第108話 魔族会談
僕、白金蓮は、魔王の住まう岩山の城まで来た。
集っているのは、魔王の側近であり、補佐役である『ピクテス』。腹心の幹部『八部衆』。そして、今、僕と目を合わせる魔王『デルフィニウム』である。
そのデルフィニウムは、ベナレスで出会った幼女、マオだった。
街で会った時は、大きめの帽子を被っていたため発見できなかったが、何も着けていない彼女の頭には2本の小さい角が生えている。愕然とする僕とは対照的に、彼女は明るい表情で目を輝かせていた。
そんな彼女は、歓喜した声で僕の名前を呼んだ後、すぐさま椅子から跳び上がった。
長方形のテーブルの向こう側から、いっきに跳躍して僕の方に来るマオ。いや、デルフィニウム。しかも、その動きは、跳躍というより、まるで宙に浮いているように見える不自然なものだった。デルフィニウムは、僕の胸に飛び込んでこようとしている。
本当に最近、こういうシチュエーションに遭遇することが多い。僕は、自衛のために圧縮空気の壁を張り巡らせていたのだが、先程、それでフェーリスを遮ってしまったため、今度は、即座に解除してデルフィニウムを受け入れることにした。今、この場で彼女を怒らせるのは、どう考えてもマズいからだ。
僕の胸に無事にダイブし、抱っこされるデルフィニウム。
その姿に、フェーリスも含めた全員が驚愕した。
「「なっ…………!!!!」」
一方、デルフィニウムは、満面の笑みで僕にしがみつく。
「レーーン!!!」
肌の感触、喜ぶ声、嬉しそうな仕草、どれを取っても、ただの愛らしい子どもだ。
こんな子が、本当に魔王だというのか。
おそらく隣にいるはずの気配を絶ち切った嫁さんも、僕と同様に困惑していることだろう。
魔王を倒して生け捕りにする。
それが、僕たち夫婦の作戦であり、僕が合図を送った瞬間、嫁さんがそれを決行する手筈になっている。僕の手元に魔王がいるということは、既に準備は整った。
しかし、あまりにも想定外だった魔王の正体に、僕の思考回路は一時停止した。
果たして、僕はこの幼女をこれからどうするべきなのだろうか。こうなれば、できる限り魔族たちと話をしてみて、デルフィニウムと彼らの関係性を聞き出しておきたい。そう考えた。
魔族サイドで最初に声を上げたのは、フェーリスだった。
「あ……あれ?魔王様、レンと知り合いだったニャン?」
それに答える暇もなく、次いで声を出した魔族がいた。妖艶な姿をし、蛇を自身の体に這わせている女魔族だった。
「アッ!アンタ!何やってんのよ!!魔王様に対して、し、失礼でしょ!!アタシだって、そんな羨ましいこと、して差し上げたこともないのにっ!!!」
ただの怒りではなく、何やら嫉妬も含んだ声で罵られた。そして、さらに発言したのは、年老いた大きな猿、まるでオランウータンのような顔をしたネクロマンサー風の魔族だった。
「そうですぞ!魔王様!そやつは人間です!汚らわしい!!そのような者と肌を合わせてはなりませ………ぬぉっ!!!」
ところが、最後まで言い切ることができず、石で出来たテーブルの上に上半身を突っ伏す老猿と蛇女。2人の魔族は、体が重くなって動けなくなった。
「「がっ…………あっ!!!」」
「カエノ、ピクテス、うるさい」
そう告げるデルフィニウムの声には、子どもらしいかわいさの中に、何か恐ろしい響きが含まれていた。
これが、彼女の力なのだ。
魔族の幹部が、触れられることもなく、ひれ伏してしまう力。
おそらくは、重力を操作する能力だ。
嫁さんからもベナレスの市場で起こった事件のことは聞いている。その情報から分析するに、重力が関係していると予測していたが、やはりそうだった。しかも、能力を周辺の空間全体に及ぼすこともできれば、特定の対象にのみ発動させることも可能なようだ。
万能すぎる。
こんな能力、どんな相手だろうと勝てるはずがない。ウチの嫁さんを除いては。
「レンに、なにかするの、ダメ。ぜったい。わかった?」
「「わ、わかりました!申し訳ありません!デルフィニウム様!!」」
デルフィニウムの言葉に従うと、彼らは超重力から解放された。
こうやって、今まで彼女は、魔族を従えてきたのだろうか。
そして、彼女の固い意志を受け取った結果、魔族の面々は、全員、黙り込んでしまった。静寂の中、僕への厳しい視線だけが、ひしひしと感じられる。ここは、僕から発言をしなければなるまい。
「あ……えーー、申し遅れました。レンと言います。人間の世界では、ハンターをしている者です。あの、魔王様のことは、すみません。実は、ベナレスの街でお会いしたことがありまして、その時、一緒に遊んで仲良くなったというか……いや、それも本当に偶然で……僕も全然、知らなくて……」
僕自身、本当に知らなかったことであり、混乱もしているので、ぎこちない言い方になってしまった。そこに助け舟を出してくれたのは、紹介者であるフェーリスである。
「ニャハハハハハハ!!みんな驚いたかニャン?連れてきたのが人間だと知ったら、どんな顔をするのか楽しみにしてたニャン!”サプライズ”は大成功ニャン!!」
「”さぷらいず”とは、そういう意味でしたか……」
「ちっ!悪ふざけがすぎるぞ!」
学者風のフクロウ男とトラ男のティグリスが、小声でフェーリスを非難した。
ティグリスの顔は知っているが、フクロウ男については、”女剣侠”ローズから聞いていた情報と一致する。おそらく彼女と対峙し、魔獣をけしかけたのは、この魔族に違いない。
「だけど、まさか魔王様と既に知り合いだったとは、ウチも知らなかったニャン!ウチにまで”サプライズ”を仕掛けるニャんて、さすがはレンニャン!やっぱりキミは面白いヤツニャンね!」
「いや……これは本当に知らなかったんだ。ねぇ、マオ?」
「うん!!」
デルフィニウムがあまりにも僕に懐いているため、誰もこの状況にツッコミを入れなくなった。
「レンと言われましたな。魔王様を抱かれて、立ったままというのは、こちらも失礼でござる。拙者も話を聞きたく存ずる。どうぞお座りくだされ」
僕に初めて気遣いをしてくれたのは、巨大なカブトムシの魔族だ。彼は、最初に見た時から、ツッコみたくてしょうがなかった存在でもある。
巨大なカブトムシが普通にしゃべるだけでもビックリ仰天だが、それが和風の鎧を身に纏い、カブトムシの頭とツノが、文字どおりに兜の代わりを務めている。しかも、自分のことを”拙者”と言ったり、語尾に”ござる”が付いたりしているのだ。
それは、武士のマネ事なのか?実際にそんなしゃべり方の武士がいるわけないだろうが。この世界にも、日本式の文化があるのには驚いたが、おそらくこの魔族は解釈を間違えているのだと思う。きっとそうだ。
「あ……あぁ……どうも……」
そうした思いは、今はしまっておくことにして、僕は目の前に用意された席に座ろうとした。長方形テーブルの手前の席。おそらく最も下座となる席であり、今回は八部衆に加えてもらうため、面接を受ける立場の席だ。
ところが、それをデルフィニウムが制した。
「レン、あっち、すわろ」
彼女が指差したのは、先程まで自分が座っていた上座の豪華な椅子だった。
待て待て待て。いくらなんでも、この状況で僕が玉座に座ったら、まるで僕が魔王軍を乗っ取るみたいじゃないか。魔族相手に遠慮する必要もないとは思うが、気まずいにも程がある。僕にそこまでの度胸はない。
「いやぁ……マオ、さすがにそれはマズいよ。僕と一緒なら、どこでもいいだろ?」
若干、顔を引きつらせながら僕が言うと、デルフィニウムは快諾した。
「うん!」
僕は初めに用意された席に座った。デルフィニウムは、僕の膝の上でニコニコしている。その光景を魔族一同は、唖然とした表情で見ていた。いや、ただ一人、蛇女だけは、恨めしそうに僕の顔を睨みつけている。
この時、僕の肩がトントンと軽く叩かれた。嫁さんが僕に指示を仰いでいるのだ。僕は、まだ作戦決行の時ではないと考え、首を軽く横に振った。
「じゃあ、ウチがみんなのことを紹介するニャン!」
フェーリスは嬉しそうに魔族の一人一人を紹介しはじめた。改めて僕は、居並ぶ面々の顔を見渡す。彼らの名前を教えてもらいながら、こっそりとステータスを測定させてもらった。
まず、マオこと、魔王デルフィニウムである。
登録名:デルフィニウム
タイプ:ディフェンダー
レベル:53
体力:716
マナ:944
攻撃:512
防御:837
機敏:912
技術:471
感性:856
魔力:783
数値を見て息を呑んだ。
僕は嫁さんを除き、初めてレベル50以上の存在を測定したことになる。
幼いためか、攻撃と技術が低めだが、それでもレベル40台と比べて遜色ない実力だ。そして、それ以外の項目は群を抜いている。ステータス上はディフェンダータイプだが、重力操作の魔法能力は攻撃性能が容赦なく高い。
もはや無敵ではないか。もしもこの子が成人したら、いったいどんな化け物級の強さになるのだろう。考えるだに恐ろしい。
次に、幹部である。
人獣タイプの老猿『ピテクス』は、レベル48。
伊達に魔王の補佐役をやっているわけではないようだ。
そして、八部衆の面々。
彼らはまとめて紹介しよう。
蛇女 カエノフィディア(亜人)レベル45
カメレオン男 イグニア (人獣)レベル44
カブトムシ男 トリュポクシル (人獣)レベル46
トラ男 ティグリス (亜人)レベル47
フクロウ男 ストリクス (人獣)レベル46
ヤマネコ女 フェーリス (亜人)レベル44
狼男 カニス (亜人)レベル43
大狼 ルプス (人獣)レベル49
魔族には、大きく分けて2種類のカテゴリーがある。人間をベースにしてモンスターの力を得た者『亜人』タイプ。モンスターが超進化して、人間のように言葉と文化を持った者『人獣』タイプ。
ゆえに姿形は、千差万別だった。
カブトムシの他に、僕がどうしても気になるのは、大狼のルプスだ。僕の紹介者であるフェーリスは、僕のすぐ右手に座っており、その奥に座っているのがルプスである。
でかい。
体長3メートルはあろうかという巨体が、普通に椅子に座っている。それだけでもインパクトがあるが、隣にいる狼男カニスが人間をベースにしているのと比べて、ルプスは狼そのものだ。
その大狼が、僕に向かって急に叫んだ。
「ガウガウアッ!!(こんばんは!!)」
驚いたことに、ただの狼の鳴き声なのに、その意味することが理解できた。
なんと、異世界から召喚された僕たちに内在する、脳内の翻訳機能は、彼の使う狼言葉にまで適用されるようだ。この世界に存在する全ての言語に対応可能なのかもしれない。とんでもなく優秀な魔法だ。
「あ……あぁ……こんばんは」
こちらの言うことまで理解できるのかは不明だが、とりあえず返事をする僕。そこにまた蛇女カエノフィディアが発言した。
「相変わらず、何言ってるか、わかんないわね。ルプス……アンタがしゃべると、ややこしくなるから、今日は黙っておきなさいよ」
すると、狼男カニスが、ルプスに言った。
「ぐごるる、がおがおが(今日は黙っとけってさ)」
「ガウアウッ!(わかった!)」
どうやら、カニスはルプスの通訳を務めているらしい。八部衆の中で最も戦闘力の低いカニスは、最も戦闘力の高いルプスの通訳をすることによって、地位を確立しているのかもしれない。
ところで、彼らのやり取りを見ていて、僕は何か違和感を覚えた。それは、デルフィニウムがマオとして僕の前に現れた時に感じたのと同じものだったが、具体的に何が変なのかを特定することができなかった。
僕は今、重大な何かを見落としているはずなのだが、処理する情報が多すぎて、頭を整理する余裕が無いのだ。
彼らのステータスを測定し、改めて僕は、とんでもない死地に踏み込んでしまったのだと思い知った。レベル16に過ぎない身の上で、こんな度胸のある行いができるのも、隣に世界最強の嫁さんがいてくれるからこそである。
「それじゃあ、みんなの紹介が終わったところで、ウチがどうしてレンを連れて来たのか、それを説明するニャン!とっても面白い話だニャン!」
フェーリスは、僕と嫁さんが王国騎士団から追われることになった顛末を語った。僕の話がメインとなったため、嫁さんが想像を絶する強さを持っていることには触れられなかった。いや、フェーリス自身、まだ嫁さんの真の実力には気づいていないのかもしれない。
「――ということで、レンは人間を裏切ることにしたんだニャン!」
皆、それぞれ思うところはあるようだが、まず最初に蛇女カエノフィディアが感想を漏らした。
「ふふふふふ……アンタ……なかなか数奇な人生を送ってんじゃないの。ちょっとだけ興味が湧いたわ」
「あ、あぁ……」
妖艶な姿をしているが、どうにも不気味な雰囲気の女である。興味を持たれても僕はあまり嬉しくなかった。
「ホウホウホウ。勇者が人間から”ニセ勇者”の汚名を着せられ、追われることになったとは、確かに面白い話でありますな」
フクロウ男のストリクスが興味深そうに笑うと、老猿ピクテスが上から目線の口調で言った。
「しかし、今の話を聞くに、本当に強いのは、”ツガイのメス”ということになるが、その者は来ていないのかな?」
おいコラ。今、番いのメス、と言ったのか?この猿は?
要するにウチの嫁さんのことを言っているのだと思うが、人間を心底見下していることが窺われる。
「それは拙者も疑問に感じておりました。このレンという者。強さそのものは、信じられぬほど貧弱でござる」
さらにカブトムシ男のトリュポクシルが相槌を打った。この武士もどきは、どうやら相手の強さを推し量ることが可能なようだ。僕は、もう少し会話を続けるため、適当な理由をつけることにした。
「そうなんだ。ウチの嫁さん、百合華こそが本当の勇者なんだけど、王国から追われる身となってしまった。僕は、それを許すことができない。彼女は今、人間を裏切ることに迷っている。僕が君たちに受け入れてもらえたことがわかれば、きっと僕に従って、一緒に来るはずだ」
「え……?」
これを予想外なこととして疑問符で反応したのは、僕の膝の上にいるデルフィニウムだった。
「……ユリカ?くるの?」
「あぁ……うん。百合ちゃんも一緒に来る、って話をしたんだ」
「やっ!ユリカ、いらない!」
「えぇ…………」
しまった。デルフィニウム本人からハッキリ拒絶されてしまった。僕には見えないが、隣にいる嫁さんのショックは如何ばかりであろうか。
「なるほど。やはり我らが魔王様。勇者を仲間に引き入れるなど、言語道断というわけですな」
老猿ピクテスが気持ち悪い顔で笑った。
フクロウ男ストリクスは、それを受けてこう言う。
「しかし、彼がこちらの側につけば、少なくとも勇者を牽制することができますな。ワタクシも人間を仲間に加えるなど、考えたこともありませんでしたが、勇者に対し、人質となる者を仲間に引き入れるのは、有益だと思えますぞ」
ありがたい。僕の有益性を少しでも考えてくれれば、会話を続けることができる。本当に彼らの仲間になる気など毛頭ないので、今のうちに聞きたいことを聞いてしまおうと思う。
「あの、僕からも一つ聞いていいかな。みんなは、どういうふうに魔王様とお知り合いになったのかな?」
僕としては、魔王が幼女のマオだったということが、全ての誤算であった。彼らを一網打尽にする前に、彼らと彼女との関係性を少しでも聞き出しておきたいのだ。
「ブフフフフ……いいだろう。では、ワタシと魔王様との初めての出会いを語って聞かせよう」
予想以上に乗り気になってくれたのは、先程から僕を睨みつけてやまない老猿ピクテスだった。彼は、自分と魔王との出会いに誇りを持っているようだ。
「あれは、およそ1年前のこと。環聖峰中立地帯の、ある森の中で、ワタシは不思議な光を見た。気になってその場所まで向かってみると、魔王様がそこにお一人でいらっしゃったのだ」
え、それだけ?
と言いたかったが、言葉を呑んだ。
「初めてお目にかかった時のデルフィニウム様は、今よりももっと小さく、可憐な姿をされていた。そして、ワタシと目が合うなり、不思議そうな顔をされ、ジッとこちらをご覧になっていた。恐れながらワタシ自身、幼きその姿から、魔王様であるとは認識できなかった。しかし、魔王様に近づいたワタシはすぐに思い知ることになる。その偉大なる力に屈伏し、気がつけば、大地にひれ伏していたのだ」
森の中で幼女に出会い、何気に近づいてみたところ、重力操作によって無理やり平伏させられた、ということらしい。たぶん顔が怖すぎて、ビックリされたのではないだろうか。
「ついに魔王様が降臨なされた。この事実を知ったワタシは、各地に隠れ住む魔族に魔王様の復活を触れ回り、ようやくこれだけの陣営をそろえることになったのだ」
人間に追いやられた魔族は、環聖峰中立地帯でひっそりと個別に暮らしている、と聞いたことがある。また、フェーリスから聞いたところでは、人間に対してどんなに復讐心を持っていても、魔族は個性とナワバリ意識が強すぎて、『魔王』という求心力が無い限り、団結することはありえないそうだ。
つまり、魔王の復活は、彼らにとって千歳一隅のチャンスなのだ。
それにしても、これではデルフィニウムが何者なのか、全くわからない。この子は、先代魔王が残した嫡子で、永い眠りから目覚めた――的な話はないのだろうか。
「へ、へぇ……なるほど。ピクテスさんが魔王様に最初に会われたんだね。だとすると、それまで魔王様は、どこにいらっしゃったんだろうか?」
僕のこの質問には、魔族全員が怪訝な顔になった。
怪しむように老猿ピクテスが答える。
「……何を言う?おかしなことを言うものだ。魔王様は、光とともにご降臨されるのではないか。知らぬのか?」
「え…………」
どういうことだろうか。
魔王の出生について、誰も知らないどころか、疑問にすら思っていないというのか。
考えてみれば、そもそも『魔王』とは、如何なる存在なのだろう。魔族を率いる統領。という認識しか、今までしていなかった。いったい、デルフィニウムとは何者なのだ。
ますます混乱した僕は、必死に考えを巡らせた。
この幼女をどうするべきなのか。
嫁さんとも相談したいが、宝珠の筆談は、怪しまれそうなので自重している。また、いくら気配を消していても、万が一、わずかな音でも聞き逃さない能力を持った者がいればアウトなので、嫁さんは僕の耳元で囁くこともしない。全て、事前に打ち合わせていたことだ。
まさか、生け捕りするターゲットであり、ラスボスの魔王がマオだったとは……
ふと、ここでまた違和感を覚えた。
というか、なぜデルフィニウムは、『マオ』と呼ばれていたのか。
魔王だから、マオ?
そんなことがあるのだろうか。
僕が考え込んでいると、蛇女カエノフィディアが一人で呟いた。
「あぁ……1年前の魔王様にもお会いしたかったわ……きっと今以上に、かわ……あ、いや、可憐で愛おしいお姿だったでしょうねぇ」
そこにフェーリスも加わる。
「魔王様は、今もかわいいニャン!」
さらに、無口なヤツかと思っていたカメレオン男イグニアが、か細い声で言う。
「おいおい……まお……魔王様に対して……か…かわいいは……無いだろう」
「まぁ、でも普段はおっかない魔王様ですけど、こうして人間の膝の上に、ちょこんと座られていると、なんかホッコリするもんがありますね」
通訳の狼男カニスも参加した。
そうだ。通訳だ。
彼らは、”魔王”と言っているが、それはこの世界の言語であり、実際に”魔王”とは口にしていない。異なる単語を口にしている。異世界召喚された僕の脳内では、魔法によって自動翻訳されるお陰で、『魔王』という単語に置き換わっているのだ。
つまり、彼らは”まおう”とは発音していない。なのにデルフィニウムは、スタンプたち少年少女から、『マオ』と呼ばれていた。
彼女は、自分のことを”まおう”と言って、スタンプから勘違いされたのではないだろうか。ということは、デルフィニウムは、日本語で”まおう”と名乗ったのだ。
ここまで思考が及んで、僕の心に戦慄が走った。
この結論は、今まで考えてきた全ての作戦どころか、価値観すら崩壊しそうな事実だ。
僕が今、自分の膝に座らせている幼女は、世界の平和のために倒すべきラスボスではない。生け捕りにして、王国との交渉材料に使うような魔族の女の子でもない。
この子は、紛れもなく人間であり、日本人なのだ。
彼女に出会った時から、ずっと感じていた違和感の正体もわかった。
この子は、ずっと日本語をしゃべていたのだ。
単語の羅列という幼稚な話し方をするため、気づくのが遅れてしまった。いや、脳内で自動翻訳されることに慣れてしまったため、人々が実際は違う言語で話していることを僕もつい忘れていたのだ。
八部衆たちが無駄話をしている間、僕はこの驚愕の事実について熟考しながら、どうにかして嫁さんにも伝えたいと思った。そして、最終確認の意味も込め、デルフィニウムに声を掛けた。
「マオ、”おにぎり”食べたくないか?」
「…………お……に……?」
一瞬、キョトンとするデルフィニウム。
米が主食ではない、この地域の文化では、”おにぎり”は言葉すら存在しない。これで、意味をわかってくれれば、日本人確定だと考えられるし、これなら嫁さんでも、さすがに気づいてくれるだろう。
しばらく考えていたデルフィニウムは、何か思い出したように笑顔になり、明るい声で叫んだ。
「……おむすび!」
完全に確定した。
彼女は、”おにぎり”を理解し、”おむすび”と言い直した。
この子は、日本で生まれ、日本で育ち、そして、この世界に召喚されたのだ。
勇者ではなく、『魔王』として。
僕の肩を嫁さんの手が触れた。
その手が少し震えている。
彼女も気づいたようだ。そして、動揺している。
全く意味のわからない単語で会話する僕とデルフィニウムに不審の目を向ける魔族たち。
ここから、いったいどうするべきなのか。
僕は、一世一代の決断を迫られていた。
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