第109話 レベル16 VS 魔王軍最大戦力

真実に気づき、僕の価値観は一変した。

もはや、デルフィニウムは、僕の中で『魔王』ではなくなった。

この子は、救うべき存在なのだ。


どうしてそうなったのは全く不明だが、僕たちがマオと呼んでいた幼女は、この世界に『魔王』として召喚された日本人なのである。


この世界における『勇者』は異世界から召喚された者だが、『魔王』もまた、異世界から召喚された者だったのだ。


いったい誰が、彼女を召喚したのか。第一発見者であるピクテスがそれを知らない以上、おそらく誰にもわからないことだろう。デルフィニウムが森の中を一人で彷徨っていた、ということは、僕たち夫婦が最初にそうだったように、気づいた時にはこの世界にいたのだ。


それが魔族に拾われ、今まで育てられてきた。そして、人間社会での生活など忘れてしまい、魔族が人間に戦争を起こそうとしているのに加担させられている。


3歳の女の子が魔族と1年間生活してきたのだ。自分が人間であることも忘れているかもしれない。


全身から汗が噴き出る思いだ。

今、僕は全ての優先順位をひっくり返そうとしていた。


彼女を救いたい。


しかし、だとすれば、物事の善悪も理解できていない彼女が今、魔族に対してどのような感情を持っているのか。それを確認しなければならない。


魔族たちに囲まれた状況であるにも関わらず、僕はデルフィニウムに質問をした。


「ねぇ、マオ……マオは、みんなのこと、どう思ってるんだ?」


それを聞かれて、デルフィニウムは考え込んだ。


「みんな……?うーーん……うーーーーーーん…………」


あえてこんな質問を自分たちの主君にぶつけられては、魔族たちにとっても気持ちのいいものではないだろう。ここで、”あまり好きではない”的な回答がくれば、僕としては嬉しいが、その瞬間に命が危険になるのは必定だ。


しかし、自分の気持ちを表す言葉をようやく絞り出したデルフィニウムは、明るい笑顔でキッパリと宣言した。


「なかま!!」


それを聞いた瞬間、微笑する魔族たち。

そして、絶句する僕と、おそらく嫁さん。


魔族とともに生活してきた彼女は、彼らを仲間だと認識している。もしも今、老猿ピクテスと八部衆を力ずくで制圧した場合、彼女は僕たちを恨んだりしないだろうか。


そう考えると、僕は二の足を踏んでしまい、嫁さんに作戦決行の合図をする勇気が持てなくなってしまった。


合図は簡潔である。

僕が一言、「嫁、参上」と言うだけだ。

嫁さんと相談した結果、なぜか、これに決まってしまったのだ。

しかし、その一言を口に出す決断ができない。


どうする?

どうすればいい?

彼らを仲間だと思っているデルフィニウムをどうやって救い出せばいいんだ?


必死に考えをまとめようと頭をフル回転させるが、焦る気持ちばかりが募った。一方、仲間と言われた八部衆は、それぞれ喜び合っていた。


「ホウホウホウ。これは、嬉しいお言葉ですな」


「魔王様、家来たる拙者どもを、お仲間とおっしゃられる、そのご寛大さ。拙者、終生、忘れは致しませぬ」


「う……嬉しいな」


「オレも魔王様のこと好きですよ」


「ガルル!(なかま!)」


「やっぱり魔王様は、かわいくて、優しいニャン!」


「お仲間だなんて、そんな……アタシは、おそば近くにいられたら、それだけで………って、あれ?そういえば、ティグリス、アンタ、全然しゃべってないけど、どうしたの?なんか悪い物でも食った?」


「……………あぁ?」


急に蛇女カエノフィディアから話を振られたトラ男ティグリスは、不機嫌そうに返事をした。確かに、豪快な性格であるはずの彼が今日はほとんど発言をしていない。彼は、頭を掻きながら、こう言った。


「……いや、なぁーーんか、こいつの声に聞き覚えがあってな……気持ち悪いくらい、引っ掛かるんだ」


「ふーーん。本当にアンタ、丸くなったわね」


「うるせぇ!殺すぞ!!」


「あぁ、やっぱ今のはナシ。全然、丸くないわ」


マズい。ティグリスが僕に反応している。あの時、彼は意識は失っていたはずなのに、僕の声を覚えているのだろうか。もしも、これで彼を封印したのが僕だと判明すれば、さらに状況は悪化してしまう。急がねばならない。


焦燥感に駆られる僕だったが、心を落ち着ける余裕も無く、老猿ピクテスが次の話を始めた。


「さて、魔王様。このレンという人間、お仲間に加えられますか?」


「うん!」


「しかし、人間を幹部に登用することはできません。下っ端の兵として働いてもらうことになりますが、それでもよろしいですか?」


「うーーん?…………うん!」


デルフィニウムは、よく意味も理解せずに適当に承諾している。

そして、大きな声でこう付け足した。


「レン!わたしと、あそぶ!!」


これを聞いて、魔族たちは不穏な空気になった。デルフィニウムの発言は、幹部など関係なく、僕が彼女のそば近くに仕えることを意味したはずだ。


特に老猿ピクテスは、自分の立場が、人間である僕に奪われるのではないかと考えたようで、憎しみのこもった目でこちらにガンを飛ばしてきた。


だが、デルフィニウムから、ここまで気に入られたことを僕は本当に嬉しく思った。


なんとしても彼女を連れ帰りたい。

どうせ、フェーリス以外の魔族から敵意を向けられたところだ。

今しかない。

隣に嫁さんもいる。

彼女がいる限り、万が一の危険もない。


僕は、嫁さんを信じ、そして、デルフィニウムから向けられた好意に望みを託して、一世一代の大勝負に出た。


「マオ、だったら僕と一緒に帰らないか?」


ストレートな勧誘だった。


レベル16という冒険初心者のような僕が、魔王軍の最大戦力に囲まれ、命懸けの一言を発したのだ。彼女がこれを素直に呑んでくれれば、あとはこの場にいる魔族全員を嫁さんに退治してもらうだけである。


「……え?」


意外そうな顔で振り返り、僕を凝視するデルフィニウム。そして、僕の質問に反応し、怒りの目つきで睨みはじめる魔族たち。フェーリスだけは悲しそうな目で僕を見ている。


「な、何言ってるんだニャン!レン!!」


「こいつ!正体を現したわよ!!」


「うお!すげぇなこの人間!堂々と喧嘩売ってきやがった!」


「我らが城まで乗り込んでおいて、よもや、このような発言を魔王様にされるとは……愚かを通り越して、天晴れですが、拙者もこれは見過ごせませぬ」


「どうやら、仲間になる気など、もともと無かったのではありませぬか?」


騒ぎはじめた八部衆の面々に次いで、老猿ピクテスが叫ぶようにデルフィニウムに語りかけた。


「魔王様、その者からお離れください!そやつは、あなた様を良からぬ場所へ誘い込もうとしているのですぞ!」


これに負けじと、僕はデルフィニウムに再び優しく声を掛ける。


「マオ、僕と一緒に来れば楽しいよ。スタンプもみんなも待ってる。百合ちゃんだって、君のことを優しく迎えてくれるよ。だから行こう」


僕の再度の勧誘を聞き、蛇女カエノフィディアが立ち上がった。


「魔王様!どうか、その男からお離れください!そして、そいつを殺す許可をくださいませ!!」


彼らの様子と僕の顔を、困った顔で交互に見ていたデルフィニウムは、やがて振り回しつづけた首を止め、俯きながら寂しそうに呟いた。


「レン、すき……にんげん、きらい」


言いながら、僕の膝の上から離れ、浮遊して自分の座席に戻るデルフィニウム。

僕は愕然とした。

彼女は、魔族と共にいることを望んだのだ。


なぜだ。

なぜ、4歳の子どもが、人間である僕より魔族を選んでしまうのだ。


「魔王様、これで、この者を処罰しても、よろしゅうございますね?」


玉座に座りなおしたデルフィニウムに老猿ピクテスが確認を取った。彼女は首を縦に振らないが、八部衆は今にも戦闘態勢に入ろうとしている。


こうなったら、仕方がない。

力ずくで魔族をねじ伏せ、デルフィニウムには、あとでじっくり話をするしかない。


僕は、合図の言葉を出そうとした。

ところが、その時だった。


「レンと言ったわね!アタシの眼を見なさい!!」


そう叫んだ蛇女カエノフィディアと無意識に目が合った。



ズクンッ!!



胸と腹のあたりに奇妙な衝撃が生まれた。


なんと、呼吸ができない。

横隔膜と胸の周囲の筋肉、つまり呼吸に必要な筋肉が全て痙攣を起こしているのだ。


迂闊だった。

目を合わせただけで術中にハメてくる能力者がいたとは。


カエノフィディアの眼球には、魔法陣が刻まれていた。彼女と目を合わせ、僕の瞳にその魔法陣が映ったタイミングで、発動させることができるのである。


この女は、魔王の許可なく、秘密裏に僕を殺そうとしているのだ。


「…………!!!」


息ができないため、声すら出すことができない。


僕は、宝珠システムを起動し、自分に仕掛けられたカエノフィディアの魔法の性質を解析する。しかし、いきなりのことで、演算が間に合わない。魔法解析が完了して解除するまでに、僕は窒息死してしまうだろう。


呼吸のできない苦しみに、もがき出す僕。

そこに救いの手を差し伸べたのは、もちろん嫁さんだった。


「蓮くん!蓮くん!!私の眼を見て!!」


姿を現し、僕を立ち上がらせ、目を合わせてくる嫁さん。彼女と目が合うと、その瞬間に僕の中で筋肉を麻痺させていた魔法効果が、弾け飛んだ。


「っくはぁーーーーっ!!!」


呼吸を再開でき、喘ぐ僕。嫁さんは、敵と目を合わせることで発動した魔法に対し、自分と目を合わせることで対抗し、究極スキル『半沢直樹ばいがえし』の応用で、僕にかかった魔法を破壊したのだ。


だが、そのために姿を現す結果となってしまった。

突如、眼前に現れた嫁さんに魔族一同が動揺する。


「アウオッ!?(うおっ!?)」


「こいつ!どっから現れた!!」


「人間のメスだと!?」


「何者だ!!」


「姿を消してたのか!?こ、このオレを差し置いて!?」


「まさか、我ら全員を欺いていたというのですか!!」


「アタシの『魔眼』を解除したですって!?」


「ユリカ!!いつからいたのニャン!?」


「こ……この女!!あの時の!!!」


特にハッキリと驚嘆しているのは、嫁さんと知り合いであるフェーリスと、かつて倒される直前にその顔を見たティグリスだ。


さらに自分の能力を強制的に解除されたカエノフィディアと、おそらく透明になる能力を持っているであろうカメレオン男イグニアも驚愕している。


その他の面々は、一様に、これまで一切、嫁さんの気配に気づくこともなかった事実に愕然とした。


そして、僕たちの作戦決行の合図は、僕からの合図以外にもう一つある。

魔族からの攻撃だ。

彼らのうちの誰か一人でも、僕に攻撃した場合、反撃すると同時に一網打尽にする。それが嫁さんとの約束だった。


だが、デルフィニウム本人の件で、嫁さんも動揺していた。すぐに行動を開始せず、嫁さんはデルフィニウムに呼びかけた。


「マオちゃん!私よ!あの時はごめんね!!もう何もしないから、私とも、お話ししよ!!!」


しかし、僕たち夫婦は忘れていた。

そもそも、この場において最も警戒しなければならない存在は誰なのかを。


「……ユリカッ!!!」


嫁さんの顔を見るなり、顔面蒼白になっていたデルフィニウム。そんな彼女は、嫁さんから声を掛けられたことで、さらに恐慌をきたし、絶叫した。デルフィニウムにとっては、嫁さんは二度と会いたくない天敵だったのだ。


「……え?」


突如、凄まじい重力で押さえつけられる嫁さん。もちろん、それだけでダメージを受けるようなヤワな女性ではないのだが、目の色が変わり、全力全開で能力を発動させるデルフィニウムによって、通常の何十倍という重力を受けることになった。


その結果、嫁さん自身は無事だったのだが、なんと岩で出来た城の床に、嫁さんの足が埋め込まれてしまった。


「あっ!うそっ!!」


「ピクテス!だして!!」


必死に訴えるデルフィニウムに、老猿ピクテスも慌てて受け答えした。


「は……はっ!」


ヤバい。

僕自身も再び宝珠システムから圧縮空気を展開し、防御できるようにしている。しかし、レベル40超えが10人集まっている状況下で、果たしてどこまで通用するか、わからない。嫁さんが移動できない状況では、彼女に全てを期待することもできなくなった。


「蓮くん!私の後ろに来て!!」


必死に叫ぶ嫁さん。

僕もそのとおりに動こうとする。


だが、次の瞬間に起こった出来事は、僕たちが予想していたものとは全く異なっていた。



ブウゥゥゥゥゥゥゥンン!!!



奇怪な音とともに床下が円形に光りはじめたのだ。


その光は、立ち上がったまま、座席から移動していない魔族たちを全員包み込み、ちょうど僕のいた席だけが外れるようになっていた。


「よもや勇者本人も来ていたとは、驚かされたよ。しかし、罠にハメられたのが、貴様たちの方だというのは気づかなかったか?」


不敵に笑うピクテス。

彼はさらに誇らしげに続けた。


「フェーリスは口が軽い。いくつか質問すれば、連れてくるのが人間であることは、大方、予想できた。であるならば、わざわざ本当の本拠地に人間を招くわけがなかろう。既に引っ越しは済んでる。この城は用済みなのだ」


「な…………」


僕は愕然とした。サプライズに引っかかったフリをして、この年老いた猿は、僕たちを最初から殺す気でいたのだ。


「貴様が魔王様に気に入られていたのは誤算だったが、それももう済んだこと。この古い城には、不要なものしか置いていない。命令を聞くことのできなかった不良品。使い捨ての魔獣50体。先程、城の中に放っておいた。やがて、この城を抜け出し、森を抜け、街を襲うことになるだろう。防ぎたければ、お前たちで何とかすることだな」


ピクテスが話をしている間に嫁さんは、岩から足を引き抜いた。彼女の足を止めたといっても、それは一瞬のことに過ぎないのだ。しかし、光る円の中に飛び込もうとする嫁さんを見て、僕はすぐに彼女の手を取った。


「待って!百合ちゃん!今はダメだ!」


「えっ!どうして!?」


「あれは、おそらく転移魔法だ!今から飛び込んだら、肉体が空間ごと切断される恐れがある!!」


「えぇぇっっ!!」


ピクテスは、ニヤリと気持ち悪い笑顔をこちらに向けた。


「それでは、勇者ユリカとレン、さらばだ。お前たちが、魔王様に出会うことは二度とないだろう」


光の円が、さらにその輝きを強くし、空間全体を包み込んだ。


「マオちゃん!!マオちゃぁぁん!!!」


光に向かって嫁さんが叫ぶが、デルフィニウムからの返事は全く無い。


数秒後に光が消えた時には、そこにあったテーブルごと、彼らはいなくなっていた。絨毯までも移動したようで、覆う物が無くなった床には、巨大な魔法陣が刻まれていた。


残された僕たちは茫然と立ち尽くす。魔族たちに睨まれ続け、ずっと緊張感に包まれていた僕は、刹那の間に嫁さんと二人っきりになってしまったのだ。


「これが転移魔法の魔法陣か……絨毯の下に隠されていたとは……」


「転移できるなら、これを使って追いかけられないの?」


「無理だ。転移先である向こう側で、既に魔法陣が破壊されている。この魔法陣は、発動しても意味が無い」


「あのお猿さん、私のこと、『勇者』って言ったよ。私が来ること、わかってたのかな……」


「フェーリスのヤツ、いろいろ口を滑らせたんだろうな……あいつを全面的に信じた僕もバカだった」


こちらの作戦よりもピクテスという魔族の思惑の方が、一枚上だった。その点について、反省点がいくつも思い浮かぶ。しかし、最も悔やまれる点は、僕も嫁さんも同じだった。


「蓮くん!どうしよ!マオちゃんのこと!私、もっとうまくやればよかった!」


「いや……僕のミスだ。もっと早くあの子の正体に気づいていれば、作戦を考え直せたのに、ここに来て、顔を見て、話をして、ようやくわかるなんて、遅すぎたよ……」


後悔しかない。

落胆する心は、さらに脱力感まで生み、目の前が真っ暗になった。


だが、今、僕たちがいる現実は、物思いに沈む余裕も許されなかった。僕たちが取り残された会議室の周辺から、魔獣の唸り声が聞こえてきたのだ。人間のニオイに気づき、こちらに近づいているようだ。


そのうちの1体が、僕たちに姿を見せた。


しかし、その姿を確認した瞬間、嫁さんが拳から放ったマナの塊に魔獣の頭が粉砕され、即座に絶命した。僕が見たのは、胴体だけになった巨大な犬のような残骸だけだった。


「蓮くん!マオちゃんのこともショックなんだけど、この城に魔獣がいるってこと。あれも本当なんだよ!私たちに気づいて、こっちに向かって来る!」


「……仕方がない。人を襲うようになったら、被害は甚大だ。全部倒そう。百合ちゃんに任せていいかな?」


「りょ!」


魔族を一網打尽にし、魔王を生け捕りにする作戦は、その根底から瓦解し、失敗に終わった。僕たちは、目的の再設定を余儀なくされたのだ。そして、突如発生した別の課題、魔獣の掃討作戦に力を割くことになった。

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