し、何かあった時のために僕はこの点の勉強はしていた。


実は、一口に”心停止”と言っても、それは様々な心臓の症状を総称しているらしい。心臓が血液を送るポンプの役割を果たせない状態を総合的に”心停止”と言うそうだ。


本当に心臓が完全停止していた場合、AEDは意味を為さない。”心室細動”と言って、心臓がピクピクと痙攣を起こした状態。あるいは、”心室頻拍”と言って、心臓の鼓動が細かく速すぎて、ポンプの効果を発揮できない状態。そうした症状を電気ショックで無理やり止めるのが、AEDの役割なのである。


今、ローズの心臓は”心室細動”の状態にある。


AEDで使用される電圧は、1200から2000ボルト。電流は、30から50アンペアだそうだ。


とはいえ、医療関係者でもない僕が、そこまで細かい数値を正確に記憶しているはずがない。これは、非人道的な人体実験を繰り返していたコウモリ魔族シソーラスの研究結果を拝借し、僕が計算して導き出した答えだった。


バチンッ!!


”心室細動”していた心室がピタリと静止した。

痙攣が収まり、完全に停止したのだ。


実は、ここがチャンスなのである。

AEDの使用後は、心臓マッサージが不可欠なのだ。

決してAEDのみで心拍が再開されることはない。


僕はローズの胸の中央に手を当て、真上から思いっきり押した。

それをリズミカルに何度も繰り返す。

たとえ再び肋骨が折れようとも、ここは力いっぱいやるしかない。

心臓の拍動を促すためには、かなりのエネルギーが必要なのだ。


やがて宝珠システムによる心電図が、再び脈拍を計測しはじめた。

心臓が動き出したのだ。


ここまで、心停止状態から3分で辿り着くことができた。呼吸は止まったままのため、直ちに空気を操作して肺に送り込み、人工呼吸器の役割をさせる。


「やった……これで脳の機能障害は免れる……」


以前に勉強したところでは、人間の脳は、心肺停止から4、5分で回復不能なダメージを受けるそうだ。酸素が送り込まれないためである。なんとかそのタイムリミットには間に合ったのだ。


だが、まだ全く予断を許さない状況だ。


「レンさん……まさか……ローズさんを生き返らせようとしてるんですか……?」


僕が治療している姿を見て、ベイローレルが茫然と立ち尽くしている。彼に返答する余裕など一切ないのだが、代わりにシャクヤが彼に告げてくれた。


「ベイローレル様、ここはどうか、レン様にお任せください。この方は、奇跡の魔法を使えるのでございます」


「………………」


ベイローレルは、愕然として僕の背中を見つめていたが、やがてこう言った。


「レンさん、その方は、ボクにとって姉のような人なんです。どうか、よろしくお願いします」


言いながら、深々と頭を下げ、そして、後方に控えていた部下の親衛隊に告げた。


「ボクたちは、魔王討伐に向かう。カツラさんは、既に伝令に回ってくれている。各部隊の精鋭と上の階で合流し、最終決戦に挑むぞ!」


「「はい!!」」


彼らが動こうとしたところで、僕とローズを凝視していたダチュラが、ハッとして立ち上がった。


「あっ!お待ちください!ベイローレル様!これ、ローズさんに渡すつもりだった通信用の宝珠です!外にいるアッシュさんと連絡を取ることが可能です!どうか、ローズさんの代わりにお持ちください!」


宝珠を差し出されたベイローレルは、神妙な面持ちでそれを受け取った。


「では、これはボクが一旦お預かりします。必ずローズさんにお返しするから……だから……」


「はい!」


言葉を詰まらせるベイローレルだったが、それ以上聞かなくともダチュラは返事をした。二人とも涙を堪えて頷きあった。


彼と親衛隊は、現在地の地下に埋もれた2階ホールから、3階、4階へと跳躍し、4階の扉を出て行った。また、途中の3階の位置で転がっているカメレオン男イグニアを見つけ、ベイローレルは命じていた。


「あのカメレオンの首も刎ねておけ。魔族は、完全に息の根を止めなければ安心できない」


そうして、この場には僕とダチュラ、そしてシャクヤだけが残った。



僕は、その間にも、必死に治療に当たっていた。


というのは、心拍が再開されたことにより、脳をはじめ、体中に血液が流れるようになったのは良かったのだが、その分、傷だらけの肉体内部で内出血が次々と起こりはじめたのだ。


宝珠システムの演算をフルに使い、全ての箇所を圧縮空気の壁で止血しなければならなくなった。


もともと内出血していた量も多いため、僕はローズの腹部に小さな穴を開け、血液操作で邪魔な血を取り除いた。それらは、滅菌した空気で取り囲み、一箇所に集めておく。


心臓マッサージで再び折ってしまった肋骨を修復し、肺を治療しなおす必要もある。そして、ローズの全身の骨、特に首の骨と背骨を優先して復元を促した。


同時に各所の内臓の損傷も修復しなければならない。破裂状態の臓器も複数あり、よくぞ痛みでショック死しなかった、とローズを称えたい。


まだ自発的な呼吸も再開されないため、空気を操作して、魔法による人工呼吸を継続している。


これらを全て迅速に行うため、宝珠システムをフル稼働させた。早くしなければ、再び心臓が停止してしまいそうな状態だった。


「急げ……システムよ……急いでくれ……」


グシャグシャに折れ、潰れてしまった全身の骨と内臓を細胞レベルで復元するのだ。超高速演算を可能にしたスーパーコンピューターを駆使しても、許容限界に達してしまった。負荷の掛かりすぎたシステムは、逆に速度を落としはじめた。


「マズい!システムの限界に来てる!負荷を軽減しないと、システム全体がダウンしてしまう!!」


「「えっ!?」」


後ろに控えているダチュラとシャクヤは、僕がそう叫んでも何のことだか理解はできない。ただ、相当に厳しい状況にあることだけを察していた。


「どうする……どうする…………どうするどうするどうする…………どこかの治療を切り捨てないと……いや、優先順位を落とさないと、全ての治療が止まってしまう……」


これほど極限状態の選択肢には今まで巡り合ったことがない。


何かを得るためには、何かを捨てなければならない。

そんな言葉を聞いたことがある。


既に今のローズは右腕を失った状態なのだ。

これ以上、彼女に何を捨てさせろというのだ。

迷っている暇はない。

しかし、迷わざるを得ない。


僕が何も決断できないまま、システムからエラーコールが出た。


ピーーーーーー!!


「あっ!心拍が!!」


ローズが再び心停止状態になってしまった。

今度は心室細動がない。


僕はすぐに心臓マッサージを行った。


「ローズ!君は死なせない!!絶対に!!死なせてなるものか!!!」


必死の思いで叫んだ時、僕は”捨てるべきもの”を見つけ出し、選択した。


人工呼吸器を止めたのだ。


「自分でできることは自分でやればいい!システムよ!その分、頑張れ!!!」


僕は、システムに人工呼吸させることをやめ、自分で行うことにした。ローズの顎をクイッと上に受け、気道を確保し、彼女の鼻を摘まんで、口と口をつけた。


「「あっ!!」」


マウストゥマウスの人工呼吸を知らないダチュラとシャクヤは、僕の突然の行動にビックリして息を呑んだ。彼女たちの驚きなどお構いなく、僕は裸のローズに心臓マッサージと人工呼吸を交互に繰り返した。


言葉をしゃべる余裕も無い。

ただ、がむしゃらになって行動し、心の中で叫んでいた。


ローズよ!君の命はまだここにある!目を覚ませ!!


そして、幾度目かもわからない心臓マッサージの直後、突然、ローズの口から空気が吐き出された。


「っくはぁぁっっ!!!」


それを見た僕は、すぐにローズの首を横に向けさせた。


「っごほっ!っがはぁっ!!」


肺や気道に残っていた血や異物を吐き出すローズ。苦しそうにそれをやり終わった後、彼女は自発的な呼吸を再開し、次第に虚ろな目を開けた。


「……ぁ……ぁぁぁ…………」


彼女の声が聞こえたことで、ダチュラとシャクヤが歓喜の声を上げた。


「ローズさん!!」


「ローズ様!!」


だが、僕だけは冷静な声で静かにローズに語りかけた。


「ローズ、まだそのままだ。じっとしててくれ。今、全力で治療を行っている」


僕の顔を見て安心したのか、ローズは再び目を閉じた。システムも山場を越えたようで、今は安定稼働している。僕は安堵の息を漏らした。


「ふぅーー、心拍と自発呼吸が再開された。まだ安心できないけど、一命は取り留めたと言えるかもしれない」


「レン…………」


その報告を聞いたダチュラは、感激に声を震わせ、言葉を詰まらせている。シャクヤもまた感涙抑えがたいようで、涙を一生懸命、拭いていた。



しかし、まだ全てが終わったわけではない。むしろここからが始まりなのだ。僕は容赦なくダチュラに命じた。


「ダチュラ!右腕はどうした?ローズの右腕だ!もしあるなら、持ってきてくれ!」


「はっ!はい!!」


人間の肉体は、血流が通わなくなると20分で壊死が始まると聞いたことがある。傷口の具合から解析すると、ローズが右腕を失ったのは、心肺停止状態となる直前のことであり、まだ10分も経過していない。今すぐ治療できれば、元に戻せる可能性が高いのだ。


「も!持ってきました!!」


なぜか敬語になっているダチュラから切断された腕を受け取った。

ところが、それは想像していたよりも武骨な腕だった。


「うんうん。そうだね。この鍛え抜かれた腕。女性とは思えないほど逞しい筋肉と太くて硬い腕っぷし――って違うわぁっ!!これは男の腕だろうがっ!!しかも左腕だわっ!!こんなところで、ノリツッコミしちゃったじゃないか!!」


「ご!ごめん!!」


慌ててダチュラは走って行った。いくらなんでもローズの腕を間違えるとは、彼女はまだ気が動転しているようだ。すると、シャクヤが何かを拾って持って来た。


「レン様、すぐそこに落ちておりましたわ」


鍛え抜かれているのに不思議と柔らかい女性の白い腕。まごうことなきローズの右腕である。


「そうだよ。これだよ!ありがとう!シャクヤ!」


手に取った腕は、まだ温もりがあった。

これなら、接合することが可能かもしれない。


「まだ温かい。すぐに処置しよう」


腕の切断面の血管を、圧縮空気の透明チューブでバイパスする。斬り離された右腕に血流が通いはじめ、みるみる血色がよくなった。


次に腕の接合であるが、空気に触れていた切断面が少しずつ壊死しはじめていた。その部分を細胞単位で切り取って除去し、治癒魔法で細胞分裂を促して再生させる。


骨、筋肉、皮膚、そして神経に至るまで、宝珠システムの解析結果から、全て正確に繋ぎ合わせて結合した。


切断された肉体の復元は、さらに想像を絶する大量の作業が発生し、とうとう僕の宝珠システムのマナが尽きてしまった。僕は、すぐにスペアのマナバッテリーに付け替え、治療を再開した。


「このペースなら、右腕も完全な形で治せそうだよ。本当によかった……」


「さすがでございます……レン様……これはもはや、神の御業でございます」


「いや、今回、最も幸いだったのは、頭部の損傷が少なかったことだ。もしも脳をやられていたら、どれほどシステムが優れていても、助けることはできなかったよ」


ようやくローズの全ての傷を完治させる目処が立ち、安心して僕は総括を述べた。僕の声が和らいだためか、シャクヤの表情も柔らかくなる。


とはいえ、肉体内部の損傷は激しく、まだまだ治療を続けて行かねばならない。また、左腕と左脚は、複雑骨折しており、バラバラに砕けた骨を修復するのは、まさしく骨が折れる作業だ。やるべきことは多すぎる。


僕は、もう裸にしておく理由が無くなったので、ローズに自分の上着を掛けてあげた。すると、シャクヤが僕に顔を近づけてきた。


「あの、レン様…………レン様のお口元には、何か特別な魔法があるのでございましょうか?」


いったい何を言っているのだろうか。

しかも、艶めかしい声で。そして、顔が近い。


「いや……シャクヤ?」


「レン様の接吻で、一度はお亡くなりになったはずのローズ様が蘇生されてしまいました。これは只事ではございません。やはりレン様には、わたくしなどには考えも及ばない秘密があるのではございませんか?」


「ないないない!あれはただの人工呼吸!だからキスじゃない!一応、百合ちゃんに会ったら謝るけど!」


「レン様は、わたくしに何かあったら絶対に守るとおっしゃってくださいました!ということは、わたくしに、もしものことがありましたら、同じようにしてくださるのでしょうか!」


「待て待て待て!そういうことじゃないんだよ!ていうか、シャクヤに大怪我なんて、してほしくないよ!させたくないよ!」


「……本当でございますか?」


「うん。本当。ていうか……もしかして、シャクヤ、怒ってる?」


ここまで、まるでキスをせがむように顔を接近させてきたシャクヤだったが、僕の指摘は図星だったようだ。彼女は急にそっぽを向いた。


「べ、別に怒ってなど、おりませんわ!アレはローズ様のために仕方なく、行われたものでございますから!」


「あ……やっぱ怒ってるんだね……」


「怒っておりません!」


僕はシャクヤの反応を見て、少しだけ後悔した。彼女ですら、ここまで不機嫌になるのだから、嫁さんに人工呼吸の件を話したら、どれほど怒られるのだろうか。想像しただけで怖すぎる。


そこにお使いを頼んでいたダチュラが、一人の男性を運んできた。


「レン、さっきの腕、この人みたい。ゴールドプレートハンターのスカッシュさん。まだ息があるわ」


「あ、そうか……ごめん。ローズのことで頭がいっぱいだったから、他の生存者を確認することすら忘れていたよ」


「それと、あっちの方に、かなりヤバい人がいるんだけど、まだギリギリ生きてるの。ほんと、アレで生きてるってすごすぎるわ。連れて来てもいいかな?」


「もちろんだよ。空気の壁でベッドを作るから、これを使って運んであげるといい」


「わかった」


ダチュラが去った後、僕は”闇の千里眼”スカッシュを診た。左腕は、切断されてから十数分経過しており、かなり危険な状態である。それ以外は、ところどころ斬られた跡があるが、意外なことにほとんど塞がっていた。凄まじい回復力だ。


僕は、システムの負荷を分散し、ローズの治療に十分なリソースを確保しながら、彼の左腕の治療も開始した。止血を行い、血流を通わせたことで、応急処置はできたと言ってよいだろう。あとはゆっくりとローズと同じ手順で腕を接合させるだけである。


そして、ダチュラがもう一人の生存者を空気のベッドに乗せて運んできた。体を真っ二つにされ、上半身と下半身に分裂してしまった悲惨すぎる状態だった。ところが、僕はその顔を見て仰天した。


「カ!カエノフィディアじゃないか!!八部衆の一人だぞ!!」


「ええぇぇっ!?」


魔族幹部の顔を知らないダチュラは、人間そっくりな容姿を持つカエノフィディアを何の疑いも無く連れてきたのだ。


「ごめん……見た目が人だったから、連れてきちゃった……」


「このまま放っておいても死ぬだろうけど……どうするか……」


僕は非常に悩んだ。ローズがやられたのも、元はと言えばティグリスを生かしておいたからだ。魔族に情けをかけることにはリスクが伴うということを、僕は今回、痛感することになったのだ。


警戒しつつ、僕はカエノフィディアをじっと見て観察した。

何かが足りない気がする。


「こいつには、いつも蛇が一緒にくっついてたんだが、どうしたかな……」


「あっ、そういえば……ローズさんが、蛇の本体は倒したって言ってたんだけど……」


「蛇の本体?」


ダチュラの言葉で、僕は一つの仮説を考えた。カエノフィディアの本体は、実は蛇の方で、この女性は人間なのではないか。人間の肉体を乗っ取り、操る能力を持った魔族がいても不思議ではない。そう考えると、人間そっくりなのも頷ける。


また、これが正しいとしたら、”闇の千里眼”スカッシュの傷の治りが早いことにも説明がつきそうに思えた。


「よし、念のため、この二人は、圧縮空気の魔法で拘束した上で治療しよう」


人助けはしたいが、警戒はしなければならない。僕はカエノフィディアを拘束し、彼女の上半身と下半身を接合するという、さらに厄介な治療にあたることにした。


三人を同時に治療することになったが、気持ち的にはローズを優先していた。特にカエノフィディアの場合、肉体的には魔族なので異常なほど生命力がある。ローズのように急ぐ必要はなさそうだ。


「ローズさん!!腕が!すごい!!!」


急にダチュラが大声を上げた。


右腕が接合されているローズの姿に気づき、ダチュラは感激で打ち震えるように涙声になっていた。


「まだ完了してないけど、このペースなら、肉体を完全に修復させることができるよ」


「ウソ!命が助かるだけじゃないの!?」


「元気に戦えるようにもなる。きっとまた、美しい剣技を披露してもらえると思うよ」


「あ……ありがとう!ありがとう!!!」


ダチュラは僕の手を握り、目に涙を溜めながら礼を言ってきた。この時、僕はずっと心の中で課題としてきたことが、ようやく達成されたと感じた。


「あぁ。今回は……今回はちゃんと助けることができそうだよ」


僕は、リーフのことを思い浮かべながら言った。

ダチュラもまた、同じことを考えたに違いない。

ただ何度も頷きながら、溢れる涙をボロボロこぼしていた。


「うん……!うんっ!!」


そんな僕たちの様子を感慨深そうに見つめながら、シャクヤが横から真剣な眼差しで尋ねてきた。


「レン様、この偉大なる奇跡の魔法に、お名前はあるのでございましょうか?」


「え、名前?」


「はい。魔法のお名前でございます」


これは、様々な魔法を複合し、連携し、患者の状態によって処置を変える、手術のようなものである。また、すいふう、全ての精霊魔法を駆使した総合魔法とも言える。普通に考えれば、単純な魔法名など存在しない、僕だけのオリジナル技術なのだ。


だが、僕の胸には以前から一つの想いがあった。

僕は微笑して答えた。


「実はね……名前だけは、最初から決まってたんだ」


そして、それを口にした。

亡き友を想って考案し、夢に抱いていた名前を。その名は――


世界樹の葉ユグドラシル・リーフ

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